30.門番はもう待たない
紫苑の刀が空をなぞった。細い紫の光が走る。
見慣れた城の廊下がその向こうに現れるはずだった。
けれど開きかけた裂け目は何も映さないまま閉じた。
咎人「……ん?」
紫苑も刀を止めていた。もう一度刃を走らせる。
今度はさっきより慎重に。
光が広がり空間の向こうへ道が伸びる。
その途中で何かに押し戻されるように細くなり消えた。
紫苑「……失礼いたしました。少々お待ちください」
咎人「大丈夫?疲れた?」
紫苑「いえ。魔力には問題ございません」
答えながらも紫苑の目は裂け目の消えた場所を見ていた。
刀の切っ先がわずかに動く。
どこかを探っているようだった。
シグレイド「接続先の座標は?」
紫苑「正確です。ですが城内へつながる直前で……」
言葉を切り今度は違う方向へ刀を振る。
開いた裂け目の向こうに街並みが見えた。
石畳。店の看板。行き交う人。
紫苑「……近隣の街へはつながります」
咎人「城だけ?」
紫苑「はい。何らかの干渉を受けている可能性があります。移動後改めて確認いたします」
通信の魔石を取り出し呼びかける。返事はない。
さっき話したばかりだ。巡回の交代中かもしれない。
そう思いながらも胸の奥に小さな引っかかりが残った。
咎人「……分かった。ひとまず、そこまで行こう」
裂け目を抜けると街道沿いの街へ出た。
城まではそう遠くない。
普段なら一瞬で通り過ぎる距離だ。
ガングレリ「うっそでしょ!?俺ちゃんたち歩いておうち戻るってこと?」
シェンリィ「いいじゃないか。たまにはゆっくりお散歩もいいと思うよガングレリ」
ガングレリ「えぇ〜。俺ちゃん温泉でちゃんと休んできたのに、帰りで疲れちゃうじゃん」
シェンリィ「僕と歩くのもそんなに嫌かい?」
ガングレリ「……そういう言い方ずるくなぁい?」
シェンリィ「効いた?」
ガングレリ「効きましたけどぉ?」
シェンリィが小さく笑う。
手にしていた土産の袋を持ち直すとガングレリが自然にそちらへ手を伸ばした。
シェンリィ「おや。持ってくれるんだ?」
ガングレリ「その代わり、ちゃんと俺ちゃんの隣歩いてよね。荷物持ちだけ置いてかれんの寂しいんだから」
シェンリィ「分かったよ。君が寄り道して何か食べ始めなければね」
ガングレリ「俺ちゃんのこと、よく分かってんじゃん」
……何その会話。
俺たちまで一緒に歩いてるの忘れてない?
シグレイド「継続的な歩行は基礎持久力の維持に寄与する。移動によって身体へ適度な負荷を与えることにも一定の合理性がある」
ベルベット「歩けってよ」
ガングレリ「俺ちゃん、歩かずに帰る合理性が欲しいんだけどぉ」
シグレイド「目的地まで移動する必要がある以上、現在利用可能な手段を――」
ベルベット「諦めろってよ」
咎人「今日も通訳が早いな」
ニルカ「みんなで、歩く。楽しい」
Φ「ねえ咎人様、帰ったら写真飾ろうよ♡あたしの隣に写ってるやつね♡」
咎人「全員写ってるやつだろ、それ」
Φ「だからいいんじゃん♡見たら今日のこと思い出せるでしょ?」
その言葉に荷物の中の写真を思い出した。
葉っぱを探している俺と笑っているみんな。
まあ確かに。
次に旅行へ行くときは、留守番の連中も――。
そのときだった。
前を歩いていたローデリヒが足を止めた。
ほんの少し耳が動く。
視線が通りの向こうへ向いた。
ローデリヒ「……あれは」
人が集まっていた。騒ぎというほどではない。
誰かが道を空けるよう声をかけ店先から椅子を運んでいる。
その真ん中に黒い服が見えた。
二人の街の人に支えられた女の人だった。
片足を引きずっている。
服は土と血で汚れ袖の片方が裂けていた。
目に巻かれた黒い布はずれていて片目がのぞいている。
俺はその服を知っていた。
ローデリヒ「セナ……?」
声が聞こえたのか彼女が顔を上げた。
