8.玉座には、逃げ道がない
力のない者はよく道理を語る。
慈悲を。平等を。人としての務めを。
そのどれも奪う側へ向けられる言葉だ。
自分の手で守れないものを相手の良心に守らせようとする。
我にはそれがどうにも浅ましく見える。
ヴァルアス「……それで?」
⬆️ヴァルアス
玉座の肘掛けに頬杖をつき眼下の男を見下ろした。
占領した都市から送られてきた使者だ。
我の前まで辿り着く間に随分と膝を擦ったらしい。衣服の裾が汚れていた。
使者「どうか、徴収量の見直しを……このままでは、民が冬を越せません」
ヴァルアス「冬を越す支度をなぜ我に求める」
使者「支度として蓄えていた食料まで、帝国軍が……」
ヴァルアス「奪った、と?」
男が口を閉じる。我は笑った。
ヴァルアス「そうだ。奪った。我らが勝ったのだからな」
玉座の間に声が響く。
並ぶ臣下たちは誰も動かない。
ヴァルアス「奪われたくなければ、奪う者より強くあれ。それだけの話だ」
使者「ですが、民に罪は……!」
ヴァルアス「罪の有無は聞いておらぬ。力の有無を聞いている」
男の肩が震えた。
言いたいことがあるのだろう。ならば言えばいい。
その言葉を最後まで口にできるだけの覚悟があるなら。
しばらく待ったが男は額を床へ押しつけるだけだった。
つまらん。
ヴァルアス「徴収量は変えぬ。代わりに軍の労役へ志願した者には食事を与えよ。運ぶ荷も、掘る場所も、いくらでもある」
宰相「御意に」
使者「……陛下、それでは……」
ヴァルアス「生きる道は与えた。選ぶがよい」
我は手を振った。
兵に両脇を取られ男が連れ出されていく。
その姿から目を離し広げられた地図へ視線を戻した。
昨日まで他国の色だった土地が帝国の色へ塗り替えられている。
よい。
世界とはこうあるべきだ。
持つべき者が持ち、従うべき者が従う。
弱者が分不相応な土地を抱え込むから争いが起きるのだ。
最初から我に差し出していれば余計な血も流れずに済む。
ヴァルアス「南部の進軍は予定通りに。城門を開く都市は残せ。抵抗するなら、隣の都市からも見えるように潰せ」
将官「はっ!」
ヴァルアス「ただし、穀倉は焼くな。兵の食料まで灰に変える愚か者に軍を預けた覚えはない」
将官「心得ております!」
我は満足して頷いた。
ガルゼイド帝国はさらに広がる。
我が覇道を妨げるものなど――
伝令「陛下ッ!」
玉座の間の扉が乱暴に開いた。
息を切らした伝令がほとんど転がるように入ってくる。
眉をひそめた。
ヴァルアス「……何事だ」
伝令「緊急の、ご報告が……!」
ヴァルアス「順序を忘れたか。まず跪け」
男が床へ膝をつく。
それでも呼吸が整っていない。
よほど走ってきたのだろう。
ヴァルアス「言え。どこの軍が動いた」
伝令「軍では、ございません……」
ヴァルアス「では、何だ」
伝令「葬月です」
…………。
伝令「葬月の咎人が、帝国へ向かっているとの報告が入りました」
肘掛けに置いていた指が止まった。
今。何と言った?
ヴァルアス「…………誰が?」
伝令「葬月総帥、咎人です」
聞き間違いではなかった。
聞き直すべきではなかった。
二回も聞いてしまった。
宰相「……陛下?」
ヴァルアス「…………」
地図を見る。
我が帝国の色が美しく広がっている。
さっきまでは実に頼もしい眺めだった。
今はよくもまあ、こんなに目立つ色で塗ったものだと思う。
ヴァルアス「……本日の軍議は、ここまでとする」
将官たちが顔を上げた。
ヴァルアス「宰相と伝令以外は下がれ。報告の精査を行う」
なるべくゆっくり言った。声が上ずらぬように。
椅子から立ち上がらぬように。
何でもないことのように。
臣下たちが退室し重い扉が閉まる。
その音を確認してから我は宰相へ顔を向けた。
ヴァルアス「……なん……我ら、何か気に障ることしたっけ……」
宰相「…………」
宰相が答えない。
答えろ。今はその沈黙が一番怖い。
ヴァルアス「やられた以降はどうにかこうにか葬月の奴らの目に入らないようにやっていたつもりだったが……」
宰相「葬月の領域への侵入は禁じております。関係する商隊にも手出しはさせておりません」
ヴァルアス「そうだ。我が命じた」
徹底させたはずだ。
葬月の旗を見たら進路を変えろ。
葬月の者がいるならその場から離れろ。
勝手に力試しをしたがる馬鹿は我に報告する前に拘束しておけ。
あれ以来、必要な措置は取ってきた。
取ってきたのだ。
ヴァルアス「……甘かったか……」
我は額に手を当てた。以前のことを思い出す。
あの男は我の口上を最後まで聞いていた。
途中で遮ることもなく。怯えることもなく。
実に行儀よく聞いていた。
