第10話:万に一つの娘
――榮太郎視点――
面白い娘だったな。
抜けているように見える。
実際、抜けてもいる。
親にも黙って本家まで来たらしいし、本家の場所すら知らず、糸に連れてこられたという。
なのに。
物の見方が、どこかおかしい。
五匹の蚕を育て、三匹が繭になった。
普通なら、三匹できたことを喜ぶ。
が、あの娘は違った。
二匹はなぜ駄目だったのか。
それを知りたいと言った。
⋯⋯面白い。
五歳。
確か、作造の一人娘だったはずだ。
度胸もある。
本家の門を叩き、蚕を百匹寄越せと言う子供など聞いたことがない。
使えるかもしれない。
使えなければ、作造に蚕を返してもらえばいい。
十匹なら損もたかが知れている。
「榮太郎。本日の報告を」
声に背筋が伸びた。
「はい」
父上の書斎。
机を挟んだ向こうに、父、塩原継太郎が座っている。
大きい。
立てば自分などまだ肩にも届かない。
座っていても、妙に大きく見える。
「万事、予定通り進んでおります。繭の出来もまずまず。今年は黒で締められるかと」
「そうか」
父上の鋭い目が帳面からこちらへ移った。
背中に汗が流れる。
「帳面にはだいぶ慣れたようだな」
「はい」
「では、次に必要なものは何だ」
まただ。
父上は、答えを教えない。
何を見た。
何を考えた。
次に何をする。
毎日それを聞かれる。
簡単なことを言えば、さらに聞かれる。
なぜだ。
その根拠は。
他に手はないのか。
だから父上との話は疲れる。
「本日、面白いものが飛び込んでまいりました」
父上の目が細くなった。
「もの?」
「人です」
「ほう」
「西の集落、水門を任せております作造の娘と、桃ノ木川沿いの桑畑を任せております留吉の娘です」
「作造のところの⋯⋯絹乃か」
「はい」
「糸も一緒か」
「はい。その二人が、蚕を貸せと申してまいりました」
父上の眉が少し動いた。
「子供がか?」
「百匹」
「百?」
「最終的には十匹でもよいと」
父上が少しだけ笑った。
「ずいぶん値切られたものだな」
「いえ。こちらは何も申しておりません」
「勝手に下げたか」
「はい」
今度は、明らかに笑った。
私は先ほどの一件を話した。
五匹を育てたこと。
三匹が繭になったこと。
二匹が駄目になったこと。
その理由を知るため、もっと蚕を育てたいと言ったこと。
話し終えると、父上は少し考えた。
「それで」
来た。
「お前は何を得る」
ここが大事だ。
儲け、と答えてはいけない。
十匹程度で得られる銭など知れている。
そんな答えをすれば、父上は必ずもう一度聞く。
その先は何だ、と。
「人材を」
父上の目がわずかに変わった。
「人材?」
「はい。使える者か、見てみたいと思います」
「使えると思うのか」
「⋯⋯四分六」
「できる方が四か」
「はい」
「根拠は?」
来た。
私は少し黙った。
「⋯⋯勘です」
「榮太郎」
「はい」
「帳面に勘、とは書けんぞ」
「⋯⋯はい」
やっぱり来た。
父上はしばらく私を見ていたが、やがて頷いた。
「だが、悪くない」
詰まっていた喉の奥が少し軽くなる。
「十匹くらいなら任せよう」
「ありがとうございます」
「ただし」
軽くなったものが、元に戻った。
「作造の家は絹乃一人だ」
「はい」
「あの家を絶やしてはならん」
私は黙って聞く。
「人は銭とは違う。失えば、同じものは二度と買えん」
父上が言った。
「試すのはよい。働かせるのもよい。だが、使い潰すな」
そこまでは考えていなかった。
十匹。
損をしても十匹。
そんなことしか見ていなかった。
だが。
絹乃が失敗すれば。
怪我をすれば。
病になれば。
それは十匹では済まない。
「⋯⋯はい」
「覚えておけ。家を栄えさせるのは、人だ」
「はい」
胸に刻んだ。
人は使う。
だが、使い潰してはならない。
私にはまだ、田口のことすら十分には見えていないらしい。
◇◇◇◇
祖父上は、変わった人だった。
書が好きだった。
商いの本だけではない。
論語、中庸、大学。
老荘、朱子、陽明学。
他にも、どこから集めたのか分からない書物が家にはたくさんある。
私はそれを読むのが好きだった。
滑稽本などくだらない。
⋯⋯と思っていたが、一冊だけ隠してある。
父上には内緒だ。
もっと読みたい。
もっと知りたい。
できるなら、いつか江戸へ行って高名な師から学んでみたい。
だが。
私は本家の跡取りだ。
ここを離れるわけにはいかない。
田口を栄えさせる。
そのために学んでいる。
それでいい。
⋯⋯それでいいはずだ。
ふと、あの娘を思い出した。
親に黙って家を出て。
道も知らないのに本家まで来て。
蚕を寄越せと言って。
失敗した理由を知りたいと笑っていた。
ああいう者を何人も見つければいいのかもしれない。
自分が全部やる必要はない。
できる者を見つけて。
やらせる。
必要なら支える。
そして、結果を見る。
⋯⋯それなら。
少しだけ、面白いかもしれない。少なくとも夢を完全に諦めることにはならない。
まあ。
あの絹乃という娘が、本当に役に立つ可能性など、万に一つだろう。
まずは十匹。
それで十分だ。




