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『絹乃国』〜推しの小栗上野介を救いたい転生幼女、まずは天保の大飢饉から村を救います〜  作者: 天のまにまに
第4章:転章

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第31話:寒い夏(第4章おわり)

 小栗歴七年、天保四年、西暦一八三三年。

 年が明けて一ヶ月が過ぎた。

 私も小栗様も七歳児である。


 いつもの調子で軽口を叩きたいけど、それどころじゃない。

 太陽暦で今三月中旬。

 もう春はそこまで来ている。

 それなのに雪が何度も降っている。


 上州は基本、雪は少ない。

 大雪が降る時は暖冬だとじいちゃんが言っていた。


 今年の冬は暖冬ではなかった。

 それでも雪が多い。

 異常とまでは言えないけど、変化の前兆かも知れない。


 私は手元の『備蓄帳』に目を落とした。


 私の家だけでなく、田口村全部の備蓄をつけているものだ。


 村倉だけでも約半年分の食料があることがわかる。

 玄米が六十石、およそ百五十俵。

 小麦と大麦が合計三百俵。

 大豆が四十俵。

 塩が二十四俵。

 乾物が十七俵。


 二百人の村にしては、とんでもない数だ。


 村倉は三つの蔵からなっているけど、ほぼ満杯。

 これ以上は収納できない。

 村の余力を全部、これを集めるのに費やしたんだ。


 あとはそれぞれの自宅の蓄え。

 基本的にこの時代の食事は、お米なら一人につき一年で一石の消費が目安。

 だが、毎日お米を食べられるのは本家くらい。

 うちは養蚕のお陰で裕福な方だけど、玄米に野菜や大豆を混ぜて炊き込む。

 そのほうが燃料を節約できるからね。


 うちの備蓄は多い。

 約二年は収穫がなくてもなんとかなる。


 玄米は十五俵。

 麦は多めに二十俵。

 豆は十二俵。

 塩が三俵。

 乾物は二俵。

 乾燥野菜と漬物は三樽。

 味噌が四樽。

 あとは私が自作した糒や味噌玉。


 もちろん種籾や野菜の種、種芋などは別に保管している。

 薪は新しく屋根を設置して置き場を増やした。

 屑木炭を購入して、炭団を作れないか現在研究中。


 保存器具も準備した。

 空きの樽や藁縄、鎌、農機具用の砥石の補充。

 まだ他にもいろいろやったね。

 全部思い出せないくらい。


 それらをしっかりと記録してある。

 次の年へ引き継ぐためだ。


 次の年⋯⋯

 やだよ。

 シルジェネ通りに行くとすれば、最悪の年はゲームスタート時の天保七年。

 それまでにさらに準備しないと。

 だけどもう限界まで備蓄をしちゃった。

 あとは再生産の仕組みを大至急整えるんだ。


 私は田口に住み着いてくれた、芋神様こと、佐津間胤親さんの家へ向かう。


 ◇◇◇◇


「胤さ〜ん。サツマイモの苗は順調?」


 胤親さんの家は、私の家のすぐ南、うちの畑の脇に立っていた空き家だった。

 いや、仮にもお侍さんだからもっといい屋敷を用意しようとしたんだよ。

 でも、「畑のそばが良いでござる。いつでも芋の様子が見られる故」とか言っちゃって、あばら家に住んでいます。

 さすが芋神だね。


「これは絹乃殿。良いところにお出でなされた。見て御座れ」


 地べたに四つん這いになり、藁で囲われた箱を指さす。

 私も四つん這いでそれを覗き込む。


「あ、サツマイモの芽が沢山」


 箱の中は周りよりも温かい。

 苗床だね。

 種芋の周りからは黄色い芽がいくつも出てきている。


「いや、残念ながら少ないので候。本来ならばもう少し育っても良いはずでござる」

「どうしたんだろ」


「今年の冬は一段と寒いでござる。それに加えて、雪が解けずに残っており、さらに寒さを増しておりまする」


「つまり?」

「いつもより、植え付けが遅くなり申す」


 幸先が悪いな。

 すでに凶作と飢饉の足音がそこまで聞こえてきている?


