『勇者の団』、メネアへ【scene5】
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「風景が変わってきた」
息を切らしそうになりながら、ルッチはつぶやいた。
メネアへの行軍は、最初は平坦な街道を進むだけだったので苦労はなかった。しかし、その街道は途中で終わり、あまり整備のされていない山道に変わってしまった。それからの行軍は体力を削られる苦しいものになったのだ。山道の両側はうっそうとした森に囲まれて、足元を暗くしていた。その森も山道を進むにつれて樹々がまばらになりはじめ、いつしかほとんど木が生えていない道へと変わっていたのである。ルッチはそのことにようやく気づいたようだった。
「とっくに変わっていたわよ。ここはもう山道というより岩道よね」
ガイナスがルッチの背後から声をかけた。ガイナスは長い山道に疲れを見せていない。
「メネアまでは、あとどれぐらいの距離なのでしょうか」
レトが荷物を持ち換えながら尋ねた。額に汗の粒が浮かんでいるが、こちらも疲れているようには見えない。
「レト、お前は疲れているのか?」
ルッチの問いにレトは首を振った。
「それほどでも。ただ、こうもだらだらした道は飽きてしまいますね」
「飽きるのかよ」
「目の前に見える山へ、まったく近づいているように見えませんから」
レトに言われて、ルッチは正面を向いた。はるか前方に山頂部が青白い山が長々と横たわっている。街道を歩いているときには見えていなかった山だ。
「メネア山だよ。かつてはグリフォンが生息していた山だ」
デュプリが声をかけた。彼は右手をひさしにして山を見つめている。
「グリフォンが……。今はいないのですか?」
「あの山には天敵と言えるものがいなかったからな。相当数のグリフォンがいたらしい。ただ、ひとに害を及ぼす危険があるので、多くの冒険者たちの手で討伐されたのさ。百年ぐらい前かな? 現在は一頭もグリフォンはいないよ。ただ、かつてグリフォンが生息した痕跡は現在も残っている。山の頭の部分が青白いだろう? あれ、全部グリフォンの糞の跡だ」
「あれって雪じゃないんですか?」
レトが驚いたように声をあげた。ルッチも同様の気持ちだ。山のてっぺんを丸々糞で覆うとは、どれほどの数が生息していたというのだろう。
「ここってあまり雨が降らないからな。メネア山の背後にはハデス火山がある。地熱で山頂も暖かいんだ。雪が残るなんてこともないよ」
「デュプリさんは詳しいんですね。このあたりの出身なのですか?」
「いや、俺は生まれも育ちもアルデミオンさ。王都のほうがむしろ近いところだよ。このあたりに詳しいのは、この周囲の魔獣を倒してきたからさ。何と言ったって、俺は冒険者だからな。ここを拠点にしばらく稼いでいたんだ。地理や歴史に詳しくなったのもそのおかげさ」
「では、メネアがあとどれぐらいかもわかるんですね?」
「まぁね。この調子で歩くと、あと数時間ってところかな。魔獣どもも、これだけの数の人間を襲おうと考えずに姿を見せていないが、日が暮れると襲ってくるのも出てくるだろう。当然、上の連中も承知しているはずだから、日暮れまでに到着するつもりのはずさ」
「まだ、昼過ぎだぜ。日暮れまでどれだけ時間があると思うんだよ」
ルッチはうんざりしたようにぼやいた。
「お前さんは山のことを知らないようだな。山ってのは日が暮れるのが早いんだ。うかうかしてると、あっという間に闇に呑まれてしまうぜ。うだうだ言わずにさっさと歩くんだな」
デュプリはルッチの肩をポンと叩くと、ルッチを追い越して先を歩き始めた。レトとガイナスもそれに続く。
ぼんやりと見送っていたルッチだったが、置いていかれていることに気づくと、慌てて荷物を背負い直して後を追った。
