エディバームの樹の下で
連続殺人犯は、三か月前――
何の前触れもなく、自ら姿を現した。
衛兵の詰所に歩み寄り、
淡々と名を名乗り、そして言った。
自分がやった、と。
そのまま、逮捕された。
だが、そこから先が続かなかった。
物証は、何ひとつ出ない。
証言も、積み重ならない。
何より――胴体の行方。
それだけは、決して語られなかった。
尋問は繰り返された。
昼も夜も、声を荒げ、理を尽くし、沈黙を突き崩そうとした。
だが、男は変わらない。
ただ、同じ言葉を、繰り返す。
「エディバームの樹の下で……」
歌うように。
どこか懐かしむように。
それ以上は、何も言わない。
石の壁に、その声だけが反響する。
意味のないはずの言葉が、
なぜか、耳の奥に残り続けていた。
……
宰相は、アルフレッド・ヒカエルをじっと見据えていた。
逃げ場を与えない視線。
沈黙が、わずかに長く続く。
やがて口を開く。
「エディバームの樹の下。この言葉に聞き覚えはあるか?」
低く、探るような声だった。
アルフレッドは一瞬だけ目を伏せ、考える。
そして、ゆっくりと首を振った。
「エディバームの樹……そのような樹は知りません。エディバームが土地の名前であったとしても、その地名は存じ上げません」
言葉は整っていた。
だが、それ以上でもそれ以下でもない。
宰相は小さく息を吐く。
「そうか……」
短い返答のあと、視線を落とした。
「胴体が見つからないのだよ。胴体さえ見つけられれば、抑えることができるのだが……」
その声には、焦りが混じっていた。
宰相の手が、静かに握りしめられる。
指先に力がこもり、白く変わる。
部屋の空気が、またひとつ重くなった。
……
「エディバームの樹の下」――
その言葉は、三か月のあいだ王国を縛り続けた。
広場でも、酒場でも、貴族の食卓でも。
誰もがその意味を測ろうとし、
だが誰ひとり、答えに辿り着けない。
狂人の戯言だと切り捨てる者もいた。
だが、その声はすぐにかき消された。
胴体の戻らぬ帰還。
それは、魂が留まり続けることを意味する。
転生は断たれ、存在は固定される。
そして、それは血筋に刻まれる。
騎士団長をはじめ、娘を奪われた貴族たちは動いた。
私財を投じ、あらゆる可能性を洗い出す。
「エディバーム」
「エディバームの樹」
「エディバームの樹の下」
その断片を手がかりに、調査は広がっていく。
王国中の書庫が開かれ、
埃をかぶった古地図が広げられた。
やがて範囲は国境を越え、隣国へ、さらにその先へ。
記録は探られ、言葉は照合される。
だが――何もない。
その言葉に対応するものは、どこにも存在しなかった。
そして、二週間前。
男は、留置所で死んでいた。
外傷はない。
毒の痕跡もない。
ただ、静かに息絶えていた。
最後まで、何も語らないまま。
扉の閉ざされた部屋に、
答えだけが残されずに消えた。
事件は、そこで止まる。
行き場を失った問いだけが、
王国の中に沈み続けていた。
……
連続殺人犯は、ジェームスと名乗った。
とある貴族の末子だと、平然と語った。
だが、その家に子は存在しない。
記録にも、証言にも、痕跡はなかった。
問いただされるたび、男は同じ言葉を返す。
「エディバームの樹の下で」
まるで、それ以外の言語を失ったかのように。
疑われた貴族は、徹底的に洗われた。
過去の因縁。
出入りした使用人。
金の流れ、手紙、交友関係。
すべてが掘り返された。
だが――何も繋がらない。
ジェームスの存在も、
あの言葉の意味も、
どこにも引っかからなかった。
そして、男が死んだその日。
ひとつの家が、静かに消えた。
貴族の当主と、執事。
二人が、忽然と姿を消した。
部屋は荒らされていない。
争った形跡もない。
ただ、人だけが抜け落ちていた。
捜索は連日続いた。
騎士団が街を巡り、郊外を探り、
あらゆる可能性を潰していく。
だが、見つからない。
時間だけが過ぎる。
そして、一週間前。
王城の門の上に、それは現れた。
二つの首。
風に揺れながら、無言で吊るされていた。
当主と、執事。
誰も気づかなかった。
あの厳重な警備の中で、
誰が、どうやって――。
問いだけが、またひとつ増えた。
……
宰相は、ゆっくりと手を動かし、茶を勧めた。
白い湯気が、静かに立ちのぼる。
ごほん、と小さく咳払いをひとつ。
「イズス家を知っているか?」
探るような声音だった。
アルフレッドはわずかに視線を落とし、記憶をたどる。
言葉を選ぶように、ゆっくりと口を開いた。
「たしか、西の方に領地がある貴族に、そのような名があったような……。申し訳ありません。面識はありません」
それ以上は出てこない。
曖昧な輪郭だけが残る。
宰相は、カップに指を添えたまま、しばらく黙る。
そして、低くつぶやいた。
「連続殺人犯は、自らをジェームス・イズス。イズス家の末っ子だと名乗ったんだよ」
言葉が落ちる。
部屋の空気が、わずかに重く沈んだ。
……
「私はこれからどうなるので?」
アルフレッド・ヒカエルの声は、静かだった。
だが、その奥にわずかな揺れがあった。
王は目を伏せる。
宰相は数秒、彼を見つめ――やがて同じように視線を落とした。
「芳しくはない。原因がわかるまで、どこかでゆっくりしてもらうことになるやもしれん」
宰相の声は穏やかだった。
だが、その言葉に逃げ場はなかった。
「なぜ私が……」
アルフレッドは言いかけて、止まる。
続きを飲み込む。
その沈黙の隙間に、王の声が落ちた。
「生贄のヤギ」
小さく、呟くように。
「ヤギは生贄として、荒野に追放される。君はなぜヤギが選ばれるかわかるかね」
宰相が言う。
その目は、説明しているのか、
それとも正当化しているのか――判別がつかない。
「いえ……わかりません。ヤギが卑しいからでしょうか」
アルフレッドは唇を噛む。
自分自身を、その言葉に重ねていた。
宰相は、ゆっくりと首を振る。
「多くの草食動物は、柔らかい草しか食わん。荒野に送れば、すぐに死ぬ。しかしヤギは違う。植物であれば、堅い草であろうが食いつくす。荒野で生き残れるのはヤギだけなのだよ」
言葉は、淡々としていた。
慰めにも、救いにもならない理屈。
ただ、現実だけがそこにあった。
部屋の中で、誰もそれを否定しなかった。
アルフレッド・ヒカエルは思った。
私はただ医療の為に、スライムを開発しただけなのにと……。




