4.蹈鞴場
千紘はどうしても気になった蹈鞴場へ行きたいと言った。しかし、小鬼はあそこは汚れるし姫が行くにはあまりふさわしくないと言い連れて行こうとしなかった。
千紘はむくれながらふと思い出し葛篭の中からあるものを取り出しそれを小鬼に見せた。
「見て」
彼女が小鬼にみせたのは小袖であった。先日、土蜘蛛に誘拐された際逃げ出すときに拝借した町娘の格好。少々汚れがついてしまったが、まだ着れる良い品である。千紘が普段身につける衣装に比べると粗末なものであるが。無事須洛と合流できた後も捨てずに取っておいたのである。
「これを着れば汚れても大丈夫でしょう」
人さまから拝借したものであるが、あのまま返しに行くのはどうも気がひける。しかも泥や道中転んで擦れた部分がある。
鬼にお願いして自分の手持ちの衣装を届けさせたのだ。須洛には千紘の為に揃えたものだったのにと溢されたが、お詫びに見合うものを千紘は持っていなかった。須洛に悪いと思いながらも着物を拝借した娘に届けた。そして例の小袖は未だに自分の手元に置いていた。壺装束よりもずっと身軽に動けたので千紘としてはこちらの方を好ましく思った。
小鬼の見ている前で小袖を身につけ、髪を根元まで一括りにまとめる。どこをどうみてもただの娘の姿である。
「というわけで行きましょう」
千紘は小鬼に道案内させる為に部屋の外を出る。門を通れば小袖姿のことを言われ蹈鞴場に行くのを止められるかもしれない。だからこっそりと抜け出す別の出口から出かけた。
「脱出成功、なんてね」
くすくすと笑いながら千紘は例の蹈鞴場の方へ行く。
行った先でとてつもない熱気に千紘は驚いてしまった。一年で最も暑い時期が来ようとしているが、ここは暑すぎる。建物内の中央に大きな粘土製の炉がおかれ左右に大きな板がある。その板を男たちが踏み続けている。小鬼が説明するにはあれで空気を送り込んで炉の中の温度を調整しているのだという。板を鞴と呼び、だから蹈鞴場と呼ばれているのだという。
蹈鞴場一面から熱気が出ている。あまりの暑さに男たちは上半身裸である。褌だけのものもいた。
「おや、あんた」
年配の女性が千紘に声をかける。
「こんなところで何をしているんだい。もうすぐまかないだから早く済ませるよ!」
そう言い引っ張りだし、別の建物に連れて行かれた。
蹈鞴場には建物が大きく分けて三つ並んでいる。中央の大きな建物は高殿と呼ばれている。蹈鞴を踏む場所であり、山で採取した金属を溶かす場所である。
すぐ横隣にある建物では金属を加工する場所である。蹈鞴の中にもあるがここでは細かな装飾を施すのだという。
そして千紘が連れてこられた建物は厨のようであった。五つの窯で米を炊き、それで握り飯を作っている。
「早くしな」
「しなとは何を?」
「若いくせに何ぼけているんだい。握り飯に決まっているだろう!」
握り飯とはたまに小鬼たちが作ってくれるあの米の塊のことだろうか。
どうやって作るかわからないと言うと、女性はあきれたように千紘を見つめた。
「いいかい。こうやってするんだ」
女性は手際よく手を水につけ塩をひとさし、米をわし掴みし転がす。すると米が三角の形になった。
「すごい」
感心する千紘に女性は早くしなと急かす。
「こ、この方は……」
小鬼は千紘にはそんなことをする必要はないと言うが女性はそんなこと聞かなかった。それだけ急いで握り飯を作り終わらなければならないのだろう。
「早く早く………、賄い役の何人か熱で休んでいるから手が全く足りないんだよ」
千紘は教えられたとおりに米をつかむが、あまりの熱さに驚いた。思わず米を放す。
「何をやっているんだい」
「ごめんなさい」
千紘はひりひりする手を撫でながら、謝る。もう一度と挑戦した。今度は熱いのを我慢して何とか一通り終わらせて見せる。だが、女性が作った三角よりもずいぶん不格好なものであった。
