北の城壁の戦い【scene11】
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北の城壁を攻める6番隊から8番隊までの3百名は、高い城壁に取りつくこともできずに攻めあぐねていた。弓隊が城壁めがけて矢を放っている間に、壁役がはしごをかける手はずだった。しかし、城壁の陰から敵からも数百の矢が放たれ、なかなか壁に近づくことができない。陰に隠れての攻撃なので命中精度は悪いが、ともすれば危ういところに飛んでくる。すでに何名かが肩や脚に矢を受けて負傷していた。現時点で死者が出ていないのが幸いだ。
「簡単にはいかないか……」ウィルは城壁を睨みながら腕を組んだ。丘ではすでに戦闘が始まっているのが見える。作戦では、丘の戦闘が始まると同時に北の城壁を急襲し、そこを占拠する。北の城壁から城内へ攻撃することで、丘への増援を食い止める。あるいは、正門へ迫る味方への攻撃を妨げる手はずだった。だが、敵はまるで北側の攻撃を予想していたかのように厚い防御態勢で臨んでいた。いや、これで普通なのだろう。こちらの攻め手は3百。一方、敵の守り手は千以上。通常、城攻めには守り手の3倍は戦力が必要とされる。3分の1の戦力で攻めあぐねるのは、むしろ、想定内と言うべきだ。当初、この作戦を聞かされたとき、ウィルは無理だと感じていた。たとえ、ゴブリンの力がひとより劣っていると言っても、それを補うようにオークが加わっている。もし、彼らの連携が効果的なものであれば、この戦いは思っている以上に困難なものになるだろう。そして、その懸念は現実のものになってしまった。敵は城壁の陰から大量の矢を降らせてくる。さらに、城壁のてっぺんからボーガンを構えたゴブリンがこちらを狙い撃ちにしていた。大量の矢は、そのゴブリンたちを支援するためのものだ。
メリーやハイデラなどの射手は相手の射程外からボーガンを構えて、城壁のゴブリンたちを順に仕留めていた。もう少し距離を詰められれば命中精度も高まるが、身を隠すものがない平地からの攻撃は、こちらが狙われる危険のほうが高かった。
「くっ! ボーガンの質はこっちが上だけど、こうも射かけられるとやりづらい」
ハイデラは自分の足元に飛んできた矢で後ずさりながら悔しそうな声を出した。そこへ、彼女の肩をつつく者がいた。振り返るとレトだ。レトはある一点を指さしていた。
「ハイデラさん。あの城壁に立っている黒兜のゴブリンを狙うことはできませんか?」
「黒兜?」ハイデラはレトの指さす方角に目を凝らした。「ああ、あいつね」
物見の搭の根元に1匹のホブゴブリンが立っていた。それは戦闘に参加するわけでなく、あちこちをうろうろしては物見の搭を見上げているように見える。
「あんなのを狙えって、どういうこと?」
「先ほどから戦闘の指示を出しているのは、物見の搭の頂上にいる赤兜のホブゴブリンです。ですが、あの赤兜の指示の出し方がおかしいのです」
「おかしい?」
「赤兜はあちらこちらを見てはいますが、時々出す指示はまったく見ていない方角に対する指示だったりするのです。まるで後ろに目があるように」
ハイデラはレトの説明を黙って聞いていた。彼女はうなずいて先を促す。
「一方、黒兜は戦場の状況をよく観察して、赤兜に逐一報告しているようなのです。報告、と言うより赤兜に指示を出しているように見えます。次はこんな命令を出せ、というように」
ハイデラは目を見張った。「黒兜が司令官なの?」
「赤兜はただ大声を出しているにすぎません。想像ですが、赤兜は黒兜の拡声役。あるいは影武者なのではと」
ハイデラは背中から大型のボーガンを取り出すと、それにハンドルを取り付けた。彼女はハンドルからキリキリ音をさせながら矢を装填し始める。
「距離があるから、大型でないと狙えない。あいつを狙うには時間が必要ね。あなたに聞いておきたいんだけど、もし、あいつが司令官だとしたら、なぜ、安全性の高い物見の搭ではなく、城壁にいるのかしら? あそこにいればこのボーガンでも狙えるかわからないのよ」
