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2/11

サンドバッグ

1.生きた標的

「――おい、立てよゴミ虫。まだ三発しか耐えてないぞ?」

ドズゥン!!

内臓を激しく揺さぶる鈍い衝撃が、容赦なく腹部に叩きつけられた。

「ガハッ……ッ、ゲホ、ォ……!」

石造りの硬い床へと激しく転がされ、喉の奥からせり上がってきた胃液混じりの血を盛大に吐き出す。視界がチカチカと不快な赤色に染まり、全身の骨が軋み、肉が引き裂かれるような激痛が遅れて脳を支配した。

「ウフフ! 見てご覧なさい、エレノア様。この無能、魔力値『1』のくせに、私の『圧縮風弾エア・バレット』を直撃させてもまだ息をしていますわ!」

扇子を優雅に揺らしながら、サディスティックな歓喜に瞳を輝かせているのは、緑髪の令嬢・セリアだ。

放課後の大演習場。結界に囲まれたその広大な空間は、今や一人の少年を嬲り殺すための密室と化していた。Aクラスのエリート令嬢たちにとって、魔力を持たない雑用係を「生きた魔法のサンドバッグ」として消費するのは、日々の厳しい修練の合間に行われる、ちょっとしたストレス解消の『お遊び』に過ぎない。

演習場の中央に設えられた、背もたれの高い豪華な椅子。そこに深く腰掛け、退屈そうにこちらの様子を見下ろしているのは、学院の頂点たるエレノア・フォン・ヴァイスハイトだった。

陽光を浴びて黄金に輝く髪を気怠げになびかせ、特注の豪奢な制服に身を包んだ彼女は、路傍の虫ケラを検分するような冷酷な目でこちらを凝視している。

「セリア、そんな低級魔法では生ぬるいわ。明日の公開演習のウォーミングアップにもなりゃしない。……クロト、服を脱ぎなさい」

エレノアの冷徹な鈴の音が、高い天井に反響した。

「……え?」

聞き間違いかと思い、血にまみれた顔を上げる。しかし、そこに不条理な慈悲など存在しなかった。

「耳まで腐ったの? 服を脱げと言っているのよ。貴様の薄汚い麻服が妙なクッション代わりになって、セリアの魔法の威力を殺しているわ。上半身を裸にして、まととしての役割を正確に果たしなさい。それとも、今すぐその首を吹き飛ばされたいのかしら?」

この学院において、奴隷雑用係に拒否権などという上等なものは与えられていない。逆らえば、明日の朝には行方不明者として処理されるだけだ。

震える手で、汗と泥と血に汚れた粗末な上着のボタンを外していく。じっとりとした空気の中に、生傷だらけの細い上半身が露わになった。

令嬢たちは、その無防備な肉体を目にした瞬間、一斉に卑俗な歓声を上げた。

「あら、良い身体。傷のつけ甲斐がありますわね!」

「エレノア様、次は私が火属性の『焦熱鞭フレイム・ウィップ』の精度を試してもよろしいですか?」

「ええ、許可するわ。泣き叫ぶまで、その白い肌を焼き尽くしなさい」

エレノアは残酷に唇を歪め、顎をしゃくった。

「ガハッ……! ぁ、ぐ……っ、ああぁッ!」

それから一時間、地獄のような時間が続いた。

何の遮蔽物もない裸の身体に、容赦なく熱線や衝撃波が叩きつけられる。皮膚が弾けて肉が爆ぜ、赤黒い液体が床に滴り落ちていく。

痛い。狂いそうなほどに痛い。だが、声の限り叫ぶことはしなかった。ここで泣き叫べば、彼女たちの嗜虐心をさらに刺激し、お遊びが長引くだけだと経験から知っていたからだ。奥歯が砕けるほどに噛み締め、ただ嵐が過ぎ去るのを待つ。

ただ、意識が朦朧とし、死の恐怖が脳裏をよぎる中で、奇妙な感覚が肉体を包み込んでいた。

激痛のそのさらに奥底。胸の真ん中にある、魔力値「1」と測定されたあの出来損ないの核。それが、彼女たちの魔法が直撃するたびに、ドクン、ドクンと、心臓の鼓動とはまったく異なるリズムで、冷たく、深く脈打っているのだ。

そして、身体に受けているはずの致命的な破壊エネルギーが、皮膚に届く直前でその「核」へとズルズルと吸い込まれ、霧散しているような、奇妙な錯覚を覚えた。

(なんだ、これ……。俺の体の中で、一体何が起きてるんだ……?)