女性は呆れて千紘に別の仕事を与えた。
「井戸の水をくんできて」
「水?」
「男どもに仕事の途中に水を与えなきゃいけないからね」
「わかったわ」
千紘は桶を手にして井戸へと行く。水を汲み触れたらひんやりとして気持ちよかった。桶一個分たっぷり汲み、それを蹈鞴場の男たちが作業している場所へ運ぶのだ。
「姫さま、そんなことせずともよいのです」
小鬼は慌てて千紘を止めるが、千紘は桶を持ちあげた。
「お、重い」
「ですからいいのです。戻りましょう」
ここにいては力仕事をさせて怪我をさせてしまいかねない。小鬼はそう説得するが千紘は聞かなかった。
「大丈夫よ。水を運ぶだけだもの」
千紘はふらふらしながら水桶を作業場に運んだ。すると五人の男が水桶に集まり柄杓で水を飲んでいく。
千紘がじっとそれをみていると握り飯を運んでいる女性が叱る。
「何をしているんだい。もっと水を汲んでくるんだ!」
慌てて井戸へ水を汲みに戻る。ふらふらしながら桶を運んではそれの繰り返し、五回程してようやく千紘は休むことを許された。
「ほら」
女性は千紘に柄杓を出す。そこに水がいっぱいになっている。疲れた千紘は無意識にそれを飲み干した。次に余った握り飯を千紘に渡してくれた。
千紘ははむと一口食べる。塩気が身にしみる。これ程おいしいと感じたのははじめてである。それを口にすると女性は笑った。
「当たり前だ。働いた後に食べれば美味しいにきまっている」
そういうものなのか。千紘は何気ない握り飯を見て考えた。いつも食べている米と違い少し古い。具も何も入っていない。だが、千紘にとってそれは美味しいと感じた。
「今度はちゃんと握り飯ができるように母親に教えてもらうんだよ」
「………」
女性の言葉に千紘は表情を曇らせる。
「母は生まれた時に死んじゃったの」
だから教えてもらうことなどできない。乳母も千紘が幼い頃に死んでしまったから千紘は何も教えてもらっていない。
それを聞いた女性は悪いことを言ってしまったと罰の悪そうな顔をした。
「ちょっとおいで」
そう言い案内されたのは先ほどの厨。余ったごはんが桶の中に少し残っていた。
「もう一度つくってごらん。もう熱くないから」
千紘は手を洗ってから米を触っても見る。確かに女性の言うとおりもう熱くない。それを一握り掴んだ。
「次はこうしてごらん」
言われるまま手を動かし、米を握る。先ほどよりまともな形の握り飯ができあがった。
「うん、まだひどい形だけどさっきよりましだね。何度か作ってるうちにうまくなるからまたおいで」
「いいの?」
「夏ばてで休んでいる奴が多くて人手が足りないんだよ。それで人数分の飯作らなきゃいけないし」
「明日つくっているの?」
「ああ、昨日から火を入れてから蹈鞴は休むことなく踏み続けるからね。だから朝餉と夕餉はかならず作る必要がある。途中に握り飯を食べて水分補給するために作らなきゃならん」
とにかく体力を使う労働であるため、なるべく食料と水分は補給させなければならない。
「ずっと踏み続けてるの………いつ休むの?」
年配の女性の名は藤という。彼女は千紘が母親のいない子だから何も知らないのだと考えいろいろ教えてやった。
「交代制だからずっと同じ人が踏み続けているわけじゃないよ。昨日火を入れたばかりだから明後日までは気が抜けないね。」
藤が言うには炉の火をつけたら三日三晩蹈鞴は踏み続けないといけないというのだ。確かにそれまでは気が抜けないだろう。
「大変なのね」
「でも、良質な鉄が手に入る。それがこの里の大きな収入源なんだよ」
そのおかげで里は外から様々なものを手に入れることができる。山ではとれない薬草もその収入で手に入れているのだという。
◇ ◇ ◇
館に戻った千紘は小鬼にお願いして米をたいてもらった。それで握り飯の作り方を習得しようと思ったのだ。
「握り飯にも具がいろいろありまして、梅などが人気です」
