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流刑

①流刑

木槌の音が、乾いた空気を打ち砕いた。


(こん、こん、こん、こん)


静まり返った法廷に、その余韻だけが残る。


「アルフレッド・ヒカエルを流刑とする」


宣告は、あまりにも短かった。

その一言で、すべてが終わった。


稀代のスライム研究者と呼ばれた男の未来は、

この瞬間、音もなく閉ざされた。


アルフレッド・ヒカエルは、ゆっくりと肩を落とす。

背中が、わずかに小さく見えた。


傍聴席では、押し殺されたざわめきが広がっている。

怒りとも、絶望ともつかない感情が、空気の中に滲んでいた。


彼は一度だけ振り返る。


「みんな。これまでありがとう。私は向こうで、のんびり暮らすよ」


力の抜けた笑み。

それは、どこか他人事のようでもあった。


十数年。

研究だけに費やしてきた時間。


その代償のように、頬は痩せこけている。

骨ばった顔に、影が落ちる。


この身体で、流刑地に耐えられるのか。


誰もが同じことを思いながら、

ただ黙って彼を見送るしかなかった。


……


馬車が軋みながら、土の道を進んでいた。

揺れは一定で、車輪が石を踏むたび、鈍い音が響く。


「私は、どこで間違ったのか?」


アルフレッド・ヒカエルは、視線を落としたまま呟いた。

返事を求めているわけではない声だった。


隣に座る妻が、すぐに言葉を重ねる。


「だいじょうぶですよ。あなたはどこでもやっていける。それに私は農家の出だから、田舎の方が向いてます。だいたい社交界の方々との付き合いは、肩が凝っていたのです。私は清々していますよ」


彼女はそう言って、柔らかく笑った。


馬車の前方で、御者がちらりと後ろを振り返る。

白髪まじりの顎髭が、揺れに合わせてわずかに動いた。


「あんた。スライム研究の人だろ」


「昔の話だよ」


アルフレッドは、かすかに口元を緩めた。

笑いというには、あまりにも軽い動きだった。


「いやねぇ。俺はあんたに感謝してるんだ。あんたのお陰で、甥っ子の足が治った」


御者の声は、素朴で、まっすぐだった。


馬車はガタガタと揺れ続ける。

隙間から、土の匂いと草の青い匂いが入り込んでくる。


妻が、そっと口を開く。


「あなたの言う通り、彼は偉大な人よ。でも……」


言葉は、そこで途切れた。


彼女の手が、ぎゅっと強く握られる。

その力だけが、続きを語っていた。


……

王都は、ひとつの噂に覆われていた。


――連続殺人犯から、スライムが検出された。


石畳の通りでも、貴族の館でも、同じ言葉が囁かれる。

それはやがて、ひとりの名へと収束していった。


アルフレッド・ヒカエル。


第一人者と呼ばれた男は、その日のうちに王城へ呼び出された。


通されたのは、広間ではない。

装飾を抑えた、小さな謁見室。

王と宰相、そして数名の護衛だけが控えている。


静けさが、わずかに張りつめていた。


アルフレッドは一歩進み、すぐに悟る。

これは、表に出ない場だ。


「君のスライム研究は実に素晴らしい。ただ残念な事に、連続殺人犯からスライムが検出された。これを君はどう釈明するのかね」


宰相の声は穏やかだったが、逃げ場はなかった。


「恐れながら、私の開発したスライムは意思をつかさどる部分は完全に破壊しております。連続殺人犯からスライムが検出されたとしても、それはスライムが起因するものではありません」


アルフレッドは淀みなく答えた。


王の表情が、わずかに緩む。


「では……君が原因ではないと」


その声音には、安堵が滲んでいた。


王には理由があった。

かつて叔母の脚は、麻痺毒に侵されていた。

だがアルフレッドの開発したスライムによって、再び歩けるようになったのだ。


その記憶が、王の中で彼を擁護していた。


「王よ。あの連続殺人犯は、騎士団長の令嬢を始め、多くの貴族の令嬢を手にかけました。関係ないでは済まされません」


宰相の声が、静かに差し込む。


空気が一段、冷えた。


「宰相殿。その連続殺人犯は、なぜスライムを入れたのでしょうか」


アルフレッドは問い返す。


「それがハッキリしないのだ。連続殺人犯自体は、何の障害も持ってなかった」


宰相は、わずかに眉を寄せた。


王の顔が曇る。


「君は、何かに嵌められたやもしれんな」


低く、漏れるような声だった。


「王よ。そういう言い方はお控えください」


宰相がすぐに制する。


言葉が交差し、しかしどこにも着地しない。


「とはいえ。不憫でかなわん」


王は小さく肩を落とした。


その場には、結論よりも先に、

どうにもならない空気だけが残っていた。


……


三年前の春。


王都に最初の死が落ちた。


騎士団長の一人娘。

十五歳。

武人の家に生まれながら、その面影はどこか柔らかく、

知性の光を宿した少女だった。


事件は、満開の公園で見つかった。


桜が、狂ったように咲き乱れていた。

風が吹くたび、花びらが舞い、地面を白く染める。


その中央の木に――それはあった。


首だけが、鳥かごに入れられ、

枝から吊るされていた。


かごはゆっくりと揺れ、

桜の花びらが、その鉄の隙間をすり抜けて落ちていく。


胴体は、どこにもなかった。

今も、見つかってはいない。


少女の口の中には、一枚のカード。


古びた紙。

百年以上前のものとされる、愚者のタロット。


無垢とも、狂気ともつかないその絵柄が、

血の気を失った唇の奥で、静かに覗いていた。


春の光の中で、

その光景だけが、現実から切り離されていた。


……

騎士団長は、怒りを抑えきれなかった。


愛娘が、あのような形で晒されたこと。

その事実だけが、彼の内側で燃え続けていた。


命じた。

徹底的に調べろ、と。


騎士たちは街を洗い、森を探り、

関わる可能性のある者すべてを追った。


だが――何も出なかった。


足跡も、凶器も、動機も。

犯人へと繋がる線は、一本も見つからなかった。


この国では、死は終わりではない。

遺体を丁重に葬れば、魂は巡り、再び生を得ると信じられている。


だが、あの少女には――胴体がなかった。


転生は、叶わない。


その事実が、

家族の悲しみに、底のない深さを与えていた。


墓を建てれば、それは“弔い”となる。

弔えば、魂は固定される。

そうなれば、転生の望みは完全に断たれる。


何もしなければ、可能性は残る。

だが、それは永遠に宙ぶらりんのままということでもあった。


選べない。


選ぶことができないまま、時間だけが過ぎていく。


やがて、騎士団長は決めた。


屋敷の一室。

光の差し込まない場所に、小さな祭壇が設えられる。


そこに置かれたのは、ひとつのしゃれこうべ。


花が供えられ、香が焚かれる。

だが、それは葬送ではなかった。


終わらせないための祈り。


静まり返った部屋で、

その白い骨だけが、時間に取り残されていた。


もし「続きを読んでみたい」と思っていただけたら、

ブックマークしていただけるととても励みになります。


本作はすべて完結済みで、安心して最後まで読めます。


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