71:向き合う時
ラウラはまるで水中の中に居るような気分だった。周囲にもやのような、薄く赤いベールが揺らめいているからだ。
体は軽く、歩くのに抵抗は感じない。むしろいつもよりも軽いほどだ。少し前に、右手が吹き飛んだなど嘘のようである。ラウラはそう考えながら、左手で右手を撫でた。
家の中は、外見と同じく広い。アーシェのサイズに合わせた造りであることが、見て取れる。
階段の下までたどり着くと、一段一段の幅が広いことに驚く。一歩では上るのに品がなくなると感じ、二歩で慎重に上っていく。
上り切った階段のすぐ横に、部屋があった。ここがイデアの居る場所だろう。ラウラは深呼吸すると、ゆっくりドアを開けた。
イデアは正面を向いていた。ベッドの前の地面に座り込んで、頭を抱えている。下を向いているせいか、ラウラの侵入には気づいていない。
「……イ、イデア?」
ラウラがそっと声を掛けると、イデアは勢いよく顔を上げた。小動物めいた目が、いつも以上に丸くなる。最初に再会したときよりも血色は良く、隈もない。死人同然の顔ではなくなっていた。
「……え……ドレミちゃん?」
自分のことが認識できていると、ラウラはホッと胸をなでおろした。
「なんでっ、なんでこんな所に居るの?火の……そっか、無理だったんだよね。燃える街から、救い出せずに……」
「違う。わたしは生きている」
ラウラは両手を広げて見せる。
「おかしい……よ、だって。どう見ても、ドレミちゃんは燃えている」
それについては否定できなかった。イデアの傍に行くために、ラウラは火の魔法を行使しているのだ。いっそ、イデアの周りを消火し、自身の火を消すことも考えた。そうすれば、他の者たちもここにやって来れるだろう。
だが、ラウラは一度水の魔法に失敗している。詠唱はあれであっている確信はあったが、また同じことをするのは避けたい。
もう一度切り落とされるだけならば、ラウラは手を捧げる覚悟がある。
しかし、それを見たイデアはどう思うだろうか。ただ会話をしているだけで、このありさまである。取り返しのつかないことになるのは、間違いない。
「同じ魔法を使ってるだけよ」
「……魔法?そうだ……書を……届けようとして。苦しんでるドレミちゃんの声が……あぁ……動かなかった。助けられなかった!」
その時の記憶を思い出しているのか、額にしわを寄せ、丸い目がぎゅっと細められる。
「えっ、イデア……あの時、すぐ傍に居たの?」
「うん……気絶からすぐ目が覚めて。あそこは危ないから、這って出てった。ずっと苦しむ声を聞いていた。去った後も体は動かなくて、奴らに捕まった」
ラウラはそれを聞いて後悔する。あの時もっと、うまくできていたら。説得できずとも逃げられていたら。きっと、イデアを見つけることが出来たはずだ。
「ごめんなさい……わたしは」
「なんで謝るの!?おかしい……おかしいよ。いつもはもっと責めるじゃない!?だめ……前に言ってた通りにしないと。頭の中から追い出すんだ。でも、今はどこ?あたしはいつに居るの?」
他に誰か敵が存在するかのように、辺りを見渡す。当然ここに、ラウラ以外の者はいない。
イデアはラウラと同じであった。悪い方向へ想像を膨らませ、絶対に恨んでいると思い込む。
「わたし……なんだか馬鹿みたい。イデアがそんなこと、言うはずないのに。ずっと責めていると思い込んでいた」
「聞こえない……なにも聞かないから」
「いいえ、聞いて。あ……あああ、あー……うん、この声のトーンならよく響く」
ラウラは息を吸い、喉を軽く叩くと声を調節した。イデアは手を開いて、耳に当てているだけである。そのくらいなら、少し工夫するだけで聞こえるだろう。
「……いや」
「嫌じゃないの。なんだか子供みたいね、イデア。それでもいい、再び会えただけでわたしは幸せ。一緒に皆の所に戻りましょう。せっかく生き延びて、平和な村に来ることができたんだから」
