第27話:飢饉の前の静けさ
水門のいつもの石に腰掛けて水面をぼ〜っと見ながら思い出そうとしていると声をかけられた。
「その石はの。天明の浅間焼けの名残じゃよ」
振り向くと亀じいが仙人が持つような杖をついて立っていた。
「浅間焼け?」
「そうじゃ。浅間のお山が怒った時にな。石やら砂やら灰やら、そりゃあひどいもんだった」
私は腰を浮かせて、いままで座っていた石を見る。
赤黒い。
角はだいぶ丸くなっている。
座り心地はそこそこ。
でもザラザラしている。
いや。
座り心地評価してる場合じゃない。
「これが?」
「うむ」
亀じいは杖の先で石をこつんと叩いた。
「この辺りの畑にも、昔はこういう石がごろごろしておった。畑を起こすたびに邪魔になる。それを拾って、端へ端へと寄せた」
そう言われて周りを見る。
結構たくさんある。
畑の境。
道の脇。
水路の近く。
いままでただの石だと思っていたもの。
石垣のように積まれているところもある。
「⋯⋯全部?」
「全部かどうかは知らんよ。じゃが、浅間焼けの後に寄せた石は多い」
ぞわっとした。
ゲームじゃない。
イベント背景でもない。
検証スレの書き込みでもない。
これ。
本物なんだ。
私はもう一度石に触った。
ザラザラしていて、ひんやりしている。
こんなものが、畑に降ったのか。
いや、流れてきたのか?
どっちにしても怖すぎる。
「その時って⋯⋯やっぱり作物は?」
「灰が降れば桑も駄目になる。畑も駄目になる。水も濁る。雨まで重なれば、なおさらじゃ」
「⋯⋯」
桑も。
ここに来てから、ずっと見てきた桑。
お蚕様のご飯。
村のお金。
それが一発で駄目になる。
「飢饉って、米がとれないだけじゃないんだ」
思わず口から出た。
亀じいが私を見る。
「ようやく気づいたか」
ぐさっ。
亀じいのくせに、たまに言葉が鋭い。
「米が取れん。桑も駄目になる。薪を取りに行く者も減る。病が出る。物の値も上がる」
一個だけじゃない。
一個が次を呼ぶ。
シルジェネで言うところの連鎖イベント。
冷害。
水害。
虫害。
病。
米価高騰。
流民。
ゲームだったら、
《複合災害ボーナス発生!》
とか出るやつ。
いらんわ、そんなボーナス。
「亀じい」
「なんじゃ」
「天明のとき、村はどうしたの?」
亀じいは少しだけ黙った。
「食えるもんは何でも食った」
「何でも?」
「粟、稗、芋。木の実。山菜。食える草。木や動物の皮を削ったものまで食った。塩が足りんので台所の下に敷いてある藁まで煮出して汁にした」
うへえ。
非常食とかいうレベルじゃない。
「それでも足りなかった?」
「足りんところは足りん」
短い言葉だった。
でも、その一言が重かった。
「銭のある家はなんとか食いもんを買えた。縁のある家は頼れた。何もない家は⋯⋯」
亀じいはそこまで言って、口を閉じた。
私は水面を見る。
さっきまで、ぼ〜っと見ていた水。
ちゃんと流れている。
畑には青い作物。
空には夏の入道雲。
蝉も元気に鳴いている。
何にも起きていない。
だからこそ。
今しかできない。
「亀じい」
「なんじゃ」
「食べられるもの、もっと村に増やした方がいいよね」
「ほう?」
「畑だけじゃなくて。家のまわりとか、塀のそばとか。実がなる木とか、葉っぱ食べられるやつとか」
亀じいがひげを撫でる。
「すぐ実がなる木は少ないぞ」
「それはそうだけど。でも今から植えたら、次には間に合うかもしれない」
次。
言ってから、自分で嫌になった。
次が来る前提。
でも。
来るかもしれない。
いや。 たぶん来る。
「粟や稗も、もっとあった方がいい」
「うむ」
「お芋も」
「うむ」
「薬草も」
「欲張りじゃな」
「欲張りでけっこうです」
命がかかってる。
遠慮してる場合じゃない。
亀じいが笑った。
「昔から、飢饉の時に役立つ草木は野にも山にもある。薬になる草もある。だがの」
「だが?」
「知っとる者がおらなくなれば、それまでじゃ」
私は顔を上げる。
「知識も備蓄?」
「なんじゃそりゃ」
「なんでもない」
でも、たぶんそうだ。
米を貯める。
薪を貯める。
種を残す。
同じように知っている人の知識も残しておく。
どの草が食べられる。
どの草が薬になる。
この草は毒。
いつ採る。
どう干す。
これ、帳面にできないかな。
亀じい。
住職。
お母さんたち。
知ってる人に聞いて、書いて残すんだ。
また仕事が増えた。
いや、増やすんじゃない。
分ければいい。
私が全部やらなくてもいい。
そうだった、忘れるところだったよ。
「今年は豊作じゃな」
亀じいが畑を見ながら言った。
「うん」
「ええことじゃ」
その声は穏やかだった。
夏の日差しが水面に反射している。
蝉がうるさい。
遠くでは誰かが笑っている。
何もおかしくない。
何も起きていない。
亀じいが杖をついて、ゆっくり立ち上がった。
「じゃが」
「うん?」
「好事魔多しとも言う」
私は亀じいを見る。
「安心せぬことじゃな」
風が吹いた。
稲の葉が、いっせいに揺れた。
私はもう一度、浅間焼けの石を見る。
今年は豊作。
今はまだ⋯⋯
平和だった。