見えている片目がこちらを探す。
ローデリヒを見つける。
その隣にいる俺を見つけ唇が動いた。
セナ「……咎人、様」
支えてくれていた人の腕から離れようとした。
足がもつれる。
倒れるより先にローデリヒが駆け寄っていた。
ローデリヒ「動かないでください!」
その身体を受け止める。
ロゼリオもすぐ横へ膝をついた。
ロゼリオ「セナちゃん、アタシが分かる?大丈夫よ。もう歩かなくていいからね」
街の男「街道のところで倒れかけてて……治療院へ行こうって言ったんだが、どうしても知らせなきゃならないことがあるって……」
街の女「手当てはしたの。でも血が……」
俺は荷物を下ろした。
手から離れた袋が石畳の上で小さく音を立てる。
咎人「……ありがとう。連れてきてくれて」
自分の声が少し遠く聞こえた。
モノが傍らの木箱へ触れる。
青い光とともにその形が平らな台へ組み変わった。
モノ「ここへ。身体を支えられる」
シグレイドの翼から布と薬の入った箱が取り出される。
誰も言われるのを待っていなかった。
ローデリヒが彼女を横たえロゼリオが頭を支える。
俺も膝をついた。
セナ「……ご報告を」
咎人「うん。聞くよ。でも先に傷を」
セナ「お城に……侵入、者が……」
指先が服の上をさまよった。
何かを探している。通信具だ。
割れたものしか残っていなかった。
セナ「連絡が……つかなくて……」
紫苑が刀を握り直す。
セナ「銀色の、髪の……男と、女……二人で……」
咎人「二人?」
セナは小さくうなずいた。
喉が鳴った。続きが出てこない。
ロゼリオ「急がなくていいの。ほら、こっちを見て。アタシたちはここにいるから」
セナ「皆……止めようと……」
見えている片目から涙が落ちた。
セナ「私を、外へ……知らせに、行けって……」
ローデリヒの手が傷を押さえる布へ重なった。
布がすぐに色を変えた。
セナ「でも……戻れ、なくて……」
咎人「戻らなくていい。ちゃんと俺たちのところまで来たじゃないか」
セナ「……はい」
咎人「知らせてくれたんだろ。届いたよ。俺もみんなも聞いたから」
彼女の眉が少しだけ下がった。
安心したように見えた。それが嫌だった。
まだ安心して目を閉じていいような顔をしないでほしかった。
咎人「セナ。城にまだ誰かいる?」
セナ「……分かり、ません……」
咎人「そっか。分かった。もう分かることだけでいい」
セナ「申し訳……」
ローデリヒ「謝る必要はありません」
いつもより早い返事だった。
ローデリヒ「あなたは役目を果たしました。ここからは私が引き継ぎます」
セナ「……隊長」
ローデリヒ「だから、今はご自身のことを」
声が途中で止まった。
セナの手が彼の袖をつかんでいた。
力はほとんど入っていない。
ただ確かめるように触れていた。
セナ「……皆様、楽しまれ……ましたか」
何を聞かれたのか一瞬分からなかった。
それから温泉のことだと気づいた。
咎人「……うん」
喉がひどく狭くなった。
咎人「楽しかったよ。写真も撮った。お土産も買ってきたんだ」
セナの口元がわずかに緩む。
セナ「……よかった」
咎人「だからあとで見せるよ。みんな、変な顔してるんだ。俺なんか――」
セナ「お休みを……いただけると……聞いて……」
俺は言葉を止めた。
セナ「皆……喜んで、いました……」
あいつが伝えてくれたのか。
さっき連絡をくれたあいつが。
俺が帰るまで待たずにみんなへ。
セナ「私も……嬉しくて……」
咎人「うん。ちゃんと休んでもらうから」
セナの視線が俺の顔に留まった。
黒い布に隠れていないその片目で。
まっすぐ俺を見ていた。
セナ「……私」
言葉の間が長くなった。ロゼリオが彼女の手を握る。
セナ「皆様の……部下で、いられて……」
ローデリヒ「セナ」
