分解
村長の説明は、短かった。
だが、その内容は無機質に削ぎ落とされていた。
食料は配給制。
量は、生き延びるための最低限。
それ以上は、存在しない。
商売は、自由。
だが意味は薄い。
村人たちは、金も財も持っていない。
やり取りするものが、最初からない。
村の外――樹海。
そこでは狩りが許されている。
だが、何が潜んでいるのかは語られなかった。
週に一度、商人が来る。
外から食料を運び込む、唯一の接点。
そのときだけ、売買が成立する。
それだけだった。
説明は、そこで終わる。
余白も、補足もない。
生きるための条件だけが、並べられていた。
村長は背を向ける。
何も言わず、そのまま歩き去っていった。
足音が遠ざかる。
残されたのは、
薄暗い家と、淀んだ空気だけだった。
私たちは、家の中へ入った。
空気が、重くよどんでいる。
扉を閉めた瞬間、外よりも濃い臭いがまとわりついた。
室内には、以前の住人の痕跡がそのまま残っていた。
粗い木の机。
寝台。
使い古された食器。
だが、どれも手入れされていない。
何日も――いや、それ以上か。
蠅が、黒い塊のように群がっていた。
「まずは、これらを洗いましょうか?」
妻は腰に手を当て、袖をまくる。
その仕草だけは、妙に力強い。
「ちょっと待ってくれ。私の仕事は?」
私は、部屋を見回しながら言った。
「世界一のスライム研究者ですよ」
妻は、軽く笑う。
その言葉に、わずかに息が詰まる。
私は荷物を開け、小さな容器を取り出した。
中で、二匹のスライムが静かに揺れている。
蓋を外し、床にそっと置く。
「この子たちに、エサを与えないと」
スライムを解き放つ。
ぬるりとした動きで、床を這い、
やがて食器や寝台へと向かっていく。
そして――
汚れに触れた瞬間、それを取り込みはじめた。
音もなく、ただ吸い込むように。
妻は、その様子をじっと見つめる。
「これは……汚物分解用のスライムですか?」
「ああ」
私は小さく頷いた。
「父さんからの餞別だ。辺境の地だろうから、衛生状態が悪いだろうって」
スライムたちは、黙々と働き続ける。
部屋の中の汚れが、少しずつ消えていく。
私は、その動きをただ見つめていた。
「あらら。私の仕事が一つ奪われてしまいました。しかし、ずいぶん食いつきがいいじゃないですか」
妻が指差す先で、スライムは止まることなく汚れを取り込んでいた。
ぬめりが、床の黒ずみを静かに消していく。
彼女は、その動きに見入っている。
ここまでの反応は、珍しいのだろう。
我が家では、すでに汚物処理は別の方法に切り替わっていた。
「一週間ほど絶食させていたからね。そりゃ食いつきも良いよ」
私は、淡々と答える。
スライムは、なおも貪るように動く。
まるで、この場所そのものを求めていたかのように。
「この村はやけに臭いますけど、BSFは使ってないのでしょうか?」
妻が視線を外さずに尋ねる。
「そうだね」
私は、窓の隙間から入る冷たい空気を感じながら言う。
「BSFは低温では活動を停止する。ここは樹海の南側とはいえ、気温が足りないんだろう」
外の空気は、確かに冷えていた。
湿り気を帯びた冷気が、部屋の奥まで染み込んでいる。
スライムたちは、その中でも変わらず動き続けていた。
「水がいりますね」
妻が、空になった水桶を見下ろす。
「水汲みに行ってこよう」
私はバケツを掴み、外へ出た。
冷たい空気が、肺に入り込む。
「私もついていきます」
後ろから、妻の足音が続く。
井戸と家を、何度も往復する。
水が満ちていくたびに、桶の重みが変わる。
やがて、いくつかの桶が並んだ。
「すまないね。メイドがやることなのに」
口をついて出た言葉だった。
弁解なのか、癖なのか。
自分でも、よくわからなかった。
「一般のお宅では、妻か子供の仕事ですから。メイドを雇っているところの方が少ないですよ」
妻は、軽く笑う。
その笑みに、救われる。
だが同時に、それがどこまで本心なのか、ほんの少しだけ気になった。
私たちは持参した小麦で、簡単なパンを焼いた。
膨らみもなく、香りも乏しい。
ただ、腹を満たすだけの塊。
「この村には仕事がない」
私は、低く言う。
「最低限の食事が与えられて、生きることはできる。だから……仕事をする気力を失った者も多いのかもしれない」
視線を落とす。
妻は、まだスライムを見ていた。
動き続けるそれを、静かに追っている。
そして、ぽつりと言う。
「できることをします」
その言葉が、やけに重く残る。
私にも、できることはあるのか。
「私はただの研究者だ。私にできることなどあるのだろうか?」
答えはわかっている。
それでも、口に出した。
肯定がほしかった。
「あなたは、ただの研究者ではありません。世界一のスライム研究者です」
妻が、私の手を握る。
温もりが、じわりと伝わる。
――そうだ。
私は、世界一のスライム研究者。
ならば、この村も――
「この村は仕事はないが、自由だ。そして、誰も掃除をしない。だから、手始めに……この子たちで、村をきれいにしたいと思う」
私は、スライムへ視線を向けた。
「素敵ですね。掃除をすれば、臭いも減るでしょう。ほら、この家だってずいぶん変わりましたよ」
妻が、室内を見渡す。
確かに――
空気が、少し軽くなっていた。
スライムの身体は、わずかに膨らみ、
動きは鈍くなっている。
それでも、止まらない。
静かに、確実に。
この場所を変えはじめていた。
……
私たちは、村の中を歩きはじめた。
土の道。
傾いた家々。
どこを見ても、人はいるのに、音がない。
「こんにちは」
声をかけても、返事はない。
視線すら、こちらに向かない。
誰もが、互いに干渉しない。
その空気が、村全体に張りついていた。
「村なのに、交流が少ないのだね」
私は、小さく呟く。
「そうですね。村というと、協力が大事ですから……。挨拶くらいは交わすものですが」
妻は少し考えてから、付け足す。
「ある意味、気は楽ですが」
その言葉は、どこか乾いていた。




