新たな戦場へ【scene4】
4
ディクスン城の審議室では、宰相の大リシュリューをはじめ、各大臣が揃って集まっていた。秘書の小リシュリューが宰相のそばに立って、王国軍の敗退の知らせを伝えていた。
「チリンスが抜かれたか……」
右大臣は暗い表情でつぶやいた。
「しかし、我が軍の被害は小さいと聞く。軍の再建は容易だとか」
左大臣はあまり不安そうな様子を見せていない。
「ランブル将軍は噂に違わぬ戦上手。戦況の不利を察してすばやく兵を引いたのでしょう。見事な手際ですな」
財務大臣はそう話したが、皮肉でも嫌味でもなく、本気でそう考えて発言したようだった。小リシュリューはちらりと宰相の表情をうかがったが、宰相からは何の反応も見られなかった。
「で、将軍は現在どちらに?」
右大臣は小リシュリューに尋ねた。
「将軍は主力とともにコリントまで引きました。現在、コリントの街では住民の避難を進め、同時に周辺の防御を固めているところです」
「将軍はコリントで敵を迎え撃つつもりか」
左大臣から不安そうな表情が浮かんだ。開けた地形に位置するコリントの街は、運河もそばを通り、交通の便が非常にいい。誰もが入りやすい土地ということは敵からの侵入もたやすいということであり、防衛には不向きなところなのだ。
「そういう訳もあって、将軍は軍の主力をコリントに集中させています。また、アッチカも経済の重要都市で無視できません。将軍は副官に1万の軍を預けてアッチカへ向かわせているそうです」
「メネアは見殺しかね?」左大臣の問いに、小リシュリューは首を振った。
「王国軍から2千が守備に向かっています。同時にアングリアから『勇者の団』が救援に向かう手筈です」
「『勇者の団』……。やっと動くか。しかし、彼らはメネアに向かわせるのかね? コリントの救援に向かわせるべきではないのかね?」
「アングリアを奪還後、その近辺の『名もなき陵墓』を調査したパジェット教授から陵墓が破壊されていたことが確認されました。教授の見立てでは敵の次の進軍先はメネアだとのことで、『勇者の団』がメネアに向かうのは、その考えに則っての作戦行動です」
小リシュリューの説明に、左大臣が両手を広げた。
「宰相閣下も秘書官殿も、あの田舎学者の考えを信じていらっしゃるのですか? 陵墓が破壊されたのは、略奪目的だったことも考えられるでしょうに。だからこそ、将軍もメネアではなく、コリントで陣を張っているのでしょう?」
「左大臣の考えはもっともです。ただ、『勇者の団』が駐留するアングリアからは、コリントもアッチカも敵に阻まれて進むことができません。メネアだけが敵に先回りして向かうことができるのです。『勇者の団』のメネア駐留は、理由がいずれにせよ一択なのです」
「そういうものかね」左大臣は深く考える様子もなくうなずいた。
報告が終わり、審議室には宰相と秘書、ふたりのリシュリューだけが残った。
「王国軍の主力がメネアにいないのは、お前の手はずか?」
宰相は「甥」に尋ねた。
「いいえ。将軍の判断によるものです。私からの指示などはいっさいございません」
「そうか」
宰相は椅子に深く沈み込んだ。
「いいか。くれぐれも釘を刺しておく。この戦いの勝敗に関わること、お前はいっさいするな。我々がここにいるのは別の使命からだということ、決して忘れてはならん」
「承知しています。陛下の意向に逆らうつもりは全くございません」
「その言葉、たしかに聞いたからな。お前はただ、あのリオンという小倅が本物かどうか確かめればいいだけだ」
「宰相閣下にはまだ結論が出ていないのですか。彼が覚醒者であることを」
「魔法の研究が進んだ現在、『覚醒者』を詐称する者は珍しくもない。リオンというやつが勇者を騙ってはいないと、誰が証明できる? ラファールだけが使えたという『聖光十字撃』を、リオンがどうやって使えるようになったのか、お前は聞いているのか?」
