獣人ヴォーゼル【scene14】
14
「あ、頭がオオカミ……」
「じゅ、獣人だ」
とつぜん現れた異形の姿に、リオンの周囲で戦っている者から戸惑いの声が漏れた。オオカミの頭を持った獣人は悠然と笑みを浮かべたまま周囲を見渡している。大柄のオークたちよりも頭ひとつ大きく、腕の太さといい、胸の厚みといい、筋骨隆々のたくましい体つきだった。黒い毛で覆われているが、それでもわかるほどだ。
「く、黒いオオカミの獣人。あ、あいつだ……。『黒狼のヴォーゼル』だ」
「『黒狼のヴォーゼル』だって?」
誰かのつぶやきで、団員からどよめきがあがった。ケインも目を見張り、奥歯を噛みしめた。
……『黒狼のヴォーゼル』! なんてやつを魔侯は従えてるんだ!
『黒狼のヴォーゼル』とは、『白虎のオズロ』とともに冒険者たちの脅威の存在で、もし、道で出くわしたら何はともあれ逃げろというのが冒険者たちの常識である。殺戮を好む残忍な性格で、すでに数えきれないほどの冒険者たちが、このヴォーゼルによって命を落としていた。
オオカミ型の獣人は狼面族と呼ばれている。彼らは狩猟民族で、集団で獲物を狩る種族だ。生活領域は人間世界とは遠く離れた山岳地帯で、さらに人間に近づくことを嫌っているので、人間が彼らと出会うことはまれだ。人間と狼面族は決して相容れない関係ではあるが、大きな衝突に至ることはない。しかし、ヴォーゼルは違う。狼面族は食べるために狩りをするが、ヴォーゼルは殺すために狩りをするのである。かろうじてヴォーゼルから逃げおおせた者からは、ヴォーゼルが驚異的な身体能力を持っていることが伝わっている。腕力は人間の3倍から5倍、ひととびで3メルテを超えるほどの跳躍力があり、また、嗅覚はまさにオオカミと同じだった。
「あんたたち、けっこうやるじゃないか」
まるで讃えるように、ヴォーゼルが両腕を広げている。
「簡単に正門を突破されるとは思わなかったよ。いや、北の城壁を押さえられたのも意外だったな。あそこを守らせていたのは、そこそこ知恵の回るやつだったからな。俺は細かい状況判断とか指示とか無理だからな。まぁ……適材適所ってやつ? そのつもりでいたんだがなぁ。まぁ、こうなっちまったら大乱戦としゃれこむしかないわな。最後まで俺を楽しませてくれよ」
ヴォーゼルはのしのしと歩を進め、近くのオークから槍をひったくった。
「よこせ」
槍を取られたオークは慌てて奥へと逃げようとした。
「おい、お前どこへ行く?」
ヴォーゼルがすっと振り返ると、逃げ出したオークの首を後ろからつかんだ。オークは自分の首に手をかけてジタバタしていたが、ボキリと何かが折れる音がすると大人しくなった。ヴォーゼルが手を離すとオークはその場に崩れ落ちた。
……何て長い腕なんだ。間合いが全然違うじゃねぇか。こっちの剣が届きそうにねぇ!
ケインは剣を構えたまま一歩も動けずにいた。額から汗が流れ、瞳に流れ込もうとしている。しかし、ケインは汗を拭うことができなかった。もし、手を動かせば、ヴォーゼルは一気に飛びかかってくるように思えたのだ。それは周りの者も同じらしく、みな彫像のように微動だにしなかった。
「いいか、お前たち! ここがふんばりどころってやつだ。全員で囲んでやっちまうんだ。逃げようとするやつは、俺が殺してやる。こんな風にな!」
ヴォーゼルはオークの槍を正面に投げつけた。
「うわっ」ケインは思わず身を伏せた。
槍はケインの上を飛び去り、後ろにいた2人を刺し貫いた。2人は呻き声とともに地面に倒れた。
……くそっ! さらに2人やられた。敵も腹をくくってやる気になっている!
