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紅葉鬼~鬼に嫁いだ姫~  作者: ariya
6章 紅葉の宴
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5.それぞれの動き

 朱音は所要のために山を降り、京の市場へと向かった。市場では人が賑わい多くの商品が行き交っていた。朱音がその中から捜しているものは千紘に見合ったかもじであった。

(あれじゃ紅葉の季節に間に合わないわ)

 秋に紅葉が美しく彩る頃、宴を開くことになっている。その時、遠方に出かけた一族の鬼も戻ってくる。春と同じくらい大事な千紘のお披露目が行われるのだ。それなのに千紘にあんな髪の短い姿を晒すなど朱音には耐えがたい。だからこそこうして許しを無理にでも得て京まで出かけてきたのだ。京が一番多くの品が集まるからだ。お偉い家の姫の為の良い髢だって揃っているのだ。

 朱音は店に並ぶ品からどれが千紘の髪質に近いか見定めていた。

 しかし、なかなか千紘にあった髪は見つからない。

(あんな美しい髪はそうそうないのよね)

 大江山に来てから千紘の髪をきっちり手入れさせているが、来る前に比べ千紘の髪はとても艶やかで美しくなっていた。京にいた頃は女房もいず一人でやっていたので並み程度のものであったが、朱音に鍛えられた小鬼の手にかかればあっという間に様変わりである。

 その前後を見た朱音は感激し、しばらく千紘の髪にすりすり頬ずりをして警戒されてしまった。

(しょうがないわ。妥協も必要ね)

 京に来るまでの間、堺を始め関西の数々の町で捜していたのだ。だが、どれも朱音の目に留まるものはなかった。ここまで来てもないのならば博多にでも行こうと思ったがそこまで行く余裕がない。あまり大江山から離れるのはよくない。例の土蜘蛛が何をしでかすかわからないのだから。

「おい」

 店で一番の上等の品を手にした朱音を後ろから声をかける者がいた。聞き覚えのある声に朱音は振り返る。

「やはりっ!」

 朱音の顔を見て男は刀の束を掴んだ。その瞬間朱音はその手にそっと己の手を添えた。

「こんな市場で刀を抜くなど野蛮よ、お侍さま?」

 甘い声でささやくと男は顔を真っ赤にして後ずさった。その反応のかわいらしさについ朱音は笑った。

「お久しぶりね。え、と………渡辺殿?」

「鬼でも私の名を存じているとは」

「存じているも何も、あなた有名人だもの。都を騒がす鬼を退治したとか」

 都では何度か鬼の被害に悩まされていた。そこでいくつもの鬼を退治し鬼退治の侍として有名になったのがこの渡辺綱なのである。今は大きな武家の棟梁に仕えていると聞いているが、その鬼退治の腕は帝も一目置くほどとか。

「今一番都を騒がしている鬼はお前だがな」

 綱は鋭い剣幕で朱音をにらんだ。

 大江山の鬼が紅葉少将の三の姫を攫ったという話は今年一番の騒ぎだという。まだ若い姫が鬼に攫われ食われてしまった、と言う者もいる。それを聞き帝はたいそう心を痛めて紅葉少将に慰めの言葉をかけているという。三の姫のおかげで帝に言葉をかけられるとは思わず紅葉少将はあれこれと千紘とのない思い出を語って涙を流し人の同情を買っているという。

(いないものと扱って無視し続けていたくせに)

 都で聞いた噂を思い出しながら朱音は紅葉少将に怒りを覚えていた。はじめて千紘を見たとき朱音はすぐに須洛に攫うように提案していた。北の方や異母兄姉たちにいじめられ、家来にまで笑われる日々を過ごしていた千紘はあまりに辛そうにしていた。いや、辛いというのはもう通り越して諦めている風でもあった。

