62話 これからってさ。
何故か私の幸福度が上がってしまった。脳のセロトニン的な何かが増え、幸せホルモンがうんたらである。一つ確実に言えることとしては、イチゴ飴は私の大好物であったということだ。美味しいよね。一日に何個でもいけちゃうのだ。
今の私はそれなりに機嫌が良いので、神代少年の相手をするのも悪くないなんて思ってきたよ。相手をするったって、話の相手くらいしかすることはないけれどね。
「それでさ、さっきの続きだけれど……どうかな。僕と友達になってくれないかな」
でたよ、捨てられそうなチワワの様な顔でこちらを見てくるやつ。そういうのは私ではなく、もっと女の子女の子している女子にしてほしいものだよね。
とは言え、なんだろうか。別に惚れちまったぜとかではないんだけれど、何となく私も、もう少し話してみてもいいのかもなんて思ってしまった。
あれかな? 少なくとも前世では見た覚えのない人だからかな?
こんな人が近くにいたなら、ましてや転校してくるとなれば、中々印象深いことになっていたと思うんだよね。でも、全く、まーったく記憶にない。
彼が何を好きで、どんなことに怒って、これからどんな風に過ごしていくのか。私の記憶をいくら探したところで、その答えは出てこないのだ。
まあ、目の前の少年が友達を欲しがっていることくらいはわかるけれど。
前世の繋がりは大事にしたい。今度こそ、と思っていることだって沢山ある。
でも、そこになかったものを加えてみるのは、いけないことでもないだろう。
前世では、こんな出会いはなかった。
ならこれは、やり直しじゃない。
私の知らない、これからの話なんだろう。
……それもまあ、悪くないのかもしれない。
なので、ここは直感と言うやつに従ってみようかな、なんて思う。
この出会いがこの先どうなるかなんてわからないけれど。友達になる前から、その先のことまで決めなくたっていいよね。
「んー、まっいいよ! ちょっと、大分フライング気味だけど、友達の輪を広げるのも悪くないと思った琴音ちゃんだよ!」
「~!!」
とは言え、面と向かって友達になってよなんて言われるのも気恥ずかしかったので、ちょっとおどけて言ってみたり。
すると神代少年は、ふにゃっと頬を緩めた。そんなに心配していたのかと思うくらい、ほっとした顔だった。
「うわぁ! よかった、嬉しいなぁ! 僕こっちに来るの楽しみではあったけれど、やっぱり不安だったんだよね。新しい土地ともなれば知り合いはいないし……だからこうして仲良くできそうな人と友達になれるなんて、凄く、嬉しいよ」
「うんうん! そうだね! それが私ともなればとても幸運なことだからね! 感謝して拝み倒し、お姉さまと呼びなさい!」
「お姉さま!」
「……ごめんやっぱり普通に呼んでください」
「あはは、ごめんごめん」
いや、乗るの早くない?
なんというかこの少年、相手に合わせるのが妙に上手い。なんか調子狂っちゃうよね。まあ、社交性の高いイケメンというものはこういうものなのだろう。知らんけど。
ともあれ、勢いで変なこと言っちゃったけど、やっぱり私のことをお姉ちゃんと呼んで良いのはマイグレートブラザーズのみだということがわかってしまった。
私のイメージではもう少しすかした少年かと思っていたのに、こうして話すと随分ふにゃふにゃしている。うーん、この手の相手は初めてなんだけれど……まあこれも人生経験?
人付き合いの経験値はいくらあっても困らない。いつ何時、弟たちの相談に乗ることになるかわからないからね!
理想のお姉ちゃんたるもの、あらゆる事態に対応できねばならぬのだ!!
