手の平返し
1.甘やかな地獄のあとで
地下室の低い天井から、朝の冷たい光がわずかに差し込んでいた。
「ん……ぁ、あ……」
クロトの寝床である、固く薄い藁布団の上。エレノアは、乱れた金髪の間から覗く白い肌を汗ばませ、未だに小さく身体を震わせていた。
彼女のネグリジェは完全に肌蹴け、豊かな胸の膨らみが、クロトの粗末な麻服にぴったりと押し付けられている。夜の間中、クロトの手首を掴み、そこから逆流する「未知の魔力」の快感に脳を焼かれ続けた彼女は、今や幼児のように無防備な寝息を立てていた。
「……っ」
生唾を飲み込みながら、クロトはそっと自分の身体を引き剥がした。
一睡もできなかった。隣から漂う甘く熟れたような雌の匂いと、寝返りを打つたびに太ももや胸が擦れ合う感触に、童貞の脳と身体は一晩中狂わされっぱなしだった。下半身はいまだに痛いほどに猛り狂っており、彼は恥ずかしさと情けなさで顔を真っ赤に染めながら、大急ぎでズボンの位置を直した。
(本当に、どうなっちまったんだ。俺も、このお嬢様も……)
自分の胸の奥を見つめる。
昨日、あれほどエレノアに魔力を「返した」はずなのに、胸の奥の核――【絶対特異点】は、まるで底なしの深淵のように、未だに冷徹で強大なエネルギーを湛えている。むしろ、エレノアと肌を合わせていたことで、その繋がりはさらに太く、強固に固定されてしまったような不気味さがあった。
カラン、と部屋の隅で、昨日エレノアが引きちぎった高級な魔導ローブのボタンが虚しく転がった。
「エレノア様。起きてください。もうすぐ朝の点呼が始まります」
クロトが肩を揺らすと、エレノアはうっすらと青い瞳を開いた。その瞳は、かつての傲慢な光を完全に失い、潤んだまま、まっすぐにクロトを見つめてくる。
「く、クロト……。私、また、変になっちゃってた……?」
彼女は顔を真っ赤にし、急に恥じらうようにシーツの代わりのボロ布で胸元を隠した。
昨夜の狂乱の記憶はあるのだろう。奴隷と見下していた男の身体に、自ら裸で縋り付き、声を上げて身悶えしていたという事実に、彼女の理性が辛うじて羞恥心を思い出させたようだ。
「……とにかく、早く着替えて部屋に戻った方がいいです。これ以上ここにいたら、本当に取り返しがつかなくなります」
「あ、ええ……そうね。分かったわ……」
エレノアは弱々しく頷き、震える手で乱れた衣服を整え始めた。
その細い背中は、魔力を失ったただの非力な人間の少女そのもので、昨日までの威圧感はどこにもなかった。
2.女王の失脚、牙を剥く羊たち
しかし、一度地に落ちた女王を、この学院の住人たちが許すはずがなかった。
昼休みの大演習場裏。
かつてエレノアが女王として君臨していたその場所で、今は全く逆の光景が繰り広げられていた。
「――ねえ、エレノア様。聞こえなくて? この薄汚れたモップで、私の靴についた泥を拭き取りなさいって言っているのよ」
不快な笑い声を上げているのは、緑髪の令嬢・セリアだった。
彼女の背後には、昨日までエレノアの腰巾着として這いつくばっていたAクラスの令嬢たちが、これ見よがしに腕を組んで並んでいる。
中央で地面に膝をついているのは、エレノアだった。
彼女の手には、泥水で汚れた雑巾が握られている。昨日、クロトに対して「靴を磨け」と命じていた彼女が、今やかつての取り巻きたちの前で、床に這いつくばらされていた。
「どうしたの? ヴァイスハイト公爵家の天才お嬢様が、魔法の一つも使えないなんて。昨日のあれ、何かの冗談かと思ったけれど、本当にただの『無能』に成り下がったのね!」
セリアが容赦なく、風属性の微弱な魔法でエレノアの手元を弾いた。
バチィン! と鋭い音がして、エレノアの手から雑巾が吹き飛ぶ。
「きゃっ……!」
エレノアは短く悲鳴を上げ、地面に手を突いた。
「無能化」の噂は、瞬く間に学院全体に広がっていた。公爵家からもすでに見捨てられたという情報が回り、令嬢たちは一斉に、これまでの鬱憤を晴らすかのように手のひらを返して襲いかかってきたのだ。
「ウフフ、本当に傑作ね! 魔力のないヴァイスハイトなんて、ただの出来損ないの雌豚じゃない!」
「ねえ、セリア様。この泥棒猫の服、剥ぎ取って演習場の真ん中に晒してやりましょうよ。昨日、あの雑用係のゴミ虫にやらせていたみたいに!」
「それ、名案ね! おい、無能。自分で服を脱ぎなさい。お前のようなゴミに、その高級な制服を着る資格なんてないわ!」
セリアの言葉に、周りの令嬢たちが一斉にエレノアを取り囲み、彼女の制服の襟元に手をかけた。
「嫌……! やめて! 触らないで……っ!!」
エレノアは涙を流して抵抗したが、魔力を持たないただの少女の筋力では、複数人の令嬢たちの力に敵うはずもなかった。ビリリ、と小気味良い音を立てて制服の肩口が破かれ、彼女の白い肌が昼光の下に晒されていく。
「あはは! 素晴らしいわ! もっと泣き叫びなさいよ、元・女王様!」
嘲笑の嵐の中、エレノアは絶望に瞳を染めた。
誰も助けてくれない。かつて自分が他人に強いてきた理不尽が、今、何倍もの質量になって自分を圧殺しようとしている。
(誰か……誰か助けて……! クロト……クロト……っ!!)