「いいえ」小リシュリューは短く答えた。
「リオンは、あいつも説明できなかった。『大けがをして、気を失って、意識を取り戻したら覚醒者になっていた』……。嘘を吐くなら、もっとましな嘘を考えてほしいものだがな」
「あの話を嘘だと?」
「信じる根拠にならん。それだけのことだ。ラファールの子孫は、少なくとも1滴ほどの血を受け継いでいる者はごまんといる。ラファールの血は別に大臣や将軍の家系だけに受け継がれているものではない。リオンがウィルライト家の出身だということは確かめたが、ラファールの傍系はほかにもたくさんある。それなのに、あいつだけが覚醒者になりえた。お前はそれがなぜだか説明できるか?」
「いえ、まったく」
「私はな、誰も、何も信じなかった。だからこそ、この王国の宰相になれたのだ。誰にも裏をかかれることなくやってきたのだ。特に、自分の中で説明できないものはいっさい信じない。権力を握り、それを行使できる者は、そういう慎重な思考ができなければ務まらん。私がリオンを信じないのは、当然のことなのだ。そして、その考えこそが私の立場を守るのだ。ここは魔族が闊歩する魔の森以上の魔窟だ。巣くう人間どもは愚か者ぞろいだが、それでも相手ののど笛を喰いちぎろうと虎視眈々(こしたんたん)と狙っておる。役割上、お前を後継者として扱っているが、お前が宰相に就くのを、大臣どもが易々と認めるとは思わんことだ。それに、お前が後継者にふさわしくないと、私自身が判断することもある。そのときは本国から『替わり』を呼び寄せ、お前はお払い箱だ。軽挙妄動をせぬよう心するんだな」
「肝に銘じておきましょう」
小リシュリューは頭を下げ、審議室を退出した。彼は宰相がひとり残った審議室の扉を一瞬見つめたが、その場を後にして歩き始めた。小リシュリューは日頃、感情などを表情に表すことはない。そのときも大きな感情の動きは見られなかったが、注意深い者であれば、彼の口の端がわずかに上がっているのに気づいただろう。まるで薄笑いを浮かべているようだった。
「自分は王弟殿下に肩入れしているのに、よく言うものだ。せいぜい増長しているがいい、ポラリス……」
小リシュリューは歩きながらひとりつぶやいた。
リオンの歩く姿には、どことなく不安を感じさせるぎこちなさを感じさせた。しかし、馬にまたがったときは疲れなどを感じさせない快活な笑顔を周囲の者に見せていた。エリスはかたわらで人知れず胸を撫でおろした。
「すまないな、リオン。本当はお前をもう数日は休ませたかった」
ケインがすまなそうに話しかけた。彼も馬に乗っている。リオンは馬の向きをケインに向けた。
「十分に休んだよ、ケイン。足元が怪しいのは休みすぎたせいさ。せっかくの機会だ。乗馬で足の筋肉を鍛え直すとするさ」
リオンの表情は爽やかだ。さきほどまで身を起こすのさえ苦悶の表情を浮かべていたとは思えない。それだけにケインは不安だった。リオンの状態が本当のところどうであるか、彼にも計り知れないからである。
「チリンスから撤退してきた王国軍との引継ぎは済ませてきたぜ」
ラリーが馬で駆け寄って報告した。
「あいつら、ほとんど疲れている様子もなかった。あれじゃ、まだまだ戦えたのに撤退したように見えるぜ」
「そのことはもういい。口にするな」
ケインはラリーをたしなめた。ラリーに言われずとも、同様のことはケインも感じたことだったのだ。薄笑いを浮かべて現れた王国軍の指揮官にケインは憤りを覚えたが、彼は感情を抑えて努めて平静に対応した。ただ、いつまでも相手をしていると感情を抑えられなくなると思ったので、ラリーと交代したのだ。
「メネアまで途中は街道があるから早く進める。しかし、後半は山道だ。行軍はみんなの体力と相談しながら進むぞ」