ケインは空気が変わったのを肌で感じていた。力のなかったゴブリンやオークたちの目から戦意が戻り、顔つきも獰猛なものへ変わっていたのだ。彼らは武器を手にじりじりと迫ろうとしている。
「さぁ、これからが本番だ。殺し合おうぜ!」
ヴォーゼルは背中からずるりと大剣を抜き放った。長さだけでケインの身長ほどはありそうな大剣だ。
とてつもない危険を感じ、ケインはリオンの姿を探した。もちろん、この場からリオンを逃がすためだ。リオンは倒れているチェックのかたわらに立っていた。静かにチェックを見下ろしている。
「リオン?」ケインはリオンからただならぬ気配を感じた。
リオンはゆっくりとこちらに――正確にはヴォーゼルに――視線を向けた。リオンの目を見たケインは思わずぞくりとした。
「リオン……、お前……」
リオンの両目には明らかな殺意が宿っていた。こんな猛々しい表情を見るのは、付き合いの長いケインでさえ初めてだった。ケインはリオンに対して戦慄を覚えた。
「リオン、待て。今、あいつに近づくんじゃない。見ただろ? あいつのバカ力を。安易に近づくとやられるぞ」
リオンはケインを見ていなかった。リオンはケインを押しのけるように進むと、ヴォーゼルの前に立った。ヴォーゼルは口の端を上げて笑顔を見せた。
「ほう、やる気まんまんじゃねぇか。嬉しいねぇ、最近そういうのがいなくて退屈してたんだ。人間狩るなら、そういう目をしているやつじゃないとな!」
ヴォーゼルは大剣を振り下ろした。リオンはそれを正面から受け止めた。剣と剣とがぶつかり合う激しい音が響き渡る。
「リオン!」ケインは思わず叫んだ。ヴォーゼルの攻撃は見ただけでわかるほど重い一撃だったのだ。
「いったい何なのです、これは!」
やや後方で戦っていたエリスがケインのかたわらに現れた。前線でのただならぬ様子に気がついて駆けつけたらしい。
「エリス、下がれ! こいつはこれまでの敵とは『段ち』なんだ!」
ケインは剣を構え、正面を向いたまま叫んだ。
「よいしょっと!」
ヴォーゼルはひと声あげると、今度は剣を横殴りに振った。リオンは剣を盾にして受け止めた。しかし、勢いを止めることができす、そのまま弾き飛ばされて通りの建物に激突した。リオンの身体は建物を突き破り、崩れ落ちるがれきと砂ぼこりで姿が見えなくなった。エリスは口に手を当てて硬直した。
「くそっ、リオンが!」ケインは剣を振り上げると、ヴォーゼルに飛びかかった。
「何か、おかしいな」
ヴォーゼルはつぶやきながら剣を上げると、ケインの一撃を防いだ。それから、長い脚をぶんと振り上げてケインを蹴り飛ばした。
「ぐぅ!」ケインは腹を押さえながら地面に落ちた。身体の向きを変えるようひねったので、何とか首から落ちるのだけは避けた。
痛みに苦しみながらも、ケインは転がってヴォーゼルから距離を取った。剣を杖代わりに立ち上がると、すばやく剣を構える。
一方、ヴォーゼルはケインには目もくれずに、リオンの消えたがれきの山を見つめていた。つられるようにケインもそちらへ目を向けた。ガラガラとがれきが崩れる音が聞こえ、リオンが立ち上がった。
「リオン……」ケインとエリスは同時に胸を撫でおろした。
「やっぱり、大したことがなかったか」ヴォーゼルは得心がいったようにつぶやいた。「ずいぶんといい剣を持っているようだな、お前」
リオンは無言のまま、通りへ足を踏み出した。
「俺の剣は、大抵の人間を剣ごとぶった切るんだが、その剣はまるでへし折れなかったからな。いったい何の剣だ、それは?」
ヴォーゼルの問いに、リオンは答えなかった。ただギラギラした目をヴォーゼルに向け歩み寄るだけだ。
「リオン、いったん下がれ! そいつは『白虎のオズロ』の次にヤバい『黒狼のヴォーゼル』だ。お前だって知らないわけはないだろ?」ケインはなおも進もうとするリオンに大声をあげた。
「『白虎のオズロ』……」エリスの口から小さな声が漏れた。顔面は蒼白で、目が恐怖でわなないている。
「やる気のあるやつは好きだぜ。さぁ、思いっきり楽しもうじゃねぇか!」
ヴォーゼルは勢いよく剣を振り下ろした。リオンはそれを弾き返す。ヴォーゼルの顔つきが変わった。
「な、何だ、こいつ。何かが変わった?」
「うぉおおおおおおお!」
リオンは獣のように咆哮すると、剣を振り回した。ヴォーゼルは剣でそれらを防いでいる。
……こいつ、人間か? リザードマン並みの腕力じゃねぇか。剣速もけた違いに速い。さばきそこなうと切り裂かれてしまう!
