腐臭のする村
馬車は、森の奥へと進み続けた。
細い一本道。
左右を覆う木々は濃く、光を遮り、昼でも薄暗い。
何度も休みを挟みながら、
それでも進み続けて――
一週間ほどして、ようやく辿り着いた。
グンダラー樹海の南側の村。
“村”と呼ばれていたが、規模は大きい。
家々が密集し、人の気配もある。
だが――どこか、おかしい。
荷馬車の窓から、私は外を見た。
行き交う人々。
畑に立つ影。
井戸のそばで話す女たち。
誰もが、生気のない目をしている。
視線は定まらず、
表情も薄い。
そして――
鼻を刺す臭い。
腐ったような、湿ったような。
どこからともなく漂ってくる。
一か所ではない。
村全体が、じわりとその匂いに包まれている。
「アルフレッド……この臭いはなんでしょう」
私は思わず、鼻を押さえた。
空気が、重い。
この場所だけ、
何かが淀んでいた。
私は、息を浅くして空気を嗅いだ。
湿った重さの中に、いくつもの層が混じっている。
「糞尿……腐った肉。それに、ホコリと獣の臭い」
口に出したところで、意味はない。
ただ、確かめるように言っただけだった。
御者が、すぐに言葉をかぶせる。
「旦那。ここいらじゃ、いつもこの臭いです」
手綱を軽く引きながら、前を見たまま続ける。
「村人たちの目、見てください。死んだ魚の目をしてる」
私と妻は、もう一度外を見る。
人はいる。
動いている。
だが、誰もこちらを見ない。
外から来た存在に、興味を示す者は一人もいなかった。
ただ、焦点の合わない目で、どこか遠くを見つめている。
御者の声が、低くなる。
「ここは罪人……失礼。旦那は違うが」
一度、言葉を選び直す。
「罪人が流れてくる場所でさ。流刑地です。暴れた連中ってより、政治で落とされた連中が多い。権力者の、なれの果てですよ」
馬車は、ゆっくりと進む。
道の脇に立つ人影。
杖をつく者が、やけに多い。
足を引きずる者。
壁に寄りかかる者。
どこか、身体の一部が壊れているような者ばかりだった。
村全体が、静かに崩れている。
そんな気配が、空気に滲んでいた。
馬車は、村の中央にある広場で止まった。
土がむき出しの地面。
中央には井戸があり、周囲には人影がまばらに立っている。
「お疲れ様でした。じゃあ、私はここで。あそこにいるのが村長です。話を聞いてください」
御者はそれだけ言うと、頭を下げ、
振り返ることなく去っていった。
その背中は、あっという間に人混みに紛れる。
私と妻は、視線を前に向ける。
広場の端。
ひときわ動かない男がいた。
ゆっくりと歩き出す。
土を踏む音だけが、やけに大きく響く。
近づくほどに、周囲の視線のなさが際立つ。
誰も、こちらを見ていない。
「はじめまして。私はアルフレッド・ヒカエル。こちらは妻のマーガレット。これからよろしくお願いいたします」
私は、手を差し出した。
村長は、その手を見た。
握ろうとはしない。
代わりに、私の目をじっと見据える。
長い沈黙。
「あんたは、いつまで正気を保てるかな」
低い声が、落ちた。
風が、土をわずかに巻き上げる。
「……ははは。これは手厳しい」
私は苦笑する。
だが、その笑みは、どこか乾いていた。
「これは、お土産です」
妻がそう言って、荷馬車から降ろした箱を差し出す。
村長は受け取り、細い目をさらに絞る。
白く伸びた顎髭に手をやり、重さを確かめるように揺らした。
「……これは?」
低く問う。
妻は箱の蓋を開け、中身をひとつずつ取り出した。
「こちらは包帯。こちらは針。すべて医療用の道具です」
乾いた空気の中で、その言葉だけがはっきりと響く。
村長の目の色が、変わる。
「あんた……この村に医療が足りないことを知っていたのか?」
鋭い視線が、妻を射抜く。
「いえ」
妻は静かに首を振る。
「夫はスライム研究者で、同僚や知り合いに医療関係者が多いのです。彼らが持たせてくれました。どこでも役に立つからと」
嘘のない声音だった。
村長は、しばらく何も言わずに箱の中身を見る。
そして、ゆっくりと息を吐いた。
「……さっきは失礼した」
わずかに口元が緩む。
「あんたたちが正気を保てるか、なんて話じゃないな」
視線が、広場の向こうへと流れる。
「あんたたちは、この村の連中を――正気に保つ側になりそうだ」
ほんのわずかだったが、
その顔に、確かに笑みが浮かんでいた。
……
「こっちに来てくれ」
村長が手を上げ、近くにいた村人を呼ぶ。
「この荷物をワシの家に運んでくれ。女房に渡せばいい」
声に張りはないが、逆らう者はいない。
呼ばれた男は無言で頷き、箱を受け取った。
「ヒカエルさんだったな」
私は軽く頷く。
「こっちだ」
村長は背に手を回し、ゆっくりと歩き出す。
足取りだけは、妙にしっかりしていた。
私たちはその後を追う。
土の道を、黙って進む。
十分ほどして、足が止まった。
石造りの家。
壁は黒ずみ、窓は閉ざされている。
鼻を刺す腐臭。
蠅が、低く唸りながら飛び回っていた。
「ここがあんたらの新居だ」
村長が言う。
私たちは、言葉を失ったまま立ち尽くす。
「一週間前に、ここの住民が亡くなった」
淡々とした声だった。
村長は、周囲の家々を指さす。
「私たちはヤドカリだ。空いた家に入る。ここで住まなくなるというのは……つまり、そういうことだ」
目を伏せる。
沈黙が落ちる。
「まさか……ここに空きが出ると、人が送られてくるとか?」
妻が、軽く笑うように言った。
「マーガレット、冗談はやめなさい」
私がたしなめる。
その直後だった。
村長が、突然笑い出す。
乾いた笑い。
「いやいや。あんたの奥さん、眼がいい」
肩を揺らしながら続ける。
「その通りだ。この村は定員オーバーしたことがない。常に補充されるんだ」
笑いが、すっと消える。
「ワシはな……それに気づくのに、五年かかった」
空気が、わずかに冷える。
妻の表情から、笑みが消えていた。