 朱音はそれが耐えれなかった。

 だから彼女が大江山に来たときはうんと可愛がったのだ。

 与えられなかったものを朱音なりに補ってやりたかった。

「………ところでお前、その髪は一体」

「ああ………」

 朱音は綱の言いたいことを解した。自分の髪が黒髪であるのに驚いているのだ。以前会ったときは紅葉色の髪であったのに。

「さすがに往来であんな目立つ色で出歩けないでしょう」

 そう言う朱音の手には包まれた髢がある。それを見て綱はいきりだった。

「貴様! 姫の髪を髢にしたのだな!」

「は?」

 思いもしない言葉に朱音はぽかんと口を開けた。しばらく彼の怒りの声を聞いているうちに彼女は自分の髪が千紘の髪で髢にしたものだと勘違いしているのだ。

「もう、姫のことが本当に好きなの? 姫は私のこれと持っているこれと一緒にしないでちょうだい」

 朱音の髪は特殊な染物で無理に紅葉色にしていたため多少痛んでいる。それでも彼女が独自に編み出した手入れの手法によって今の状態を維持できているのだが。髪を取り扱うことを専門にしている彼女としては残念なことであるが、かつての恩人の力になりたいからと望んでやっていることである。その辺はわりきっている。

「だ、誰が好きと………私はそのようなつもりで」

 綱は朱音の『姫野ことが本当に好き』という言葉に取り乱して慌てて否定した。この辺はとても初な感じがしてかわいらしくもある。

「あら、違うの。てっきり姫のことが好きだから山に何度も赴いていたのだと思っていたわ」

「そんな私情の為ではない! 上より命令され山の様子を窺っていたのだ」

 命令がなくともどうせ何度も山を登っていたのだろう。朱音は彼の取り乱した言葉に半分呆れてしまった。もっとからかってやろうかと思ったが気がかりな言葉があるのに気づく。

「様子を窺うて何でかしら?」

「それは鬼の貴様に教える義理などない!」

「ふぅん、………別にいいけど」

 大方、都における千紘姫の悲劇に心打たれた身分高い御仁が大江山討伐隊でも編成し綱にまず情報収集に出向かわせたのだろう。最近の京の噂でだいたい予想がつく。

(外の人が鬼の里へ辿りつけるはずがない………けど、一応須洛に伝えておかなければ)

 色々疑問に思う点はあるが、朱音としては目的のものを手に入れたのだから早めに山へ戻りたかった。討伐隊の情報は後で鬼たちを使い集めさせるとしよう。

「まぁいいわ。私はこの辺で帰らせてもらうわ」

「鬼をみすみす見逃すとでも思っているのか!」

 綱は刃を朱音に向けて叫んだ。これに市場の者たちは慌てて逃げ出した。路の端にて塊り朱音と綱の様子を固唾をのんで見ている。

 これを見た朱音は面倒なことになったとぼやく。

「綱殿、何をしているのだ?」

 お偉いさんらしく男が二人の間に出てくる。これを見て朱音はしめたと思い男に駆け寄った。

「助けてください! こちらのお侍さまが突然刃を向けて………どうすればいいのやら」

 朱音は勢いのままほろりと涙を流し男に泣きついた。美女に言われては男は鼻の下をのばしつつ優しい声をかけた。

「なるほど、安心なされよ。………」

 そして綱に対して厳しい視線を送る。これは一体どういうことだと言っているようだ。この強気な姿勢からして男は綱よりも高い立場の者だと把握できた。

 朱音はその男の襟元を掴みだしぽいっと綱に投げ出す。大の大人をひょいと放り投げるその怪力さに男は何が起きたのだと目を白黒させながら綱に体当たりしてしまう。男にぶつかり避けることができなかった綱は身を崩してしまう。

 その隙に朱音はひょいと身を飛ばし塀の上に着地した。女性が跳んだと思ったら遠くの塀にあがりその場にいた者たちは呆然とした。その人とは思えない身のこなしに綱に体当たりした男は呆然とする。

 朱音はくすりと笑ってその場を退場した。まるで風が通り過ぎるかのように去ってしまったのだ。

「あれは鬼であったのか?」

 これを見て男はようやく女が鬼であったのだと気づいた。

「はい。大江山で見かけた酒呑童子の配下です」

「何だと………あのように美しい女人が」

 信じられないと男は呟く。

「この儂を持ちあげ放り出す程の怪力………油断していたとはいえ」

「お怪我はありませんでしたか? 頼光様」

「大事ない。綱よ、心してかかればならぬということだな。大江山に参る際は」

 今から起きることに頼光と呼ばれた男は心配な面持ちで顎鬚を撫でた。

 綱はそれに頭を垂れながら口の端を噛んだ。

(あの鬼女………ふざけた真似を)