「これから苗床に工夫をして、もっと暖かくできないか思案中でござる」

「だったら喜平次さんに相談してね」


 胤親さんはこちらを向いて、輝く白い歯でニヤリと笑った。

 ちょっとかっこいいかも。


 ぐぅ〜


「ははは、某にも少食になるよう工夫が必要でござるな」


 しまらないやつでした。


 私は持ってきた風呂敷からこんなこともあろうかと持参した、おにぎりの入った竹皮の包みを渡した。

 これ喰ってさらに頑張るべし。

 この人には褒めるよりもこれが一番の感謝の表現だね。


 ◇◇◇◇


 田口の村を一望のもとにできる場所に来た。

 もちろん家の屋根ではないよ。

 もうお父さんとお母さんに心配かけたくない。

 と、殊勝なことも言えるようになった孝行者の絹ちゃんです。

 ちょっとは成長したと思う。


「おう、将来のべっぴんではないか。どうしたのじゃ、こんなところまで」


 嫌なやつが来た。

 亀じいだ。

 ここは村の産土様の社がある小高い丘。

 あまり良く覚えてないけど、じいちゃんが「大昔の赤城の噴火で山が崩れて流れてきた山の一部」と言っていた。

 そんな箇所がたくさんあるのがこの地域だ。


 つまり赤城が噴火すればここいらも安全じゃない。

「防災は最悪を想定すべし」とか、防災動画解説者が言っていたけど、そんなの無理だよ。

 私たちには天保の飢饉対策だけで精一杯。


 ここ三年で、この世の中を生き抜くのは全精力を出さないといけないと知ったよ。

 令和の日本人はお花畑で生活している。


「亀じい。亀じいは本当に私の言うように今年飢饉が始まると信じてくれるの?」


 私は一番知りたいことを質問した。

 たとえ本家が主導で飢饉対策を行っているとは言え、私が言い出していると知っている人は本当に信じているのか?


「なにを殊勝なことを。子供はの、大人に心配事を任せてすくすくと育てばええ」

「いや、そうじゃなくて。天狗様の言葉だって、本当に信じてるの?」


「そうではないと?」

「そうだけどさ」


 私の隣に並んで、村を見下ろす亀じい。

 なんか真面目な顔だ。


「天狗様は助けてくださらない」

「え?」

「助けてくれるのは、自分の過去の行いじゃ」

「⋯⋯」


 亀じいはなんか優しい顔をしてこっちに目を向ける。


「お前さんのやってきたことを信じるんじゃ。できることは全部したのじゃろ? それを信じるんじゃ」


 ぽろっ


 一番言ってほしいことを言われた。


 ぽろ

 ぽろっ


「う”ん、そだね。したよ。頑張った、と思う」

「では、皆が信じていても信じていなくとも同じじゃい。気にするな」


 なんか胸が熱い。


「じゃからの〜、儂の酒も四年分、備えておいてくれぬかの」


 急に戻るなよ。

 私の熱い胸を返せ〜。





 そして春が来た。


 四月。

 あれだけ残っていた雪も消えた。

 日差しは暖かくなり、田んぼでは田起こしが始まった。 桑も一斉に芽を吹いた。

 サツマイモの苗床も、遅れを取り戻すように葉を伸ばしている。


「おお、育っておりまする、よい子じゃ」


 胤さんが嬉しそうだ。

 村の人たちからも笑い声が聞こえるようになった。


「今年は春が遅かっただけだんべ」

「雪が多かったからな」

「絹ちゃんの天狗様も、ちっと心配性なんじゃねえか?」


 そんな声まで聞こえてくる。

 むう。

 否定できない。


 田んぼには水が入り、苗代も順調。 麦だって思ったより悪くない。

 私も、ちょっとだけ思ってしまった。


 あれ?

 もしかして。

 このまま普通にいく?

 歴史が違う?

 シルジェネとは違う世界線だから、ひょっとして飢饉そのものが来ないとか?


 ⋯⋯。

 いやいやいやいや。

 そんなわけあるか〜い!

 私は頭をぶんぶん振った。


 危ない。

 これが正常性バイアスというやつか。

 人間、ちょっと良いことがあると、すぐ「もう大丈夫」と思いたがる。

 令和でも江戸でも人類の仕様は同じらしい。


 心配な私はその日のうちに本家へ向かった。


「榮ちゃん」

「なんだ」

「みんなに気を抜かないように言って」


 榮ちゃんは帳面から顔を上げた。


「また天狗か」

「またです」


「春は来たぞ」

「来たよ」


「苗も育っている」

「育ってる」


「麦も悪くない」

「だから怖いの」


 榮ちゃんが眉を寄せた。


「どういう意味だ」

「みんな、もう大丈夫だって思い始めてる」


 私だってそう思いかけた。

 だから余計に怖い。


「備蓄は崩さない。種籾も売らない。薪も使いすぎない。村倉の分は予定通り残す」

「分かっている」


「ほんと?」

「お前よりは落ち着いている」


 失礼な。

 私は極めて冷静です。

 たぶん。


「それに」


 榮ちゃんは帳面を閉じた。


「父上も同じことを言っていた。今年の収穫を見るまでは何も終わっていないとな」


 さすが継太郎さん。

 政治神への神化も近いかもしれない。



 そうして五月が過ぎた。


 六月。

 田植えも終わった。

 田んぼには青い苗が並び、桑畑も緑に覆われた。

 みんなの顔にも余裕が戻ってきた。


 私も。

 ほんの少しだけ。

 肩の力を抜いた。




 そして夏が来た。


 ⋯⋯はずだった。


「え、寒くない?」


 六月の終わり。

 私は縁側で腕をさすっていた。


 空は灰色。

 朝からずっと雲が低い。

 雨。

 昨日も雨。

 その前の日も雨。


 晴れたと思っても、太陽はすぐ雲の向こうへ隠れる。

 田んぼを渡ってくる風が冷たい。

 夏の匂いがしない。

 蝉も鳴かない。


「⋯⋯来た」


 今度は間違えない。

 胸の奥が、すうっと冷えた。


「本当に来ちゃったよ。天保の大飢饉」


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