キュノス村の戦い【scene2】
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キュノス村は獣の侵入避けのために柵で囲まれている。獣の中には魔獣の類も含まれるから、柵とひとことで言ってもわりとしっかりとしたものだ。そのせいで中の様子は柵が邪魔でよく見えない。見える範囲では、ひとも魔物も含めて、生きているものが動いている様子はない。空はあいかわらずのどんよりとした曇り空で、いつ空が泣き出しても不思議ではなかった。
レトは息を殺してじりじりと柵へ近づいていた。レトの左手は胸に当てられている。服越しに自分の認識票があるのを感じていた。出発前、勇者の団員のすべてに認識票が渡された。戦場で原形を留めない死体になったとき、認識票で身元を確認するためだ。認識票を手渡されたことで、自分は今、いつ死ぬかわからない戦場に向かうのだと、レトは強く意識した。服を押さえる手が汗ばんでくる。
作戦では、攻撃役が村を囲い込み、周囲から一斉に侵入する手はずだ。村は占領されているということだったが、村は沈黙を続けている。不意に敵に襲われるかもしれないという、胸の奥をつかまれるような緊張感で背中が強張る。腰の剣に手をかけているが、汗で滑ってうまくつかめない。左右を見ると、右手にルッチ、左手にガイナスがそれぞれ剣を手に近づいている。ふたりとも口元をきつく締め、油断なくあたりをうかがっている。レトは両側を仲間に守られている安心感に、少し安堵の息を吐いた。
草むらを踏む音が思っている以上に大きく聞こえる。もし、敵が潜んでいるのなら、すでにこちらの接近は察知されているのではないか。叫び出したくなる衝動にレトは胸をつかんだ。
……これは、この感触は、昔味わったものだ……
レトは不意に少年時代のことを思い出した。村近くの山へ薪を拾いに行ったとき、突然目の前に現れた魔獣ギガントベアのことを。魔の森で育った人食いの熊。あれと対峙したときに感じたものが、今、レトの胸の奥に甦っていた。
……そうか。これは『恐怖』だ。僕は、これからの戦いに恐怖を感じている。
剣の稽古を重ね、村近くの獣を斬ったことはあっても、実際の戦を経験するのは今回が初めてだ。自分は「殺し合い」の現場を歩いているのだ。その実感が今頃になって芽生えたのだ。レトは奥歯を噛みしめた。
……落ち着け。僕は戦いに来たんだ。自分の意志で。自分でやると決めて。それなのに、なぜ怯えているんだ、僕は!
レトは自分を奮い立たせようと正面を睨み、さらに柵へ近づこうと一歩踏み出した。
左から太い腕が伸びて、自分の肩をつかまれたのはそのときだった。レトは振り返る間もなく思いきり後ろへ飛ばされた。レトは仰向けにひっくり返りながら、ガイナスに投げ飛ばされたことに気がついた。
レトが急いで起き上がろうとした瞬間、自分の両脚の間に、矢がシュッと風を切る音とともに突き刺さった。長さの短いボーガンの矢だ。
「見つかった!」
「見張りが屋根に潜んでいるぞ!」
周囲から怒鳴り声が聞こえた。レトは矢が飛んできた方角を見上げた。板葺きの屋根に隠れ、上半身だけのぞかせている小さな影が見えた。長い耳に極端な鉤鼻。緑色に近い褐色の肌。それはボーガンを手に「ギイイ!」と鋭い声をあげた。
「ゴブリンだ!」レトは剣を抜いて立ち上がった。
まるでレトの声が合図かのように、小屋の陰からわらわらとゴブリンたちが現れた。それらは剣やハンマーなどの武器を手にしている。柵の向こう側にいるレトたちを見ると、一斉にギャアギャアと声をあげた。
「突っ込むわよ!」ガイナスが剣を片手に柵を飛び越えた。ルッチも柵に片手をかけて飛び越える。レトは遅れまいと柵に手を伸ばした。
再びシュッと風を切る音が聞こえ、レトは思わず首をすくめた。しかし、レトのほうに矢は飛ぶ様子はない。代わりのように屋根でボーガンを撃ったゴブリンが悲鳴をあげて屋根から落ちてきた。レトが振り返ると、後ろの樹の枝からハイデラがボーガンを構えていた。
「あなたも急いで!」ハイデラの声がレトに飛んできた。レトは小さくうなずくと柵を乗り越えた。
村の入り口からはペックがツヴァイハンダーを身体の後ろに構えて駆け込んでいた。彼を囲むようにゴブリンたちが押し寄せると、ペックは「うおおおお」という叫び声とともに大剣を横殴りに振り回した。数体のゴブリンが真っ二つになり、剣を避けようと身を引いたゴブリンたちの胸からは血しぶきがあがった。
ガイナスも大きな剣でXの文字を描くように振り回している。ガイナスの正面のゴブリンたちが次々と血しぶきをあげて倒れていく。ルッチは小屋の扉の前に立つと、勢いをつけて蹴り飛ばした。弾き飛ばされた扉は部屋の奥へ飛んでいく。その先には剣を構えたゴブリンの姿があった。
「小屋にもいるぞ!」ルッチは大声をあげた。小屋に潜んでいたゴブリンは奇声をあげながらルッチに飛びかかってくる。ルッチがゴブリンの剣を受け止めている間に、オーギュストが駆け寄ってゴブリンの喉を切り裂いた。
戦場の中心に身を置いているにもかかわらず、レトは剣を構えたまま、あたりを見回しているばかりだった。敵は次々と現れるが、仲間があっという間に仕留めてしまうのだ。
……連携とか、敵の囲み方とか訓練したけど、全然役に立っていない! どう動けばいいのか、まるでわかっていないじゃないか!
