5.母の日、店の命日
前掛けの紐を解きかけた俺を鵲が目だけで制した。
鵲「……お手を煩わせるまでもありません。私一人で」
声は俺たちにだけ届く小ささだった。
花柄の袖の下で黒い腕に青い亀裂が灯る。
床に張り巡らせていた細い雷が音もなく指先へ戻っていく。敵の位置はもう調べ終わったらしい。
さっきまで着せ替えられて泣いていた女の子の目からすっと感情が消えた。
そうだ。こいつは本来誰かに守ってもらうような――
母さん「こら。危ないでしょうが」
鵲「わっ」
襟の後ろをつままれた。
そのままひょいっと母さんの背後へ。
鵲「……え?」
母さん「お洋服が引っかかるから、そんな所に立たないの」
鵲「服の問題じゃ……」
母さん「そうよ。怪我したらもっと大変でしょう」
話が通じない。
いや普通は母さんが正しい。花柄のワンピースを着た女の子が武器持った大人の集団に近づいたら止める。
中身が葬月の幹部じゃなければ。
男「……なんだ、今の腕。黒い雷……?」
男の視線が鵲の袖口へ向いた。
まずい。あの特徴から辿られると――
母さん「どこ見てんだい。話してるのはあたしだよ」
母さんが一歩前へ出た。
鵲の姿がすっぽり隠れる。
男「邪魔だ女!お前から――」
剣が振り上げられた。
紫苑の指が刀の鍔へ触れる。
シェンリィの笑みがわずかに薄くなった。
鵲は母さんの脇を抜けようと足を踏み出し――
その全員より先に母さんが剣をつかんだ。
素手で。
母さん「人の店で振り回すんじゃありません」
ぱきんと刃が折れた。
男「…………は?」
母さん「ほら。危ない」
いや。危ないの意味が今ちょっと入れ替わった。
男が折れた剣を見つめたまま後ずさる。
母さんはそれを追わず鵲を片腕で後ろへ押しやった。
母さん「店長さんたちもこっちへ。鵲ちゃんをお願いね」
咎人「あ、はい」
受け取ってしまった。
救出対象が保護者から正式に引き渡された。
……作戦、これでよかったんじゃね?
鵲「私なら、あの程度……」
咎人「分かってる。分かってるから今はそのまま」
母さんの手のひらに赤い光がともっていた。
さっき剣を折った時にはなかった光だ。
それが一枚、また一枚と重なっていく。
花びら。炎にも似た真紅の花びらが。
母さん「ええと……これ、どうするんだったかね」
待って。その独り言あんまり聞きたくない。
男「囲め!一斉にやれ!」
連中が動いた。
母さんの左右から刃が迫り奥では魔法陣が浮かぶ。
鵲が俺の腕を振りほどこうとしたその瞬間。
母さん「ああ、そうそう」
母さんが思い出したように手を開いた。
母さん「――《覇々乃緋〈ははのひ〉》!」
赤い花が咲いた。比喩じゃない。地下室いっぱいに。
幾重にも重なった巨大な花弁が母さんの背後を包み俺たちの前に壁を作る。
その外側で別の花弁が一斉に開いた。
剣が砕け魔法陣がひしゃげた。
男たちが声を上げるより早く真紅の奔流が全員をまとめて押し流した。
ついでに机を。壁を。柱を。天井を。
咎人「何その技名!?でもつえええ!!!」
頭上が青くなった。さっきまで地下室だったのに。
空が見える。屋根どこ行った?
いや屋根だけじゃない。
二階も一階も今空中で細かくなっている。
咎人「店ぇぇぇぇ!!」
遅れて届いた轟音が俺の悲鳴を丸ごと飲み込んだ。
……静かになった。
ついさっきまで店だった場所に俺たちは立っていた。
足元には砕けた煉瓦と木片。
少し離れた瓦礫の上で男たちが白目をむいている。外で待ち伏せしていた連中まで一緒になって転がっていた。
生きてはいる。うめき声もする。
一方建物は完全に死んでいた。
紫苑「まさか……この方に、これほどの力が……?」
紫苑が刀にかけた手をゆっくり離す。
山賊を吹っ飛ばした時とは規模が違う。
しかも今の。
本人、使い方を思い出しながらやったぞ。
シェンリィ「わぁお、すっごいね。これは敵に回したくないなぁ」
シェンリィは眼鏡についた埃を払い空を見上げた。
まだ何か落ちてくる。
値札だった。俺がつけた法外な値段の。
シェンリィ「店長。ずいぶん風通しがよくなったね」
咎人「物件紹介みたいに言うな」
シェンリィ「日当たりもいい」
咎人「屋根がないからな」
俺の腕の中では鵲が固まっていた。
黒い腕の光はもう消えている。
鵲「……一人で、できたのに」
咎人「うん」
鵲「本当に、私一人で……」
咎人「知ってるよ」
ただその実力を見せる機会が一切なかったおかげで。
連中は最後までこいつが葬月の幹部だと気づかなかった。
目の前で店を吹き飛ばした勇者とその背中に隠された花柄の少女。
誰がどう見ても守る側と守られる側だった。
鵲にとってはたぶん今日一番納得のいかない隠蔽工作だ。
母さん「あらぁ……」
当の本人は辺りを見回して頬に手を当てていた。
母さん「……ちょっと、広がりすぎたねぇ」
ちょっと。これをちょっと?
