第8話:はじまりの生糸(第1章おわり〜)
白い。
ころん、と軽くて小さくて白い。
手のひらの上に載せた繭を、私はじっと見つめた。
「……できた」
五匹のお蚕様。
そのうち、ちゃんと繭になったのは三匹だった。
一つは、ちょっと小さい。
もう一つは⋯⋯、まあ、うん。
世の中には、そっとしておいたほうがいいこともある。
「糸ちゃん」
「ん?」
「できた」
「うん」
「繭だよ」
「うん」
「私が育てた」
糸ちゃんが、じーっと私を見た。
「……わたしも」
「はい」
訂正。
私たちが育てました。
てゆ-か。
途中から桑の葉を選ぶのも、食べ残しを片づけるのも、糸ちゃんに教えてもらうことが増えていた。
未来人。
二十九歳。
四歳児に教わる。
……。
人には、そっとしておいたほうがいいこともある。
科学とは謙虚でなければならないのである。
たぶん。
「科学の神様。ありがとうございます」
「かみさま?」
とりあえず糸ちゃんを拝んでおく。
そうだ。
もう一柱おられた。
私は部屋へ戻ると、壁に掛けてある天狗のお面の前へ座った。
赤い顔。
長い鼻。
相変わらず怖い。魔除けだから当たり前。
手を合わせて、お蚕様を守ってくれたことに感謝する。
「天狗様」
この世界へ来た時。
私の頭がおかしくなった理由を「天狗様に頭を撫でられたから」ということにしてくれた。
いや。
してくれた、というか私が勝手にそういうことにしたのだけどね。
でも、おかげで大いに助かっています。
「その節はどうも」
ぺこり。
「おかげさまで、頭がおかしい子で済んでおります」
……。
済んでいるのか?
そこは少し疑問である。
「これからも、よろしくお願いします」
もう一度頭を下げる。
天狗様は何も言わない。
当然だ。
お面だからなっ。
「あと、できればもう一度頭撫でてさ、賢くしてくれない?」
何も言わない。
「ケチ」
これくらいでいいだろう。
長いあご髭を引っ張っていた指を離す。
神様とは仲良くしておくに越したことはない。
スキンシップは大事だよね。
さて。
繭が手に入った。次は糸だ。
シルク。
絹糸。
ゲームでは何度もやった。
繭を煮る。
糸口を見つける。
何本か合わせる。
以上。
簡単。
「ふふふ」
「?」
「今度こそ」
知識チートのお時間である。
科学の神様。
ご照覧あれ。
「あつっ!」
「きぬちゃん、だいじょうぶ?」
「だいじょぶ!」
だいじょうぶではない。
指が赤い。
おかしい。
ゲームではこんなイベントなかったよ〜。
鍋。
火。
お湯。
繭。
そして四歳児。
危険。
非常に危険。
証明おわり。
「ひ、つよい?」
糸ちゃんが覗き込む。
「⋯⋯たぶん」
「じゃあ、ちっちゃく」
「それができれば苦労しないのです」
令和っ子絹ちゃんは、竈の火加減調節などできないのさっ。
「?」
「なんでもない」
結局。
お母さんに見つかった。
「何してるんだい!」
「研究〜」
「けんきゅう?」
「糸を取るの」
「また危ないことして!」
怒りながらも母さんは鍋を見る。
繭を見る。
私を見る。
「ああ」
そして普通に言った。
「糸を取るのかい」
「……知ってるの?」
「糸を取るくらいならやったことあるよ。売り物になるようなのは知らないけどね」
……。
科学の神様は、本日二敗目を喫する。
弱っち〜。
そうだった。
ここ、養蚕農家だ。私より知っていて当然だった。
「絹乃は変なことは知ってるのに、妙なところで何にも知らないねえ」
「仕様です」
「しよう?」
「しょうがないんです」
母さんが火を見てくれる。
私は繭を湯へ入れる。
少し待つ。
箸でそっと表面を撫でる。
「あ」
何かが絡んだ。
細い、
白い、
糸。
「糸ちゃん」
「ん」
「見て」
「……いと」
「糸だよ」
「うん」
細い。
本当に細い。
ちょっと引っ張れば切れそうだった。
ゲームなら数字だった。
生糸。
品質。
価格。
収量。
画面の中で増えたり減ったりするだけ。
でも。
これは違う。
指先にある。
私が触っている。
「……シルク⋯⋯物語」
「しるく?」
「絹の糸」
「きれい」
「うん」
胸の奥が、なんだか変だった。
嬉しい。
たぶん。
すっごく!
