少年時代3【scene9】
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レイモンドは村のはずれで剣を磨いていた。この村には職人は多くいるが、鍛冶職人はいない。武具や防具の手入れは自分で行なわなければならなかった。丹念に磨きながら、剣の曇りを落としていく。人であろうと、魔獣であろうと、生き物を斬れば剣は曇る。そして、曇った剣はなまくらになっていく。剣の手入れは剣を扱う者の命をつなぐ行動だ。レイモンドはそう考えて、決して手を抜かない。そのせいもあって、この作業はいつまで経っても終わりそうになかった。
それでも、ようやく納得のいくぐらいまで磨くことができたころ、レイモンドの背後に誰か立っているのに気がついた。
「何だ、坊主か」
背後に立っていたのはレトだった。
「友だちは残念だったな。俺も寂しいよ」
レイモンドは振り返らずに話しかけた。レトは沈黙したままだ。ぎゅっと両のこぶしを握り締め、うつむきぎみに唇の端を噛んでいる。やがて顔を上げると、レイモンドの背中に話しかけた。
「僕に剣を教えてください」
返事はなかった。
「僕に、剣を教えてください」
まだ返事がない。
「僕に、剣を、教えてください!」
「剣を覚えてどうする? 剣術使いのレンガ職人になるのか?」
レイモンドは顔だけ振り返って尋ねた。
レトは再びうつむいた。「わかりません。でも、僕はたぶんレンガ職人になりません」
「兵士になるのか?」
「なりたいです」
「止すんだな」
レイモンドは立ち上がると、レトを見下ろした。レトはレイモンドの表情を見て戦慄した。これまでに見せたことのない冷ややかな目だったからだ。
「いいか、俺は軍人一家の出だ。じいさんも、親父も、兄貴も、みんな軍人なんだ。俺の場合、兵士になる以外の人生なんて思いつきもしなかったよ。でも、お前は職人の息子だ。職人以外の生き方なんてできるはずがない。変な夢を抱くのはやめることだな」
「兵士になりたいのは、変な夢ですか?」
レトは少しムキになって言い返した。教えることを断られるのは予想していたが、「職人以外の生き方なんてできるはずがない」などと言われるとは思ってもみなかったのだ。
「そうさ、変な夢だ」
レイモンドはあっさり答えた。
「兵士なんてのはな、死ぬことが前提の仕事だ。将軍はある作戦を俺たちに命じる。しかし、それは俺たちの何割かは戦死することを想定したものなんだ。世の中に仕事はいろいろあるが、そんなことが前提の仕事なんてのは軍人だけだぜ。ある意味バカバカしいと思える仕事だ。それでも、お前はやりたいって言えるのか」
「でも、レイモンドさんは兵士になったんですよね? どうしてです? そんなことを考えているのに、兵士になったのはなぜですか?」
レイモンドは呆れたような表情を浮かべた。6才の子供に、ここまで食い下がられるとは思っていなかったのだ。一瞬、口にすべきか考える表情を見せたが、レトのまっすぐな目に根負けしたように口を開いた。
「兵士は死ぬこと前提の仕事。けっこう不条理で、下手するとまったく意味のないものだ。だがな、俺はこう考えるんだよ。俺が命を懸けて、誰かが殺されるのを1日でも遅らせることができれば、たとえ、その誰かが明くる日に死ぬことになろうと、その1日には意義がある。その誰かにとっては何ものにも代えがたい1日を過ごせるからだ。俺はその1日のために戦っているんだ。あらゆる人々に、意義のある1日を与えられるようにってな」
レトはじっとレイモンドを見つめた。そんなレイモンドの行動で、レトは今日も生きている。レトの今日1日は、レイモンドによって生み出されたものだ。そうだ。レトはそれを体現する男の背中に自分の魂をわしづかみにされたのだ。自分の人生に何か意味があるのか、まったくわからずに生きてきた少年にとって、レイモンドはあまりに鮮烈だった。まぶしかった。そして、尊いものだった。
「僕は、戦う力がないから、キップの明日を守ってやれなかった。もし、僕にその力があれば、キップはまだ生きていたかもしれない。僕は、自分が非力だから、誰も守れなくて当然。そんな自分でいるのは嫌なんです。僕は、誰かのために戦える人間になりたい」
「そのほとんどが無意味で無価値な戦いになってもか?」
「そうならないように戦います」
レトは動ずる様子も見せずにレイモンドを見つめ返した。レイモンドは睨みつけるようにレトを見つめていたが、やがて大きくため息をついた。