彼女の心の中で叫ばれたのは、実の父親でもなく、神でもなく、あの地下室の少年の名前だった。
3.無自覚な影
「――おい、何やってんだ」
その時、令嬢たちの背後から、至極場違いな、抑揚のない声が響いた。
令嬢たちが一斉に振り返る。そこに立っていたのは、バケツとブラシを持った雑用係の少年、クロトだった。
彼はいつも通りのボロボロの麻服を着て、ただ仕事の途中で通りかかっただけ、という風な無防備な佇まいで佇んでいた。
「な、何よ貴様は……! ただのゴミ虫が、私たちの『お遊び』に口を挟む気?」
セリアが不快そうに顔を顰め、クロトを睨みつける。
しかし、その場にへたり込んでいたエレノアは、クロトの姿を見た瞬間、まるで極限の砂漠でオアシスを見つけたかのように、その瞳に狂気的な光を宿らせた。
「クロト……っ! ああ、クロト……!!」
エレノアは破かれた服の胸元を押さえながら、なりふり構わずクロトの足元へと這い寄ろうとした。その姿は、完全に飼い主に縋る雌犬のようだった。
「ちょっと、エレノア! どこへ行くのよ!」
セリアが激昂し、エレノアの背中に向けて、容赦なく攻撃魔法の呪唱を開始した。
「生意気なのよ、無能のくせに! 『炎弾』――!」
セリアの指先から、激しい熱量を持った炎の塊が形成され、エレノアの背中へと放たれた。直撃すれば、ただでは済まない威力だ。
「危ない――っ!」
クロトは反射的に、エレノアの身体を庇うようにして前に飛び出した。
女性の裸体や、目の前で行われているいじめへの戸惑いで、童貞の心臓はバクバクと破裂しそうだったが、目の前で少女が焼き尽くされるのを黙って見ていることなど、彼の良性が許さなかった。
ドズゥン!!
炎の塊が、クロトの背中に直撃した。
「クロトぉぉっ!?」
エレノアが悲鳴を上げる。
しかし――。
演習場に響いたのは、魔法が炸裂する爆音ではなかった。
シュウウゥ……と、まるで冷水に飛び込んだ炭のように、セリアの放った炎弾は、クロトの背中に触れた瞬間、何事もなかったかのように「消滅」したのだ。
「え……?」
セリアが呆然と自分の指先を見つめる。
「な、何よ今の……? 私の魔法が、消えた……?」
それだけではなかった。
クロトがそこに立ち、セリアたちを「見た」その瞬間。
クロトの胸の奥の【絶対特異点】が、無自覚にその凶悪な引力を周囲へと放射した。
ピキィィン、と大気が凍りつくような、目に見えない衝撃が周囲の令嬢たちを襲う。
「あ、あれ……? 体が、重い……?」
「魔法が……魔力回路が、繋がらない……!?」
セリアたちの顔から、一瞬で血の気が引いていった。
彼女たちが体内に持っていた誇り高き魔力が、クロトという「深淵」に向けて、目に見えない大気の流れとなってズルズルと吸い出され始めたのだ。彼女たちは、自分たちに何が起きているのか全く理解できないまま、ただ圧倒的な喪失感と疲労感に襲われ、その場に次々と膝をついた。
「な、何これ……! 息が、できない……っ!」
セリアたちは恐怖に怯えながら、互いに支え合うようにして、這うようにしてその場から逃げ出していった。
「……エレノア様、大丈夫ですか?」
クロトは、激しく脈打つ心臓を押さえながら、彼女の前にゆっくりとしゃがみ込んだ。
間近で見る、破られた衣服からこぼれ出るエレノアの白い胸の膨らみや、恐怖に怯える生々しい裸体に、童貞の脳内はまたしてもパニック寸前だった。顔がカッと熱くなり、どこに目を向ければいいのか分からない。
「あ、あ、クロト……クロト、クロト……っ!」
しかし、エレノアはそんなクロトの動揺などお構いなしに、自ら彼の傷だらけの胸元へと飛び込んできた。
ぎゅううっ、と、彼女の柔らかく熱い裸体が、クロトの麻服に強烈に押し付けられる。