五匹だけ。
三つしか、まともに繭にならなかった。
取れた糸なんて、ほんのちょっと。
布なんか作れない。
売れもしない。
役にも立たない。
でも、
できた。
「天狗様」
「?」
「科学の神様」
「?」
「ありがとうございます」
糸ちゃんがまた首を傾げる。
「かみさま、いっぱいだね」
「日本だからね」
「?」
「気にしないで」
私は糸を見た。
もっと。
そう思った。
もっとやりたい。
五匹じゃ足りない。
十匹。
百匹。
もっと。
いっぱい!
桑の葉を変えたら?
置く場所を変えたら?
暑い日と寒い日で違う?
繭の大きさは?
取れる糸は?
比べたい。
知りたい。
「糸ちゃん」
「ん?」
「もっと、やりたい」
「おかいこ?」
「うん」
「いっぱい?」
「いっぱい」
私は立ち上がった。
「お母さん!」
「駄目だよ」
「まだ何も言ってない!」
「蚕を増やしたいんだろ」
「……なんで?」
「顔」
げに恐ろしきは母親の勘。
「五匹じゃ、わかんないの。もっといれば、くらべられるし」
「桑も要るよ」
「う」
「籠も」
「うう」
「場所も」
「……」
「誰が世話するんだい?」
完敗です。
父さんにも聞いた。
「無理だ」
終わった。
我が家の予算審議は厳しいようです。
私は縁側で膝を抱えた。
「科学の神様は、お金をくれない」
小栗大明神に無心にいきたい。いやいや、私が支援するのが目標なんだ。まずは自立だよ。
糸ちゃんが隣に座っている。
「おかね?」
「そう」
「ないの?」
「ない」
「うちも、ないよ」
「知ってる」
「⋯⋯ん」
二人で黙る。
六月の風が桑の葉を揺らしていた。
「お蚕様がいればなぁ」
「かいこ、いっぱいいるよ?」
「え、どこ? 五匹じゃなくて?」
「いっぱい」
「いっぱい?」
糸ちゃんが少し考える。
「……ほんけ」
「え?」
「ほんけ、いっぱい」
「本家?」
糸ちゃんが頷く。
「おっきいいえ」
「蚕いるの?」
「いる」
「いっぱい?」
「いっぱい」
桑も?
「ある」
場所も?
「ある」
私は起き上がった。
「お金は?」
糸ちゃんは首を傾げた。
「……ある、かな?」
ある。
たぶんある。
本家だもの。
なんだ。
あるじゃないか。
蚕。
桑。
場所。
そして金。
全部。
証明終わり。
「糸ちゃん」
「ん?」
「そこ、行ける?」
「本家?」
「うん」
糸ちゃんが少し困った顔をする。
「ないしょで?」
私は止まった。
確かに。
子供が勝手に本家へ押しかける。普通に怒られる気しかしない。
「……おとうさんに、きく?」
それは駄目だ。
絶対止められる。
「聞かない」
「おかあさんに?」
「もっと駄目」
「……おこられるよ」
「怒られてから考える」
糸ちゃんが黙った。
嫌そうな顔ではない。
でも困っている。
「糸ちゃん」
「ん?」
手を合わせる。
「お願いします」
「……」
「神様仏様、糸ちゃん様」
「やだ」
即答だった。
「そこをなんとか」
「やだ」
「天狗様にもお願いした」
「てんぐ、こわい」
「私も怖い。たぶん」
少し考えて。
糸ちゃんが、小さく息を吐いた。
「……いくだけ?」
「行くだけ」
「ほんと?」
「話もする」
「……」
「お願いもする」
「……」
「ちょっとだけ」
「でも、なんていう?」
「『研究費ください』って言う」
「それでだいじょうぶ?」
「……いや、でも五匹から糸は取れた。成果はある」
手元を見る。
「ゼロじゃない」
糸ちゃんが、また黙った。
そして。
「……じゃあ」
「行ってくれる?」
「ん」
よし。
科学の神様。
天狗様。
糸ちゃん様。
三柱の御加護を得た。
たぶん。
あとは本家である。
手ぶらじゃない。
五匹だけだけど、ちゃんと糸にした。
なら、話くらいは聞いてもらえるかもしれない。
まだ見ぬ予算の神様が、そこにいるかもしれない。
私は手のひらに残った細い絹糸を見た。
五匹から始まった。
次は、もう少し。
もう少しだけ。
やってみたい。
翌朝。
私は父さんにも母さんにも内緒で、糸ちゃんと本家へ向かった。




