遠のいた勝利【scene26】
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急こう配の道が続く。山道に慣れていないのだろう。ルッチは息も絶え絶えの様子で歩いていた。
「『名もなき陵墓』ってのは、本当にこうもへんぴなところにあるのか?」
ルッチの口からは愚痴ばかりが漏れる。山村育ちで山道に慣れているはずのレトもこの山道は疲れると見えて、無言で首を振った。
「喋れるだけ、アナタのほうが元気じゃないの?」
日頃笑みを浮かべていることが多いガイナスも、今日ばかりは笑顔が見られない。負傷した肩には白い布が巻かれていた。ガイナスは救護班の治療を断り、自力で肩をはめたのだ。腫れを抑える薬も自分で塗っていた。「アタシ以外のほうが治療の優先順位が高いじゃない」が理由だそうだ。
ガイナスの皮肉に普段なら言い返していそうだが、今日ばかりはルッチは何も言い返さなかった。これから向かう先のことを思うと、軽口なんて言ってられない気持ちだからである。
『勇者の団』の7番隊、8番隊、9番隊の3個中隊は10番隊の無事の確認、あるいは救援に向かっているところだった。10番隊が現地に向かって、すでに3日が過ぎている。あれ以来、『勇者の団』本隊と10番隊との間に連絡は一切なかった。『名もなき陵墓』は山頂近い奥まったところにあるので、メネアとは互いに見ることができない。メネアからの連絡が途絶えれば、10番隊の誰かが様子を見に来るはずだ。しかし、まったくその様子がなかったということは、10番隊がそうできない状態にある、ということだ。それが、メネアのように敵に包囲されて身動きできないだけのものであれば、急いで助けなければならない。『名もなき陵墓』を目指す彼らの表情に笑顔がないのも無理はない。
「急ぎたいが、この坂道はなかなか……」
先頭を歩く7番隊隊長のデアンドリアはあごから汗を滴らせていた。山道はごつごつとした岩があちらこちらに顔を出しているようなもので、とても馬では進めない。なだらかな斜面はほとんどなく、不格好な階段のようである。3百名の団員たちは、その道をひたすらよじ登っていた。
だらだらと続く、この不快な道は1時間登り続けなければならなかった。ようやく、道が緩やかになると、彼らの口から深い息がもれた。道がなだらかになると、『名もなき陵墓』まではもうすぐである。
そこまで進んで、デアンドリアはさっと左手を挙げて行軍を止めた。険しい表情だ。すぐ後ろについていた副隊長のレンドルがデアンドリアの隣に並んだ。
「どうかしましたか?」
「腐臭がする」
デアンドリアの答えは簡潔だった。それを聞いて、レンドルも気づいたように鼻を押さえた。「た、たしかに……」
「いろいろな事態が予想されていたが、どうも、最悪のほうだったな」
デアンドリアは険しい表情のままつぶやいた。
『名もなき陵墓』は大小さまざまな岩に囲まれた広場にあった。視界の悪い道から急に開けた場所に出た先頭の者たちは、目の前の光景に息をのんだ。
『名もなき陵墓』は3メルテを超える高い塀に囲まれていたが、ところどころが崩れ落ちている。そのがれきに埋もれるように、10番隊の隊員たちの屍が散らばっていた。赤黒く見えるものはすべて血なのだろう。遺跡の塀はペンキをぶちまけられたかのようだった。
「覚悟はしていたが、凄まじいな……」
デアンドリアは衝撃を受けているようだった。10番隊は全滅していた。
「遺体の確認は注意しろ。屍霊化しているものがあるかもしれない」
デアンドリアは仲間に指示を出すと、現場の調査を始めた。
調査を始めて間もなく、デアンドリアが心配した屍霊化した遺体は出てこないとわかった。襲撃者たちは念入りに遺体をバラバラにしていたのだ。この世界では、人間が死んでそのまま時間が経つと屍霊化してしまうが、首を切断されたものは屍霊化しなかった。そのせいもあって、この世界での死刑はすべて斬首刑である。絞首刑も過去には存在したが、屍霊化の傾向が明らかになって以降、この刑が行われることはない。