「ひゃうっ……っ!?」
クロトの口から情けない悲鳴が漏れた。
胸に押し当てられた二つの柔らかな塊の感触。あまりの快感と刺激に、クロトの下半身は一瞬で限界まで硬直する。
だが、肌と肌が接触したその瞬間――クロトの胸の奥の核から、セリアたちから吸い取ったばかりの新鮮な魔力が、濁流となってエレノアの体内へと逆流した。
「あ――、あぁぁぁぁぁっっっ!!!」
エレノアは白目を剥き、クロトの首にしがみついたまま、激しく身体を震わせて絶頂した。
脳の神経を直接電流で焼き焦がされるような、圧倒的な肉日的快感。セリアたちにいじめられ、絶望のどん底にいた彼女の精神は、クロトから与えられたその「極上の毒」によって、一瞬で脳を溶かされ、至上の幸福へと塗り替えられていく。
「あ、は、あぁ……! これよ、これが欲しかったの……っ! クロト、クロトぉ……っ!」
エレノアは口元からだらしなく涎を垂らし、完全にトロンと濁った瞳で、クロトの顔を両手で強引に挟み込んできた。
「え、あ、エレノア様――っんむ!?」
拒絶する隙すら与えられなかった。
熱い吐息とともに、エレノアの柔らかく湿った唇が、クロトの唇へと力任せに押し付けられた。
「ん、んぅぅ……ッ! ぬ、ぅ……!」
クロトの脳裏が、真っ白な閃光に塗りつぶされる。
人生で一度も経験したことのない、本物の女性との、それも国一番の美少女とのキス。
驚愕で目を見開くクロトの口内に、エレノアは躊躇なく、自身の熱く濡れた舌を割り込ませてきた。
「んはっ……ふ、ぐぅ、ぅん……っ、れろ、ちゅ、ぅ……」
ヌルリとした滑らかな感触が、クロトの歯列をこじ開けて侵入してくる。
それは童貞の想像を遥かに超えた、圧倒的に生々しい「肉」の質量だった。エレノアは完全に理性を失っており、本能のままにクロトの舌を自分の舌で巻き込み、吸い上げ、激しく絡め取っていく。
絡み合うたびに、ジュブ、クチュ、と、卑猥で不快なほどに甘い水音が二人の間で響き渡る。
(な、にこれ……っ! 舌が、頭が、溶ける……っ!!)
鼻腔を突き抜けるのは、エレノアの甘い唾液の匂いと、彼女の身体から発せられる強烈な雌の芳香。口内を隅々まで蹂躙され、貪られるように吸われる感覚に、クロトは背筋がゾクゾクと痺れ、指先一つ動かせないほどの衝撃に硬直した。
初めて知る、女性の口の中の熱さと、柔らかさ。
吸い尽くされそうなほどの吸引に、クロトの頭の芯がジーンと痺れ、意識が遠のきそうになる。下半身は破裂しそうなほどに猛り狂い、ズボンを突き破らんばかりに大きく自己主張していた。恥ずかしさとあまりの快感に、涙が滲む。
「ん、むぅ……ちゅ、ぷはっ……ハァ、ハァ……っ!」
ようやく唇が離れたとき、二人の間には銀色の唾液の糸が、いやらしく長く伸びて切れた。
エレノアは口元を濡らし、完全にトロンと濁った瞳で、クロトの顔に何度も自分の顔を擦り付けてきた。
昼間の高慢な女王のプライドなど、もうどこにもない。彼女は今や、クロトの唇と、そこから注がれる快感に完全に脳を支配された、哀れな『調教済みのメス』へと成り下がっていた。
「あ、は、あ……もっと、もっと頂戴、クロト……私を、あなたのキスでめちゃくちゃにして……っ」
「ま、待ってください、エレノア様……っ。もう、頭が、おかしくなりそうで……っ」
童貞のクロトは、彼女の凄まじい肉体のアプローチと、自分の身体の獰猛な反応に翻弄され、ただ顔を真っ赤にして涙目で狼狽するしかなかった。
少年は何一つ意図していない。
だが、彼を虐げていたはずの世界の女王は、自ら泥濘へと足を踏み入れ、彼の足元でしか生きられない身体へと、確実に作り変えられていくのだった――。




