28.帰りを待つ者たち
黒服の男の剣は速かった。
俺にはそうとしか言えねえ。
踏み込みも振り抜いたあとの戻りも何もかもが短い。
大きく振りかぶらない。
必要な場所へ必要なだけ刃が動く。
アダムが受けた剣を滑らせその手首を狙う。
イヴが割り込めばもう切っ先は別の場所へ向いている。
一人で二人を相手にしていた。
しかも自分の背後へ行かせねえように。
城の中へ通さねえように。
黒服の男「……そこまでだ」
細い光が剣身を走る。男が一歩深く踏み込んだ。
アダムの胸元へ刃が入る。
そう思った。
アダム「ええ」
イヴ「ここまでです」
二つの声が重なった。アダムの腕が動く。
構えを変えたようには見えなかった。
剣を大きく振ったわけでもなかった。
ただそこにあるものを押しのけるような動きだった。
それだけで黒服の男の剣が半ばから砕けた。
山賊「……は?」
欠けた刃が石畳へ落ちる。
男はそれでも止まらなかった。
折れた剣を握ったまま身体を沈める。
まだ届く距離だ。まだ戦える。
そう判断した動きだった。
その胸へイヴの大剣が突き込まれた。
息が吸えなかった。
黒服の男は自分の胸元を見下ろした。
身体の奥がひどく冷たい。
握っている剣はもう短い鉄の棒のようだった。
それでも手放してはいけないと思った。
後ろには仲間がいる。
今朝廊下ですれ違った者。食事の支度をしていた者。
帰ってくる主たちのために部屋を整えていた者。
まだ知らせなければ。
黒服の男「……侵入、者だ……」
声を絞り出す。イヴが剣を引き膝が落ちた。
黒服の男「中へ……通す、な……」
それが命令として届いたかどうか分からなかった。
扉の奥で誰かが走る音がする。
ああ。聞こえてはくれたのか。
折れた剣先を石畳へ突き立て身体を支えようとした。
力が入らない。こんなはずではなかった。
あと少しでお帰りになる。
いつも通り門のところで頭を下げる。
お帰りなさいませと。旅はいかがでしたかと。
そう申し上げるだけだったのに。
――俺たちが遊んでる間、安心して城を任せられる人がいたんだから。
あの方の声が耳に残っていた。
――その人たちが遊びに行くときくらい、俺たちにも任せてよ。
優しい言葉だった。
こちらが恐縮するたび困ったように笑ってくださった。
――自分が楽しいと思うことをしてきてよ。帰ってきたら、その話を聞かせて。
まだ何も決めていなかった。どこへ行きたいか。
何をしてみたいか。
自由にしていいと言われると、案外思いつかないものだと通信を終えてから少し笑った。
ただ。皆には伝えた。
留守番をした全員に休みをくださること。
土産まで用意してくださったこと。
交代の巡回に出る前に食堂へ顔を出した。
厨房にも洗濯室にも。
伝えるたび誰かが少し驚いてそれから笑った。
遠くへ行ってみたいと言った者がいた。
何もしないで寝たいと言って隣の者に笑われていた者もいた。
……よかった。そのことだけは伝えられた。
自分一人でいただいたまま終わらずに済んだ。
指が剣の柄から滑る。
いや。よくない。まだ守らなければ。
あの方がお帰りになる場所を。
楽しみにしていた皆の休みを。
黒服の男「……申し、訳……」
最後まで言えなかった。額が石畳へ触れる。
その少し先に最初に倒れた仲間の手があった。
届くはずの距離だった。手を伸ばそうとして。
そこで何も動かなくなった。
俺は動けなかった。強かった。
今の人は絶対に強かった。
俺なんかなら剣を抜く前に終わってる。
それなのに。二回。
たった二回あの二人がちゃんと剣を動かしただけで。
アダム「立派な方でした」
イヴ「最後まで退きませんでしたね」
二人は倒れた男を見下ろしていた。
感心しているような言葉だった。
でも顔は変わらねえ。
アダム「強い忠誠でした」
イヴ「力の差を埋めるものではありませんでしたが」
山賊「……お前ら」
声がかすれた。二人がこちらを向く。
その瞬間続きが出なくなった。
アダム「何か」
イヴ「ご不安なことが?」
……不安?そんな言葉で足りるかよ。
俺の口が動く前に奥から鋭い声が飛んだ。
黒服の女「そこを離れて!」
女だった。同じ黒い服。同じ目隠し。
手には短い杖を握っている。
その背後で別の男が床へ魔法陣を描いていた。
黒服の女「負傷者を奥へ!扉を閉めて!」
黒服の男「あなたも下がってください!」
黒服の女「後ろが空くまでは下がれません!」
杖の先から光が伸びる。