その声からいつもの整った響きが消えていた。
ローデリヒ「聞こえるか。俺がいる。もう一人で頑張らなくていい」
セナはほんの少しだけ指を動かした。
袖をつかもうとしてもうつかめなかった。
セナ「……幸せ、でした」
咎人「……でした...じゃないだろ」
勝手に言葉が出た。
咎人「帰るんだよ。みんなで。だから――」
彼女が小さく息を吐いた。
苦しそうな音ではなかった。
ようやく重いものを下ろせたみたいな。
そんな息だった。
セナ「……ありが、とう……ござい……」
最後まで聞こえなかった。
握られていた手が静かに緩んだ。
ロゼリオ「……セナちゃん?」
返事はなかった。ローデリヒが名前を呼ぶ。
さっきより低い声でもう一度。
それでも返事はない。
俺はまだ口を開けていた。
続けるはずだった言葉がどこにも行けずに残っていた。
帰るんだよ。そう言ったばかりだった。
お土産だってそこにある。
休みもまだ取っていない。
何をしたいか聞いてもいない。
……何で。何でもう礼を言うんだよ。
まだ何もしてないだろ。
咎人「……セナ」
名前を呼んだ。聞いてほしかった。
さっきは俺を見つけてくれたじゃないか。
呼んだらこっちを見たじゃないか。
けれど彼女の目はもう俺を探さなかった。
ローデリヒがゆっくりとその瞼を閉じた。
ずれた目隠しを整え指先が一度だけ止まった。
ローデリヒ「……よく、来た」
声がかすれていた。
ローデリヒ「よく……ここまで、一人で……」
その先は続かなかった。
ロゼリオも何も言わない。
握った手をまだ離さなかった。
周りの話し声が消えていた。
さっきまで隣で揺れていたΦの触手がぴたりと止まっている。
俺の袖を引いていた手も離れていた。
Φ「……咎人様」
顔を上げるとΦはセナを見ていた。
それから俺を見る。
Φ「指示を、ください」
語尾にいつもの甘さはなかった。
ガングレリが土産の袋を持ち直した。
シェンリィは何も言わず眼鏡を外していた。
誰も笑っていない。
あれほど賑やかだった帰り道がどこかへ消えていた。
スルトがセナの足元へ膝をついた。
引きずっていた靴。裂けた服。
汚れた裾を手で静かに整える。
いつもの動きだった。
誰かの身なりが崩れていたら黙って直す。
寒そうにしていたら温かいものを持ってくる。
そういうときと同じだった。
スルト「……この子」
ぽつりと声が落ちる。
スルト「私が門にいると、お茶を持ってきてくれた」
誰も口を挟まなかった。
スルト「熱いの、すぐ飲めないから。少し冷ましてから」
指先が裾のしわを伸ばす。
もう伸ばすところは残っていなかった。
スルト「今日は、私がお願いした」
ローデリヒが顔を上げた。
スルト「留守を、よろしくって」
その声は、まだ小さかった。
スルト「分かりましたって。楽しんできてくださいって」
裾をつまんだ指が止まる。
スルト「……ちゃんと、楽しんできたのに」
俺はスルトを見た。
温泉で同じ湯飲みを両手で持っていた。
一緒に帰れるのが嬉しいと。
そう言ったときと同じ顔をしていた。
同じ顔なのに。
スルト「ただいまって……まだ、言ってない」
石畳の上に細い黒い火が灯った。
彼女の足元だった。
炎はセナにも俺たちにも触れなかった。
ただ石の継ぎ目を縫ってスルトの影へ集まっていく。
ローデリヒ「……スルト」
返事がない。
スルト「私が、門にいるはずだった」
咎人「スルト。それは――」
スルト「分かってる」
初めて俺の言葉を途中で止め顔が上がる。
スルト「休んでいいって、言ってくれた」
咎人「うん」
スルト「嬉しかった」
声が震えた。ほんの少し。
それを押さえるように奥歯を噛みしめる音がした。
スルト「……あの子にも、そう思ってほしかった」
黒い火が赤を帯びた。空気が揺れる。
ローデリヒが立ち上がった。