メネアは山の中腹に高い石垣で造られた城壁に囲まれていた。それは外壁と呼ばれるもので、実際の町は身を乗り出すように出っ張った城壁に囲まれていた。メネアは二重の壁で守られた要塞だったのである。メネアへ続く道は緩やかな坂だが、メネアの手前で坂が急になっている。坂道は右へ折れ、メネアの右端に登城門が開いている。千年前の魔王との戦い当時のものだと言われているが、その門の造りは決して丈夫なものとは言えない。むしろ、後述する内門のほうが頑丈である。外壁は第一の城壁とも呼ばれているが、かなり背が高い。ひとの背丈の3倍の高さがある。厚さがあまりないので、この城壁の上に立って戦うのは難しい。城壁の上はただむき出しなので、上に立てば外から丸見えになってしまうのだ。登城門から入ると、外壁と内側の壁、第二の城壁に挟まれた道が広がっている。道は狭いもので、小型の荷馬車がやっとすれ違うことができる程度の広さしかなかった。その道を奥まで進めば内門へ到達する。門扉の厚さ、壁の厚さなど、登城門とは比べ物にならないほどの分厚さで、そこが最終防衛の出入り口だと実感できる。内門を通ると、再び急こう配の道を進むことになり、そこを登りきるとようやくメネアの中心に至るのだ。第二の城壁の外側は第一の城壁と同じ高さだが、内側はかなり高低差があるおかげでひとの背丈の腹ぐらいしかない。矢を放つための凹状の狭間も備えられ、第一の城壁と較べて使い勝手は良さそうだ。
「すごいなこの城壁は。本当に、ここは町なのか?」
ルッチは驚いたように辺りを見渡した。
「メネアは千年前に、実際に要塞として使われたところだからな」
デュプリが荷物を背負い直しながら言った。
「かつて魔王の攻撃にさらされた我らが先祖は、このメネア山まで追い詰められていた。そして、この自然の要害の地に堅固な城を建てて立てこもった。それが、ここメネアってわけ。魔王軍の攻撃は激しく、儚い運命と諦めかけたとき、そこへ現れたのが勇者ラファールだ。奇跡の技『聖光十字撃』を繰り出して、メネア山から魔王軍を一掃し、ついには魔王そのものの討伐にも成功した。平和が訪れると、このメネアの要塞は用済みだ。しかし、この周囲には鉄や銅、硫黄などの鉱物資源が採取できる。それで要塞は取り壊さずに、そのまま鉱山採掘の拠点として流用されることになった。これがメネアの町の由来さ」
「硫黄はハデス火山がそばにあることと関係あるのですね?」
レトが尋ねると、デュプリはうなずいた。
「あの火山はここ数百年、噴火は起こしていない。でも、火口からは煙があがっているし、あちこちから蒸気の雲を出している。チリンスの丘の方角から風が吹くせいで、その蒸気はメネアに来ない。メネア山に雨が少ないのはそうしたわけさ。おかげで地盤が緩むことがないから、資源の採掘は安全に行える。こんな小さな町が寂れずに続いているのは、こうしたことが背景にあるんだ」
「でも、ここまで食糧とか運ぶのは骨だぜ。不便であることには変わりないな」
ルッチは仮面の下から汗を流しながらつぶやいた。仮面で顔の半分が覆われているから、けっこう暑いはずだ。しかし、ルッチは仮面を外すことだけは頑として拒んでいたのだ。
「ギデオンフェルで使われる鉄や銅の3割は、ここメネアから採れるものだよ。鉱物資源が乏しくて、半分は輸入に頼るこの国では、メネアは大事なところさ。物資の輸送は滞りなく行われているよ」
「メネアを中心にいくつも道が広がっているのは、そういうわけですね?」
「メネアは、アングリアから途中まで街道を進む道と、チリンスの丘からの街道を進む道、そして、ハデス火山を迂回する道の3つにつながっている。辺境の町でここまで道が整備されているのはここだけだよ。ただ、それでも交通の便がいいとは言えないのが悩みの種だね」
デュプリは汗を拭いながら来た道を振り返っていた。レトたちはメネア手前にあるこう配のきつい坂を、やっとの思いで登り切って門をくぐったのだ。
「狭い要塞をさらに狭くして、城壁をわざわざ二重にする必要はあったのか?」
ルッチは新しい『ぼやき』の話題を見つけたようだ。ため息まじりにつぶやいている。
「要塞の構造は千年前から変わらないみたいだけど、城壁を二重にした理由は記録になかったな。第一、守りを固めるために城壁を二重にするなんて当たり前の話だろ?」
「くそ、わかってないならいいよ」
ルッチは苦しそうに息を吐きながら言った。レトはルッチの横顔を不思議そうな表情で眺めていた。
メネアの町は小さな小屋が乱立する、ごみごみした町だった。町の中心は元司令部だった建物がそびえ立ち、住民たちはそこを囲むように住居を構えていた。住居と言っても、多くが工房を備えたもので、仕事場と住居が一体化したものだ。町の住民のほとんどが職人なのだ。日頃は職人以外のひとは歩いていないが、今は王国の兵士たちが大勢歩いている。町の老人や子供たちは、住居の前を通り過ぎる兵士たちをぼんやりと眺めていた。