「あ、あと!」
私がそんなことを考えていると、何かを決心したかのように神代少年が声を上げた。
さっきまでの笑顔が真剣なものになっている。改まって一体どうしたんだろうかと、ちょっと小首を傾げてみる。あ、因みに傾げる仕草は淑女度の現れなので必須履修項目だよ。
「これから友達ならさ、名前で呼び合いたいなって……」
「真剣そうな表情で何を言うかと思えば……ふふっ」
一体何を言い出すんだと思えば、名前で呼び合いたいときたか。
いや、この笑いに何か含みがあるとか、そういうのではないからね? 私の周りって基本的には名前で呼ぶことが多いし。勿論、苗字呼びの人たちもいるけれど、私自身は名前呼びに何も抵抗がない。
それをわざわざ、こんな風にお願いされるとは思わなかっただけだ。
だから、まあ。
「うん、これからよろしくね? 優君」
「……!! うん、よろしく、琴音!」
呼んだばかりの名前が、すぐに返ってくる。
まだ少しくすぐったい。でも、神代少年と心の中で呼んでいた時より、目の前の彼の顔にしっくりくる気がした。
とは言え、距離の詰め方えぐくてぐらとにー。
さて、今日もまた濃い一日だったなぁ。
おばあちゃんとの着物関連での会話もそうだし、この催しもそう。あー、それと神代少年改め優君の友達宣言。
くふ、面と向かって友達になろうなんて今日日聞かない。気付いたら成っているのが友達だと思っていたから、こういうのはちょっと新鮮だったなぁ。
優君は一旦東京の方に帰るみたいだから、次に直接会えるのはそれこそ転校してきた時だろう。
その時も、あんな風に笑って私の名前を呼ぶんだろうか。教室でお姉さまなんて呼ばれたら流石に困るので、そこは忘れておいてほしい。切実に。
行き交う人を避けながら、ゆっくりと足を進める。
屋台の方から誰かの笑い声が聞こえた。何か美味しそうな匂いもする。もう十分楽しんだはずなのに、少しだけ歩くのが惜しくなるのだから、私も中々欲張りである。
うん。今日は素敵な一日だった。
前世では感じきれなかった幸福の一部。
今日みたいな催しも、以前ならきっと「楽しかった」の一言で終わってしまった。数日もすれば日常に埋もれて、何を話したかも、誰がどんな顔で笑ったかも、曖昧になっていく。
また来ればいい。また会えばいい。またその時に話せばいい。
そうやって、次があることを疑いもしなかったんだろう。
でも、その次が来なくなってからでは、思い出したくても思い出せないことがある。
何でもない会話が、もう一度聞きたかった言葉になることだって。
こうして、過去? 未来の記憶があるからこそ、今なら少しわかる気がする。
前世の記憶――と言ってしまえば簡単だけれど。今の私にとっては、過去であって、まだ起きていない未来でもある。
……なんともややこしい話だよね。
ともかく、当たり前にあるものは、ずっと当たり前にあってくれるとは限らない。
だから今度は、ちゃんと覚えておきたい。今日話したことも、笑ったことも。帰ったら弟たちに話してあげたいことが、こんなにあるのだから。
これからってさ、どうなるんだろうね。
私には前世の記憶がある。
起きるはずだったことも、失うはずだったものも、ある程度は識っている。
なのに、その未来には優君はいなかった。
次に会った時、何を話すんだろう。
今日みたいに、気が付けば変なやり取りになっているんだろうか。
そんな些細なことさえ、今の私にはわからない。
ここから先は、私の識らない『これから』になるのかもしれない。
「ふー」
ちょっとだけ胸に溜まった不安を、息と一緒に逃がす。
それでも、友達にならなければよかったとは思わなかった。あのふにゃっとした笑顔を思い出すと、次に会うのは少し楽しみなくらいだ。
知らないことが増えても、今日みたいに楽しかったと思えれば、それでいい。
その中に弟たちがいて、家族がいて。今、私の傍にいてくれる人たちが、これからも笑っていてくれれば。
そのために、私には何が出来るんだろう。
私は両手を広げ、見つめる。
小さくてぷにぷにしていて、実に可愛らしい。うむ、我ながら中々のお手々である。
でも、小さい。
何かを注いでもすぐに零れてしまいそうな程に。欲張っていっぱい抱えようとしたら、きっと指の隙間から落としてしまう。
両の掌をそっと寄せてみる。
さっきよりは少し、大きくなった。これならもうちょっと入るかな、なんて。
……なら、零さないように頑張らないとね。
もう一度同じものを失ってから、ああしておけばよかったなんて思うのは嫌だ。
今はまだ小さくても、出来ることは増やしていけるはずだ。今日だって、今まで話したことのない相手と友達になれたのだから。
せめて、今日も素敵な一日だった事に感謝して。
もっともっと、もっと。
決して後悔の無いように。
ワタシが、弟たちが、家族が。
今度こそは、ミンナが幸せになれるように。
多くの人が行き交い、時には立ち止まり、それぞれの楽しいを満喫している。
その中に、一人だけ、同じ場所に立ったままの少女がいた。
艶のある黒髪を真っ直ぐに切り揃えた、小柄な少女。
彼女は屋台にも、提灯にも、楽しげに笑う人々にも目を向けず、ただ、遠ざかっていく琴音の背中だけを見つめていた。
やがて、その姿が人混みの向こうへ消える。
少女はしばらく同じ場所を見つめたまま、ほんの僅かに首を傾げた。
まるで、聞こえるはずのない何かを聞いてしまったように。
何も言わず、少女は踵を返す。
リイィィィン――……。
澄んだ鈴の音だけが、祭りの喧騒へ溶けていった。
一旦キリのいいところまで!
気楽に気負わず更新していこうと思います!