「作戦司令……」
ウィル・フリーマンがひとつの首にかがみこんでいた。それはスライスのものだった。目を見開いて、何かを叫ぼうと口が開いていた。ウィルはスライスの顔を撫でるように目と口を閉じた。
「テッド・バスだ……」
ウィルの近くからウォレスの声が聞こえた。ウィルが振り返ると、ウォレスがひとつの首を転がして向きを変えたところだった。
「テッドが……。あの手練れもやられたのか」
「胴体を見ると、全身いたるところを刺されている。周囲からいっせいに襲われたんだろうな」
ウォレスは冷静に分析していた。
「敵は屍霊化を恐れて、全員の首を斬り落としたみたいだな。屍霊は人間、魔族の区別なく襲ってくるからな。アイツらにとっちゃ、生きている人間よりよっぽど警戒しているんだろう」
「たしかに状況は残酷ですが、おかげで俺たちは屍霊に襲われずにすんでいますよね」
両目が糸のように細い若者がつぶやいた。ウォレスと同じ9番隊のロナウドだ。
「遺跡の防御機構ってのは完全に破壊されているみたいだ。遺跡の中に入れるぜ」
ノギスが塀の陰から顔を出した。それを見てオーギュストが顔をしかめた。
「お前、危ないことをするよな。遺跡が生きていたら攻撃されていたんだぞ」
「まぁ、これだけ破壊されていたら、防御機構は生きちゃいないと思ったんだ」
ノギスが親指でぐいっと後ろを指した。オーギュストはつられるように、塀の向こう側をのぞきこんだ。
「……ほんとだ。あいつら、徹底的にぶっ壊してやがる」
オーギュストが目にしているのは『残骸』と表現するしかない、がれきの山だった。『陵墓』は丁寧に磨かれた石を積み上げて造られたと思われる。しかし、それらは荒々しく砕かれて地面にまき散らされていた。元がどのような姿であったかを、このがれきの山から想像するのは困難だった。
「……完全にしてやられたというわけだ。我々は」
ウィルが立ち上がりながらつぶやいた。
「これで、メネアの勝利は帳消しだな」
「おおい、遺体は持ってきた袋に入れてくれ。ひとつにひとりだ。バラバラだから混ぜないように注意してくれ」
ウォレスが周りに声をかけた。最悪の場合、遺体を持ち帰るための袋を用意していたのだ。
「袋の口を縛ったら、認識票も袋の口に縛り付けてくれ。全員、メネアに連れて帰るぞ!」
それからは、勇者の団員たちはバラバラの遺体を袋に詰める作業に取り掛かった。レトもルッチと協力して遺体を袋に入れた。当時、『名もなき陵墓』を守っていたのはスライス作戦司令と10番隊の百名だった。基本的にはふたりでひとりの遺体をメネアまで連れて帰ることになる。帰りも当然、あの悪路を通る。メネアへの帰還はかなり苦労すると思われた。しかし、団員たちは先の苦労など気にしていないように黙々と作業を続けた。これは10番隊だけの出来事ではない。未来の自分たちの姿かもしれない。そんな思いが彼らの胸の内に灯っていたからだろう。
がれきの中から遺体を探していたチェンが、遺跡から離れる血の跡に気づいた。血はぽつりぽつりと間隔を置いて岩山のほうへ続いている。
もしかしたら生存者がいるのかもしれない――。チェンは急いで血の跡を追った。すると、岩陰から大きな影が姿を現わした。チェンは驚いて足を止めた。影の正体はガイナスだった。頭から血まみれになっている。
「ガ、ガイナスさんじゃないですか。どうしたんです? ケガしているのですか?」
ガイナスは軽く首を横に振ると、親指で自分が現れた岩陰を指さした。
「あそこに遺体があるわ。あちらのは首を斬られたものじゃないけど、ね」
レトとルッチがガイナスのそばへ駆け寄った。
「どうしたんだ? どうして、そんなに血まみれなんだ?」
ルッチが尋ねると、ガイナスはちゃらりと音を立てて手から何かをぶら下げた。それは血まみれで血が滴り落ちていた。
「これを回収するために遺体に触ったからよ」
ガイナスはそう言うと、ルッチの手にそれを落とした。ルッチは受け取った物についた血を指でふき取ってみた。それは認識票だった。認識票はまだ血で濡れていたが、『10番隊 ロイド ポラトリス出身』と読むことができた。
