22.
暗いトンネルの向こうは異世界でした。
って私からすれば、トンネルの中も異世界だけどね。トンネルの向こうは雪国でした的なギャップであると考えていただければ分かるかな。
なぜなら暗いところから光の強いところに出て、目が眩む!って訳だけじゃなく、金銀キラキラの装飾品の数々が本当に私の目を眩ませていたのだから。
うん、正直舐めてた。だって普通の民家から、こんな豪勢なところに出るなんて思ってもみないでしょ!
お城もこの街の別邸も充分豪華だと思っていたけど、それを抜いてこの高級宿は豪華だ。
四方どこ向いても煌びやかだし、5メートル間隔で宝石のついた壺を置く必要はあるのだろうか?いや、ない。
成金趣味と紙一重な周囲を見回していると、目が疲れてきたのか本当に痛くなってきた……。
「うぅ……目がチカチカする」
「ここは特に豪華絢爛に造られていますからね」
高級そうな赤い絨毯を恐れもなく進むルーイにただ着いていくしかない。いくつか曲がったり真っ直ぐ進んだりしていると、十字路に出る。
そういえば誰ともすれ違わないなぁって思っていたら、早速目の前から歩いてくる第一宿泊人発見!ってこんなノリを顔に出せるわけもなく、廊下の隅に寄ってやり過ごす。
向こうは使用人など気にもかけてないのか、そのままスルー。かと思いきや。
「すまないが、翠玉の間はどちらにあるか解るかね?」
「はい、ご案内致します……君はこの先を左に曲がったところにあるラウンジの準備を頼む」
前半は宿泊客へ、後半は私に向けてルーイは答える。
一見にこやか表情を浮かべているが、目は何処と無く焦っている様子からこれが想定外の出来事だというのが解る。
とりあえず、その部屋で隠れていろと言うことなのだろう。了承の答えの代わりに頭を下げて、二人を見送る。
ここに着いてから渡されて着替えた今の格好はどうみても使用人にしか見えないし、宿泊客が道を尋ねてくるのも仕方がない。
それもこれも、豪華なくせに似たような作りをしているのが悪いと思う。
四方にやっぱり同じ色の壺が置いてあるし、まるでシンメトリーに拘っているみたいだ。これじゃあ、何処からきたかの目印にもならないよね。
「って、あれ?」
本当にどっちから来たっけ?
忘れちゃいけないけど、私は壊滅的方向音痴だ。地図は読めないし、右に行けと言われれば、なぜか真ん中行っちゃうダメさ加減。
そんな私がぼんやり考えていたらどちらから来たか解らなくなるのは当然だと思うが……何故こんなに方向音痴なんだ。
でも、こっちだよね!だって部屋あるっぽいし……そろりそろりと頼りない足取りで進む。
だってここに立ったままでいて誰かに遭遇してしまったら、私にスルーするスキルはない!
取り敢えずはどこか隠れてやり過ごせばそれでいい。そんな決意で廊下を進んでいると温室みたいなところに出た。
温室風のラウンジって言うのかな。植物園のようなものじゃなくて、日の光が心地よさそうな所にはテーブルセットが置かれている。
緑の配分も邪魔にならず、木々や花花が目を癒すかのような配置だ。
ここが、ルーイの言っていた場所かな?
ぼんやりと辺りを見渡していると、人の声が聞こえてきて近づいているのがわかった。
明らかにルーイの声ではないので慌てて草木の影に隠れる。スカートの裾が土で汚れてしまうのは仕方がない。
声の主をやり過ごそうとしていたら、予想外にもテーブルセットの横のソファーに腰掛けて寛ぎだした。
「……この館は本当に豪華だな」
「そりゃ公国の出資だから見栄も大きくなるさ。公国としても、ウィート国との繋がりになるから金の問題なんてないしな」
どうやら声の感じからして若い男二人組だ。こっそり伺うと、仕立ての良さそうな服装から使用人ではないことが解る。
まあこの温室に来て寛ぎだしたところからして、宿泊客か何かなんだろう。
早くどこかに行ってくれないかな。煙草片手にちょっと一服といった体で、長居をするような感じではないけど……。
「しかしあの噂、本当なのか?昨夜の晩餐会じゃそんな風には見えなかったけどな」
「ああ、ウィート国王夫妻の不仲説」
……はあっ!?
ちょっとなにそれ、詳しく!
