三話 赤髪と少女の二人組
男は一瞬躊躇ったが、結局咆哮と共に駆けだした。
だが、分かり切ったその決意に思わず笑みが零れる。
これほど分かりやすく、まんまと誘われるとは。
俺はすぐ後ろの罠を足で踏みぬいた。
直後、背後の床から炎の柱が天井を焦がす。
それに完全に不意を突かれた男が立ち竦む。
すかさず横へ回り込み、今度は壁の罠へ。
そう、罠は床だけではない。
だが床ばかり見ていた男はその罠の存在に気付いた時には既に俺の手中だ。
走り抜け、既にそこにいない俺を貫こうした壁に仕込まれた十本近くの槍。
それが偶然にも射線上にあった男の顔を貫かんと飛び出した。
「ヒィ」
完全に怯え切った男はもはや視線すら俺に向けてはいなかった。
ただひたすらに転ぶように地面を転がり、そこから逃げる。
だが、そんなの俺からすれば隙以外の何物でもない。
俺は男の後頭部を掴み持ち上げる。
「ま、待て!」
掴まれたのが後ろでは抵抗も難しい。
力の入りにくい体勢でその手を解こうと必死にもがく男をそのまま突き出している最中の槍へと放り投げる。
「あぁぁぁぁ!!」
そんな断末魔みたいな叫びが響く。
だが、その槍の切っ先は男の顔の前を通り過ぎ、動き続ける柄は触れた男の顔を擦り焼いた。
「うべぁ」
「大袈裟だな」
恐怖か、驚きか、すっかりと腰が砕けてしまった男は地面にへたり込んだ。
そんなあまりの滑稽さに笑えば男はまるで化け物を見るように俺を見ていた。
這うように体を引きずり俺から逃げようとするが、到底歩く速度にすら遠く及ばない。
せめてもの慈悲で俺は足を踏みその逃亡に終止符を打つ。
「ち、近寄るな! 化け物!」
「何が化け物だよ、先に手を出してきたのはお前だろ」
「な、なんで迷宮の罠を、なんの躊躇いもなく起動させるんだよ……!」
全く先に手を出して、追い詰められたら怯えて。
狭量なら手を出さなければいいものを。
そう呆れながら俺は起動させた床の罠を指さす。
「お前、罠は見えるだろ?」
「あ、あぁ、それがどうした」
「俺はお前以上に詳細に罠の場所が見える」
大袈裟なように罠を避ける様子からして、男が判別できるのは半径五十センチ程度の範囲。
だが、俺にはその地点が手のひらサイズでそこにあることが分かる。
それこそさっき見たく戦闘で織り交ぜることすら容易な程に。
「お前は逃げるか、それが出来なくても叩きのめせると踏んでこんな馬鹿なことをしたみたいだけど、いかに自分が馬鹿なことをしたのかわかったか?」
「あ、ああ、悪かった、俺が馬鹿だった」
「なら、渡すもんがあるよな?」
そうドスを利かせ、男を脅す。
男はコクコクと何度も頷き、奪った魔石二つをこちらに転がした。
だが、ふと邪な考えが過ぎる。
考えれば俺はこいつを捕まえるまでにもう数体倒せていたのかもしれないんだよな?
そんなただ返して貰うためだけに、これほど時間を使わせられた。
そう思うと許してもらえると落ち着きを取り戻す男に無性に腹が立つ。
なら、こう言ってもいいよな?