レトは焦る気持ちが募っていた。これでは何しにここへ来たというのか。レトは村の奥へ進んでいった。
戦闘にかかった時間はほんのわずかなものだった。敵を倒し尽くした隊員たちは、武器を片手にぶらぶらと村中を歩き回っていた。ゴブリンたちは物言わぬ屍となって地面に倒れている。立って動けるゴブリンは見当たらない。
「全部、仕留めたか?」
ウィルが剣にまとわりついた血を振り払いながら、周りに尋ねていた。
「おそらくは。ただ、小屋の中をすべて検めたわけではないので」
「よし、これから残党狩りを行なう。各班の壁役、攻撃役をふたりずつ、計4人でひとつの小屋を探る。残りの者は村の周囲を探索するんだ」
ウィルは村の奥まで歩きながら指示を出すと、周囲からそれに応じる声が返ってきた。ふと気づくと、ひとりの若者が村のはずれで四つん這いになっている。村はずれの柵の下をのぞいているようだ。近寄ってみると、それはレトだった。
「君はここで何をしている?」
レトは顔半分をあげてウィルを見た。しかし、すぐに下を向いて柵の下を指さした。
「隊長、こちらをご覧ください。柵の下に生えている草が倒れています」
ウィルは身体を傾けて、レトの指さすほうに目を向けた。「何かが通った跡かい?」
「このあたりの草は茎が固くて、簡単に折れ曲がらないのです。ウサギ程度の動物が通ったぐらいではこうはなりません。しかも、この草は村の外側に向けて倒れているのです」
「おい、そちらはリッグ班が張っているな? 誰か近くにいるか?」
ウィルは柵の向こう側に大きな声をかけた。すると、すぐ近くの樹の陰からひとりの男が現れた。大柄で顔中をひげで覆われている。班長のリッグだ。
「どうしたい、隊長」
「ああ、リッグ。どうもそちらにゴブリンが逃げ込んだらしい。何か気づいたことはないか?」
リッグは頭をかいた。「いや、ずっと、ここらあたりを張っていたが、何もおかしなところはなかったぜ」
リッグは背後に顔を向けると大声をあげた。
「どうだ、みんな? 何か通ったりしなかったか?」
「いいえ、何も通りませんでしたぜ」遠くで、そう返事する声が聞こえた。
ウィルはレトを見下ろした。
「君の勘違いじゃないのか?」
レトは立ち上がると森の奥に目を向けた。
「森はだいぶ背の高い樹で覆われています。こんな森の場合、樹の根元に日が差さないから植物は育ちません。いくらゴブリンが小柄でも、この森を通って逃げるのは困難です。身を隠してくれる草むらがないのですから。それより、この村周辺の草地であれば、ゴブリンは匍匐しながら進むことができます。もし、僕がゴブリンを探すのなら、森ではなく……」
レトは柵の上に乗ると立ち上がった。
「畑が見えるところまでの、この草むらを調べます」
レトは草むらの中へ飛び降りた。レトが降り立つと、草むらはレトの腰から下あたりを隠した。たしかに、そのあたりは小柄なゴブリンが身を隠せるかもしれない。
ウィルは後ろを振り返ると合図を送った。ハイデラが矢を装填したボーガンを手に近づく。「呼びましたか?」
ウィルはうなずくと柵の向こう側を歩いているレトを指さした。
「彼の周囲を警戒してくれ。リッグは仲間を呼んで、この一帯を包囲するんだ」
リッグはうなずくと森の奥へ声をかけた。
レトは剣で草を切り払いながら畑へ向かって進んだ。口の中が妙にネバネバしている。水を口に含みたい。ウィルにはあのように言ったものの、絶対の確信があったわけではない。何か自分でできることはないかと周囲を見回したとき、柵のそばで違和感を抱く箇所に気づいたのだ。これがもし、自分の勘違いであれば、周りは飛んだ迷惑だと思うだろう。
……そうなったら、僕は本当にただの役立たずだ……
レトの見つけたいという願いもむなしく、畑のふちまでたどり着いてしまった。レトは畑から村を振り返って困惑した表情を見せた。遠くからでもリッグの呆れている様子がわかる。
レトはため息をついてうつむいた。そのとき、近くの茂みに小さく光る点がふたつ見えた。レトは自分の顔に血の気が引くのを感じた。いた。やっぱり、いた。今、自分はゴブリンと目を合わせているのだ。
茂みから1匹のゴブリンが立ち上がると、大声をあげながら剣を振り上げた。レトはとっさに受けの構えを取ったが、草に足を取られて尻もちをついた。
「ぐっ!」レトは呻き声をあげながら、向かってくるゴブリンに目を向けた。相手は口の端に泡を浮かべながら飛びかかってくる。
……体勢が悪い! このままでは左腕を切り落とされる!
とっさにレトは左手を差し向けた。どうせ斬られるなら、少しでもましなほうに使おう。左手を盾代わりにして攻撃を防ぐつもりなのだ。ゴブリンは目前に迫っていた。
シュッという音がレトの耳元をかすめた。ゴブリンのこめかみからボーガンの矢が生えて、ゴブリンは地面にくずおれた。柵の上からハイデラが狙撃したのだ。
ゴブリンは頭から血が流して絶命していた。レトはそれを横目で見ながら大きく息を吐き、尻もちをついた姿勢のまま天を仰いだ。安堵感と疲労感で身体に力が出なくて立ち上がれない。
「大丈夫か?」
遠くから駆け寄るルッチの声が聞こえていた。