ここで一つ誤算する。ラウラはイデアのことを高く見すぎていた。幼少時の辛い生活から自力で抜け出し、臆せず自分のような人間と関われる、強い者だと思っていた。
「みんな?」
「そうよ、すぐそこに待っているわ」
「みんな、みんな……あたしはそれを見せられた。希望のない事実を。助けたかった子たちは死んだし、街はもう焼き尽くされて消滅した。か、帰るところなんて、どこにもない!」
二人の言う皆は明らかに食い違っていた。ラウラはこの村の者たちを。イデアは街の人たちを考えていた。
「違う、イデア。街じゃなくて、この村のことよ!」
ラウラは幻覚こそ見なかったが、悪夢で責めるイデアを見た回数は数えきれない。だが、ラウラには同じ暗い過去を共有する相手が居る。悪い夢を見ても話をして、それを過去としてしまい込むことが出来た。
イデアは違う。誰にも細かい過去の出来事を話さず、動揺する自分をおかしいものだと処理した。穏やかな日常は、束の間の逃避をさせたが、根本的な解決には至ってない。目を背けた結果、何度も爆発させている。さらにイデアはラウラ以上に肉体的損傷を受けている。傷は治されようとも、それは心の傷として深く刻み込まれている。
そこが二人の決定的な違いであった。
「やめて!これ以上惑わせないで!う……あ……ああ、痛い!あたしの足……分からない。何も見えない。あ、あぁああぁぁあ!返してえええぇえ!もどしてよおおおぉお、あた……あたしの……」
イデアはもう聞く耳を持たなかった。ひたすら苦しそうに叫び続けている。どうあがいても、話し合いが出来る状態ではない。
「イデア……だめ、後悔してる場合じゃない」
発狂するイデアをなんとかしたいと、ラウラは策もなくただ前に進んだ。
このまま数歩ほどで、彼女の元にたどり着くだろう。だが、それは叶わなかった。
目の前に突如、黒い生き物が現れた。フクロウと同じく何の前触れもない。ラウラの歩みを邪魔するように立ちふさがった。
漆黒の翼がはためき、見開かれた目は赤い。口元はにやけているのか、弧を描いている。ヤギのようで、もっと別の邪悪な何かに見える者。小さな少女ごときの威圧など、消し飛んでしまうだろう。圧倒的な強者であった。
彼はラウラに背中を向けると、大きな手でイデアの頭部を掴んだ。見せつけるように、高く持ち上げる。まるで、これからねじ切って食べるかのような、乱暴さである。
「過去の記憶を焦がし和らげる。安寧に満たし封印せよ」
詠唱のようだが、何かが違うものだった。そして、掴んだ頭部に雷が迸る。
「あああぁああぁぁあ!!!」
イデアの体は痙攣し、辺りを包む火は消えていく。ラウラも集中を乱したのか、同じく消えていった。
ラウラはその行為を止めさせようと叫ぶが、轟音のせいでかき消される。近づこうとしても、はじかれた。雷が収まった時、ラウラは再び叫んだ。
「イデアに何をした!?答えなさい!!ラシルド・ドラクロワ!!」
舐められないように、背筋を伸ばし、手を横に振る。その姿はラウラの嫌いな父親にそっくりである。
この村のぬしである彼が立っていた。
滅多に中心から動くことがないと言われていた存在が、今こうして目の前に居る。ラウラに向き直ると、嬉しいのかさらに口元を吊り上げた。
こういう誤字だけはするものか!と上げる前は意気込んでいましたが、先日読み直していたら、相当するものを見つけてしまいました。
投稿する前に何度も確認しても、なぜこれを見逃していたのか。不思議な気分と恥ずかしさで一杯になりますね。
……ということで、しばらく誤字脱字等のチェックをしたいので、毎日更新が空きます(ストックが迫って来ているのもある……)
完全に尽きたわけではありません。ここで止めるのもあんまりですし。頑張りまーす。




