76:ひとりごと
ラウラは雪原に来ていた。最初におちてきた場所である。考察を重ねた結果、実験をするためにこの場にやって来た。同じ村内であるにも関わらず、気温は低い。
普段着ではなく新調してもらった防寒着に着替えていたが、それでも寒さに身が震えた。この服が視界に入るたびにラウラは村の様々な者たちを思い出す。
「いいえ、今はそんなことを考えている場合ではない」
余計なことを考えれば、魔法の制御はたやすく乱れてしまう。ラウラは身をもってそれを知っている。頭を覚まそうと、積もった雪を手に取り頬に当てる。
「うっ……こ、これでいいわね」
用済みとなった雪を捨て、手を振り払う。ラウラの手と頬は真っ赤になっていた。
何度か深呼吸すると、まっすぐ見据える。気持ちが切り替わったことを確信すると、ラウラは口を開いた。
「永久の庭園、調和の香、風の魔法」
この思い出はイデアと何の関係もない。幼少時久しぶりに会った母親と、手をつないで庭園を回った時のことを思い浮かべる。
長時間考え抜いただけあって、その詠唱は正しかった。ただ風が吹き、周りの木々を揺らすとやがてそれは収まる。
「なにこれ……情けなさすぎる」
ラウラが想像していたのはもっと、強い風であった。あまりの落差に溜息が出る。だが、主目的は風を吹かすことではない。
魔法を使うことで生じる、違和感を掴むためだった。ラウラは目を閉じると、集中する。それは身の回りを取り囲んでいるように思えた。自分以外の、他者の気配である。
「ああ、やっぱり。あなた、ずっと見ているのね。なんて気持ち悪い」
この声が本人に聞こえているかは分からない。それでも伝わるように顔を歪め、吐き捨てるように言った。イデアが魔法を使うたびに不安定になったのは、このせいもあるかもしれない。
前に村外へ出たとき、ラシルドを中心地として、村内が守られていると聞いた。つまり村内に居る限り、全てが筒抜けになるということだ。それを防ぐには、ここを出なければならない。
今のラウラにそんな力は無い。
「永久の庭園、調和の香、風の魔法!」
せめてイデアと同じくらい。飛ぶように移動できなければ。それが、最低限のスタートラインである。
ラウラは叫ぶように、詠唱する。今度は身にまとうように。だが、何回行使してもうまくいく兆しは見えない。それでもラウラはあきらめない。元々才能がないのは理解している。だからこそ、努力で補わなければならない。
「……ぁ………はぁ、か、風の魔法!……っう」
声がかすれ気味になる。ようやく風がスカートをまくり上げない程度に、落ち着かせることができた。しかし、目的にはまだほど遠い。腰を曲げて膝に手を付くと、ラウラは一旦息を整える。
視界に自分の手が目にうつる。根元にうっすら線が浮かんでいる右手のほうだ。それを見て、ラウラはイデアの手足を思い出した。きっと同じように時々動かなくなるに違いない。
「え……あれ?」
ラウラは右手の一部が使い辛くなる程度で済んでいる。だがそれが四肢全てだとどうなるか。
その割には動けない、補助が必要だなどとは聞いていない。すなわちイデアは歩行補助に魔法を使っている。おそらく起床時に軽く、持続するものを。だからアーシェに感情をぶつけられようが、はじくことができたのだ。
記憶を失いそれができなくなった今、イデアはまともに動くことができているのだろうか?そんな不安が頭をよぎる。
「本当に、わたしはだめね」
ここに来てすべきことは、考え事ではない。いくら心配しようが、現時点の自分では手が届かない。イデアの現状維持に関しては、彼らに任せるしかない。ラウラは顔を上げると、背筋を伸ばした。
「えぇ?」
どこからか声が聞こえた。聞き覚えが全くない声である。きっとこの辺りに住む者なのだろう。ラウラは辺りを見渡すが、木々と雪原しか目に入らなかった。
一人でぶつぶつ言っていたことを全て聞かれていたかもしれない。そう思うと、ラウラは恥ずかしさで顔が赤くなった。
◇
家のドアを叩くと、エミリアが勢いよく迎えてくれた。あまりに急いだのか、ラウラにぶつかりかける程である。
「エミリア、どうしたの?」
ラウラが尋ねると、エミリアは顔を青くする。
「そ、その。予想はしていたのですが」
「ここでは落ち着かないし、家に入りましょう。ね?」
ラウラはエミリアの腕を掴むと、もう片方の手でドアを閉めた。椅子へと座ると、エミリアは目を逸らしながら話しはじめた。
「お騒がせして、申し訳ありません。大したことではないんです。た、ただヤギのかたがいらっしゃっただけで」
「あ、ああ。なるほど……」
レザルタスが家へとやって来る予感はあった。だが約束をしているわけでもなく、会いたくもない。だから雪原に向かったのだが、失敗だったとラウラは思う。
「ごめんなさい。エミリアに苦労をかけてしまったわ」
「いえ、私がいけないんです。苦手だろうと、もっと冷静にならないといけませんね」
エミリアは両手で頬を抑えるとぐるぐる回す。表情を作ろうとしているのだろう。ラウラは微笑ましい気持ちになった。
「急だったので、驚いてしまって。細かいことは覚えていないんです。すみません……」
「気にしないで」
「色々話していましたが、まとめるとラウラ様にお会いしたい……と言うことだと思います」
「……次に来たら断ってもらえるかしら?ドアも開けなくていいわ」
関係性に頭を悩ませる存在は多い。レザルタスに対しても、どう接していいかラウラは分からない。彼はあのラシルドの側近で、村の戦闘要員だ。暴力を振るわれることはないだろう。
だが獣人の圧倒的な力を見た後では以前と同じように、気軽に対応できない。力は力だ。まだ無力な少女であるラウラは、恐れを悟られてしまうことを危惧していた。
「ラウラ様がそう言うのでしたら、承知しました」
エミリアは口を閉じながらも、何かを言いたそうにしていた。
「ねえ、エミリア。これ以上わたしのことで気を遣わないで。なにかあるなら言ってもいいのよ」
「……だめですね。ラウラ様に隠し事はできません。煩わせることを増やしたくなかったのですが。ヤギのかたがもう一つ言っていたんです。今、カルボス様の自宅にて、ちょっと事件が起こっているようで」
おそらくこれは、前にラシルドが言っていたことだろう。ラウラは言われる前に感づいた。
「それって、ロッカさんのことだったりする?」
「よくわかりましたね。さすがラウラ様です。はい。ロッカ様とルイネ様が、保護者を盾に立てこもっているそうです」
「こもってなにがしたいのかしら……目的は……」
ラウラはラシルドに言われたときに、断った。それにも関わずどうしても気になってしまう。
「そこまでは知らないようでした。ただ、食事を作れない者たちが、困っているとのことです」
「そう……」
ラウラは現在食事に関して困っていない。だが前にカルボスに頼って居た身としては、心苦しかった。それでもラシルドの腹の立つ顔を思い浮かべると、行くものかとも思う。
どうすべきかは、しばらく考えよう。少なくとも、手のひらの上で踊ってやるものか。そうラウラは思った。