「おい、それだけか?」
「は?」
「お前が奪ったのは本当にそれだけか、て聞いてんだよ」
俺の質問の意図が伝わらなかったのか男は困惑した様子でその表情が固まる。
「まさかこれで全部じゃないよな?」
「ぜ、全部だ! 俺が奪ったのはその二つ、他のにはなんにも手を出してねぇ!」
「いやいや、まさか剣を向けて追いかけさせて、挙句の果てに口答え、知ってるか? 商人には機会損失って言葉があるんだってさ」
聞き齧っただけの言葉だが、それでも男が理解するのにそれほど時間はかからなかった。
それでもどこか出し渋るように男は眉間に皺を寄せ作り、手は動かそうとしない。
だから俺は顔を近づける。
「知ってるか? ギルドだと迷宮での殺人って罪じゃねぇんだよ」
「わ、わかった、金は出す、有り金全て出すから、命だけは」
どうやら最後の脅しは効果てきめんだ。
一応言っておくが、ギルドどころかどこでも殺人は違法だ。
だが迷宮は剣での傷はさっきみたいなリビングアーマーのものかを見分けるのは難しく、バレにくい。
全て嘘と言い切るには少々今の状況は都合が良すぎた。
漸く男が焦りながら金を取り出そうと手を動かす。
そうして取り出した財布の小袋は見ればげんなりするくらいの硬貨しかない。
いや、そもそもそんなことをする奴が金を持っている方がおかしな話か。
落胆のため息を押し殺してそれを手に取る。
その時背後から誰かの足音。
それも一人ではない、数人が近づくものだった。
顔を向ければそこには外套を身に纏った二人。
一人は背丈は俺より少し大きい程度だが、肩に槍を担ぐ。
対してもう一人は子供だろうか。
貧相な身体だが、手に持つ箒は身体の大きさに釣り合うとは言い難い程に大きい。
明らかに場違いと言わざるを得ない。
少なくとも、迷宮という命の危険がある場所に連れてくるなど、それを警戒するなと言うほうが無理だ。
二人のうち子供がこちらに指を指す。
「ひどーい! 誰かが男の人を脅してる!」
嘲るような少女の高い声音が響き渡る。
眉を顰め、その外套の二人を睨むが、二人がたじろぐ素振りすら見せない。
体格からして槍を持ったのは男、小さいほうの少女は声こそ幼い。
だが、その声は臆するどころか演技とすら思えるほどにわざとらしい。
気味が悪い。
だが、二人はこちらへと向かってくる。
「おい、誰だお前ら」
「ただの冒険者だ。だが、子供の教育に悪いからどっかに行ってもらおう」
俺の質問に答えにならない返答と共に男が肩に担いだ槍の切っ先を下げる。
構え、という割には重心も高い。
だが、それで敵意は無いかと言われれば、否。
ちらりと見えた男の目は、狩人のような鋭いものだった。
男がもう一歩近づく、瞬間その姿が突如消えた。
なんの比喩でもない、眼前から残像すら残さず、その姿が掻き消えた。
「ど、どこに行った……」
直後、何者かに背中を押された。
「っと」
よろめく体のバランスを取ろうと右足を前に出す。
だが、その足は言うことを聞かない。
すぐに両手で地面に手を付き着地。
そして立ち上がろうとしたときに気付いた。
右足が膝から垂れる液体が地面にドス黒い水溜まりを広げていた。
理解が出来ない。
まるで幻術にかかったのかという錯覚。
背後から聞こえた息を飲む声。
「――あああぁぁぁ!!」
悲鳴に似た叫び声が耳を劈く。
見れば、その叫び声を上げたのは盗人の冒険者。
彼は目を見開き、しきりに口を震わせる。
声にならない声が俺に何かを訴えていた。
恐る恐る指を差す先には、彼自身の足。
そして、その横に倒れる膝から下の一本の足。
それが俺のだという事にすぐに気づいた。
「俺はお前に話がある。そこの腰砕けは帰って寝てな」
いつの間にか俺の背後に回り込んでいた外套の男は盗人の冒険者を睥睨した。
「これは夢で、君は何も見ていないし関係ない。いいかい?」
優しく響く男の言葉。
だが、その地面に向いた槍の切っ先を少し上げれば男の呼吸は浅くなる。
未だに立てないまま体を引きずりながら必死に逃げる彼を眺めている男の興味の色は薄い。
ただ一人残された俺に、その冒険者の顔が向けられた。
「おい、名前くらい名乗れよ!」
「はぁ、ただの冒険者。それ以外言うつもりはない」
ため息交じりにそう言い、男は被っていた外套のフードを脱ぐ。
露になった赤い髪に端正な顔立ち。
その双眸は飲み込まれそうになるほどに深い黒。
だが、その目はまるで物を見るかのようにそこにあるのは好奇のみ。
男が少女の方を見る。
「一応確認だが、こいつで間違いないんだよな?」
「ええ、間違いない」
「間違いないって、何が……!」
そんなささやかな疑問すら二人は意に介すことなく、男が槍を構える。
「ただ、お前は運が悪かった」
答えとは到底言えない返答。
それに何か言い返すよりも早く、男が槍を横に払い、俺の世界は回転した。




