第二の矢【scene22】
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……くそ! なんで俺が……。
1匹のホブゴブリンが愚痴をたらたら流しながら歩いていた。坂を登りきった先にはメネアの城壁が見える。彼は『緑龍』不在の間、軍の指揮を執ることになったのだ。『緑龍』だけでなく、『緑龍隊』まで撤退してしまったので軍には有力者がいない。序列で一番上に残っていたのが彼だったのだ。もっとも、彼はホブゴブリンの部隊で最上位ではなかった。しかし、最初の戦いで指揮を執っていた上官のホブゴブリンはメネアの城壁が爆破されたときに戦死した。結果として、彼に役が回ってきたのだ。
本来、司令官や指揮官になれるのは喜ばしいことだ。威張り散らすことができるし、我がままだって言える。しかし、戦場ではそうはいかない。自分の勝手で負けることになれば、その先にあるのは粛清という名の「死」だ。上官で得なのは戦場以外でのことなのだ。よりにもよって一番面倒なときに司令官の役回りがやって来た。彼はそのことに不平をはき散らかしていたのだ。
坂の上からメネアを見つめる。メネアは灰色の壁しか見えない、のっぺらぼうの要塞だ。狭間からは見張り役や射手の頭が見える。下手に近づけばやつらの餌食になる。実際、こちらの指示に従わないはみ出し者たちがうかつにメネアへ近づき、次々と狙い撃ちされて命を落としている。こっちの命令を聞かないやつが勝手に死ぬのはかまわないが、それでも戦力は低下するし、残っている者たちの士気も下がる。『緑龍』には逆らえない気持ちが大きかったので、嫌々従っていたところはある。しかし、それでも『緑龍』が指揮していたほうが全体の士気は高かった。強いやつの後ろから攻めるのが楽だったからだ。今やそんな状態にはならない。自分のような序列何位かもわからないぐらいの者に従おうというやつはいない。何せ、自分でもそう思うのだ。これではいくさにならない。
指揮官のホブゴブリンはいまいましい気持ちでメネアを睨んだ。睨んだぐらいで要塞が落ちれば、これ以上楽なことはない。もちろん、要塞は堅固な様子のまま静かに存在している。今日はメネアに近づこうというバカもいないようだし、一日平穏に過ごせそうだ。どうも、メネアに近づこうというバカは昨日までに全部死に絶えたらしい。ホブゴブリンは大きく背伸びすると、本陣へ引き返すべくメネアに背を向けた。本陣に戻って昼寝でもしようと考えたのである。
ホブゴブリンの歩みはそこで止まった。静か? そうだ、静かだ。静かすぎるぐらいだ。
後ろを振り返り、改めてメネアを見つめる。おかしい。何かがおかしい。ホブゴブリンはあいまいながらも危険を感じ取っていた。序列が何番目かわからないほどの者であっても、彼はそれなりに経験を積んだ猛者だった。指揮官を担えるだけあって、それほど鈍いものではなかったのだ。
彼は部下を呼ぶと、坂の正面に兵を集めさせた。坂の上には爆発で飛んできたがれきが散らばっているが、そこに、さらに木の柵を加えて敵の襲撃に備えさせるためだ。彼はてきぱきと指示を出すと、腕を組んでメネアを睨みつけた。
部下たちが作業をしている間、メネアを見つめ続ける彼の中ではあいまいな懸念が確信に変わろうとしていた。
……間違いない。やつらはもうすぐ来る。もうすぐだ!