ヴォーゼルはリオンの攻撃に戸惑いながらも、剣を巧みに使ってさばいていた。ヴォーゼルにとって、この攻撃はこれまで知っている人間のものとは別物だった。ヴォーゼルはリオンの表情に目を向けた。
……こいつ、意識飛んでいるようだ。無意識で戦っているのか?
ヴォーゼルは勢いに押されて、少しずつ後ずさっていた。
……この俺が、人間相手に押されているだと? 悪い冗談だぜ!
ヴォーゼルはリオンを思いきり蹴り飛ばした。リオンの身体は再びがれきの山へ埋もれていった。
「人間がただの力勝負をするんじゃねぇよ。もうちょっと、ここを使った戦いができんのかね」
ヴォーゼルは額に指を押し当ててぼやいた。「たしかに腕力には驚かされたがな」
「副長、早く下がりましょう」ケインの背後から声をかけるものがいた。9番隊隊長のウォレスだ。
「わかっている。だが、リオンをここには残しておけない。リオンを連れ出すことができれば下がる」ケインは首を横に振った。
「おいおい、逃げる算段か? お前たちもあいつのように頑張ろうぜ。俺が全員殺してやるからさ」
ヴォーゼルはケインたちに顔を向けると、にやにや笑いを浮かべたまま歩き出した。そのままケインたちに向かうつもりだ。さすがにケインも一歩引き下がった。
……クソ! このままじゃやられる。でも、リオンを残して逃げられるものかよ!
逃げ出したい気持ちを押し殺して、ケインは剣を握る手に力を入れた。歯を食いしばってヴォーゼルを睨む。
キィーーーンという鼓膜を切り裂くような音が聞こえたのはその時だった。聞き覚えのある音だ。ケインは驚いてがれきの山に目を向けた。「リオン?」
「何だ、この音は?」
ヴォーゼルもピンと立った耳を細かく動かして立ち止まった。音の出所がわかるとそちらに顔を向けた。ケインが見ている方角と同じである。視線の先にはがれきの山があるが、そのがれきの隙間から黄金色の光が漏れていた。その光はみるみる強くなっていく。光が強くなるにつれて、耳障りな音も大きくなっていく。
「うるせいな、いったい何だ、この音は!」
ヴォーゼルは剣を持っていない手で耳を覆うと、音のするがれきへ歩き出した。よほど耳障りだったらしく、いらいらした様子だ。ヴォーゼルはがれきの山に着くと、そのひとつに手をかけて取り除こうとした、まさにその瞬間だった。
鼓膜を破壊しそうなほどの轟音とともに、がれきから光の洪水があふれだした。光の大波は一瞬でヴォーゼルを包み込み、その姿をかき消してしまった。ケインは思わず地面に伏せて顔を覆った。ある者は光の波に吹き飛ばされるように後ろへ飛んでしまった。
……今日2発目の『聖光十字撃』だと? そんなバカな……
伏せた状態のまま、ケインは心の内でつぶやいた。最初の一撃は加減して放ったとはいえ、『聖光十字撃』の連発はできないはずだった。ただ、さっきのリオンの様子はおかしかった。まるで正気とは思えなかったのだ。リオンはチェックがやられたことに我を忘れ、まともな思考ができなくなったのではないか。そんなリオンが『聖光十字撃』を放ったのだとすれば、今のリオンの状態は心身ともに非常に危険だ。
光の洪水が収まるや、ケインは立ち上がった。さきほどのがれきに顔を向けると、ケインの顔から血の気が引いた。