「あの黒兜は用心深い性格なのでしょう。物見の搭は高さがある分、普通の弓矢では狙いにくいですが、それでも周囲から丸見えで集中して攻撃されやすいところです。戦闘開始前に、勇者の仲間のラリーさんが1匹のゴブリンを仕留めたという話がありました。そのゴブリンは仲間に危険を知らせるより、自分の安全を優先させたというのです。彼らは個人主義みたいな考えがあるので、味方のために危険を背負うという意識が低いのではないでしょうか。だから、あまり敵に狙われにくいところから赤兜に聞こえる程度の声で指示を出しているんです」
「納得したわ」
ハイデラは大型ボーガンを構えた。照準器を取り付けてのぞき込む。彼女は慎重に狙いを定め、そして、矢を放った。
大型ボーガンの矢は一直線に黒兜めがけて飛んでいき、その兜ごと頭に突き刺さった。黒兜のホブゴブリンは何が起こったかわからないような表情をしていたが、ぐるりと身体を回転させながら倒れた。ホブゴブリンの身体は城壁に隠れて姿が見えなくなった。
「やったわ」ハイデラは特に感情を見せる様子もなく、淡々とつぶやいた。
黒兜が倒れたあたりにゴブリンたちが集まって見下ろしている。彼らの視線の先に、黒兜が横たわっているのだろう。彼らは無言で見つめているだけだ。何か動きがあるように見えない。
ハイデラの攻撃は、赤兜の動きに大きな影響を与えた。赤兜は周囲を見渡すばかりで、まったく指示を出さなくなったのだ。物見の搭のふもとでは、数匹のゴブリンが拳を挙げながら何かを叫んでいる。おそらく、何か指示を出せと促しているのだろう。
「頭を失って、完全に動きが止まっている」
ハイデラは大型ボーガンを自分の背中に戻して走り始めた。その先にはウィルが立っている。
「隊長! 敵の司令官らしい者を仕留めました。今、相手は混乱しています!」
ハイデラの報告を聞いたウィルは組んでいた腕をほどいて、城壁の様子を改めて観察した。
「なるほどな。そういうことか」ウィルはうなずいた。
ウィルははしごを抱えている仲間に大声をかけた。
「敵は今、頭を失って浮足立っている! 今のうちに北を押さえるぞ! 弓隊、城壁向こうに矢の雨を降らせるんだ」
ウィルの指示に、大弓を構えた者たちが前進し、矢をつがえた。ウィルの「放て!」の合図で一斉に矢を放つ。
ざあっという音とともに、放たれた矢が城壁の向こうへ姿を消す。同時に喚き声とも怒声ともつかない叫び声が聞こえてきた。同時に、仕返しの矢が飛んでくるが、これまでと違ってバラバラと乱れたものだ。
「狙いがとれていないでたらめな矢だ。当たるなよ!」
ウィルの声が響く。はしごを抱えた壁役たちが、「おお!」という掛け声とともに城壁めがけて走り出した。
城壁の上でもゴブリンたちが右往左往しているのが見える。指示役を失い、それぞれが勝手に動き出しているのだ。敵は数を揃えているが、ここまでまとまりがなくなると物の数にならない。城壁には次々とはしごがかけられ、攻撃役がはしごに取りついた。
ガイナスは自らの巨体をものともせず、すばやくはしごを昇りきると、城壁の上に降り立った。ふいに現れたガイナスの姿に、ゴブリンたちは呆然としている。
「突っ立っていると死ぬわよ!」ガイナスは剣を振り回した。ガイナスのひと振りで数匹のゴブリンが血しぶきをあげて吹っ飛んだ。
「俺を巻き込むなよ」
ガイナスの陰からルッチが現れると、物見の搭めがけて走り出した。行く手に立っているゴブリンたちは慌ててボーガンに矢を装填しようとした。
「間に合うわけないだろ!」
ルッチの剣が2回、3回と閃き、ゴブリンたちが次々と倒れていく。ゴブリンの弓隊の中から、ルッチに飛びかかって来るものがあった。ルッチはすばやく切り伏せた。ナイフを手にしたゴブリンだ。そのゴブリンに続いて、もう1匹がナイフを振りかざして襲ってくる。
「くっ!」
ルッチは呻いた。剣が引き抜けない。見ると、斬られたゴブリンが剣をつかんでルッチを睨んでいる。瀕死の状態でありながら、最後の力を振り絞ってルッチの動きを止めたのだ。
「こいつ、特攻か!」
ルッチは剣を離して飛びずさった。そのとき、先に斬ったゴブリンにつまずいて、後ろに転んでしまった。
「しまった!」ルッチは思わず叫んだ。襲ってくるゴブリンはナイフを引いてルッチを刺す構えを取っている。ゴブリンの腕が動いた。
――やられる!