私の思いが通じたのか、二人組は少し愉快げに話を続ける。
「王と王妃の間には決定的な決裂があって、最近じゃ寝室も別との、王都ではもっぱらの噂だったあれだろ」
「そうそう、晩餐会じゃそんな様子はなかったけどなーでも案外仮面夫婦だったりして」
「子も王太子一人のみだし、強ち嘘ではないだろ」
「王妃の後見人のクレイ様にでも聞いてみるか?今日ここに来るんだろ」
「まさか、冗談は止めろ。あの人に睨まれたらこの街には二度と出入りできなくなるぞ」
「違いない」
どういうことだろう?
寝室も別って?いや、昨日も一緒でしたけど。
ま、まあ、私に拒否権がなかったから不可抗力での睡眠だけどさ!
「しかし、火の無いところに煙はたたないしな……実際はウィート国王の諸外国牽制のための婚姻だったという説が根強いよな」
「異界の者を得た国には更なる繁栄をもたらす……という言い伝えからだろう。実際ウィート国は列強の中でもさらに繁栄を誇るが」
「まあ王妃が本当に異界のものなら納得はいく話だよ……俺たちの国にも是非来てほしいところだな」
一服が終わったのか、再び立ち上がり二人組は出ていった。多分クレイとの授業に名前ものぼらない国の人達だろう。少なくとも紹介された人々の中には聞いたことのない声だったし。でも晩餐会の様子を知っているところからして、どこかの国の王子か大使だというのは解った。
ううん、そんなことは今はどうでもいい。
それよりさっきの話はもしかして核心をついているんじゃないかな。
私が異世界に来て、ライと結婚した理由……ぐっと胸が痛い気がして、胸元を握りしめる。
違う、別に傷ついてるんじゃなくて……きっとこれは怖いからだ。自分が信じていたものが、全部ひっくり返っちゃいそうで。
「私は……どうして異世界に来たの?」
誰が私を呼んだの?
何で私に優しくしてくれるの?
どうして私を好きになったの?
何故、私はここにいるの?
「その答えは全て『サーシャリー』が持っている」
「っ……だれ?」
誰もいないかと思っていたのに、凛と鈴のなるような可愛らしい声に私の意識が戻ってくる。
ゆらりと視線を向けると、ただ静かにこちらを見ている……今の私よりは若い、ううん、ちょうど私がこちらに来たと言われている歳ぐらいの少女だ。
幼さを残す顔立ちだけどとても綺麗に整っていて、腰まであるさらさらストレートの赤毛とよく合って人形のように可愛らしい。
きっと笑顔ならもっと愛らしいんだろうけど……一文字に結ばれた口許に、翠色の瞳は冷え冷えとした印象を与える。
……直感だったけど、私はこの子を知っている。この子に会いに来たんだ。
「あなたが、アリス?」
「ええ、そう……貴女は覚えていないけど、私はアリステア・リ・ユーフェル」
ユーフェルって確かウィートの近隣にはなかったけど、貿易関係はある国だったような……。
昨日の晩餐会のときにも、ユーフェル公という人を紹介された。でも、きりっとした眉毛が特徴の赤毛のおじさんだけだった。
きっと直接会うのを避けたから、かな。
「さっきの……全ての答えは、私にあるってどういうこと?」
「いいえ、貴女のことではないわ」
え?
でも間違いなく、サーシャリーっていったよね?
私の困惑した表情を読んだのか、アリスはじぃっと更に見つめてくる。
心無しか、その瞳は苛立ちさえも感じるのは気のせいじゃないだろう……恐らく忘れたことにたいして怒っている?
だけど、やがて仕方がないとばかりに溜め息を一つついた。
「サーシャリーは失われた国の後継者……そしてサヤを、貴女を此方側によんだ人」
「え……よんだ、って?」
召喚したのは、ウィルハルトさんじゃなくて?って、ちょっと待って。今、私のこと何て呼んだの?
ずっと呼ばれなれていたはずの名前なのに、どうして違和感があるの?
愕然とした私に、アリスは言い聞かせるかのように更に言葉を重ねる。
「そう。サーシャリーに呼ばれのが、コンノサヤ……貴女のことよ」
そう、私は『今野さや』だ。
サーシャリーという名ではない……それなのに、私は私の名を忘れていた。
……いつから?
答えが知るのが怖くて泣き出したいのに、でもどこか冷静な私がいる。
考えてもみれば最初からあの運命の朝から、私は、違和感もなく別の名を受け入れていた。
普通は突然に違う名を言われても受け入れるはずがないのに、私は当たり前のように返事をしていた。
きっとそれが、私の異世界で辿ってきた『答え』なのだろう。
「……最初から話して」
アリスの望みと私の望みは、恐らく一緒だ。
どうして記憶を失ったのか、その答えもきっと近い。
どんな真実でも受け止める覚悟を決めて、今度こそ真っ直ぐに見つめ返した。