第四章 反撃の狼煙(のろし) ドドナへの訪問者【scene1】
これまでのあらすじ:
圧倒的な数の不利を跳ね返し、メネアを防衛する『勇者の団』は魔侯軍を退けた。しかし、一方で『名もなき陵墓』は破壊され、大勢の仲間を失うことに。敵の主な目的はメネアの攻略より、陵墓の破壊が最優先だったのだ。敵に足止めされた『勇者の団』に、ドドナへ救援に向かう時間はなかった。ドドナとドドナの『名もなき陵墓』の防衛は、ドドナ駐留軍に託すしかない。そのドドナでは、防衛態勢について変化が起ころうとしていた……
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物語は少し時間をさかのぼる。
ドドナでは、軍内部である議論が起こっていた。それは、魔侯軍の侵攻に対する意見である。司令部のとある一室で、ひとりの女性が軍の方針を巡って上官に意見を述べていたのだ。しかし、話は噛み合っていなかった。
「魔侯が、このドドナまで軍を進める可能性は低いと思うのだがね。王都を目指すのであれば、テヘナ街道を進めばよい。行軍の難しいドドナの高地をわざわざ通ろうとはすまい」
口ひげの両端をピンと跳ね上げた中年の男が、ひげのはしをつまみながら話している。ドドナ駐留軍の司令官、カルパ中将だ。顔も胴体もよく肥えており、じゃがいもをふたつ上下に並べたように見える。カルパ家は武門の名家で、軍の要職に代々就いていた。現在の中将も実績らしいものはないが、出世の早さは群を抜いている。いきなり中佐から軍歴がはじまり、少将をわずか2年務めたのちに中将へと登ったのだった。中将はどっしりとした机を前にふんぞり返るように座っている。もっとも、肥えた身体を座らせるには、ふんぞり返る以外ないとも言えた。
「先日、テヘナ街道に接するアングリアを我が軍が奪還しました。魔侯軍は王都まで簡単には進められません。ただ、奇襲を狙うのであれば、メネアを抜けてドドナに向かうことはありうると思うのです」
中将の前で直立して発言しているのは、背の高い若い女性士官だった。長い黒髪を肩まで下ろし、鋭い視線を中将に向けている。ウィザーズ家の長女、ヒルディー・ウィザーズ少佐である。ウィザーズ家は代々王家と婚姻を結んでいるほどの名門である。現在の国王、ダリウス四世の王妃はウィザーズ家の女性だ。つまり、ヒルディーは王妃の姪であり、ルチウス王子のいとこである。美貌で名高い王妃と同様、顔立ちは非常に美しいのだが、その鋭い視線でかなり気が強い印象を受ける。実際、中将は鋭い視線に射すくめられたように肩をすくめた。
「少佐。君の意見には聞くべき部分がないとは言わん。しかし、メネアまでの道に監視体制を強化する話は採用できない」
「どうしてです」
「君が言ったばかりじゃないか。アングリアを奪還したと。王都からはアングリアの守備に2千の兵を送ることになった。王都の守りが薄くなったため、ドドナから兵を送るのだ。ドドナの警戒態勢を強くすることなどできんわけだよ」
ヒルディーは首をかしげた。
「王都に兵を送るのですか? しかし、それでは事実上の後退になるのでは?」
「魔侯が王国に攻め込んで数か月。このドドナに駐留してから何か危険なことでもあったかね? ドドナは王都よりも安全なのだよ。そして、王都はいつ敵に狙われてもおかしくない状況だ。だから、我々が直接、国王陛下をお守りに戻るというわけだよ」
「何ですって?」
ヒルディーは大声をあげた。
「今の発言は、中将が軍を率いて王都へ戻るということですか?」
カルパ中将はうるさそうに顔をしかめた。
「今、言った以上の意味はない」
ヒルディーは両脇に下している手を握りしめた。幸い、ヒルディーの握りこぶしは机にさえぎられて中将には見えなかった。
……辺境任務に疲れたから王都へ帰るということか。前線に出ることを嫌って、辺境任務を買って出たくせに!
