ロゼ・ドーマス
私は、ロゼ・ドーマス。
前宰相の娘で、ジョンのお姉ちゃん。
訳あって、この村にいる。
理由は、もう口にしない。
お父様とお母様は、ここに来てから亡くなった。
帝都にいたころは、広い屋敷だった。
床は磨かれていて、窓はいつも光っていた。
昨日まで住んでいたのは、洞窟。
雨と風は防げる。
でも、それだけ。
蝙蝠の糞の匂い。
湿った空気。
壁に触れると、冷たくて濡れている。
長くいる場所じゃない。
昨日、ヒカエルという人に会った。
仕事をくれた。
水汲み。
奥さんが苦手なんだって言ってた。
その代わりに、
家と、お湯と、暖炉。
条件は、それだけ。
それだけなのに――
それは、今までよりずっと良かった。
私たちは、いつもの場所に立つ。
捨て場。
臭いには、もう慣れている。
村中のゴミが、ここに集まる。
ひとつひとつは少ない。
でも、積もれば――食べられる。
野菜の皮。
乾いたパン。
腐りかけの何か。
選んで、拾う。
それが、仕事。
ジョンは、いつもお腹を空かせている。
昨日も、そうだった。
私は、気づかないふりをする。
昨夜――
ヒカエル夫婦の声を聞いた。
この場所を、きれいにしたいらしい。
スライムで。
私たちのことも、考えているみたいだった。
邪魔だとは言わない。
でも――
私たちが食べないものは、
あの生き物に食べさせたいらしい。
それと。
私たちの食べ物を、どうにかしたいとも言っていた。
理由は、わからない。
優しさかもしれないし、
ただの都合かもしれない。
どちらでもいい。
私は、ジョンを見る。
小さな背中。
必死に手を動かしている。
生きるために。
――利用する。
あの人たちを。
それでいい。
それしか、ない。
……
(こん、こん、こん)
地面を叩く音が、湿った空気の中に響く。
ジョンが顔を上げる。
音のした方を見る。
杖のおじいさん。
いつもと同じ。
何も言わず、ただ立っている。
それから、ゴミを捨てる。
振り返らない。
そのまま、去っていく。
足音は小さく、すぐに消える。
残るのは、積み上がったものだけ。
ジョンが言っていた。
「杖のおじいさん、いいゴミがある時だけ、音を鳴らすんだよ」
最初は、ただの思いつきだと思った。
でも――見ていれば、わかる。
確かに、そうだった。
音がある日は、拾えるものがある。
ない日は、ほとんど何もない。
合図。
そう思うと、納得がいく。
あの音は――
もしかしたら、優しさなのかもしれない。
でも、確かめたことはない。
話したこともない。
おじいさんは、いつも無愛想で、近寄りがたい。
私たちも、近づこうとはしなかった。
理由が、なかった。
……
私は、スライムを地面にそっと置いた。
目の届く範囲。
自分たちの拾い物がない場所を選ぶ。
スライムは、ゆっくりと動き出す。
迷いもなく、ゴミの山へとにじり寄る。
そして――触れる。
そのまま、取り込む。
音もなく、ただ静かに。
黒ずんだ塊が、少しずつ消えていく。
一時間ほど。
気づけば、麻袋ひとつ分くらいのゴミがなくなっていた。
スライムは――
少し、膨らんでいるように見えた。
私は、じっとそれを見る。
どれくらい、食べるのだろう。
終わりはあるのか。
胸の奥に、小さな不安が生まれる。
私はスライムを持ち上げ、場所を変える。
今度は、特に臭いの強いところへ。
腐ったもの。
濃く淀んだ場所。
先に、そこを食べさせる。
臭いものから先に消していけば、
自分たちの取り分に手が伸びるまで、時間を稼げる。
そう思った。
……
私たちは、黙々と手を動かした。
言葉はない。
ただ、拾い、選び、籠に入れる。
気づけば――
籠は、いっぱいになっていた。
こんなに集まるのは、珍しい。
昨日から、流れがいい。
今日は、これで十分だ。
これ以上は、いらない。
たくさんあっても、全部は食べきれない。
無理に食べれば、次に足りないとき、余計に苦しくなる。
満ちることは、必ずしも救いじゃない。
私たちは、場所を移す。
捨て場の、さらに奥。
臭いが強くなる方へ。
ふだんなら、近づかない場所。
でも――今日は違う。
スライムに食べさせるなら、ここがいい。
もっとひどい場所もある。
けれど、そこは――近づくだけで息が詰まる。
だから、このあたりで止める。
私は、スライムをそっと地面に置いた。
空気は重く、
鼻の奥が焼けるようだった。
……
スライムは、ためらいもなく進んでいく。
濃く淀んだ場所へ。
腐ったものの中心へ。
触れたものから、静かに消えていく。
私たちは鼻を押さえたまま、
その動きを見ていた。
やがて――
スライムの通った跡に、白いものが残る。
骨。
肉も皮もなく、乾いた骨だけが、ばらばらに散っていた。
ジョンがそれを拾い上げる。
「スライムって、骨は食べないんだね」
無邪気な声。
私は、何も答えずに見続ける。
スライムは、時折身体を震わせる。
そのたびに、水のようなものを吐き出した。
地面にしみこむ。
――排出。
私は、目を離さない。
さらに、別の動き。
ころり、と小さな塊が落ちる。
丸く固まったもの。
――これも、排出。
食べて、分けて、残す。
私は、その一つ一つを頭の中で整理する。
スライムは、ただ食べているわけじゃない。
選別している。
必要なものと、不要なものを。
その境界が、どこにあるのか。
私は、じっと見つめていた。
「ロゼ!ジョン!どこにいる?」
遠くから、声が飛んでくる。
焦ったような、急ぐ足音。
ジョンが顔を上げ、手を振る。
「ここだよ!スライムのおじさんだよ!」
やがて、息を切らせた男が現れる。
肩で息をしながら、こちらに近づいてきた。
「ひとつ、言い忘れていたことがあってね」
そう言いかけた、そのときだった。
スライムが――揺れる。
さっきまでの動きとは違う。
内側から、波打つように震えている。
「ちょうどよかった。これこれ。今から分裂するんだ」
ヒカエルさんが指をさす。
次の瞬間。
(ぷにゅあ)
妙な音が、湿った空気の中で弾けた。
スライムの身体が、ふたつに割れる。
引き伸ばされ、
裂けて、
離れる。
同じ形のものが、もうひとつ。
「ふにゃ……」
自分でもわからない声が、口から漏れる。
目の前で起きたことが、
すぐには理解できなかった。