正門のあたりでは大きなひとだかりができている。そこからひとりの少年が駆け出して、兵士の列を眺めていた子供に何か話しかけた。話しかけられた子供は目を輝かせると、少年に誘われるまま正門に向かってともに走り出した。
「ようこそ、勇者殿」
正門ではハミルトン少佐がリオンに向かって敬礼していた。ハミルトン少佐は40歳前後、黒々とした口ひげをたくわえた、いかにも軍人らしい雰囲気の人物だった。リオンは馬の上から頭を下げた。
「丁重な出迎えをいただき恐縮です。本来なら馬から降りるべきところ、やや体調がすぐれないところもあり、馬上から失礼いたします」
「さきほど、お仲間の方から事情はうかがっています。お気になさらないでください」
ハミルトンの説明に、リオンは「ケインだな」と見当をつけた。ケインはこういう細かいことによく気づいて行動ができる。
「アングリア解放の件、ここにも届いております。町の連中は勇者殿を歓迎しています」
リオンは町の中を見渡した。リオンの前にはハミルトン少佐と兵士たちが整然と並んでいるが、両側は町の住民で取り囲まれている。誰もが興味津々の表情で、馬上の騎士に目を向けている。白馬にまたがり、金髪をなびかせている美貌の騎士を、町の人びとはおとぎ話の主人公を見ているかのように見つめている。リオンはひとだかりをかき分けて飛び出してきた子供たちと目が合った。少年は自分よりさらに身体の小さい子供の肩に手をかけて、リオンを指さしながら何か話している。子供の表情がみるみる明るくなり、リオンに屈託のない笑顔を見せた。リオンは子供に向かって微笑んでみせると、再び少佐に向き直った。
「敵の主力がここに来ると聞いているのですが、このメネアにいる戦力はどれぐらいなのですか?」
リオンはメネアに入ってすぐに、駐留する兵の数が思ったほど少ないことに気づいた。パジェット教授の分析では、敵の次の目標はメネアである。ここに軍の主力がいるはずなのだ。
「我らの戦力……ですか……。そのことなのですが……」
ハミルトン少佐は話しにくそうに周囲を見渡した。住民たちは、リオンと少佐のやり取りを聞き逃すまいと注目している。なるほど、ここでは話しにくいのは当然だ。
「そうですね。私も話を急かし過ぎました。詳細は司令部で」
リオンは手綱を動かすと、司令部に向けて馬を進ませることにした。
かつての司令部だった建物は町長の住居兼役場となっていた。今回の件で、そこは再び軍司令部として使われることになる。リオンが司令部に入ると、町長が奥から現れて迎え入れた。
「どうも。私がメネアの町長、ハントと申します。こちらに魔侯の軍勢が攻めてくるとうかがいました。このたびは、この町を救うためにお越しいただき感謝申し上げます」
町長はリオンの手を握ると、そのまま奥へと歩いていく。リオンは町長に導かれるまま、奥にある町長室、つまり現在の指令室に入っていった。ハミルトン少佐も後に続いた。
リオンは応接のソファに腰を下ろした。その向かいに、町長と少佐が座った。
「勇者殿にご報告いたしますが、軍の主力、つまりランブル将軍指揮下の軍隊はこちらに居りません。将軍はコリントの街で陣を敷いています」
「コリントですって?」
リオンは不快そうにつぶやいた。話が違う。チリンスの丘を抜かれることになれば、メネアで迎え撃つ作戦だったはずだ。
「将軍のお考えでは、敵の目的は各地の蹂躙、および略奪にあると。そのため、将軍はもっとも人口の多いコリントの街まで撤退し、そこの守備を固めることにされたのです。あの地は開けた地形のため、寡兵では守れません。そのため軍の大部分をそこに割くしかなかったのです」
「将軍は教授の推理を疑っておられたのか」
「教授のお考えはあくまで可能性の話だと。『名もなき陵墓』がひとつ破壊されただけで、教授の話が真実と証明されたわけではない。それが将軍のお考えなのです。ただ、メネアを放置するお考えもございませんでしたので、こうして我ら第8中隊がメネア守備の任務に就くことになったのであります」
「中隊……と、おっしゃいましたね。すると、今、このメネアの戦力は……」
少佐はゆっくりとうなずいた。
「我ら第8中隊2千名と、『勇者の団』千名と合わせて総勢3千の戦力です」
リオンは言葉を失ってうつむいた。なんてことだ。このちぐはぐな状況はいったい何だ?