攻撃を仕掛ける直前は、相手にそれを悟らせぬよう静かにしているものだ。だからこそ、今日のメネアは昨日よりも静かなのだ。なぜ、それが自分にわかる? 当然だ。自分が獲物を狙うときも同じだからだ。息を潜めて相手のふところに迫る。不意をついて相手の首めがけて剣を振り下ろす。これは敵のやり方ではない。自分のやり方なのだ。
メネアの門が開いたとき、ホブゴブリンに動揺はなかった。すばやく背後の部下に向かって弓隊に構えるよう指示を出す。今の彼にはまったく迷いもなかった。すべて自分の思った通りだ。あとはきちんと態勢を整えて敵を迎え撃つだけだ。
指揮官のホブゴブリンは知性では人間並みであった。しかし、まったく人間と同等というものでもなかった。彼はそのことを次の瞬間から思い知らされた。
メネアから大きな黒いものが風を切る音とともに飛んできた。ホブゴブリンはそれをよく見ようと目を凝らしてみた。黒いものは空中でいくつか小さく分かれ、そのままゴブリンたちの手前に落ちてきた。何かが割れる音がかすかに聞こえたが、それは一瞬のことだった。それをかき消すほどの大音響とともに、黒い爆風がホブゴブリンに襲いかかった。ホブゴブリンは勢いよく坂の下まで吹き飛ばされた。柵で弓を構えていたゴブリンたちも、がれきの破片や、直接爆風の直撃を受けて倒れていった。
……くそっ、いったい何だ!
ホブゴブリンは全身の痛みに顔をしかめながら立ち上がった。額に何か濡れた感触がある。触ってみると自分の血だった。さっきの爆発のとき、どこかで額を割ったらしい。
「おのれ、人間どもぉおおお!」
ホブゴブリンは血が流れるのも構わず、再び坂の上へと駆け登った。坂の上に到着する寸前、2度目の爆発が起こった。怒りで我を忘れかけていたホブゴブリンも慌てて地面に伏せた。
「くうう、爆弾の投擲か……。なんてことをしやがる……」
ホブゴブリンは地面に噛みついて唸り声をあげた。
メネアから飛んできたのは、いくつかの小ビンを束にして長いひもでくくりつけられたものだ。ひもの端を中心点にして、ぐるぐると回した勢いのまま投げ飛ばしたのだ。遠心力のついた爆弾の束は、彼らが待ち構えている坂の上空まで飛び、いくつかが空中で分かれながら落下したのであった。小ビンには火のついた布が押し込まれており、地面に激突して割れたビンから火薬があふれ出た。まき散らされた火薬は布の火に引火して爆発したのだった。
ちょうどメネアでは、城壁に集まった者たちが2発目の爆弾の着弾に歓声をあげているところだった。
「どうよ、俺の腕前は」
3番隊リーダー、ベイノンが太い力こぶを見せている。彼の投擲は2投とも、正確に敵の正面へ落ちたのだった。自分のあげた成果に、彼の顔はいかにも自慢げだ。
「いいところまで飛びましたね。隊長は投擲の経験があるんですか?」
小柄な若者が手をかざしてつぶやいた。3番隊の副官を務めるフォンという青年だ。
「おうよ。以前は鎖でつながれた鉄球を魔族どもに喰らわせたことがあったんだ。あれに較べりゃ、あんな爆弾は軽いものさ」
「でも、調子に乗って、次は投げそこなわないでくださいよ。こっちに飛んで来たら大惨事です」
「心配するな。予定ではさっきの2投で終わりだ。あとはあいつらがやってくれる」
ベイノンは城壁を見下ろした。眼下には、門から武器を手にした兵士たちが駆け出す様子が見える。その中には『勇者の団』もあり、ディレイノ・ハーディーが先頭を走っていた。彼は口の端に楽しそうな笑みを浮かべている。
「おい、遅れるなよ。この作戦は速度で成否が決まるんだ!」
ディレイノは後ろに声をかけた。ブルーノはしかめ面で追いかけている。巨体の彼には走り回る作戦は苦手なのだ。小柄なジョスはブルーノほどではないが苦しそうな表情だ。
「はぁ、はぁ。何だってディレイノは僕たちを走らせることばっかりやらせるんですか!」
「黙って、走れ!」ブルーノが吠えた。