「何かね、何か私に言いたいことでもあるのかね?」
カルパ中将はじとっとした目つきで睨んで言った。日頃、鋭敏なところを見せない中将ではあるが、自分に対する悪感情には敏感のようだ。ヒルディーの腹の内を読んだような反応だった。
「いいえ、私から何も申し上げることはございません」
「……そうかね。なら良い。君は王妃殿下の姪御さんだ。あまり、軍のことに口を出さないほうが良い。ウィザーズ家が王家を後ろ盾に言いたい放題していると思われてしまう」
ヒルディーはカッと目を見開いた。
「私が王家の威を借りて、勝手なことを発言していると?」
「私が思うのではない。周りだよ。周りがそう思うだろうと言っているのだ」
カルパ中将は面倒くさそうに手を振った。中将の発言は適切ではない。ギデオンフェル王家は、むしろ身内に対して厳しいと言われている。ダリウス四世の子供はルチウス王子ひとりだけだが、現時点で後継者と決められていない。あくまで有力候補のひとりだ。『王太子』でないのは、そのためである。王位は世襲で継承されるが、資質に問題があれば実子でさえ継がせないというのがギデオンフェル王家の伝統だった。そのせいもあってか、ヒルディーが軍学校に進学することや、王国軍の入隊に際しても、王家から何らかの便宜が図られたことはない。少佐という地位について、家柄が多少影響している可能性はあるが、中将ほどあからさまなものではない。事実、彼女は実績を積み上げてきた。魔族の討伐を行なうこと数十回。すべて完勝という内容である。実績から見れば、少佐という地位は低いという見方さえあるのだ。
……私は王家に嫁いだ叔母上が恥をかくことがないよう、己の行動には気をつけてきた。それは一族の心得でもある。そんな私に王家の後ろ盾で行動しているなど、よくも言ってくれたものだ。
しかも、議論の論点がどんどんずれていく。今、話題にするべきはドドナを手薄にしてはならないという話だ。
「私は自分の身勝手で申し上げているのではありません。敵の侵攻にはおかしなところがあります。単純にアングリアへ再侵攻し、王都に迫ろうとするか、疑問に思うのです」
ヒルディーは内心の憤りを抑え、努めて平静に話を続けた。しかし、中将はもう議論は終わったと言わんばかりに手を振った。「君個人の見解など、どうでもよい」
「しかし……」
「いいかね? 君は女性だ。女性の君に軍事の何がわかる? 女性で少佐の地位につくのは異例中の異例だ。君は実力で今の地位にいると思うのかね? 少佐であること。それこそが君が王家に後ろ盾を頂いている証拠なのだ。我々がこれまで君の発言を大目に見てきたのは、王家に対する忖度にすぎない。しかし、今は非常時だ。魔侯とのいくさに勝つためには、いくさの道理がわからぬ者の意見に耳を貸している場合ではないのだよ!」
中将の発言に、ヒルディーは怒りを通り越して呆れかえってしまった。カルパ中将は門閥貴族の出身だ。中将の地位も名誉職のひとつとしてしか考えていない。そんな人物が魔族討伐で実績をあげているヒルディーに対して、「いくさの道理がわからぬ」と言い放ったのだ。しかも、ヒルディーが女性であることを理由に、地位についても異論を吹っ掛ける始末だ。たしかに女性の軍人は珍しい。しかし、女性の冒険者は珍しくないし、目覚ましい活躍をしている者もいる。中将の見識は時代錯誤も甚だしいのだ。
中将が王妃の姪であるヒルディーに強気の態度でいられるのは、おそらく国王の病気と無関係でないはずだ。魔侯の侵攻が始まって間もなく、ダリウス四世は体調を崩し、公の場に姿を現わさなくなった。王国の政治は貴族の特権を縮小し、一般民の権利保護を進めていたため、国王に対する貴族の評判は悪い。国王が元気なころは表立って反抗的な姿勢を見せなかった貴族たちが、国王の病気を機に反発した姿勢を見せるようになったのだ。門閥貴族の中将の態度は、その一端と見ることができる。
ヒルディーは頭を下げると、指令室を退出した。己のわがままを通すために道理も理屈もすべて曲げて押し切る腹積もりの中将と、これ以上の議論は無意味だったからだ。