「敵の情報は入っていませんか? こちらに向かっている敵の数は?」
リオンは額に手を当てながら尋ねた。そこへ慌ただしい足音とともにケインが飛び込んできた。
「おい、リオン! どういうことだ? ここに王国軍の主力はいないぞ!」
リオンはゆっくりと頭を上げてケインに顔を向けた。
「その詳しい話を今聞いているところさ。ランブル将軍は現在コリントにおられる」
「何だ、そりゃ? 敵の様子はどうなっている? こっちに向かってはいないのか?」
「は。そのことなのですが、現在、斥候を向かわせています。敵の情報は間もなくこちらに届けられます」
ハミルトン少佐はケインの剣幕にたじろぎながらも丁寧に答えた。ケインはリオンの隣にどすんと音を立てて座った。両腿にバンと手を置いて、少佐を睨みつける。
「あんたに言っても仕方がないが、俺たちが王都を出立する前から、チリンスの丘の次はメネアで迎え撃つ話だったんだ。もし、教授の考え通りに敵がここに来たら、3千の戦力で戦えるかどうかわからないぞ。そもそも、王国軍は4万の軍勢で、その半分近い敵に敗退したのだろう? チリンスの丘の全軍がここに来ることはないとしても、それでも1万の敵が来る可能性はある。そのとき、あんたはどうするんだ? ここはチリンスの丘と違って、撤退するのは困難だぞ」
「1万の敵ですって? まさか?」
ハミルトン少佐は驚いた表情で大声をあげた。隣で町長が目を丸くしている。
「敵の目的が『名もなき陵墓』であれば、俺たちはそちらの警備もしなければならない。陵墓はたしか、ここからさらに登った先にあるんだよな?」
「ええ、そうです。見晴らしはいいのですが、足元が危ないので、地元の者もめったに近づきません」
「そうなると、俺たちは寡兵からさらに兵を分けなきゃならないんだ。むざむざ陵墓をやられるわけにもいかないからな。たしかに陵墓の正体を知らないのに、守る必要があるのか疑問に思うこともある。ただ、あいつらは俺たちを皆殺しにしてでも陵墓に用があるんだ。それが、この王国にとって良いことのはずがないだろ? 俺たちはあそこを守らなきゃいけないんだよ!」
「落ち着けよ、ケイン」リオンは片手を挙げて、ケインを押し止めた。これまでは押し止め役はケインのほうで、リオンが止められるほうだったが、今回はまるで逆になっている。それだけ、ケインの憤りが激しいのだろう。本当はリオンも同じ気持ちなのだが、ケインが先に怒り出したせいで、リオンは冷静にならざるを得なかった。
「おふた方のおっしゃることはごもっともであるのでしょうが……、私は中隊長でしかないのです。今回の作戦に、私は関わっていないのです……」
ハミルトン少佐は気弱そうに釈明した。
「そうさ、その通りさ! あんたの言うことは正しいよ。だから、余計腹が立つんじゃないか……」
ケインは持って行き場のない怒りで顔を歪ませたまま横を向いた。そのとき、指令室の扉を叩く音が聞こえ、兵士のひとりが入ってきた。心なしか蒼ざめているように見える。
「ご報告申し上げます。たった今、敵の情勢を調べていた斥候が戻って参りました。ここメネアに向けて魔侯軍が侵攻中。その数はおよそ1万。明後日にメネアに到着する見込みです……」
兵士は敬礼するのも忘れて報告した。