細い糸のようなものが何本も走りアダムとイヴの手足へ絡みついた。
二人が止まる。初めて止まったように見えた。
黒服の女「……この城は、帰ってくる方々のためにあります」
杖を握る両手が白くなるほど力んでいた。
黒服の女「あなた方のために開ける扉は一枚もありません」
アダムが腕を持ち上げ糸が張る。
女の肩が揺れた。次の瞬間糸が全部切れた。
切ったんじゃねえ。
腕を動かしただけで引きちぎれた。
イヴが前へ出る。黒服の女は杖を横へ構えた。
刃を受けるためだった。
杖とその向こうにいた女の身体が同時に傾いた。
イヴ「申し訳ありません」
倒れる女へそんなことを言った。
イヴ「我々にも通る理由があるのです」
後ろの男が叫ぶ。
黒服の男「よくも――!」
描きかけの魔法陣から槍のような光がいくつも立ち上がった。
アダムは避けなかった。剣を一度だけ振る。
光が崩れその奥の男まで吹き飛ばされた。
男が壁へ背を打ちつける。
立ち上がろうとして床に手をついた。
黒服の男「……まだ、だ……」
その前にアダムが立った。
黒服の男「我が主に……お前たちが届くものか……!」
アダム「では、確かめましょう」
剣が落ちた。俺は目をそらした。
そらしたのに音は聞こえた。
そこから先はずっと同じだった。
廊下。階段。扉の前。人がいた。男も女も。
武器を持っていた者も慌てて取りに走った者もいた。
みんな逃げればよかったんだ。そう思った。
けど逃げた先にも誰かがいるから止まっちまうんだ。
自分だけなら逃げられる場所で誰かを後ろへ押しやって踏みとどまる。
黒服の女「鍵を持って奥へ。ここは私が」
黒服の青年「嫌です。置いていけません」
黒服の女「……では、一緒に守りましょう」
二人が並んで剣を構えた。
その姿にアダムとイヴが同時に首を傾ける。
アダム「別々に逃げれば」
イヴ「どちらかは長く生きられたかもしれません」
黒服の青年「長く生きるためにここへ来たんじゃない」
その手は震えていた。でも剣先は下がらなかった。
黒服の青年「ここで生きていたいから、守るんだ……!」
女が青年より半歩前へ出た。
黒服の女「主の名に恥じぬ働きを」
黒服の青年「はい!」
二人が動いた。
一人が刃を受けもう一人が横から入る。
俺には息の合った動きに見えた。
アダムとイヴはその真ん中を通った。
剣の音が二つ。それで終わった。
イヴ「仲のよい方々でしたね」
アダム「ええ」
二人「離れずに済んだことが慰めになるでしょうか」
山賊「……やめろよ」
小さく漏れた。
アダム「何を、でしょう」
答えられなかった。剣を振るうことか。
そんなことを言うことか。
俺についてこいと手を差し出すことか。
全部だった。全部なのに口から出てこねえ。
なんなんだこの二人の強さは。
師匠も強い。何度も見た。
とんでもねえことを何でもねえ顔でやってのける。
だけど師匠は人を見てる。
相手が倒れれば手を止める。
痛そうにしてりゃ顔をのぞき込む。
あの強さの向こうにはちゃんと師匠がいる。
この二人には……何がいるんだ?
構えがずっげえ立派ってわけじゃねえ。
いや俺が偉そうに言えることじゃねえんだけど。
さっきの黒服の男のほうがよっぽど長い間剣を振ってきたように見えた。
足の置き方とか。刃を返す速さとか。
そういうのがちゃんと身体に染みついてる感じがした。
けど勝つのはこの二人だ。大体一撃。たまに二撃。
相手がどれだけ必死でも。
どれだけうまく剣を動かしても。
必要なところに必要以上の力が出てくる。
最初からそうなるようにできているみてえに。
……作られた強さ。
俺は馬鹿だからそんな変な例えしか出てこねえ。
努力したとか鍛えたとか。
そういう途中を全部すっ飛ばして。
殺せるところだけ誰かに渡されたみてえな。
イヴ「顔色が優れませんね」
声をかけられて肩が跳ねた。
イヴが小さな水筒を差し出していた。
イヴ「少し、お飲みください」
アダム「次の部屋で休みましょう」
山賊「……ああ」
水筒を受け取る。
手が震えて蓋をうまく開けられなかった。
アダムが代わりに開けてくれた。
丁寧に中身がこぼれねえように。
アダム「どうぞ」
……俺には何もしねえ。さっきから一度も。
怒鳴りもしねえ。急かしもしねえ。
攻撃から守ってくれた。水までくれた。
だったら...だったら大丈夫なんじゃねえか?
少なくとも俺たちには。
俺たちの敵じゃねえんじゃねえか?