だから我も少しばかり長く語った。
帝国の強さを。我の歩んできた覇道を。
逆らう者がどうなるかを。
……あの時間に謝っていればよかった。
傷はとっくに治っている。
だが思い出すだけで身体の奥が痛んだ。
ヴァルアス「……兵は」
伝令「は?」
ヴァルアス「どれほどの軍勢を連れている」
数が分かればまだ考えようがある。
軍を動かすには補給がいる。
宿営地も必要だ。そこから進路と目的を――
伝令「三名です」
ヴァルアス「…………三名?」
伝令「咎人本人と、最高幹部のシェンリィ、同じく最高幹部のガングレリ。現在確認されているのは、その三名のみです」
我は目を閉じた。
三名。なるほど。
我が国にはそれで足りるという判断か。
宰相「陛下。まだ敵対行動が確認されたわけではございません」
ヴァルアス「分かっている」
分かっているとも。だから余計に分からんのだ。
何をしに来る。なぜ今来る。我が何をした。
……いや、何をしたかで言えば色々している。
問題はどれが見つかったかだ。
ヴァルアス「最近の作戦で葬月と関わりがある者を巻き込んではいないだろうな?」
宰相「ただいま確認を進めております」
ヴァルアス「略奪品は?」
宰相「そちらも」
ヴァルアス「捕虜は?」
宰相「そちらも、至急」
ヴァルアス「兵が酒場で葬月の悪口を言った可能性は?」
宰相「……そこまでとなりますと」
ヴァルアス「言った奴がいたら先に謝らせろ!我の名前を出すなよ!」
声が大きくなった。我は一度咳払いをした。
違う。落ち着け。
国を治める者が兵の酒席の発言まで気にしてどうする。
普段ならどうでもいい話だ。普段なら。
ヴァルアス「……はぁ……ちなみに、なぜ帝国へ……」
伝令「目的は不明です」
ヴァルアス「不明か……」
伝令「ただ、道中で『下調べ』という言葉が聞かれたとのことです」
ヴァルアス「何の?」
伝令「そこまでは……」
何の下調べだ。地形か。兵力か。我の居場所か。
まさか前回は急だったから今回はきちんと準備して懲らしめようというのではあるまいな。
準備など要らんだろう。前回で十分だったろう。
ヴァルアス「……はぁ……はぁ……」
宰相「皇帝陛下?呼吸が……」
ヴァルアス「黙れ!」
宰相が背筋を伸ばした。
我は胸元の留め具へ手をかけた。
少しきつい。こんなにきつかったかこの服。
ヴァルアス「……焦ってなどいない。我が焦るはずなど……強者に、弱い感情などありはしないのだ!」
宰相「は、仰せの通りにございます」
ヴァルアス「これは……考えているだけだ。深く。多角的に」
宰相「はい」
伝令「はい……」
二人とも我の胸元を見ている。
見るな。呼吸を見守るな。我は皇帝だ。
息くらい一人でできる。
玉座から立ち上がり地図の前まで歩いた。
ゆっくりと威厳を保って。
……足が勝手に速くなりそうなのをどうにか抑えながら。
ヴァルアス「進路上の部隊に伝えよ。葬月の三名へ、絶対に武器を向けるな」
宰相「御意」
ヴァルアス「通行を妨げることも許さん。関所で余計な質問をするな。金も取るな」
伝令「直ちに伝達いたします」
ヴァルアス「それと、我がここにいることを――」
言いかけて止まった。皇帝が皇城にいる。
隠せる情報ではなかった。
宰相「……陛下?」
ヴァルアス「……何でもない」
どうする。城を空けるか。
いや、逃げたと思われたらまずい。
かといってこのまま待っていればまたあの男が来る。
堂々と。
こちらがどれほど準備しているかなど気にした様子もなく。
我は地図から顔を上げた。
一人いる。
あの男とまだ直接戦っていない者が。
帝国最強。皇帝すら凌ぐ。
そんな不敬な噂まで立てられている仮面の女将軍。
普段ならその噂を聞くたび不愉快になった。
今はできれば本当であってほしい。
ヴァルアス「……ブレンダは、どこにいる」
宰相「軍務の報告では、現在は城内に」
近いな、よし。近いのはいい。
ヴァルアス「……呼んできてくれ」
宰相「将軍を、こちらへ?」
ヴァルアス「ああ。念のため……」
我は玉座へ戻った。背筋を伸ばし足を組む。
いつもの姿勢だ。
いつものガルゼイド帝国皇帝ヴァルアスだ。
少なくとも見た目は。
宰相が扉へ向かう。
その背中へなるべく何でもない調子で声をかけた。
ヴァルアス「宰相」
宰相「はっ」
ヴァルアス「……少し急いでくれ」
宰相「承知いたしました」
ヴァルアス「走ってもよい」
宰相「……はっ」
扉が閉まる。
我は肘掛けを握りゆっくりと息を吐いた。
焦ってなどいない。
我はただ万全を期しているだけだ。
強者として。皇帝として。
……念のため、ブレンダが座る椅子も、我の近くへ寄せておいた。