魔侯軍が設置した柵は爆風で吹き飛んでいたり、横倒しになっていたりしていた。黒煙があたりを覆い、ディレイノたちの接近を敵に気づかせなかった。ディレイノは柵を簡単に踏みしだくと、ようやく身を起こしかけたゴブリンの頭をはね飛ばした。
「急げ、やつらに矢を撃たせるな!」
ディレイノは叫ぶと敵の群れの中へ飛び込んでいく。リーダーが先頭切って敵に突入するのだ。あとに続く者たちもためらうことなく敵の中へ斬り込んでいった。ただし、苦い表情で。
ブルーノは剣を振り下ろすと、ボーガンを構えたゴブリンを切り伏せた。
「たしかに相手に反撃の時間は与えられない!」
「それは同感だけど」
ジョスはブルーノの足元のゴブリンの口に剣を突き刺した。
「なぜ、その役回りが僕たちなのか聞いているの!」
坂の上で待ち構えていた魔侯軍は、爆弾と黒煙の中から現れたディレイノたちによって完全に浮足立った。せっかく構えた武器を放り出し、逃げ出すものも現れている。
「相手は混乱している! 今だ!」
坂の下ではゴブリンやオークたちが待ち構えていたが、味方とともになだれ込んできたディレイノたちにはどうすることもできなかった。下手に武器を振り回せば同士討ちになるし、そもそも味方の群れが邪魔で戦いどころでなかったのだ。
坂の上からわめき声が聞こえてきた。1匹のホブゴブリンが剣を振り回しながら駆け下りている。状況が呑み込めず、棒立ちになっていたゴブリンを斬り倒すと、その勢いのまま近くの王国兵士を斬った。兵士は驚愕の表情を浮かべながら倒れた。ホブゴブリンは周りに怒鳴り散らしている。それを聞いたゴブリンやオークたちは目をギラギラさせると武器を振り回し始めた。
「へっ、敵も腹をくくったようだぜ」
ディレイノは皮肉な調子でつぶやいた。
「邪魔な味方ごと俺たちを斬れと命じたな!」
空に何かが覆うような影が差した。ディレイノはちらりと見上げて「ちっ」と舌打ちをした。
「矢だ! 全員、当たるなよ!」
空を埋め尽くすほどの大量の矢が降り注いでくる。ディレイノは自分めがけて飛んできた矢を剣で斬りはらった。
矢は次々と地面に突き刺さる。同時に、王国兵や団員たちも矢を受けて何人か倒れた。巻き添えを受けて、多くのゴブリンやオークたちも倒れていった。敵は本気で、味方ごと矢で射殺すつもりだ。
「くそっ! これはマジでやばいぜ!」
ディレイノはさらに飛んで来る矢を防ぐと大声で叫んだ。
「撤退! 全速力で坂を走れ! 遅れる者は矢の餌食だぞ!」
ディレイノは剣で坂の上を指した。
「撤退の指示が出たぜ」
ブルーノが盾の陰から顔を出してつぶやいた。彼は常に鋼鉄製の盾を装備しており、矢はその盾で防いでいた。しかし、身体が大きいため、すべてを防げなかった。何本かの矢がブルーノの肩や太ももの肉をえぐり、そこから血が溢れていた。盾を空に向けて守っているので胴体ががら空きになっていたが、周囲のゴブリンたちは矢で倒れていた。彼にとっては敵に援護してもらったようなものだった。
「この坂を駆け上がるのか……」
ジョスが坂を見あげて顔をしかめた。
「戻ったら、ディレイノには文句言わなきゃ!」
ブルーノはどんっとジョスの背中を叩いた。
「賛成だ。だから生きて戻るぞ!」
ブルーノは盾を背中に背負うと走りはじめた。その盾に1本の矢が当たり、反響音を立てて跳ね返った。
「あ、ブルーノ! お前だけずるい! 僕の革鎧じゃ矢を防げないのに!」
ジョスも慌てて後を追う。後ろを振り返り、飛んで来る矢を避けながら走っている。ジョスの装備は貧相ではあるが、かえって身軽なのだろう。何本もの矢を確実に避けていた。
ディレイノは坂の途中で立ち止まって、味方が坂を上るのを見守っていた。混乱したゴブリンやオークがつられるように坂の上へ逃げようとしていたが、ディレイノは矢の雨を避けながらそれらを斬っていった。
「足を止めるな! 逃げられないやつは置いて行く!」