自分の身体でありながら、まるで得体の知れない「底知れぬ怪物」が心臓の隣に居座っているような、おぞましい不気味さ。理由も仕組みも分からない「未知」が、激痛の裏側で静かに、しかし確実に存在感を増していた。

2.深夜の訪問者

真夜中。地上からの光が一切届かない、地下の奴隷雑用係室。

湿った石壁に囲まれた薄暗い部屋で、上半身に無数の凄惨な火傷と打撲の痕を刻まれたクロトは、痛みに顔を顰めながら、手製の安価な薬草を傷口に塗り込んでいた。

「……はは、流石に今日は笑えないな」

ポツリと漏れた独り言は、狭い部屋の空気に虚しく吸い込まれていく。

怒りや憎しみがないわけではない。だが、平民の、それも魔力を持たない者が高貴な貴族に復讐するなど不可能な世界だ。そんな夢想をする時間があるなら、この不気味な体質に怯えながらも、明日という日をどう生き延びるかを考える方がよっぽど建設的だった。

その時だった。

バタン!!

静寂を切り裂いて、地下室の古びた木製の扉が、壊れるような音を立てて跳ね上がった。

「ハァ……ハァ、ハァ……ッ!」

あまりの大きな音に肩を強張らせて入り口を凝視すると、そこには、深夜の凍てつく寒さの中、薄いシルクのネグリジェ一枚だけを身にまとったエレノアが立っていた。

日中の、あの凛とした高風な女王の姿はどこにもない。

美しく整えられていた黄金の髪は狂ったように乱れて肩に張り付き、健康的な血色の良かった顔は幽霊のように真っ白に変わっている。その美しい青い瞳は、何か恐ろしいものでも見たかのように恐怖と混乱で完全に血走っていた。

「……エレノア、様?」

驚愕のあまり咄嗟に立ち上がろうとしたが、昼間の傷が激しく痛み、姿勢が崩れた。上半身裸のまま、床に片膝をつくような不恰好な姿勢で彼女を見上げる。

「貴様……っ、貴様ね……!! 私に何をしたのよ!!」

エレノアは遮二無二叫び、クロトの首を締め上げるかのように両手を伸ばして掴みかかろうとした。

しかし、その足元は生まれたての小鹿のようにガクガクと小刻みに震えており、クロトの身体に触れるよりも前に、自らバランスを崩して冷たい床へと崩れ落ちた。

「魔力が……出ないのよ……! 一滴も、何も……! 体内が完全に空っぽで、火一つ点けられない……! 明日は……明日は建国記念の公開演習なのよ!? 観客や他国の賓客の前で私が魔法を使えなかったら、私は……ヴァイスハイト公爵家は、すべておしまいよ……!!」

エレノアは狂乱したように何度も床を叩き、涙をボロボロと流して絶叫した。

魔力こそがすべてを決定するこの国において、最強と謳われた天才が「無能化」する。それはただの没落ではない。地位の強制剥奪、地下監獄への幽閉、あるいはそれ以上に悲惨な末路を意味していた。

「魔力が、出ない……?」

その告白を聞いたクロトの脳裏に、困惑が広がった。彼女の取り乱し方は尋常ではなく、嘘を言っているようには見えない。

だが、なぜそれを自分に訴えるのか。理由が分からず硬直していると――エレノアがにじり寄ってきた瞬間、クロトの胸の奥にあるあの「核」が、これまでにないほど激しく、狂ったようにドクンドクンと拍動を開始した。

冷たい、底なしのブラックホールのような引力。それが、目の前で錯乱しているエレノアの身体へと、目に見えない触手を伸ばして体内のエネルギーを貪り食っているような、おぞましい感覚が全身を駆け巡る。

(まさか……俺のこの出来損ないの身体が、エレノア様の魔力を……本当に奪ってしまったのか?)

