Scene 3(Side-F)
「フィル、どうかしたのか?」
名を呼ばれ、ハッと気付いた。父親の声だ。
またいつもの『悪夢』……じゃないな。確かにここは夢の中で、今の俺は『ブルーノ』ではなく『フィル』だ。
でも、いつもなら卒業パーティーの最中から始まるのに、今はそうじゃない。
ここは自宅の食卓で、家族との朝食の真っ最中。今まさに目の前にあるスープを匙で掬ったところだ。
俺はそのままのポーズで止まっていたらしい。
「どうした、何か考え事か? もしや、学園で問題でもあったのか?」
「いいえ、父上。いつも通りです。何も問題ありません」
そう答えて、匙の上で少しぬるまったスープに口を付けた。
どうしたんだ?
これはいつもの『悪夢』とは違う。でも、『フィル』にとってはいつもの朝と変わりない。
初めての夢なのに『フィル』である俺はそう感じている。
学園に着き門を入ると、待ち合わせていたかのようにエディと会った。
「おい、なんか今日は様子が変だぞ。一体どうしたんだ?」
何かを訝しがるように、エディが俺の顔を覗き込む。
「いや、ちょっと夢見が悪くて気分がすっきりしないだけだ。気にするな」
エディはつまらなそうにふぅんと言うと、今度は俺の後ろの方に視線を移した。
「フィル。ほら、アンジェラ嬢だ」
つられてそちらの方を見た。
俺の知っているアンジェラ嬢――卒業パーティーの会場での彼女は、クズ王子に婚約破棄を言い渡され、俯いているだけだった。
今は違う。二人の令嬢に挟まれて、和やかに談笑しながら歩いている。
彼女の暗い俯いた顔でなく、笑顔を見るのはこれが初めてだ。
「やっぱり美人だよな。あんな美人が婚約者だなんて、レイモンド王子が羨ましい」
あのクズ王子か。エディはあのクズが他の女に目移りしてアンジェラ嬢との婚約を破棄することを知らないんだよな。
って、当たり前か。あの卒業パーティーはまだ先――半年後のことだもんな。
「俺たちも結婚相手を見つけないとだよなぁ」
そう言うと、相哀れむかのように俺の肩を叩く。
「いや、俺には――」
婚約者がいる、と言いかけて気が付いた。
婚約者がいるのは『ブルーノ』であって『フィル』じゃない。
「ああ、そうだな」と、一言だけ返し教室に向かう。
エディが置いてくなよと言いながら、慌てて付いてきた。
その日の昼食の時間に中庭を通ったのは偶然だった。
庭の端の方にあるガゼボでぽつんと、アンジェラ嬢が一人で弁当を広げていることに気が付いた。
テーブルに置かれているバスケットの大きさからすると、一人分の昼食ではなさそうだ。やっぱりあれは、婚約者――クズ王子の分もあるんだろう。
学園では婚約者がいるのなら、昼食を共にとるのが一般的だ。
アンジェラ嬢はレイモンド王子の婚約者なのだから、あの隣には本当なら王子がいるはずなのに。
こんな端の方で、ひっそりと一人で二人分の弁当を広げるアンジェラ嬢の姿は、やけに寂しそうに見える。
一瞬だけ、声でもかけようかと思ったが、彼女は他人の婚約者でしかも『フィル』よりもずっと身分が上の伯爵家の令嬢だ。
俺ごとき下位貴族の男が、下手に声をかけたりしてはいけないと思い直す。
なんとなく、もやもやする気持ちを抱えて、こっそりとその場を後にした。