喉へ水を流し込んだ。冷たい。
その冷たさだけを考えようとした。
師匠を助けるために来たって言ってた。
神様の使いだとも。師匠も神様に呼ばれた人だ。
だったら同じ側なんだろう。
きっと俺がいなくても。俺が何もできなくても。
この二人なら師匠を守れるんじゃねえか。
師匠がやらなきゃならねえことを代わりにやってくれる。
師匠の手間が減る。師匠が少し休める。
……そうだ。そう考えりゃいい。
俺が二人と会ったおかげで師匠は楽になるんだ。
そのはずだ。それなら。
山賊「……助かり、ます」
声に出してみた。
言ってしまえば少しは本当になる気がした。
イヴ「お役に立てて、何よりです」
その向こうに床へ落ちた鍵が見えた。
鍵を持って奥へ行けと言われていたさっきの青年のものだった。
俺は見なかったことにした。
大きな扉が開いた。
その先には長い絨毯が敷かれていた。
柱。高い天井。壁を飾る細工。
奥には一段高くなった場所と立派な椅子。
馬鹿な俺でも分かる。玉座だ。
山賊「……ここ、まで」
本当に来ちまった。
アダム「どうぞ」
イヴ「お掛けください」
二人が玉座の左右へ立った。俺は首を振る。
山賊「いやこれは……師匠のためで。俺が座るようなもんじゃ」
アダム「ご本人がお見えになるまで」
イヴ「あなたがお待ちください」
山賊「けど……」
イヴ「お疲れでしょう」
アダム「立っている必要はありません」
それはいつもと同じ親切な言い方だった。
俺は段を上がった。一段ずつ。
背中のほうが気になった。
振り向けばさっきまで歩いてきた廊下が見える。
だから振り向かなかった。玉座へ腰を下ろす。
思っていたより柔らかかった。
こんなところで。こんなに静かに座ってていいはずがねえのに。
アダム「これで」
イヴ「整いました」
顔を上げた。二人が俺を見ていた。そして笑った。
初めてだった。
口の端だけが同じ角度でゆっくり持ち上がった。
目は何も変わっていなかった。
山賊「……何が」
アダム「迎える者が内側に」
イヴ「帰る者が外側に」
二人「次にこの門を叩く者は自らの居場所へ入る許しを求めることになります」
何を言ってるのかよく分からなかった。
けど。
二人が楽しみにしていたのは俺に城を見せることじゃなかったんだと。
それだけは何となく分かった。
山賊「……誰か、来るんですか」
アダム「戻ります」
イヴ「必ず」
山賊「何で……分かるんで?」
アダム「強い方々ですから」
イヴ「ここに残したものを見捨てられません」
笑みがまだ残っていた。
二人「我々を置かれた御手はその性質までお見通しです」
城の外で風が鳴った。
高い窓から光が差している。
アダム「我々に未来を選ぶ心はありません」
イヴ「選ばれた未来へ刃を届かせるために造られました」
二人「さあ。あとは約束を守る方々をお待ちしましょう」
俺は玉座の肘掛けを握った。
指先が冷たかった。
母さん「……遅いねぇ」
宿の入口から通りを見てあたしはもう一度空を見上げた。
ちょっとした用事。すぐ戻る。
そう言って出ていったわりにはずいぶん帰ってこない。
あの子の「すぐ」はたまに当てにならない。
けれど今日は何だか張り切っていた。
あたしを休ませようとしてくれたのは分かる。
だから大人しく待っていたんだけど。
母さん「まさか、また道に迷ってるんじゃないだろうね」
床屋に入ったくらいならいい。
話しかけられて断れず何か妙なものを買わされていなければいいけれど。
人の心配ばかりして自分が心配されるほうだとは思っていないんだから。
あたしは宿の主人に声をかけた。
母さん「あの子が戻ってきたらすぐ出歩かないで、ここで待ってるように言っておくれ」
宿の主人「お連れの方ですか?」
母さん「そう。ちょっと捜してくるよ」
通りへ出る。人が多い。
こんなところであの子の背中を探すのも一苦労だ。
……そういえば。
いつも師匠、師匠と呼ばれて振り向いてばかりで、こっちから大声で呼び戻す機会はあまりなかったねぇ。
そんなことを考えていたときだった。
「――勇者殿!」
聞き覚えのある声に振り向く。
少し離れたところに帽子をかぶった男が立っていた。
供の者を二人連れている。
こちらと目が合うなりその背筋がぴんと伸びた。
母さん「あら。あんたじゃないか」
ヴァルアス「お、お久しぶりでございますな。お健やかそうで、何より……」
母さん「あんたも元気そうだねぇ。あれからどうしてるんだい?」
ヴァルアス「ええ、まあ。残った者たちと今後のことを……各地へ話を通しておりましてな」
言いながらあたしの後ろをのぞく。
ヴァルアス「本日は、お一人で?」
母さん「それがねぇ。あの子がなかなか帰ってこなくて」
ヴァルアス「あの、弟子を名乗っていた男ですかな」
母さん「そうそう。用事があるって出ていったきりなんだよ」
ヴァルアスは少し考える顔をした。
それから供の者へ目を向ける。
ヴァルアス「……人捜しなら、我らもお手伝いできましょう」
母さん「いいのかい?あんたも忙しいんじゃ」
ヴァルアス「いえ。勇者殿には返しきれぬ……その、大きなご恩がございますので」
何だか途中で言葉を選んでいたけれど手伝ってくれるというのだからありがたい。
母さん「じゃあ、お願いしようかねぇ」
あたしは宿の入口を振り返ってからヴァルアスへ向き直った。
母さん「あんまり遠くへ行ってなきゃいいんだけど。まずは、この辺りから一緒に捜しておくれ」