日中、裸のサンドバッグとして彼女たちの魔法の暴力を受けていた時、俺の内の「怪物」が、持ち主の意志とは無関係に、彼女たちの誇りである魔力を根こそぎ吸い尽くしてしまったのではないか。

自分の体の中にいる「何か」が、世界の絶対強者を無自覚に干からびさせた。その恐ろしい事実に、クロト自身が一番強い恐怖を感じていた。

3.崩壊する天秤

「お願い……、何でもする、何でもするから……! 私の魔力を返しなさいよ……!!」

エレノアは屈辱にまみれながら床を這い、奴隷雑用係の足元に必死に縋り付いた。

数時間前、演習場でクロトの服を無理やり脱がせ、生きた標的にして嘲笑っていた少女が、今は薄絹一枚の姿で、地下の埃にまみれて泣き叫んでいる。

「返しなさいって言われても……俺には、どうすればいいのか分かりません」

本当に、どうすればいいのか分からなかった。力の引き出し方も、返し方も、何もかもが未知の領域なのだ。

クロトは困惑し、あまりの取り乱しように同情すら覚えながら、縋り付いてくる彼女の細い肩にそっと手を置いた。せめて一度、自分から引き離して落ち着かせようとした、ただそれだけの接触だった。

しかし、その傷だらけの手のひらが、エレノアの白く滑らかな肌に触れた、まさにその瞬間。

「あ――、あぁぁぁぁぁっっ!?!?」

エレノアは突如、落雷でも受けたかのように背中を極限まで弓なりに反らせ、この世のものとは思えない艶っぽい悲鳴を上げた。

クロトの手を通して、胸の奥の「核」に溜まっていた濃密なエネルギーの残滓が、ほんの一滴だけ、彼女の体内の空っぽな回路へと逆流したのだ。

それは、通常の魔法の循環とは次元の違う、脳の神経を直接焼き焦がすような、圧倒的な肉日的快感だった。

極限まで干上がっていた砂漠のような肉体に、最高純度のエネルギーが無理やり流し込まれる衝撃。

エレノアの青い瞳は一瞬でトロンと濁り、言葉にならない声を漏らしながら、口元からだらしなく涎が垂れた。

「あ、は……、何、これ……。身体が、お腹の奥が、熱くて、壊れちゃう……っ!!」

「エレノア様!?」

その異様な反応に恐怖を覚え、クロトがパッと手を離すと、エレノアの顔に明確な『喪失感』と、飢餓感に満ちた『飢え』の表情が浮かんだ。

彼女は狂ったように首を振り、自らクロトの傷だらけの胸元へと、ネグリジェをはだけさせた裸の身体を激しく擦り寄せてきた。

「嫌……離さないで……! もっと、もっと触って……! あなたの手が触れると、頭がおかしくなっちゃうの……!!」

「待ってください、離れて――」

「嫌よ! 嫌! もっと頂戴、お願い……っ!!」

日中、クロトを虫ケラのように見下し、踏みにじっていた高慢な女王は、今や奴隷の手の温もりと、そこから流れ込む未知の快感なしでは息をすることすらままならない、哀れな『肉体の奴隷』へと変わり果てていた。

クロト自身は何一つ意図していない。復讐を企てたわけでも、力をコントロールしたわけでもない。

ただ、薄暗い地下室の床で、半裸の少年に狂ったように縋り付き、その温もりと身体を激しく求めて咽び泣く公爵令嬢の、熱い吐息だけが不気味に響いていた。

主従関係の歪んだ崩壊は、誰の意志でもなく、世界の理の範疇を超えたところで、すでに始まっていた――。

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