ルッチがそう思った瞬間、目の前のゴブリンの身体がぐらりと揺れると、横ざまに倒れ込んだ。ゴブリンの背後から剣を構えたレトの姿が現れた。
「た、助かった……」
ルッチは胸を撫でおろした。レトの隣に駆け寄ると、レトの肩に手を置いた。「助かった、レト。ありがとうな!」ルッチは剣を握ったまま絶命しているゴブリンに駆け寄り、自分の剣を取り戻した。ルッチが振り返ると、レトが剣を構えたまま微動だにしていないことに気がついた。
「おい、レト。どうした? どこかやられたのか?」
レトは剣を構えたまま、呆然とゴブリンを見下ろしている。あごが小刻みに震えていた。
「レト?」ルッチはレトの肩をつかんで揺すった。
レトは呆然とした表情のままルッチに顔を向けた。
「ルッチさん、僕は、今……、ゴブリンを殺しました……。自分の剣で……。ルッチさんが、危ないと思ったから……、夢中で剣を振り下ろしたのです……。背骨を断ち切った感触がありました……。相手は即死だと思います……。それを、僕が……やったのです……」
ルッチは理解した。レトが初めて「敵」を斬ったことを。初めて、『殺す』ことを知ったのだということを。おそらく、狩りで野ネズミや野ウサギを仕留めたことはあっても、こんな『殺し合い』の場で「敵」と戦い、殺したことはなかったのだ。覚悟ができていると思っていても、いざ相手を殺したとなったとき、心が衝撃を受けてしまったのだ。
ルッチはポンポンとレトの肩を叩いた。
「そうだな、レト。お前は今、ゴブリンを1匹、殺した……」レトの目が見開いた。
「そのおかげで、俺は死なずにすんでいる。ありがとう、お前のおかげだ。お前は俺を助けてくれたんだ」
ルッチはもう一度レトの肩を叩くと、ふたりに迫ってきたホブゴブリンに斬りかかった。ホブゴブリンはハンマーを放り投げながら倒れた。
レトはなおも呆然とした様子だったが、ルッチが剣を振るっている背中に気づくと、剣を構え直した。ルッチの脇から襲ってくるホブゴブリンに、レトは剣を突き刺した。
「うわあああああ!」レトは剣を突き立てたまま絶叫した。顔つきはさきほどとは違う必死の形相だ。それをルッチは横目でちらりと見た。今度は無言のまま、新たな敵に向けて剣を振りかざした。もう、レトに言葉をかける必要がないと判断したのだ。
城壁の両側からは槍を構えたオークたちが迫っている。こちらを挟み撃ちにするつもりだ。
「上等だ。オークが人間みたいな戦い方するなんて思いもしなかったよ」
ルッチは唇の端をチロリと舐めながら剣を握り直した。そして、ルッチのすぐそばまで近寄ったオークに斬りかかろうとした瞬間だった。
轟音が轟いた。
城壁はぐらぐらと左右に揺れ、目の前のオークは足を滑らせて城壁から落下した。城壁の内側には壁がないのだ。
「何だ?」ルッチもオークと同じように転げ落ちないよう踏ん張りながらつぶやいた。レトは膝をついて身体を支えている。
ルッチは轟音が聞こえた方角へ目をやった。その方向にはアングリアの正門がある。そこからもうもうと煙が立ち昇っているのが見える。
「正門を破ったんです!」レトが体勢を整えながら叫んだ。
「勇者の部隊が突破したのか?」ルッチはレトに声をかけた。
「おそらく。でも、こっちはまだ城壁を制圧できていません。こちらの支援がないと、勇者たちが包囲されてしまいます!」
「急ぐぞ、レト!」ルッチは剣を振りかざして、オークに飛びかかった。そのオークは轟音で意識が完全に逸らされていた。ルッチが目前に迫っても、正門の方角を見つめていたのである。ルッチはそのオークを縦一文字に斬った。オークは声をあげずに城壁から墜落して姿が見えなくなった。
「敵は事態が呑み込めずに混乱している! 今のうちに制圧するぞ!」
ルッチは叫びながら、次の敵を斬り倒した。レトは煙の立ち昇っている正門に目を向けた。ここからでは距離があるうえ、塔などの障害物が視界を遮るので様子がうかがえない。
……僕たちはまだ北の城壁を制圧できていない。勇者からはここの様子は把握できていないはずだ。それなのに、正門をぶち抜いて突撃を仕掛けてきた。僕たちが北を制圧して支援に回ることを期待していた? だからと言って、突入を強行するだろうか? ひょっとすると、勇者はそういうことに頓着しない性格なのか? 千を超える敵に囲まれることを承知で敵地に飛び込めるひとなのか……?
レトの思考からは理解できないことだった。レトは安全と危険の両方をてんびんにかけて仕掛けるかどうかを考える。危険の程度を把握できない状況では無理はしない。それがレトの考え方だ。慎重さと大胆さ。両方を兼ね備えていることが大切だと考えるレトとは、まるで異質である勇者の行動に、レトは危険なものを感じた。懸念と表現しても良いだろう。
レトのすぐそばを、1匹のオークが槍を突き出してきた。レトは剣でそれを防ぐと、返す剣でオークを斬った。オークは肩から血を流して後ろへ下がった。
……余計なことを考えている時間はない。まずは目の前の敵に集中しなくちゃ!
レトは剣を握り直すと、敵陣に斬り込むべく剣を振り上げた。