見下ろした先には、身体中に矢の刺さった遺体が転がっている。その多くはゴブリンやオークたちであったが、一部に王国兵士の鎧なども見えた。『勇者の団』は統一した兵装がないので、各人がそれぞれの装備で戦いに臨んでいる。遺体の中には魔族でも王国兵士でもない鎧姿のものも混じっていた。ディレイノは奥歯を噛みしめた。
坂を走る者たちはあらかた逃げ切ったようだった。最後のひとりと思われる王国兵士があえぎながら坂を上っていた。敵の群れから逃れるために体力を使い過ぎたらしく、すでに疲労困憊の状態だ。
「早くしろ! こっちだ!」
ディレイノが手招きしながら怒鳴った。
1本の矢がするすると王国兵士に向かって飛んでいった。矢は角度を変えて急降下すると、走る兵士の足に当たった。兵士は悲鳴をあげて坂に倒れた。
「くそったれ!」
ディレイノは兵士に駆け寄ると、脇から腕をつかんで坂から引き揚げようとした。兵士は痛みで呻き声を上げ続ける。
「痛いのぐらい我慢しろ! このままじゃ死ぬぞ!」
ディレイノはそれほど身体の大きなほうではないが、彼よりも大柄で重い鎧を身に着けた兵士をずるずると引き揚げている。さきほどまで兵士のいたところに何本も矢が突き刺さった。ディレイノが視線を敵側に向けると、ようやく態勢を整えたゴブリンたちが武器を手に坂を駆け上がろうとしていた。このまま追撃するつもりだ。
「このままじゃダメだ!」
ディレイノは兵士の身体を持ち上げる。いきなり身体をひねるように動かされて、兵士は大きく呻いた。
「お前、俺をつかむぐらいはできるだろ。絶対、離すなよ!」
ディレイノは兵士の耳元で怒鳴ると、兵士を強引に背負った。残りの坂を駆け上ると、そのままメネアめがけて走り出した。背後からはディレイノを追う魔侯軍のわめき散らす声が聞こえる。
1匹のゴブリンが坂を駆け上がり、ディレイノの背後に迫ってきた。敵の中では一番身軽で足の早い者らしい。
「こっちは両手がふさがってんだ! やり合うのは次にしてくれ!」
ディレイノは叫んだが、そのゴブリンは速度を落とすことはなかった。ディレイノのすぐ背後まで迫ると、手にした剣を振り上げた。ディレイノはさすがにやられると覚悟した。
血しぶきがあがり、地面に倒れたのはゴブリンのほうだった。がれきの陰からジョスが飛び出してゴブリンを斬ったのだ。
「ジョス、お前!」
「ディレイノに文句があって待ってたんだ」
ジョスはディレイノと一緒に走りはじめた。
「文句だぁ? 後にしてくれるか、今は忙しいんだ」
「わかってるよ! その代わり、たっぷり聞いてもらうからね!」
それからふたりは無言で走り続けた。足の早い敵はジョスが斬ったゴブリンだけだったようで、敵はなかなか追いつくことができなかった。ふたりとの差は最後まで縮まらなかった。ふたりは城門まで逃げ切った。ふたりが城門の奥へ転がり込むと、すぐ門が閉じられた。
ディレイノは背負っていた兵士を下ろすと、地面に寝転がったままゼイゼイと息を吸った。全身血まみれで、敵の返り血なのか、背負っていた兵士の血なのかわからない。そのせいで自分がケガをしているかどうかもわからなかった。ただ、全身が痛かった。それでもディレイノは身体を起こすと、閉じられた門に顔を向けた。そして、門扉でさえぎられて見えない敵に向かって、ぽつりとつぶやいた。
「人間の怖さを思い知れ、魔族ども」
ディレイノたちを追撃していた魔侯軍は大軍で城門に迫っていた。城門に至る最後の坂の手前まで来たとき、城壁からいっせいに立ち上がる人影が見えた。魔侯軍は足を止めた。城壁に立っていたのは全員魔法使いの服装をしていた。全員が手を魔侯軍に差し向けて呪文を唱えようとしている。そのとき、ゴブリンの1匹が、がれきの上に茶色の小ビンが置かれているのに気がついた。小ビンの口は城壁の上を向くよう粘土で固定されていて、中には何か黒いものが詰められている。ゴブリンは首をひねりながら小ビンに顔を近づけた。
「喰らえ、第二の矢!」ディレイノの叫びと同時に、魔法使いたちが炎の魔法を放った。