ケインは手綱を握り直しながら大声を出した。あたりを見渡すと、勢ぞろいした『勇者の団』の団員たちの表情は明るい。リオンが意識不明の間、街の復興作業に従事していたとはいえ、心を休ませる時間は取れたからだ。ケインはそれがわかって少しほっとした。
こうして、『勇者の団』はメネアに向けて出立した。
アルタイルの息子で、魔侯軍の主力を預かるガニメデスはチリンスの丘に設置した本陣の天幕の中で、椅子に腰を下ろして書類に目を通していた。そこへ黒装束の男がかたわらに姿を現わした。丸い顔に鼻がなく、人間であれば白目の部分が濃紺になっている。『暗黒処刑人』と呼ばれる魔族だ。
「ご報告申し上げます」
暗黒処刑人はひざまずいて頭を下げた。
「聞こう」
ガニメデスは書類をかたわらの机の上に置いた。
「撤退したギデオンフェルの軍勢ですが、撤退した内訳の詳細をつかみました。ランブル将軍が指揮する主力はコリントの街です。数はおよそ2万5千。アッチカの街はおよそ1万です。そちらは将軍の片腕と呼ばれるキーダ中将が指揮しています。そして、メネアにはハミルトン少佐が指揮する中隊2千が守っています」
「メネアは2千か」
ガニメデスは立ち上がった。顔には笑みが浮かんでいる。
「メネアが手薄なのは好都合だ。もっとも軍事的な重要性は低いからな。やつらの動きは常識的と言えるが」
ガニメデスはまだ頭を下げている暗黒処刑人に顔を向けた。
「ところで、アングリアのほうはどうなっている。やつらはここへ向かう様子はないのか?」
「は。わずか千の部隊でここを攻める考えはないらしく、やつらはずっとアングリアにこもったままです。撤退するギデオンフェル軍にはアングリアに向かう者もいますが、その数は5百ほど。さらに王都からアングリア駐留に向かうのがおよそ2千。合わせても3千5百の戦力です」
「たったそれだけでは攻めてくるまい。アングリアを獲られないようにするための守備要員というところだな」
ガニメデスはぽんと両手を打った。
「状況は把握した。我々はメネア攻略に軍を進める。『緑龍』!」
ガニメデスは天幕の外に向かって大声をあげた。すると、天幕を開けてひとりの大柄の男が入ってきた。全身を濃い緑色のうろこに覆われたリザードマンである。
「呼んだか、大将?」
リザードマンは胸を張って尋ねた。
「まぁな、『緑龍』」
『緑龍』と呼ばれたリザードマンは腕を組んだ。「話を聞こうか」
「お前にはメネアの攻略を頼みたい。ここから北西に進んだ鉱山地帯にある要塞だ。攻略と言ったが、占領は主目的ではない。あいつらが要塞の外へ出ることができないようにする。それが目的だ」
「つまらん話だな」『緑龍』は鼻を鳴らした。「『要塞の連中を皆殺しにしろ』でいいだろ?」
「別にそれでも構わないよ」
ガニメデスは応じた。
「なら決まりだ。獲物の数はどれぐらいだ? 1万か?」
「2千だ」
「ちょっと食い足りない気がするが、まぁいいか。この戦争が始まる前、王にはここの人間を殺すのを控えるよう言われていたからな。今までそんな訳のわからん話に付き合わされて、こちとら不満が溜まっていたんだ。アルタイルのだんなからのお許しなら、思いっきり『狩り』ができるからな。それ以上の贅沢は言わないさ」
ガニメデスは少し顔をしかめた。魔族の中でもリザードマンの力量は高いことは認めている。しかし、知性や品性については難があると言わざるをえない。四侯のひとりに数えられるほどの父を「だんな」呼ばわりされて、重要な任務を任せて良いのかとさえ思ってしまう。
「父はお前の力量を高く評価している。パガセを陥落させたように、メネアも頼むぞ」
「任せなよ、せがれの大将さん。すぐに連中の首をここに持ち帰って、並べてみせるぜ」
『緑龍』はそう言うと大声で笑いだした。それまでひざまずいて控えていた暗黒処刑人の表情が動いた。顔は伏せたままで誰にも見えないが、彼は口の端を上げて笑っていたのだ。その笑顔は嘲笑と呼ぶにふさわしいものだった。