レトはチェンとともに岩陰に近寄って様子をうかがった。
「うっ!」チェンは口に手を押さえた。
「どうした?」
ルッチが声をかけると、
「この遺体はめちゃくちゃだ。何かに食べられたように見える」
チェンは気分が悪そうに答えた
レトは残骸と呼ぶにふさわしい遺体のそばにしゃがむと、遺体の手に触った。
「おいおい、レト……」
ルッチが岩陰からのぞき込んでいた。仮面で表情がわからないが、遺体の惨状に驚いているようだ。レトは自分のあごに手を当てて考え込んでいる。しかし、考えをまとめられなかったらしい。不思議そうに首をかしげると立ち上がった。
「どうかしたか?」
「いいえ」
レトは短く答えるにとどめた。
「うわっ! 何だ、これは。こいつだけ何かに喰われたみたいじゃないか!」
カイルがルッチの後ろからのぞいて大声をあげた。
「10番隊の者です。名前はロイドです」
ルッチは認識票を見せながら説明した。
「こいつは首を斬られていない。このままだと屍霊化するぞ。気の毒だが、首を切断するんだ」
ルッチの口の端がゆがんだ。「仲間の首を斬れ、と?」
「仕方がない。こいつはいつ屍霊化してもおかしくないんだ。屍霊になれば、今度は首を斬ってもすぐには止まらない。そして、そいつはひとを襲うようになるんだ。仲間を怪物にしたくないだろ?」
「わかりました」
レトが剣を抜いた。
「おい、お前がやるのか?」
ルッチはレトの肩に手をかけようとしたが、その手は途中で止まった。自分の手は認識票の血で汚れているうえに、レトの肩が震えていたのだ。
「レト……」
「誰かがしなければならないことです」
レトの声はわずかに震えていた。そして、レトは力いっぱい剣を振り上げた。
「足跡は見当たらないが、何かの獣か、あるいは魔獣がいるのかもしれないな」
10番隊隊員ロイドの遺体が収容され、元あった場所には血だまりだけが残っていた。カイルはその血だまりを見つめながらつぶやいていた。
「ロイドは傷を負いながらも岩陰まで逃れた。しかし、そこで命を落としたか、獣の類に襲われたのだろうね」
報告を受けて、ウィルも現場に立っていた。視線は『名もなき陵墓』のほうを向いている。遺跡は岩にさえぎられて見ることはできない。ここまでは少し距離もあった。
「何にせよ、生存者はいないということさ」
ウィルはカイルの肩をたたいた。
「そして、かなりまずい状況だ」
「まずいって?」
ふたりは並んで戻り始めた。
「ここの例外を除けば、遺体はすべて鋭利なナイフでやられている。ゴブリンが使うような短剣じゃない。弓なりに曲がった、ダガーの類だ」
「弓なりの短剣の使い手ってことは……」
ウィルはうなずいた。「暗黒処刑人だ」
「しかし、あれら遺体の傷は複数あった。つまり、暗黒処刑人は複数、いや何十人もいたかもしれないのか?」
「そうだ。メネアを襲った敵の中に、やつらの姿はなかった。やつらは最初からここを目標にして、メネアには見向きもしなかったんだ」
「やつらはここを3日前には落としていたんだろ? なぜ、メネアに来なかったんだ? やつらがメネアの攻撃に加わっていれば、俺たちは魔侯軍を撃退なんてできなかったかもしれないのに」
カイルは不思議そうに言ったが、不意に顔色を変えた。
「まさか、暗黒処刑人どもは……」
ウィルはうなずいた。
「たぶん、もうドドナに向かっている」
ウィルや班長であるカイルは、ザバダックから敵の目標が『名もなき陵墓』にあると、ここへ向かう前に知らされていた。そして、敵の次の目標がドドナにあることも知らされていたのだ。
「……たしかに、かなりまずい」
「俺たちは3日もメネアに釘づけにされていた。今からドドナへ向かおうにも、この辺りは山道で時間がかかる。とてもじゃないが間に合わない」
ウィルの声には悔しさが滲んでいた。
「ドドナに駐留している者たちで何とかしてもらうしかない」
第三章 メネア防衛戦(終)




