第35話:脱落者
天保五年(一八三四年)、飢饉二年目の田起こしは順調に行った。
春は平年と比べて暖かかった。
日照も順調、雨もまずます。
みんな「今年は大丈夫か?」と薄っすらと期待を持ち始めた。
幸い、春が早かったのでサツマイモの苗がたくさんとれた。
さらに胤さんの芋友達から馬鈴薯の種芋が届く。
今、胤さんが大事に増やしている。
夏が終わる頃にはみんなに配れるとのこと。
昨年江戸表から福吉さんが帰ってきた。
大収穫だった。
江戸近在と甲州で集めた早生蕎麦の種を持って帰ってきた。
また豆類の種、農書や救荒書の写しを入手。
種を扱う商人とのつながりも作り、来年以降も買える仕入れ先を確保した。
さすが一番の有望株だね。
多くの村人が産土様の社を朝昼夕とお参りした。
私も自作の祭壇に小さい雑穀の握り飯をお供えした。
自作のおにぎりは一つが親指の先ぐらいだけどね。
五月。
旧暦だから梅雨入り。
田植えが始まる。
雨も順調だ。
お蚕様はなんとか繭を作ってくれた。
現金収入はありがたい!
みんなの顔が明るくなる。
六月。
雨がやまない。
皆の目が自然と北へ向き山の心配をする、北で降った雨が利根川を狂わせるのだ。
桃ノ木川上流の法華沢が氾濫、土砂が東の田んぼを襲う。
うちの隣の水門が壊れた。
急いで水門を補修。
泥に埋もれた稲は廃棄。
すかさず準備しておいた早生種の蕎麦を蒔く。
皆が必死に働く。
七月。
今年も冷夏だ。
稲の実が入らないものが多い。
八月。
野分、台風の季節。
また水門故障。
今度はあまり水が必要な時期ではないので、ホッとする。
だが堆肥の山が水浸しで腐りだす。
臭い。
九月。
待ちに待った収穫。
産土様に初穂をお供えし、皆で新米をいただく。
美味しい。
令和で食べたお米の何十倍も美味しい!
だが、その量は少ない。
去年の収穫量と同じくらいだ。
そんな中、ついに脱落する農家が田口でも出てしまった。
⋯⋯糸ちゃんちだ。
黙って子供を優先的に食べさせていたお母さんが倒れた。
そこから急激に採算が悪化。
柴刈りも追加分を集められなくなり、その分配給が減って糸ちゃんの兄姉達もガリガリに痩せていく。
それでも
「秋までは。収穫があればなんとか生きられる」
と思っていた。
が、野分のいたずらで糸ちゃんちが浸水した。
もともと低地に建っていた小さな家。その家にすら住めなくなった。
「糸ちゃん⋯⋯」
「絹ちゃん。おっとうは倉賀野で人足仕事に行くことになったんだ」
「そう⋯⋯」
「お兄ちゃんも。おねえちゃんは高崎に奉公に。私は⋯⋯」
やせ細った糸ちゃんが気丈に自分の家の離散状況を教えてくれた。
「私は本家で奉公することになったんだ。これで白いお米のご飯が食べられるよ」
いつもの笑顔を私に見せる。
「そ、そうだね。そうだね」
涙が流れた。
止まらない。
糸ちゃん。
ごめん。
何もできない。
うちが引き取れればいいのに。
裕福な方の備蓄がだいぶある私の家でも、人数が増えれば来年が怪しいんだ。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
「絹ちゃん。榮ちゃん、若旦那様は優しいから大丈夫。楽しみだね」
なにも答えられなかった。
かわりに糸ちゃんのちっちゃい体を、ぎゅっと抱きしめた。
◇◇◇◇
こうして飢饉二年目は徐々に崩壊する家庭が出始めた。
半数の家がもう村倉からの配給だよりになっている。
村倉の在庫は端境期(夏場)に危険なまでに減少したけど、お蚕様が稼いでくれた銭で持ち直せた。
川越藩からのお救い米も倉に入れられた。
それでも、もう半分くらいしか備蓄は残っていない。
いいこともあったんだよ。
増えた馬鈴薯の種芋がみんなに配られ、胤さんの指導のもと、空いている土地のあちらこちらに植えられた。
寒さに強く、痩せた土地でもよく育つ。
夏植えの馬鈴薯は十月に収穫できた。
これで芋だけでも二ヶ月は持つだけの食料が手に入った。
サツマイモも二ヶ月分。
合わせて四ヶ月分の食料量が全部の家に蓄えられたんだ。
こうして、田口の者だけなら冬を越せる目処がついた。
田口の者だけなら。
だがそんなに飢饉は甘くなかったんだよ。