 あのまま綱に襲われたか弱い女を演じ切りそそくさと逃げれたであろうが。それをせずわざわざ自分で鬼とばらすような真似をした。綱が上司に悪く言われないようにする為にやったようにみえた。まるで綱を思いやるような。

(鬼のくせに)



   ◇   ◇   ◇



 場所を大江山の鬼の里に移す。

 鬼の里の大きな収入源のひとつである蹈鞴場である。

「棟梁!」

 蹈鞴場の鬼や人が来訪者に驚いて頭を垂れ挨拶をする。蹈鞴を踏む者は作業を中断するわけにはいかず会釈をするのみであった。

「作業の方はどうだ」

「順調です」

 須洛の問いに作業場の監督者が応えた。

「今年は暑い……その中で苦労させるな」

 今回の蹈鞴が終わった頃には秋の宴の準備がある。蹈鞴場の者たちには盛大に酒を振舞ってやるとしよう。

「ばてているものはいないか」

 暑い最中の高熱を発する場での作業である。きつくないはずはない。毎年何人か倒れ込む者がいる。水分と塩分の確保は心がけているが、それでもばてる者はいるのだ。

「先ほど一人………でも、大丈夫です。賄の者に介抱してもらっています。若い愛らしい娘に介抱してもらってむしろ羨ましい限りです」

「若い娘?」

 毎回賄に来てくれる者は藤という名の年配の女性のはずである。前回ここに赴いたときは若い娘はいなかったと思うが。

「人手が足りないので新しく手伝いに来てくれている者です。まだ賄や世話には慣れない様子ですが一生懸命で結構作業場の連中に評判なんですよ」

 須洛はふぅんと呟き賄の小屋へと赴いた。倒れた者の様子も見たいし、若い手伝いの娘のことも気になる。

「倒れた者の様子はどうだ?」

 ほっかむりを被った娘に声をかけた。腰まで伸びた黒髪をひとつに束ねている。娘はくるりと振り向いて応えた。

「だいぶ落ち着いています。藤さんが言うには水も飲めているし、え、と、お小水も普通だから大丈夫と………」

 娘は須洛を見てはっとした。彼女の胸からぴょこっと小鬼が顔を出した。

「あ、とーりょ」

 須洛は呆れながら娘を見つめた。

「何をしているのだ。千紘」

「何というと、ここの手伝いを。人手が足りないので」

 確かに今年は夏バテで人手が足りない。だが、それを何故千紘がやっているのだと須洛は問いたかった。

「あれまぁ、棟梁。千紘の知り合いかい?」

 奥で賄を作っていた藤は須洛に問う。

「知り合いもなにも、こいつは俺のよ………」

 嫁と言いそうになったのを千紘は遮るように言う。

「ちょっと前にお館で働いていたので、その縁を覚えていただいています」

 そうなのかい、と藤は納得した。須洛はじっと千紘をみるが、千紘は強く言わないで欲しいと目で訴えた。とりあえず今は言わないでおこうと須洛は思った。あとでゆっくり話を聞かせてもらえばいい。

「じゃぁ、千紘。これを作業場に持っていってくれ」

 握り飯がたくさん積まれた盆を藤は千紘に渡した。少し重いが何とか持てる。千紘ははいと頷きそれを持って行った。

「………」

「はじめは慣れない感じでしたがすぐに動くようになりました。どこの子でしょうか?」

「………朱音の親類だ。身寄りがなかったので朱音が引き取って連れて来たんだ」

 須洛は適当なことを言って説明した。何故そんなことを言ったのか。千紘が自分の正体をばらされたくなかったからだ。だから、須洛はとりあえずそういうことにして藤に納得してもらうことにした。

「ああ、朱音様の………それじゃ元は外の世界の子ですね。確かにそれじゃ私も知りません。最近まではお館にいたのでしょうね」

 元々朱音は外の出身である。母親がこの里の鬼で駆け落ちという形で里を飛び出した。父親は里とは無関係の外の人。朱音の身寄りということにしておけば勝手に朱音の父方の血筋の者だと納得してくれる。小うるさい老人でもない限りはそれ以上は突っ込まれることはない。それだけ朱音のこの里での信頼度は高いということだ。

