痛み分け【scene20】
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戦いが終わった司令部の裏手は、すでに後片付けの最中だった。あちこちにばらまかれるように倒れている王国兵士の遺体に白い布をかけて運び出す者や、崖を見上げて何か指示を出している者。その他多くの者たちが後始末に動いていた。しかし、すべての者が動いているわけではない。勇者と、彼を囲んでいる者たちは、どこか呆けたようにその光景を眺めていた。緊張を強いられていた状態から急に解放されて、一種の虚脱感に襲われているようである。
リオンは剣を手に静かに立っていた。周囲の者たちは近づき難そうに離れて立っている。本当は勇者のそばに近寄って、なぜリザードマンの後を追わないのか、それより、とどめをささずに急に立ち止まった理由を尋ねたがっていた。
「アナタ、どういうつもりだったのか教えてほしいのだけど」
ガイナスが不機嫌な表情でリオンの前に進み出た。ガイナスは右手でかばうように脱臼した左肩を押さえている。リオンは無表情にガイナスを見つめ返した。
「アナタが見逃したのは『緑龍』という字を持つ、リザードマンの中じゃ首領格の化け物よ。アイツを取り逃がすと必ず仕返しに現れる。アイツがあんなに弱っているところは初めて見たわ。あれがやつを仕留める最大の機会だったかもしれないのに、なぜ、アナタは足を止めたわけ?」
「もう足が動かないからさ」
ガイナスは声のしたほうを振り返ると、ケインがこちらに向かって歩いてくるところだった。
「どういう意味かしら?」
「リオンはアングリアでの戦いから、まだ回復しきっていない。立って歩くぐらいは普通にできるが、戦いとなると別だ。さっきのような俊足を使った戦いは、まだ数分が限界なんだよ」
ケインはリオンの隣に立つと、その肩に手を置いた。
「どうだ? 具合におかしいところはないか?」
「問題ない。ただ疲れただけだ」
リオンはケインの手をそっとどかした。
「……あれで本調子じゃなかったと言うの?」
さすがのガイナスも驚いた表情になった。「『緑龍』と互角以上に渡り合っていたじゃない」
「リオンが最高の状態なら、最初の一太刀で致命傷を負わせているさ」
ケインが首を振りながら言った。
「悪いが、あれがリオンのできる最善の結果だったんだ。俺たちだって、敵の大将をみすみす取り逃がしたくないさ。ひとつわかって欲しいのは、リオンは勇者である前に人間であることだ。アルタイルがどれほど強いか知らないが、万全状態のリオンが負けるとは思えない。しかし、リオンが常に全力で戦い続けるのは不可能なんだ。リオンが常に万全なら、俺たちは不要さ。『勇者の団』を結成したのは、リオンをできるだけ万全の状態でアルタイルの元へ送るためだ。リオンは人間だからこそ、超常の力を使うのに危険が存在するし、体調も崩す。今日のは、今のリオンにとって上出来だったのさ」
ケインの説明に、周囲の者たちは白銀の鎧に身を包んだ青年に視線を集めた。「勇者」、あるいは「覚醒者」という考えを除いて見てみれば、目の前の若者はそれほど身体が大きいわけではないし、筋骨隆々というわけでもない、いたって普通の若者にしか見えない。そんな若者がたったひとりで『緑龍』と渡り合って、相手の腕を斬り落としたのだ。むしろ驚くべきことなのだろう。ガイナスのように、とどめをさせなかったことを責めるのは適切でないように思われた。ガイナスも周囲の雰囲気を察してため息をついた。
「まぁ、それならアタシがとやかく言う話じゃなかったわね。とりあえず、礼は言っておくわ。たまたまかもしれないけど、レトちゃんを助けてくれたのは確かだしね」
「レト」の名を耳にして、リオンの表情がわずかに動いた。それも一瞬のことなのでガイナスを含め、誰もその変化に気づかなかった。ガイナスはチェンに大剣を持ってもらうように頼むと、司令部の表へと歩き去った。救護室は司令部の中にあるので、そこで肩の治療をするのだろう。
「助けた、か……」
ケインは去って行くガイナスの背中を見つめながらつぶやいた。
「リオン。お前があのときまで飛び降りなかったのは、リザードマンの弱点やクセを探ろうとしていたから。そうだよな? レトがやられるまで見ていただけってことはないよな?」
ケインのつぶやきはリオンにだけ届くぐらいの小声だった。
リオンはちらりとケインの顔を見ると、「当然だろ」とだけ答えて歩き出した。
ケインは当惑したように自分の頭をかいた。