ローデリヒ「待ってください。今一人で動いては――」
スルト「もう、待たない」
その一言だけはっきり聞こえた。
スルトはセナの手へ一度だけ触れた。
スルト「ここにいて」
そして立つ。
スルト「今度は、私が迎えに行く」
足元の炎が一気に膨れた。
ローデリヒ「スルト!」
彼女が跳ぶ。
建物の屋根を越えた瞬間、踵と背後で赤黒い炎が噴き出した。
空が一本の火線に裂かれる。
城の方角へ。
呼び止める声が届くより速くスルトの姿が遠ざかった。
咎人「紫苑!スルトのところへ!」
言い終える前に紫苑は刀を抜いていた。
空間に光が走る。細い裂け目が開く。
いつもならそれでよかった。
顔を出して。腕をつかんで。
一緒に行くから待てと言えばそれで。
けれど裂け目の向こうに彼女は映らなかった。
紫の光が途中で折れた。
つないだはずの先が何もない街道へずれる。
紫苑「……城の周辺へ近づいた途端、接続先を変えられます!」
もう一度刃が走るとまた違う場所へ開く。
紫苑の手元は狂っていない。
そこへ届くはずの道が別の何かにつかまれている。
普段なら俺たちだってひとっ飛びだった。
仲間が先へ出てもすぐ隣へ行けた。
それが今はできない。城へ連絡できなかったことも。
セナがあそこまで自分の足で来るしかなかったことも。
全部同じものにつながっている気がした。
咎人「……追うぞ」
自分の声が思ったより低かった。
咎人「シグ。セナを連れていける?」
シグレイド「……可能だ」
咎人「静かな場所に。このままここへ置いていきたくない」
彼はうなずき翼を広げた。
ローデリヒとロゼリオがセナを抱き上げる。
二人ともひどく丁寧だった。
俺は助けてくれた街の人たちへ向き直った。
咎人「……本当に、ありがとう」
街の女が目を伏せる。
何も言えないまま頭を下げた。俺も頭を下げた。
そのあとで城を見る。
黒い炎の線がまだ空に残っていた。
城門の前へ炎が落ちた。石畳へ足が触れる。
スルトは膝を曲げ勢いを殺した。
遅れて赤黒い火が背後で大きく揺れる。
顔を上げた。見慣れた門だった。
毎日立っていた場所。
帰ってきた仲間へ声をかけた場所。
疲れている者を先に通し、荷物を持ち、主の帰りを待っていた場所。
そこに知らない二人が立っていた。
銀色の髪。赤黒い外套と黒紫の装い。二本の剣。
二人は並んだままスルトを見ていた。
驚きはなかった。
アダム「最初に到着されたのは」
イヴ「あなたでしたか」
スルトは答えない。
二人の剣を見てセナの服に残っていた傷を思い出す。
スルト「……お前たちが」
大剣を握る指へ力がこもる。
スルト「ここにいた人たちを、斬ったの」
アダム「我々の進路に」
イヴ「立たれましたので」
二人「退いていただければ必要のないことでした」
炎の音が変わった。
低く重く。
門の両脇を照らす赤い光がスルトの顔を浮かび上がらせる。
スルト「……退くわけ、ない」
イヴ「そうだったようですね」
アダム「皆様、よく似ていらっしゃいました」
二人「最後までこの場所を――」
スルト「黙れ!」
叫びが城壁へぶつかり火が一斉に高く立つ。
スルトは二人をにらみつけていた。
いつもの静かな顔はもうなかった。
歯を食いしばり、眉を寄せ、息を押し殺している。
スルト「私が頼んだんだ。留守をよろしくって」
一歩前へ出る。
スルト「だから、あの子たちはここに立ってた」
大剣へ赤黒い炎が這い上がる。
刃が見えなくなるほど濃い火が集まっていく。
スルト「私の代わりに立っていた子たちを……よくも」
アダムとイヴが同時に剣へ手を添えた。
スルトはその二本を見据える。
スルト「……私が...この城の門番だ」
燃える大剣を構えた。
スルト「もう一度やってみろ」
その声は城門の前にはっきりと響いた。
スルト「今度は、私が相手だ」