 普段は適当な髪フェチの変人であるが須洛もかなり彼女には信頼を置いている。だからというのは変だが、千紘の身の上を誤魔化すのに少し利用させてもらった。

「もし邪魔になるようだったら言ってくれ」

「邪魔なんて、助かっています。よく動いてくれますし」

 藤の言葉に須洛はそうかと頷いた。そして遠くで働く千紘の笑顔をみて目を細めた。




 その晩、千紘の部屋にて須洛はじっと千紘の話を聞いていた。どうして蹈鞴場で賄いの仕事を手伝っていたのかその顛末を。これならば興味の向くまま案内してやればよかった。その表情は複雑そうであった。

「俺はお前を飯炊き娘にするために連れて来たんじゃないんだがな」

「でも、おかげでおいしい握り飯を作れるようになったのよ。この前、須洛もおいしいって言ってくれたでしょう」

「まぁ………」

「お願いよ。たまにで良いからあそこでお手伝いさせて」

「その必要はない」

 千紘はこの鬼の里の長、須洛の妻なのだ。館で綺麗な服を着て不自由のない暮らしをさせてやりたい。千紘が望むのであれば万の物語をかかえて持ってくる。綾の着物を何着も揃えるのもいとわない。

「私が欲しいのはそういうのではないの」

 千紘にとって欲しかったのは何かできること。それがどんな些細なくだらないことでも構わない。自分の作った握り飯を食べてもらっておいしいと言ってもらう。熱さにやられ倒れた人の介抱をすること。自分のしてきたことにそれだけの応えが出ること。

 幼い頃から何もせず無為に過ごしてきた。ただ庭のやせ細っていく桜を眺めるだけの日々。父から無視され、北の方と異母兄弟たちから嫌がらせを受ける日々。その中で千紘は何も感じなかった。自分は何もできないつまらない存在だとずっと思っていた。このままではダメだと思った。だが、屋敷から出る考えすら持てずただやり過ごしていた。

 須洛はその場から救い出してくれた。いろいろなものを与えてくれた。だが、千紘は須洛に何も返せずにいた。須洛はただ傍にいてくれるだけで十分というが、千紘はそれでは辛いと感じた。

「ねぇ、お願い。私いろいろ藤さんから教えてもらいたいわ。着物の縫い方とか、花の育て方とかも知っているのよ、ご飯の作り方も」

 館でそう言えばする必要はないと言われるだろう。だが、藤は千紘にそんなことは言わなかった。それは千紘が須洛の妻だというのを知らないからだ。それは千紘にとってありがたかった。

 蹈鞴の者は千紘が輿入れの際は製鉄作業があり宴には参加できていなかった。一応須洛は彼らに酒を送ったくらいである。

「お願い」

 上目使いでお願いをしてくる千紘に須洛はため息をついた。そこまで猛反対するつもりはなかった。

「わかった。だが、蹈鞴場は熱い鉄を扱う場、あまりうろちょろして邪魔はするなよ」

「ありがとう」

 千紘は須洛の首に手を回しだきついた。彼女からの行動に須洛は喜び抱きしめた。そして寝具の中に沈む。千紘の白い肌に触れながら思いついたように須洛は言った。

「そうだな。時折、俺のために握り飯を作ればなおいいか」

「勿論よ」

 千紘ははにかみながら須洛から与えられる抱擁に自身を預けた。




 朝起きると既に須洛の姿はなかった。千紘はぼんやりと身を起こし、小鬼たちに促されるまま朝支度をする。そこに朱音が現われた。

「おはよう、姫」

 久々に見たような気がする。そういえば最近館にはいなかった。確かもうすぐある宴に必要なものを揃えに里を出たとか。

「お帰りなさい、朱音さん。どこまで行っていたのでしょう?」

「うん、あちこち。大坂やら京やらあっちこっち、さすがに博多までは遠くて行かなかったけど」

 何を手に入れにそこまでの街を回ったのだろうか。朱音はにこにこ笑いながら千紘の髪に触れる。

「あー、相変わらず綺麗………」

 朱音はうっとりしながらその手触りを楽しんだ。それをばっさりと切ってしまうなどなんともったいないことか。過ぎたものをくよくよしても仕方ないとはいえ、やはり惜しい。せめて千紘の髪がどこかで手に入らないものかと考えたが、どこの街にもなかった。あれほどの見事な黒髪なのだから下人がこっそり売り払っているのではと期待していたのだが。