「ほんと呆れたよ、お前には。わかった。俺がこの村にいる間は剣を教えてやる。……と言っても、時間的には基礎ぐらいだな。基礎だけは教えてやるから、あとは自分で何とかしろよ。それでモノにならなければ、兵士になるっていうのはすっぱり諦めることだ。いいな?」
レトは強くうなずいた。「はい!」
それから、レトの剣の修業が始まった。レイモンドは腕のある兵士ではあるが、教官としては優秀であったとは言えなかった。説明などほとんどなく、実演だけ見せて、「この通りにやってみせろ」だけである。レトはそのことに不平を漏らすことなく、懸命に剣の修得に励んだ。もちろん、レンガを焼く仕事は辞められないので、礼拝日の読書に充てていた時間をそちらに回したのである。教会での読書の時間は減ったが、レトは神父から本を借り、自宅や窯の前で読書を続けた。自宅では父親が就寝してから、月明かりで本を読んだ。窯の前では、自分の汗で本を汚さないように気をつけながらページをめくった。レトは剣の腕だけでなく、自分の知識を増やすことにも熱心だったのだ。村の人びとはレトのことを我や欲のない人間だと評していたが、レト本人は自分以上に貪欲な者などいないと考えていた。自分の中に渇望するものがあり、それを諦めることも、無視することもできない。そんな自分に較べれば、世の中の人びとのほうが、よほど現実を受け入れ、現実と折り合いをつけながら生きていると思える。レトにはそんな生き方はできないと考えていた。レトは人知れず「足掻く者」だった。
レイモンドとの修業は1年半に及んだ。その間にレトは剣の基礎を身につけていた。とは言っても、実戦に出られるものではなかった。剣の技術は身についても、剣を振るうための腕力や身体ができていなかったからである。レトは8才になっていたが、同じ8才のなかでも身体は小さいほうだった。栄養状態の悪い環境で育っているので、腕も細く、全体に華奢だった。こればかりはレイモンドにはどうすることもできなかった。
やがて、『カーペンタル村』に春が訪れて、レイモンドの任期が終わりを迎えた。レイモンドは村の去り際に、ひと振りの剣をレトに渡した。使い古して練習用に使用しているものだった。レトは初めて自分の剣を手に入れて目を輝かせた。
「じゃあ元気でな」
それがレトの聞いた、レイモンドの最後の言葉だった。レイモンドは村を去り、姿を見せることは二度となかった。その後の彼の噂を聞くこともない。それっきりである。現在、レイモンドがどこにいるのか、そもそも生きているのかもレトは知らない。しかし、レイモンドが去った後も、レトは剣を振るい続け、腕を磨き続けた。それは、いつか剣の師に恥ずかしくない自分を見せるために鍛えているようだった。身体はなかなか大きくならないので、レトは基礎を元に下段攻撃中心に組み立てた戦法をより磨き上げた。身体が大きくなるまで待っていられなかったのだ。それは村を出て行くまで続けられた……。
レトは長い思い出話をルッチに語り終えた。
「僕にとって、兵士として戦うのは、ひとの犠牲になるためではありません。ただ、そのひとにとって、意義のある時間を与えるために死ぬのであれば、僕の死は犠牲じゃなくなるのです。いや、ルッチさんはやっぱり、僕のことをひとの犠牲になって死んだと思うんでしょうね。でも、僕は意義のあることのために自分の命を使うんです」
「アホな将軍を助けることでもか」ルッチは口を挟んだ。
「ついでなら文句ありませんよ。僕は、その、アホな将軍を見捨てるために、本来助けるべき人びとを見捨てることになるほうが嫌なのです。どちらにせよ、僕が命を張るのは、他人の命のためなのです。そして、それは僕の勝手ですることです。他人から感謝やお礼をしてもらうためじゃありません。だから、僕はこのまま『勇者の団』の一員として戦い続けたいと思うんです」
ルッチは、ふううと長いため息をついてうつむいた。
「ルッチさん?」
ルッチは顔を上げると笑顔を見せた。笑顔と言っても苦笑に近かったのだが。
「わかったよ、お前の考えが。たしかに、将軍ひとりを見捨てるために、救うべき人びとも見捨てることになるのは俺も嫌だ。俺もこのまま『勇者の団』で頑張ってみるよ」
「そう言ってもらえると心強いです。ルッチさんは頼りになる方ですから」
ルッチはもぞもぞと身体をくねらせた。
「そういう言いかたはよせよ。身体中がむず痒くなってくる」
そこへ扉が開くと、ガイナスが入ってきた。口が大きく「へ」の形に歪んでいる。
「ガイナスさん、どうかされたんですか?」
レトはガイナスを振り返って尋ねた。
「ちょっと面倒なことになっているわね」
ガイナスは入ってきた扉に目を向けた。
「かなりの数の者が『勇者の団』を抜けるって騒ぎになっているのよ……」