ヒルディーは長い廊下を歩きながら、不快な気分を振り払うように自分の考えにふけった。王都へ戻るのは、おそらく中将直下の王国軍第8連隊の1万名だろう。ドドナに駐留する王国軍は1万8千だから、半数以上が後退することになる。戦力半減などという規模ではない。これではメネアまでの交通監視はおろか、ドドナの防衛も怪しくなる。ドドナは交通の要衝ではないが、辺境地域の拠点である。ここを落とされると王都はもちろんのこと、イーザリスなどの農業地帯も危険にさらされる。王国の農産品自給率はおよそ7割を占めるが、その大半がそこに集中している。周辺諸国と通じる街道は、すでに魔侯軍によって封じられていた。ここで食糧の補給を絶たれると、王国はわずか数万の魔侯軍によって兵糧攻めに遭うのだ。飢えるのは兵だけではない。国民も同じ危機に陥る。そんな危険を招くことはできない。
……たしかにドドナが攻められる危険が高いわけではない。しかし、アングリアを落とされた敵が、素直にアングリアへ攻めるとは考えにくいのだ。敵も戦力に限界がある。消耗戦は敵にしても避けたいはずだ。そうであれば、寡兵に分けてでも周辺制圧を仕掛けるほうが敵にとってはやりやすい。何せ、敵は魔族だ。集団での戦いでは我らのほうに分があるが、個々の能力で戦うとなれば魔族のほうが有利だ。これまで敵が大軍で攻めて来ているほうが異例なのだ。
そこまで考えて、ヒルディーは立ち止まった。彼女の正面に誰かが立っていたからだ。
「どうかしたの、ヒルディー?」
「なんでもない、コーデリア」
話しかけたのはコーデリア・グレイス軍曹だった。年齢はヒルディーと同い年だが、見た目はまるで10歳の少女ほどにしか見えない。あまりに幼く見えるため、軍服姿が違和感丸出しでまるで似合っていない。ただ、ぱっちりとした目、小さい鼻など、容姿の可愛らしさは軍服姿でも損なうことはなかった。
「なんでもないって顔をしていない」
ヒルディーは苦笑した。さすがに彼女にはごまかしがきかない。コーデリアは軍学校からの親友で、ヒルディーにとって唯一心の許せる相手だ。ふたりきりのときは学校時代と同じように打ち解けた会話をしている。ふたりの間に階級は意味がなかった。
「コーデリアには聞かせたくない話なんだ、これは」
ヒルディーはコーデリアの頭をぽんと叩きながら歩き始めた。コーデリアは軍帽を整えながらふくれ面になる。「また、子ども扱いする」
「子ども扱いはしていない。ただ、コーデリアを不快にする以外、何の意味もない話なのさ」
「中将に、またバカなことでも言われたの?」
「……なぜ、そう思った?」
「ここに来てから、ヒルディーはずっと中将のことで頭を悩ませていた。中将以上にヒルディーを困らせるバカはいないと思うから」
さすがのヒルディーも笑いださずにはいられなかった。
「私は、そんなに困り顔を見せていたのか」
「ヒルディーは、軍の規律に縛られ過ぎ。あんな役立たずの言うことを聞く必要はないと思う」
ヒルディーは友の発言に心では感謝しつつも首を振った。
「どんな理由があろうと、軍の統制は守らなければならない。上官の指示に従わない軍が、命を危険にさらす作戦に臨めるはずがないからだ。軍は存在そのものが暴力だ。扱いには絶対性が必要なのさ。規律という絶対性がね」
「軍学校の授業を思い出させること言わない。気持ちが滅入る」
コーデリアはややうつむき気味につぶやいた。武術では主席の成績ではあったが、理論は落第すれすれの成績だったのだ。その様子に、ヒルディーは再び笑った。さきほどまでの不快感は消えていた。
「そんなに笑うことない」コーデリアはむすっとしたように抗議した。
「すまない。でも、ほっとしてしまったんだ。許してくれ」
「……やっぱり、中将に何か言われたんだ」
ヒルディーは立ち止まると、コーデリアに向き直った。コーデリアも足を止めると、ヒルディーを見上げた。
「コーデリア。ひとつ考えてほしい。現在のドドナは1万8千の戦力だが、これが半減したら、どうやってここを守る?」
コーデリアは首をかしげた。ヒルディーの質問の意図が測れなかったからだ。しかし、コーデリアはヒルディーの質問に答えようと、少し視線を左右に揺らしながら考えこんだ。