 そう考え手に入れたものを千紘の髪につける。髢であった。足りない髪を補うためのもの。

「うん、まぁ、いいわ」

 千紘の髪質に比べれば若干劣るが、これ以上の品はなかなか見つからない。

「えと、これは……」

「もうすぐ紅葉の宴、里の外を出回っている鬼たちがわざわざ戻ってきて改めて姫さまのお披露目もあるのよ。だから、せめて綺麗に見栄えさせたくてね」

 短い髪では折角の重ね着が映えない。別にそれでも須洛としてはなんら問題なく感じるが、朱音としては千紘を完璧に飾りつけたかったのだ。だからどうしても相応の髪の長さにしなければならない。

「あ、ありがとうございます。こんなに、高かったのではないのですか?」

「ああ、いいのいいの。後で須洛に請求するから」

 千紘の頭を撫でる朱音の手はとても温かかった。

「あ、あの……朱音さんはどうして私にこんなに良くしてくださるのですか? だって、朱音さんは………」

 ふと思い出す。気にしないようにしていたが、沫村で耳にした話を。

 朱音がかつて須洛と恋仲であったこと。それを聞いて朱音は目をぱちくりさせた。

「………」

 陽凪のように否定しない。ということは本当なのだろう。

 そう思うと千紘の表情は曇る。

 そのとき突然髪をわしゃわしゃされた。

「な………」

「全く、姫さまに変なことを吹きこむなんて水面姫はとっても嫌な子ね」

 朱音はやれやれとため息をついた。そして千紘に向き真剣に言う。

「良い? 三の姫、ここで変に誤魔化したらますます気にしてしまう」

 だからはっきりと言わなければいけない。

「確かに私はかつて須洛とそういう関係になったことがあるわ。でも、恋人とかではない。あれは不安定な子供をあやす母親の図に近いものよ」

 あれは百年前のこと。須洛は精神的に落ち込んでいた時期があった。信頼していた部下の鬼が他界するなど不幸が重なっていたこともある。その際、ずっと何百年も抑え込んでいた不安に崩れてしまったのだ。

「不安?」

 一体何の?

「姫を見つけれなくて」

 朱音は千紘を指し示す。

(私を? どうして、だって私はその時生まれてきてもいなかったのに)

「あら、もう陽凪姫が話したと思ったのだけど。無名姫の話」

 その呼び名に千紘はどくりと心臓が鳴り響き飛び上がりそうになった。朱音の口からその名が出るとは思わなかった。

「あなたは何百年、千年以上も昔、須洛に出会っていた。あなたは無名姫と呼ばれていたの。でも、須洛と結ばれることはなくあなたは逝ってしまった。須洛はあなたが再びこの世に生まれい出ることを知り、ずっと探し求めていた。それがいつかわからないのに」

 何百年もあちこち飛び回り情報を集めたけど全く見つけることができなかった。周りからそろそろ嫁をとり跡取りを作れと言われ続け、でも無名姫以外なんて考えられなかった。だけど、気づけば随分と時間が経ってしまった。そしてずっと自分に仕えていた鬼が衰弱死してしまうのを見てついに崩れてしまった。もう無名姫には会えないのかもしれない。どこかで生まれてもすでに見つからず亡くなってしまったのかもしれない。その時朱音は須洛を慰め、気づいていたら身体を重ねてしまっていた。それをしばらく続け須洛はようやく現状に気づき慌てた。何しろ無名姫への裏切りになるのだから。そして朱音に対する不誠実でもある。

「あまり面倒になるのはいやだってし、私は火遊びだったのよで片づけることにしたの」

 それでも須洛はそうはいかないとぐじぐじしだし、苛立った朱音は意地悪げに言ってやった。

 あんな獣がむさぼるような行為しかできない男なんてこっちからごめん、責任とらなくて結構。むしろ、それじゃぁ姫に出会えても嫌われるだけね。

 そういうと須洛は自分からその話題をすることはなかった。

「というわけで妻になっている姫は気にせずどーんと構えておけばいいのよ。それとも私が傍にいると嫌?」

「え、えと………その、複雑です」

 千紘は困ったように呟く。

「私は朱音さんのように綺麗じゃないから」

 その言葉に朱音はけらけら笑った。

「もう、自信を持ちなさいよ。姫はとても魅力的よ。それに、須洛が千年以上もかけて執念深く求めていた想い人なんだから」

「千……といっても、私は覚えていないわ」

 そういえば無名姫とは一体何なのだろう。前回、沫村にて出会った椿鬼の精霊が千紘のことをそう呼んでいた。だが、須洛はそれを拒んだ。無名姫の話をすると須洛は話をはぐらかそうとする。あまり過去のことは触れたくない様子であった。