がれきの山はきれいになくなっていた。まるで撤去工事が終わった後のようだ。『聖光十字撃』の射線にあたる道筋を見ると、光はヴォーゼルのいた地点を通過して、反対側の建物を巻き込んでさらに続いていた。その建物もかつての姿を留めていなかった。そこには何もない道が続いているだけだった。まるで新しい道路が開通したかのようだ。リオンの必殺技は、ヴォーゼルと周囲の魔族を道連れに、光の熱線で焼き尽くしたのである。
ケインはエリスのかたわらに寄ると、彼女の身体を起こした。エリスもまた、ケインと同じように身を伏せていたのだ。
「ケガはないか、エリス?」
エリスはやや放心した表情だったが、ゆっくりとうなずいた。「ええ、私は大丈夫です」
遠巻きでリオンとヴォーゼルの戦いを見ていたゴブリンたちは『聖光十字撃』からはまぬがれたようだった。彼らはよたよたと頼りない足取りで、ヴォーゼルの立っていたところへ歩み寄ろうとしていた。ケインも足取りが重かったが、誰よりも早くヴォーゼルがもといた位置に辿り着いた。
「おい、お前たち、俺の言葉はわかるか?」
ケインは近づこうとするゴブリンたちに声をかけた。ゴブリンたちは歩みを止め、ケインの顔をぼんやりと見つめた。
「お前たちのお頭だったヴォーゼルは、俺たちの特殊な攻撃で死んだ。死体も残さないほどの強力な攻撃だ。お前たちがどれほど辺りを探しても、ヴォーゼルを見つけることはできない。何せ、跡形もなく消し飛んでしまったからな。これで完全に勝負ありだ。アングリアの主な拠点は俺たちが押さえた。各隊に指示を出す司令官も俺たちが討ち取った。そして今、あんたたちの大将も死んじまった。これでも、まだ敗北と認めずに戦うっていうのなら、俺たちはお前たちを一匹残らず狩りつくしてやるつもりだ。さぁ、お前たちはどうする?」
ケインは剣を構えてじりじりと迫りながら言った。低くて聞こえにくいものだったが、どうも通じたらしい。ゴブリンたちは数歩後ずさると、そのまま背を向けて逃げ始めた。まっすぐ南門へ向かっている。やはり、彼らは南門に包囲の穴があることに気づいていたのだ。
ここにきて張り詰めた糸が切れたようだ。ケインはがっくりとひざを落として、地面に手をついた。
ウォレスがケインの肩に手を置いた。「副長、大丈夫ですか?」
ケインはゆっくりとウォレスの手をどかした。「俺は大丈夫だ。それより、リオンは? あいつはどうなっている?」
『聖光十字撃』が通過した跡を、エリスが走っている。彼女の向かう先には、リオンが長々と横たわった姿があった。まるで死んでいるかのように動いていない。
「リオン!」エリスはひと声叫ぶとリオンに取りすがった。ケインは横になりたい気持ちを抑えて言った。
「誰か、早くリオンのもとへ。連発できないはずの必殺技を放ったんだ。あいつの身に何か起きていないか、急ぎ確かめてくれ」
ウォレスがうなずくと、後ろを振り返って指示を出した。さきほどまで誰も身じろぎすらしていなかったが、ようやく誰もが動き始めた。ざわざわする声とともに何人かがあちこちへ走り出す姿も見える。
「頼む……、リオンを……」
再びくずおれそうな身体を支えながら、ケインは弱々しくつぶやいた。
間もなく、アングリアは『勇者の団』によって解放されたことが確実となった。2千を超える敵を相手に半数の千人で挑んだ戦いで、負傷者は多数だが、戦死者は3名での勝利という内容だった。




