第22話:セルフお引越し
水門脇のいつもの石に座って糸ちゃんを待っている間、昨日思い出したシルジェネの謎の網について考えていた。
水門にできる渦のように、私の頭の中ではシルジェネの画面の記憶が渦巻く。
「網⋯⋯、なんだよねぇ。あれ多分」
シルジェネの養蚕画面。
何段にも並んだお蚕様の棚。
桑。
温度だか湿度だかの数字。
そして、お蚕様の上にかけてあったような、謎の網。
あれ、なんだったっけ。
ゲームをやっていた時は、そんなもの気にも留めなかったね。
養蚕小屋を建てる。
どんっ
設備を強化する。
とんてんかん
研究ポイントを突っ込む。
ぴぴぴ
生産効率が何パーセント上がった、ばんざーい。
ぴろろ ぴろろ
そんなもんだ。
効果音は憶えてるんだけどな。
だいたいこのあたりのプレイはライブではトイレタイムになっていたよ。
なんでシルク物語のメイン作業がトイレタイムなのか?
やっぱり、からくり堂、恐るべし。
まさか後になって、画面の隅にあった網一枚について真剣に悩む人生になるとは思わなかったよ。
「スクショ撮っとけよ、私」
過去の自分に言っても仕方がない。
完全記憶能力とかがほしいと我儘言っていいっすか?
課金で盛れないかな、記憶力。
「きぬちゃーん」
元気な声がした。
糸ちゃんが桑を入れた籠を抱えて、よたよた歩いてくる。
重そうだ。
「おまたせ。おっかあが、こっちももってけって」
「ありがとうございます、経験神さま」
「またそれいうの?」
少し照れながら笑う。
去年だったら意味が分からず首を傾げるだけだったのに、今は私がからかっていることくらい分かるらしい。
成長なされましたな、経験神ちゃま。
「ねえ糸ちゃん。昨日聞いたことなんだけど」
「なあに?」
「お蚕様の上に新しい桑を置いたら、お蚕様って上に来るんだよね?」
「くるよ」
「絶対?」
「おなかすいてたら。ねてる子はこないよ」
ほう。
また重要そうな条件を平然と付け足しますね、この神様。
「じゃあさ。お蚕様と桑の間に、何かあったら?」
「なにかって?」
私は両手の指を格子状に組んで、網のつもりっ、と、やって見せる。
「こういうの。穴がいっぱい開いてて、お蚕様が通れるやつ」
「⋯⋯?」
糸ちゃん、指の間を覗く。
「その上に新しい桑を置くの」
「おかいこさま、のぼるんじゃない?」
やっぱり。
頭の中で、シルジェネの画面がもう一度浮かんだ。
網。
その上の桑。
下には何があった?
古い葉っぱ。
食べ残し。
糞。
「⋯⋯あ」
「どうしたの?」
「もしかして、あれ掃除の道具だったんじゃない?」
「どれ?」
「こっちの話です!」
立ち上がる。
「糸ちゃん、実験!」
「また?」
「またです!」
◇◇◇◇
二階の養蚕部屋。
お蚕様の下には、食べ残した桑と、小さな糞が少しずつ溜まり始めていた。
まだ五十匹だから大した量じゃない。
でも去年だって、掃除する時は面倒だった。
お蚕様を傷つけないように気を付けて、古い桑を取って、糞を取って。
これが五十匹。
五百匹。
五千匹。
五万……
⋯⋯死ぬ、軽く死ぬる。
想像しただけで腰が痛くなるよ。
「糸ちゃんちはどうやって掃除するの?」
「よごれたのをとるよ。おかいこさまがいたら、よけながら」
だよね。
「じゃあ、お蚕様のほうから移動してもらえばいい」
「おかいこさまに?」
「そう。自主的なお引っ越しです。強制退去ではございません」
「?」
通じませんでした。
まず試す。
家にあった細い竹を何本か持ってきて、適当に並べる。
その上へ桑の葉を置いた。
「これならどうだ」
待つ。
一匹が動いた。
「おっ」
桑へ向かう。
竹の隙間へ頭を突っ込む。
そのまま落ちた。
「あっ」
糸ちゃんが慌てて拾う。
「きぬちゃん。あなが、おおきいよ」
「はい。そのようでございます」
失敗第一号。
今度は隙間を狭くする。
竹を増やして、その上に桑。
一匹が近づく。
頭を入れる。
入らない。
別の場所。
入らない。
そのまま桑を見上げている。
「⋯⋯」
「きぬちゃん。こんどはせまいよ」
「知ってる!」
網目調整、むずっ。
でも
私はしゃがんで、お蚕様をじっと見る。
さっきは穴が大きすぎた。
今度は小さすぎた。
だったらその間がある。
「糸ちゃん。このくらいのお蚕様なら、通れる穴ってどのくらいだろ?」
「うーん」
糸ちゃんが蚕を見て、竹の隙間を指で作った。
「これくらい?」
指一本より、ずっと狭い。
「じゃあ、この幅で作ってみよう」
「でも、おおきくなったら通れないよ」
手が止まった。
「⋯⋯はい?」
「おかいこさま、おおきくなるよ?」
知ってる。
ハハハ。もちろん知ってるよ。
昨日、葉っぱでも同じことを言われたばかりだ。
ハハハ、ハァ……
「また仕様変更ですか、お蚕様!」
小さい時に使える網と、大きくなってから使う網。
同じ物を最後まで使うわけじゃない。
シルジェネの画面でも、そうだったのか?
違う大きさの網があった?
⋯⋯覚えてない。
こんなことなら背景まで舐めるように見ておくんだった。
「でも、できそう」
私は竹の幅を直した。
糸ちゃんも手伝ってくれる。
しばらくして、歪んだ格子みたいなものができた。
美しくはない。
職人さんが見たら鼻で笑うと思う。
でも実験なら十分だね。
お蚕様の上へそっと置き、さらにその上へ新しい桑。
「さて」
二人で覗き込む。
一匹が穴へ頭を入れる。
抜けた。
「きた」
「がんばれ! お蚕さま一号!」
二匹目。
三匹目。
次々と上へ登ってくる。
「きぬちゃん、ほんとにのぼってきた!」
「セルフお引っ越し成功!」
思わず糸ちゃんと顔を見合わせ、両手のひらをがっしり。
上にはお蚕様。
下には古い桑と糞。
これなら、上だけ持ち上げれば。
「掃除できるじゃん」
言った瞬間、ぞくっとした。
シルジェネで何度も見ていた、あの網。
たぶん、これだ。
完成した形だけは知っていた。
でも何のためにあるのか、今まで分かっていなかった。
便利な道具って、最初からそこにあったわけじゃない。
誰かが面倒くさいと思った。
どうにかならないか考えた。
失敗して。
直して。
それで、あの形になったんだ。
「⋯⋯ゲームの背景じゃなかったんだね」
「なにが?」
「ん、なんでもない」
私が思いついたんじゃない。
糸ちゃんの「上に来る」と、シルジェネの記憶がつながっただけだ。
まだ穴の大きさも適当。
全部のお蚕様が上がるわけでもない。
脱皮のために眠に入った子を無理に動かしたら駄目だろう。
完成には程遠い。
でも。
私は歪んだ竹の格子を持ち上げた。
「糸研究員」
「はい」
「木地師さんのところ行こう」
「またへんなものつくるの?」
「失礼な。今度は役に立ちます」
「このまえもいってたよ」
ぐぬぬ。
経験神さま。
そういう余計なことまで覚えなくてよろしいのですよ。




