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第7章 勇者たちの再興。もうひとつの10・19〜②〜

 西宮ガーデンズの周辺だけでなく、ショッピングモールの内部にも、球場の痕跡は残っている。


 ガーデンズの内部にある当時の名残を見て行こう。


 阪急グループとしても、球団譲渡・球場取り壊しという重い過去を無視するわけにはいかなかったのか、ガーデンズには明確な球場の残像というよりモニュメントが二箇所、開業当時から存在している。


 その一つが、4階のスカイガーデン(屋上遊園)のイベントステージ横にひっそり設置されたホームプレートとシンプルな球場写真だ。


 ホームプレートは球場にあったそれと同じ位置と角度に配置されている(屋上なので高さは違うのだが…)ので、かつての球場を知る者にとっては、現在と過去の建造物の位置関係をレイヤーで把握できる、貴重なモニュメントでもある。


 「福本はTOHOシネマズのあたりを守っていたのか」


 打者目線で、ホームベースのそばに立ち「ブーマーのホームランはジョーシン電機の店舗の方に飛んでいくはず」と、妄想にひたる。


 横のステージでは、肩を寄せ合って自分たちのダンスをスマホで撮影をしている地元の女子高生たち。


 星野や石嶺たちよりも年若い彼女たちは、ここに野球場があったことなど、知る由もないだろう。


(ああ、昭和は遠くになりにけり。いや、この表現がもうすでに昭和か……)


 しんみりとしながら、佐藤はガーデンズ内を移動。球場のジオラマ模型がある5階のクリスタルガーデンに向かう。


 この「阪急西宮ギャラリー」こそ、最後のそして最大の阪急西宮球場の残像だ。


 球場のジオラマは、ガーデンズ開業時TOHOシネマズの横にあったが、佐藤がしばらく訪れていない間に屋上駐車場を挟んだ西側の建物に移転していた。この精密な模型を前にすると、かつての球場を知る者は、あふれ出る記憶を抑えることはできない。

 かつての球団の親会社は、ある意味、秀逸な「罪滅ぼし」を残してくれた、と佐藤は感じる。


 ジオラマはつるんとした感じで美しいが、かがみ込んで徐々に視線を下げて行くと、あの昭和の黒ずんだコンクリートの手触りを伴った球場や周囲の光景が脳内に甦り、それらは「そのもの」に見えてくる。昭和の西宮球場を佐藤は歩く。


 薄暗いあの照明、タバコと酒とスルメの薫りがただようスタンド、選手もオッサン、ファンもオッサンの、昭和のプロ野球の質感。

 駅の南口から球場に向かうまでにあったカレー屋、おでん屋……特設スタンドの競輪の車券売り場。


 それらは、いまも佐藤義徳(さとうよしのり)という人間を形成するアイデンティティーの一つになっている。


 そして、彼は以前の阪急西宮ギャラリーに思いを馳せる。

 かつて、このジオラマが移転する以前、模型ショーケースの脇にはモニターが設置されていて、ボタンを押すとブレーブスのマスコット、ブレービーの映像が流れた。

 それは、試合中にバックスクリーンで流されていたアニメーションだ。色合いといい、動きといい、映像を再生するたびに、懐かしさが込み上げてきた。


 佐藤は、ブレービーのことを思い出すと、そのマスコットを演じていた島野修(しまのおさむ)さんのことを思わずにはいられないのだ。


 高校時代、神奈川県代表のエースとして甲子園に出場した島野投手は、高校卒業時にプロ野球のドラフト会議で一位指名を受けた。


 山田久志(阪急)、東尾修(西武)、有藤通世ロッテ、山本浩司(広島)、田淵幸一(阪神)、星野仙一(中日)――――――。


 のちに、選手としても監督してもプロ野球史にその名を刻む面々が、各チームのドラフト一位に選出される中、島野は、当時、人気実力ともに他球団を凌駕していた読売ジャイアンツからドラフト一位に指名された。


 昭和のプロ野球ファンにとっては、有名なエピソードだが、当初、読売ジャイアンツは、田淵が他球団に指名された場合は星野仙一を指名する予定だった。しかし、当時のジャイアンツは投手陣が充実していたため「即戦力より素質のある高校生を」との川上哲治監督の希望により島野を急遽指名したという。ジャイアンツから指名挨拶を受けるなど、巨人入りを確信していた星野は「ホシとシマを間違えたんじゃないのか」と嘆いたとされる。

 結局、星野は一位指名された中日ドラゴンズに入団し、島野は当時としては破格の契約金1500万円、年俸180万円で巨人に入団することとなった。


 しかし――――――。


 ジャイアンツに入団後の島野投手は故障に悩み(元々高校時代の投げすぎで、肩を痛めてしまっていた)三年目の1971年にプロ初登板初勝利を挙げるが、それ以降は敗戦処理が多くなる。


 そして、プロとして7年目を迎えた年に、阪急ブレーブスにトレードされるのだが、当時、黄金時代を迎えていたらブレーブス投手陣の層は厚く、在籍三年間で一軍登板はなく、島野は1978年に現役を引退した。


 引退後、打撃投手を務めたあと、兵庫県内で飲食店を経営していた彼に、阪急ブレーブスから、あるオファーがあった。


 ファンの獲得に様々な方策を考えていた球団は、マスコット・キャラクターの導入を検討。島野の宴席での明るさを覚えていた球団幹部が、彼が適役だと判断し、新しいマスコットを演じることを要請したのだ。

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