「……どっちの『当然だろ』だよ……」
レトはカイルたちに救護室まで担がれていった。運び出されるレトを見送りながら、誰かが「あいつ、よく気絶しているよな」とからかう調子で言った。王国兵士が何人も犠牲になった凄惨な現場だが、状況が落ち着くにつれて、そんな冗談を言う者が現れたのだ。いや、実際には、まだ心を落ち着かせていない者が平常心に戻ろうとそんなことを口にしたのかもしれない。
「あいつだから気絶ですんだんだよ」
ノギスが手にしているものを持ち上げながら反論した。
「見ろよ。レトの剣と盾だ。剣は折れているし、盾はひしゃげてしまっている。あいつ、リザードマンの蹴りをくらう寸前に剣と盾を重ねて防御したんだ。あいつの身体が軽かったのも幸いしたのだろうが、下手なやつなら一発でどてっ腹に大穴を空けていたところだぜ」
「とっさに後ろへ飛び下がったおかげもある。あれで蹴りの勢いを少し殺せた」
オーギュストがノギスの説明を補足した。オーギュストは半眼でレトを茶化した男を見つめる。
「あんただったら、あの程度ですんだかね?」
男は無言でうつむいた。そこへルッチが駆け寄ってきた。
「レトの様子はどうだ? それとガイナスは?」
「レトは救護室へ運ばれていったよ。ガイナスも同じところだと思う。でも、ガイナスは自分で歩けるほどだったから、救護室には行かないかもしれないな」
ノギスがルッチに歩み寄りながら答えた。そして、手にしているレトの武具を見せる。
「見ろよ。あいつ、こうやってあの一撃を防いだんだ。器用なやつだよな」
ルッチはまじまじと壊れた武具を眺めていたが、やがてため息をついた。
「ついこの間に直してもらったばっかりなのに。防具屋からはまた小言を言われるな……」
『緑龍』は仲間に担がれて草原を進んでいた。メネア山はもうはるか遠くにかすんで見えるほどだ。リザードマンたちは休むことなく全速力で走り続けていたのだ。
「おい……、どこに向かっている……?」
『緑龍』は弱々しい声で尋ねた。『緑龍』を担いでいる大柄なリザードマンの横にいる別のリザードマンが顔を上げた。部下のリザードマンは走り続けながら口を開いた。
「あ、ドラルク様。やっとお目覚めですか。今回はこっぴどくやられちゃいましたね。ドラルク様があんなにやられるなんて初めて見ましたよ。傷、痛みます?」
「どこへ向かっているって聞いたんだ、バカ」
『緑龍』は左手で部下を小突こうとしたが、自分の左腕がないことを思い出した。短くなった腕がむなしく宙を舞う。
「くそっ。腕がなけりゃお前を殴れねぇ」
『緑龍』はいまいましそうに空へ顔を向けた。
「ドラルク様の腕ならここに。おれっちが回収していますよ」
部下は『緑龍』の腕を持ち上げてみせた。
「それで行先なんですが……、このまま森に帰ろうと思ってます」
「森……だと……?」
『緑龍』は横目で部下を見つめた。
「本隊に戻っても、ガニメデスのだんなはドラルク様を歓迎しないでしょ。下手すりゃ処罰されるかもですよ。それより森へ帰って、その身体を治すことにしましょうよ。森にはあの『魔女』がいますしね。魔女ならドラルク様の千切れた腕もきれいにつないでもらえますよ」
「魔女……か。なるほど、な」
『緑龍』は目を閉じた。
「だが、勝手に戦線を離れたとなりゃ、ガニメデスのだんなは間違いなく怒るぜ。それこそ、『処罰されるかも』じゃねぇ。『処刑される』が確定事項になっちまう」
「そこはドラルク様が何とかしてくださいよ。このままだったらドラルク様死んじゃいますから、処刑された場合はこれより少し長生きできたってことで納得してください」
『緑龍』は「けっ」とふてくされたように息を吐いた。
「わかった。それはオレがどうにかする。とにかく森へ急いでくれ。たしかにこのままじゃ何日も生きられる感じがしねぇ……」
それからは『緑龍』はすっかり大人しくなった。目を閉じて眠っているように見える。部下のリザードマンは横目で見ながら、『緑龍』を担いでいるリザードマンに『緑龍』が生きているか尋ねた。担いでいるリザードマンはちらりと振り返ると、背中に鼓動を感じるからまだ生きていると答えた。部下のリザードマンはやれやれという表情で走り続けた。
「あのチビ……、レトと言ったか。あいつは……俺が殺す」
ふいに『緑龍』の声が聞こえ、部下は思わず振り返った。しかし、『緑龍』は相変わらず目を閉じたままで眠っているようだ。
意識的につぶやいたのか、ただの寝言なのか。部下は首をかしげたが、すぐにどうでもよくなって、そのまま放っておくことにした。




