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第7章 勇者たちの再興。もうひとつの10・19〜④〜

「ドラフトの星・人生流転」

「ファンのため『道化役』プライドは心の中に…」

「元巨人ドラフト1位の島野 今はピエロ」


 こんな記事が新聞に掲載されたのは、ブレービーが登場した年のシーズン終了後のことだ。


 当初、ブレービーの中の人間が誰かは非公開にされていた。だからこそ、島野もパフォーマンスに集中することができたのだが、この記事が出た直後から、


「ドラフト1位が何をやっているんだ!」

「おーい島野、そんな情けないことよくやってられるな」


と、酔っ払った観客に野次られることも多くなった。


 今でこそ球団マスコットの存在は、12球団どのチームでも、なくてはならないものになっている。だが、当時、パフォーマンスをするマスコットの姿は珍しく、それゆえ、心ないヤジが島野を苦しめたのだ。


 島野がマスコットになって2年目の夏、この頃にはもう「今年いっぱいで辞めよう」と決意していたという。


 そんなとき――――――。


 1982年8月のある夜のこと。試合が終わり、西宮球場そばの飲食店で陰鬱としながら酒を飲んでいた島野の耳に、隣の席に座っていた客からこんな会話が漏れ聞こえてきた。


 試合帰りの客がほとんどだったが、周囲の人たちは、島野の顔を知らない。


 そんな中で、


「お父さん、あしたもブレービーを見にこようよ。面白かったね」


と父親に語る子供の声が耳に入ってきたのだ。


「ふつうは阪急の試合が面白かったと言うと思うんです。ところがブレービーが面白かったと言った。とても落ち込んでいたときだったので、一人でも俺を見に来てくれているお客さんがいるんだと、自分に言い聞かせた。そのとき目が覚めたように我に返ったんです」


 元選手としてのプライドから真の意味で解放された島野。ヤジも気にならなくなり、さらにパフォーマンスに磨きがかかったことで、ブレービーの人気はさらに高まっていった。


 さらに、元選手であることは、他球団のマスコットには真似ができない、ブレービーと島野にとっての絶対的なアドバンテージだった。なぜなら、旧知の選手たち、そして時には審判団との絶妙な掛け合いによって球場を沸かせることができたからだ。判定に不満があれば、ファンを代表して審判団に詰め寄って「抗議のふり」をするだけで、場の空気が変わって、反撃のキッカケになることもあった。


 また、助っ人外国人のブーマーがホームランを打った際には、誰よりも早くハイタッチを交わすのがお約束だった。だが、あるとき、ブーマーの手が勢い余ってブレービーの頭をはたき、着ぐるみの頭部が外れて、島野の顔があらわになったことがあった。まさかのハプニングに、球場に詰めかけたファン、特に子どもたちが喜んだという。


 当然、そんな子どもたちの中に、幼き日の佐藤少年も混じっていたのだが……。


 彼が小学校に入学した1984年――――――。


 70年代のブレーブスの黄金時代を支えたベテラン勢が去って以降、パシフィック・リーグでは、新興チームの西武ライオンズが絶対王者に名乗りを上げようとしていたが、ブレービーの活躍や一新されたユニフォーム(左肩の位置には、ブレービーのイラストがあしらわれていた)に呼応するように、阪急ブレーブスは、6年ぶりにリーグ優勝を果たす。


 前人未到の1000盗塁を達成した不動のトップバッター福本豊、来日外国人初の三冠王にしてシーズンMVPのブーマー、史上最高のスイッチヒッターと呼ばれた松永浩美、前年に打率3割・本塁打30本・30盗塁のトリプルスリーを達成した簑田浩二などを擁した打撃陣に加え、絶対的エースの山田久志、最多勝&最優秀防御率の今井雄太郎、最優秀救援投手に輝いた山沖之彦など層の厚い投手陣が噛み合って、2位のオリオンズに8.5ゲーム差をつける圧倒的な成績でパシフィック・リーグを制覇した。


 これは、佐藤がブレーブスのファンになってから、最初にして唯一のリーグ優勝でもあり、小学生にして初めて経験する百貨店の優勝セールや、阪急電車の先頭車両を飾るブレービーのヘッドマークを目にして、大いに喜びを味わった。


「チームは強いし、ブレービーは楽しく試合を盛り上げてくれるし、西宮球場にも、もっとたくさんお客さんが来てくれたらイイのに……」


 少年時代の佐藤の願いが叶ったのか、ブレービーの奮闘もあり、リーグ優勝から2年後の1986年には、球団史上初の観客動員数100万人を達成。


「西武がナンボのもんや! ベテランと若手、投打が噛み合えば、ブレーブスだって優勝できるんや!」


 佐藤少年は、そんな想いでブレーブスに声援を送り続けたが、主力の怪我やベテラン選手の衰えなどもあり、その後のシーズンは、すでに黄金期を迎えていた西武ライオンズの後塵を拝するばかりだった。


 そうして迎えた1988年――――――。


 84年以降優勝から遠ざかるチーム立て直しのため、球団オーナーが代わり、上田監督も福本豊や加藤秀司とともにチームの中心打者だった蓑田浩二を金銭トレードで巨人に放出し、蓑田の後釜としてダラス・ウイリアムズを獲得するなど戦力を再編。


 覇権奪還を目指したものの……。


 4月を6勝12敗と負け越して開幕ダッシュに失敗すると、6月まで最下位生活が続いた。7月は10勝4敗と勝ち越して4位に浮上し。しかし、前半の出遅れが響いて借金返済はならず、そのままBクラスでシーズンを終えた。


 この年の春、『猛烈ヤジ合戦を大阪球場に見た』と題して、観客数が伸びあぐんでいた大阪球場のホークス対ブレーブスの一戦で繰り広げられる両チームの応援団によるヤジの模様を特集するコーナーが『プロ野球ニュース』で放送された。


 最下位を争う両チームの死闘は、延長戦の末、暴投によるサヨナラゲームでブレーブスの敗戦という、この年の両チームを象徴するような、なんとも締まらない幕引きとなった訳だが……。


「パ・リーグの伝統は、南海と阪急で守る!」


 というホークス応援団の心からの叫びを裏切るような事態がシーズンオフに待っているとは、このとき、誰も知らなかった。

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