第7章 勇者たちの再興。もうひとつの10・19〜⑨〜
阪急ブレーブスのマスコットキャラクター、ブレービーの「中の人」として、プロ野球のマスコット界に大きな足跡を残した島野修。阪急が、オリックスに球団を譲渡した後、島野のマスコット人生はどのような変貌を遂げたのだろうか?
1988年10月19日―――。
選手やチーム関係者にすら知らされていなかった球団身売りの一報を聞いたあと、島野は自宅に戻らず、一人で酒をあおっていたという。
ただ、阪急グループは、オリエントリースへの球団譲渡の条件として、
・ブレーブスの愛称の継続使用
・西宮球場を継続して本拠地とすること
・上田利治監督の続投
という3つの条件を挙げていた。
この条件を守った新生オリックス球団は、球団名のブレーブスとともに、マスコットのブレービーも継続的に球場に出演させることを決定した。島野は、結婚した妻に、
「もう少しだけ迷惑を掛けるけど……」
と言って、引き続き、ブレービーの中の人として活動を続けることになった。
そして、新生オリックスブレーブスとして生まれ変わったチームは、ユニフォームを一新し、ホーム用の「Braves」のロゴは赤と黒から青と黄色に変更、ビジター用は「Hankyu」に代わって「ORIX」のロゴが採用され、上着の色もスカイブルーから青に変更するなどイメージチェンジが図られた。
ブレービーのイラストも、ホーム用ユニフォームからは消えたものの、ビジター用ユニフォームには、その左肩の位置にしっかりと残っていた。
オリックス元年となった、この1989年のシーズンは、福岡に移転するホークスから前年の二冠王・門田博光が加入し、三冠王の実績を誇るブーマー、前年に首位打者争いを行った松永浩美、中堅選手として活躍し始めた石嶺和彦、若手の長距離砲として成長を遂げた藤井康雄らが、シーズン開幕直後から打ちまくり、新しいユニフォームカラーにちなんで「ブルーサンダー打線」と名付けられたブレーブスの打撃陣は、他チームの脅威となった。
ブルーサンダー打線の圧倒的な破壊力もあり、4月から8月上旬まで、チームは首位を快走。
このまま5年ぶりの優勝か? と思われたのだが……。
夏場に入ると、ベテラン中心の投手陣に疲れが見え始め徐々に失速。8月12日にはついに首位から陥落する。
この年は、前年のシーズンで、あの10.19の最終戦まで優勝を争ったバファローズとライオンズを加えた三つ巴の争いとなり、二年続けて、パシフィック・リーグの優勝争いがプロ野球ファンの注目を集めた。
ブレーブスは、9月に成績を持ち直し、10月5日には首位に返り咲くが、残りの試合で最下位ロッテ相手に3勝3敗と勝ち星を伸ばせず、最終的にわずか勝率1厘差で優勝を逃した。
翌年の1990年も夏場には優勝争いを演じたものの、強力な打線があげる得点をリリーフ陣が守りきれない試合展開が続き、優勝したライオンズから、12ゲームの大差を付けられ2位でシーズンを終了した。
球団譲渡後も、引き続きブレーブスに声援を送り続けていた佐藤少年であったが、中学校への進学でクラブ活動を始めたことから、平日の夜や休日の午後の試合をリアルタイムで観戦することが難しくなっていき、徐々に西宮球場から足が遠のき始めていた。
そして、オリックスに球団が譲渡されてから三年目を迎える1991年のシーズン――――――。
チームは、伸び悩む観客動員とそれまでの阪急カラーに対して、イメージを一新するためか、大胆な変革を行う。球団の本拠地を西宮球場から、六甲山の奥にあるグリーンスタジアム神戸に移転。チーム名も、それまでのブレーブスから、港町の神戸を意識したブルーウェーブと変更され、同時に上田監督が退任し、後任には、ジャイアンツのV9戦士である土井正三が監督として就任することになった。
そして、球団の愛称が変更されることで、ブレーブスにちなんだ名前のブレービーも、球団マスコットとしての役割をお役御免となる。
こうして、先述した阪急グループから、新生オリックスに球団譲渡する際の
・ブレーブスの愛称の継続使用
・西宮球場を継続して本拠地とすること
・上田利治監督の続投
という3つの条件は、三年目ですべて反故にされることになってしまった。
(本拠地の移転も、チーム名の変更も仕方ないかも知らん……けど、なんで監督が阪急に縁もゆかりも無い人やねん……!?)
梶本、長池、山田、福本など二度の阪急ブレーブス黄金期を支えたレジェンド戦士ではなく、別のチームのOBを招聘する球団の方針に納得がいかなかった佐藤少年は、贔屓球団の本拠地が神戸の山奥に遠のいたこともあり、優勝した1984年のシーズンから続けていた球場での観戦をついに取りやめることにした。
(ブレービーも居なくなるし、もう、オレの愛したブレーブスは消えた……あとは、新しいファンがブルーウェーブを応援してくれ)
中学2年生にして、様々なことを達観した佐藤少年は、プロ野球を熱心に見なくなってしまった。
それでも――――――。
プロ野球のマスコットキャラクターに大変革をもたらした「中の人」は、その仕事をまっとうし続けることになる。