「あとはおかか、鮭もおいしいですよ」
小鬼たちは具を用意してもってきてくれた。千紘はそれを使いいくつか握り飯を作る。はじめは熱いごはんもだいぶ慣れたと思う。
「握り飯か」
須楽が千紘の部屋に入ってきて呟いた。
「どうしたんだ。突然。腹が減ったなら小鬼に用意してもらえばいいだろう」
「うん、作ってみたくなって小鬼に教えてもらっていたの」
「ほう………ひとつもらっていいか?」
「いいわよ。たくさん作ったからいくらでも食べて」
千紘は器に並べられた握り飯を差し出す。須洛はそれを掴みむしゃむしゃと頬張る。
「うまいな」
「本当に」
彼が食したのは千紘の作った握り飯である。まだ綺麗な形で作れないが、須洛はあえてそれを選んだ。
「俺が千紘に嘘を言うのか?」
「………そういう意味じゃなくて、気をつかっているのかなて思って」
その言葉に須洛はきょとんとした。
「何故? 俺が千紘に気をつかう必要がどこにある」
「そう、ね」
婚儀当初は不慣れな千紘にいろいろと気をつかっていたが、今ではその様子はない。夜なんて千紘にべったりだし。
千紘に薦められるまま須洛は3つ目の握り飯を平らげた。
「ふぅ、食った食った」
腹を押さえ満足げに横になる。千紘の膝に手を添えてゆっくりと須洛は頭を膝の上に乗せた。下を向くと須洛の端正な顔立ちが見えて千紘はほうっとした。
(本当に綺麗な顔だちなのよね)
珍しい紅葉色の瞳に褐色色の肌、翡翠色の瞳はとても神秘的な美しさがある。何度見とれたかしれない。
そっと髪の毛を触れる。朱音が言うにはぼさぼさの手入れの行きとどいていない髪だと貶すが、そこまでひどい触り心地ではないと思った。
頭を撫でながらこつりと硬い突起に触れた。髪に隠れる程の小さな角。ふしぎな感触で千紘はそれについ何度も触れたくなる。
そのたびに須洛は苦い表情をした。
「ごめんなさい。いやだった」
「ん………いや」
以前、朱音より聞いたことがある。鬼の角のことを。
この里の鬼たちは誰でも角が生えている。最近では髪で隠れる程度のものであるが、須洛はその中で珍しく美しい角を持っていたという。髪に隠れる程度ではなく雄々しく七色に光る角であったという。しかし、それを失い須洛は命を落としかけた。奇跡的に新たな角が生え、一命を取り留められたがその角はかつての美しいものとは比べ物にならない歪なもので須洛はこれをたいそう気にしているという。
誰も角の話はしないし、須洛もあまり角に触れようとしない。ましてや誰にも触れさせようとはしなかった。
千紘が触れ、気にしていないと口にしながらも彼女の手を握りそっと自分の頬に触れさせた。
「米粒がついているな」
須洛はにやりと笑って千紘を見上げた。恥ずかしさのあまり千紘は手を拭こうと手ぬぐいに手を伸ばそうとした。しかし、須洛にぐっと強く握られ手ぬぐいをとることができなかった。代わりに須洛が手ぬぐいをとり、それで千紘の手を拭いてやった。
「あ、ありがとうございます」
「小さな手だ」
須洛は優しげに千紘の手を見つめた。
「この小さな手でよくあれだけの握り飯を握ったものだ。しかし、何故突然握り飯を」
「え、えーと」
千紘はどう話せばいいかわからなかった。今日は蹈鞴場に行き、そこで賄いの手伝いをしてあまり役に立たず何かできるようになりたいと思い小鬼に教えてもらっていたのだ。だいたいのこつは蹈鞴場で出会った女性に教えてもらったのだが。
話せば長くなってしまう。まとまりがなくなってしまう。
うまく話せないものかと思案していると須洛は握り飯の感想を口にした。
「うまかった」
「あ、うん………ありがとう」
「とてもうまかった」
須洛はぎゅっと千紘の手を握り再び頬に触れさせた。
千紘は何も言わずただ須洛の頬の温もりを感じ取った。
何か言わなければと思ったが何も声に出なかった。須洛の言葉はとても強く千紘の胸に響いていたのだ。