「……敵戦力にもよるけど、たぶん守らない」
「守らない?」
「守るのではなくて攻める。攻撃こそ最大の防御」
ヒルディーは驚いたようにコーデリアの顔を見つめたが、コーデリアは真顔だった。ヒルディーは一瞬言葉を失ったようだが、自分のあごをつまむと思い直したような表情になった。「そうか……。攻めの考えか……」
コーデリアは再び首をかしげた。ヒルディーの表情がみるみる明るくなったのだ。
「コーデリア。君は示唆に富んだことを言ってくれる。助かったよ」
「役に立ったのならいいけど」
そうは言ったが、コーデリアはまだ釈然としていなかった。
「あ、少佐。こちらにおられましたか!」
ヒルディーの背後から若い男の声が聞こえた。
振り返ると、士官服を着た男が近づいて来る。
「ハリー大尉。どうかしたか?」
ハリー大尉は気をつけの姿勢を取ると敬礼した。コーデリアも同様に敬礼する。
「アングリアより、軍の責任者に取り次いでほしいと申すものが来ております」
ヒルディーはハリー大尉の言葉に顔をしかめた。
「軍の責任者は中将閣下だ。なぜ、私に言う」
ハリー大尉は気まずそうな表情になった。
「ですが、中将閣下はこれからここを去られるお方ですので……」
ヒルディーは呆れた表情になった。
「……もう、そんな話が伝わっていたのか。いつの話だ?」
「は、半刻ほど前であります。第8連隊は移動の準備を始めております」
「皆はそのことを知っているのか?」
「たぶん、まだ一部かと」
「オライリー大佐は?」
ヒルディーはドドナ駐留軍の最高幹部の名前を出した。中将と言えど、そのことを伝えるべき相手だが、念のため確認しようと思ったのだ。
「はぁ、大佐はご存知ですが……。ですが、大佐も王都へ戻られる準備に忙しく、私の話に耳を傾けてくれそうにございません」
「何だって!」
ヒルディーは思わず大声をあげたが、すぐに理解した。オライリー大佐の妻は中将の縁者だった。その関係を考えれば、大佐の行動も予想できたはずだ。
「……そうか。それで残ったのが私、ということなのか」
「まさか、少佐も王都へ……」
ハリー大尉は、不意に不安そうな表情を見せた。上官たちが次々とドドナを去って行くことに、不審の念も抱いているのかもしれない。
「私はドドナを離れんよ。ところで、面会を申し出ているのは誰だ?」
ヒルディーは腰に手を当てて尋ねた。
「はっ。王立魔法学院の研究員だそうです」
「王立の……?」
ヒルディーは思わずコーデリアと顔を見合わせた。こんな辺境の地に王都の魔法研究者が訪れるとは、珍しいを通り越して奇異だ。
「用件は直接説明したいとのことで、何も聞いてはいないのですが……」
ハリー大尉は遠慮がちに説明した。本来であれば、身元が明らかでない者の取次など許可されるものではない。これまでは門前払いにしていたはずだ。しかし、ハリー大尉は取り次ごうとしている。ヒルディーは理由が知りたくなった。
「ハリー大尉。君はなぜ、その訪問者を取り次ごうと考えた?」
「はっ。先ほども申しましたが、かの人物はアングリアから訪れたと申しておりました。かの地から来たとなれば、内密の伝令かもしれませんので」
ヒルディーはうなずいた。
「なるほど、わかった。会おう。案内してくれたまえ」
ハリー大尉は「了解いたしました」と応えると、向きを変えて元来た道を戻り始めた。ヒルディーとコーデリアがその後ろに続いた。
司令部の外では白衣姿の女性が立っていた。ハリー大尉の姿を認めると、その女性はすっと頭を下げた。銀縁の眼鏡をかけた、美しい女性だ。どうも、この女性が王立魔法学院の研究者らしい。研究者らしい服装からも間違いないと思われた。
「ええと、あなたが……?」
ヒルディーが話しかけると、白衣の女性はほっとした表情を見せた。長い間、待たされていたのだということがヒルディーにもわかった。
「前もって連絡もなく押しかけて失礼いたしました。私はヴィクトリア・ウスキと申します。今回はここドドナに敵が攻める危険についてお知らせにまいりました」
ヴィクトリアは真剣な表情で言った。