「ねぇ、無名姫ってどんな人なの。どうして須洛は私がその人てわかったの」

「そうね………何千年経っても容姿が違うものになっても変わらないものがあるとすれば『魂』ね」

 少し恥ずかしい言葉を口にして朱音は苦笑いした。

「須洛ならどんな姿になってもあなただってわかる。それだけあなたの魂を記憶に焼きつけていたのよ」

 朱音はふと思い出す。千紘を見つけ出した後の須洛の姿を。あまりに興奮し、今にも攫ってしまおうとする勢いであった。

「よくわからりません。でも、須洛は私をとても想ってくださっているということなのね」

「そういうこと………あら」

 朱音は部屋の奥にある葛篭からみえる衣をみた。今までなかった柄である。

「新しい着物かしら。どれどれ」

 朱音はさっと葛篭の中から衣を取り出す。千紘は慌てて取り戻そうとした。

「狩衣?」

「………」

 何故男物の着物が千紘の葛篭の中にあったのだろうか。みたところまだ繕っている最中である。顔を真っ赤にする千紘をみやり朱音はぴんときた。

 これは千紘が須洛のために繕っている品である。

「ま、まだ全くできていないの。できるかわからないけど」

 繕いものに関しては小鬼や藤にお願いして教えてもらっている。時間はかかってもここまでできあがったのだ。

「ふふ、喜ぶわよ。頑張って最後まで仕上げてね」

 年頃の娘らしい愛らしさに朱音はつい応援してしまいたくなった。そと千紘の方に返すと千紘は大事そうにそれを抱きしめた。



   ◇   ◇   ◇



 須洛の仕事部屋に朱音が久しぶりに顔を出す。

「欲しかったものは手に入ったのか?」

「まぁね」

 朱音は鼻歌を歌いながら今度の紅葉の宴を楽しみにしていた。

「紅葉の宴はうんと楽しいものにしなきゃね」

 その為に千紘にうんと綺麗な姿でいてもらわなければならない。

「紅葉の宴、か」

 この御暈の里では年に二度盛大な宴を開いている。桜の宴と紅葉の宴。その名の通り春と秋に行われる。

 そういえば千紘の実家でも紅葉の宴があった。千紘の実家は紅葉少将と呼ばれるだけあって紅葉が見事な屋敷であった。そのため、多くの貴族を呼び賑やかなものとなる。ただ紅葉を楽しむだけのものではない。紅葉少将の子供を有力貴族に売り込むためのものでもあった。姫を美しく飾り立て良い婿を呼びよせる。だが、その姫の中に千紘の姿はなかった。紅葉少将としては千紘の母の遺産が目当てであったため、千紘自身には興味も示さず存在すらも忘れていた。彼女は実家で紅葉の宴がある中はひっそり屋敷の隅で賑やかな声を聞き過ごしていたに違いない。それはとても寂しい姿である。

 だからこの里における紅葉の宴では千紘を盛大に喜ばせよう。

「あ、そうそう」

 須洛の考えを横にやり朱音は都で聞いてきた話をした。

「近々帝の勅令で大江山の鬼退治が行われるらしいわよ」

 都中の猛者を集め編成した軍で大江山に来ると言うのだ。中には術に詳しいものもいるという。

「まぁ、空閑御の結界を破って中までこれるなんて思わないけどね」

 だから気にせず紅葉の宴を楽しめばいい。

「確かにそうだな。だが、この機会に土蜘蛛が何かしでかさないとも限らない」

 あれから奴らの動きは見えない。沫村からは手を引いたと思われるが。

 だが不気味である。

「都の奴らと協力して土蜘蛛がここへ来るかもとか?」

 朱音はすぐにないないと否定した。

 土蜘蛛は都をたいそう恨んでいる。千年も超える異常な執念で。

「まさか………土蜘蛛が朝廷を利用する、という」

「ありえるだろう」

 椿鬼の土地を手に入れるために水面姫を利用していた。

「如何なる手を使おうと空閑御の結界はそうそう解けるものではない。が、用心すべきだろうな」

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