母さん「店長さん、ごめんなさいね。あたしそこまでやるつもりじゃ……」
咎人「いえ……皆さん、ご無事ですので……」
黒服の部下たちが瓦礫の向こうで無言でうなずく。
全員目隠しのまま無事。
全員働き先を失った顔をしている。
母さん「弁償はするよ。ちゃんと働いて――」
働く場所がないんだよ母さん。
今なくなったんだよ。
紫苑もシェンリィも俺も結局誰一人戦っていない。
鵲が取り返そうとした面目までまとめて母さん一人で片づけてしまった。
……まったく。本当に母さんなんだから。
その時だった。
山賊「うぇ!?師匠!?なんかあったんでっせぇ!?」
瓦礫の向こうから聞き覚えのある声がした。
例の元山賊だ。
手に小さな紙袋を提げたまま店の跡地と母さんを交互に見ている。
山賊「店は!?俺、道間違えたかと思ったんすけど!?」
母さん「いやぁ、またあんたみたいな馬鹿が現れたから、ちょいと喝を入れてやっただけさ」
山賊「俺の時、だいぶ優しかったんすね……」
母さん「それより、あんたどこ行ってたんだい?」
山賊「荷運び手伝ってたんすよ。旅するにしたって金がいるでしょう?少しばかり稼いできやした」
母さん「あら。感心じゃないの」
母さんの視線がそちらへ向いた。
今だ!
俺は鵲の手を握り直した。
咎人「……撤収」
声を落とす。紫苑が即座にうなずいた。
黒服たちが音もなく動き出す。
シェンリィだけが楽しそうに俺を見た。
シェンリィ「お会計は?」
咎人「あとで俺が全部払うから早く」
シェンリィ「ふふ。太っ腹」
お前もあとで覚えてろ。
瓦礫を越える。崩れ残った塀の陰へ。
母さんはまだ元山賊の稼ぎを褒めていた。
母さん「せっかく鵲ちゃんに可愛い服を着せてあげてたのに。あんたにも見せて――」
鵲が一度だけ振り返った。
母さん「……って、鵲ちゃん?」
俺たちは走った。
咎人「走れ走れ走れ!振り返るな!」
鵲「走りにくいです、この服……!」
シェンリィ「似合ってるよ。もう一着ぐらい選んでもらえばよかったのに」
鵲「……覚えといてください……!」
シェンリィ「うん。今日のことは忘れられそうにないね」
それには俺も同意する。
こんな救出作戦、二度とやりたくない。
変装の眼鏡がずれる。付け髭が半分はがれる。
それでも直す暇なんかない。
角を二つ曲がったところで紫苑が前へ出た。
紫苑「こちらへ。――《彼岸渡り》」
刀が何もない空間を斬った。
紫色の光が縦に走る。
開いた裂け目の向こうに見慣れた城の廊下が現れた。
黒服の部下たちが飛び込み鵲が続く。
シェンリィが長い尾をするりと通し俺も最後に転がり込んだ。
紫苑が境目を閉じ街の喧騒がぷつりと途切れた。
静かだ。城だ。帰ってきた。
俺は壁に背中を預けそのままずるずる座り込んだ。
目の前には花柄のワンピースを着た鵲。
隣には店員の前掛けをつけた紫苑。
そして腹立つほど満足そうなシェンリィ。
失ったもの店一軒。
取り戻したもの幹部一名。
母さんは無傷。俺たちも無傷。店だけ粉々。
俺は半分はがれた付け髭の下でどうにか息を整えた。
咎人「はぁ……はぁ……ミッション……コンプリートだ……」




