27.残酷だね
城、とは言われた。確かに言われた。
けど俺が想像した城と目の前にある城はたぶん同じ言葉で呼んじゃいけねえものだった。
山賊「……あれ、ですか?」
アダム「ええ」
イヴ「あちらです」
木立の向こうに黒い尖塔がいくつも突き出していた。
高え。とにかく高え。
崖に沿って伸びる外壁のそのまた向こうに城がある。
窓の数だけでさっき見てきた貸家が何軒入るか分からねえ。
俺は口を開けたまま見上げていた。
山賊「いやいや……でかすぎません?」
アダム「お気に召しませんか」
山賊「そういう話じゃなくてですね!俺、家を探してたんですよ!?寝るとこと台所があって、雨漏りしなくて、できれば庭もちょっとあるくらいの!」
イヴ「いずれも備わっています」
山賊「備わりすぎてんすよ!」
庭がちょっとの規模じゃねえ。山がちょっとに近い。
こんなところに師匠を案内したら喜ぶ前に怒られるかもしれねえ。
掃除が大変だって言ってたし。
便所に行くだけで迷子になるって話も冗談じゃ済まなくなっちまう。
山賊「……本当に、こんな場所を使っていいんで?」
アダム「あなたの師にはそれだけの働きがありました」
イヴ「相応の場所で休まれるべきでしょう」
そう言われると少し胸が張った。
俺のことじゃねえのに。
師匠のことを認められるのは何だか嬉しかった。
山賊「まあ……師匠はすげえ人ですけどね」
アダム「存じています」
イヴ「ですからご案内しています」
二人は並んで歩きだした。
俺も慌ててそのあとを追う。
城へ続く道は正面の広い道とは違うらしかった。
木々の間を抜け崖沿いの石段を上がっていく。
俺が足を止めると二人も同時に止まった。
アダム「お疲れですか」
山賊「いやちょっと……階段が」
イヴ「失礼しました。あなたの歩幅に合わせるべきでした」
山賊「い、いやいや!そんな謝ってもらうほどじゃ!」
イヴが手を差し出した。細い手だった。
そのすぐ横に俺の背丈くらいありそうな剣が下がっている。
山賊「大丈夫っす。自分で上がれます」
イヴ「分かりました」
手はすぐに引っ込められた。
押しつけがましくもねえ。馬鹿にする感じもねえ。
ただ必要なら助けるというだけ。
……妙な二人だけど悪い人たちじゃねえのかもしれねぇ。
少なくともこのときの俺はそう思っていた。
山賊「ちなみに、ここの持ち主って……」
アダム「現在はご不在です」
山賊「ああ……」
イヴ「あなたの師をお迎えする準備はこれから行います」
山賊「そうなんですか。いや、何から何まですんません」
アダム「謝罪は不要です」
イヴ「我々は務めを果たしているだけですので」
二人の靴音が重なる。
片方が石段を上がればもう片方も上がる。
一度も歩く順番を譲り合わない。
二人とも相手がどこへ足を置くか最初から分かっているみてえだった。
やがて小さな門へ着いた。
……いや。
城にくっついてるから小さく見えるだけで普通の家なら玄関として採用しねえ大きさだ。
門の脇には石造りの建物がありそちらへ細い通路が伸びている。
山賊「こっから入るんですか?」
アダム「はい」
イヴ「少々、お待ちください」
そのときだった。
通路の奥で扉の開く音がした。
出てきたのは黒い服を着た男だった。
片手に桶。もう片方に長い柄の掃除道具。
そして目には黒い布が巻かれていた。
……目隠し?あれで掃除できんのか?
なんて場違いなことを考えた。男の足が止まる。
顔が真っすぐこちらへ向いた。
目は見えねえ。なのに見られているのが分かった。
目隠しの男「なっ……!何奴……!?」
男が桶を置くより早く俺は二人を見た。
山賊「ちょっと!中に人いるじゃねぇすか!」
アダム「ここは」
イヴ「我々に」
二人「お任せを」
返事のあとに何かが起きたんじゃなかった。
返事が終わる頃にはもう起きていた。
二人が同じ歩幅で一歩踏み出す。
アダムの細い剣が男の腰へ伸びかけた手を弾いた。
その身体が傾いたところへイヴの大剣が入る。
黒い服の胸元を一本の線が走った。
目隠しの男「……っ」
声はそれだけだった。
桶が落ちる。水が石畳へ広がった。
掃除道具が壁に当たり乾いた音を立てる。
男は膝をつきそのまま倒れた。
俺はまだ二人のほうを向いていた。
山賊「……え?」
何が。今何が起きた?
男の手が石畳の上で一度動いた。
腰のあたりへ伸びようとして途中で止まった。
その指先へ水に混じった赤いものが流れてくる。
山賊「……お、おい」
イヴが剣を下げた。息も乱れていない。
アダムは男の腰元を見てそこにあった小さな通信具を拾い上げた。
淡い光が灯る寸前にそれを握り潰す。
ぱき、と妙に軽い音がした。
山賊「何……して……」
イヴ「可哀想ですね」
アダム「悲しいですね」
俺は二人を見た。イヴは倒れた男を見下ろしていた。
アダムも同じ顔で見下ろしていた。
悲しそうな顔じゃなかった。
嬉しそうな顔でもなかった。
さっき俺に手を貸そうとしたときと何も変わっていなかった。
イヴ「今、この時。この扉を開けなければ」
アダム「もう少し長く、いつも通りの一日を過ごせたでしょうに」
山賊「……いや」
何を言ってんだ。そうしたのはあんたたちじゃねえか。
アダム「世界は残酷だね」
イヴ「世界は冷酷だね」
二人「世界は正しく生きた者から順に救われるようにはできていない」
イヴが男の落とした掃除道具を見た。
イヴ「この方は、ただ務めを果たしていただけです」
アダム「我々も、ただ務めを果たしています」
二人「どちらも間違えなかった。それでも片方は倒れる」
風が通路を抜けた。
二人の外套だけが静かに揺れる。
二人「平和とは、自分の順番がまだ来ていない者につけられた、優しい名前です」
喉が引きつった。俺は何か言おうとした。
文句なのか質問なのか。それとも悲鳴なのか。
自分でも分からなかった。
アダムがこちらを向く。
アダム「お怪我はありませんか」
山賊「……は?」
イヴ「驚かせてしまいましたね」
一歩近づいてくる。俺は反射的に足を引いた。
二人はそれ以上近づかなかった。
ただ待った。
俺が落ち着くまで待ってくれているみてえに。
その親切さがさっきよりずっと怖かった。
山賊「この人……城の人じゃ……」
アダム「ええ」
山賊「だったら、まず話を……」
イヴ「知らせを送ろうとしていました」
アダム「仲間を呼ばれればあなたも危険にさらされます」
二人「あなたをお守りするために必要な対応でした」
違う。何かが違う。
俺はこんなことを頼んでねえ。
家を探してただけだ。師匠が安心して眠れる場所を。
そのためにこんな。
イヴ「ご安心ください」
アダム「あなたに剣を取らせるつもりはありません」
二人「さあ、道が開けました」
やばい。この二人なんかやばい。
俺、とんでもねえ二人に関わっちまったんじゃねえのか。
黒服の男「――開けたつもりか」
低い声がした。通路の奥。
開いたままの扉の向こうにもう一人男が立っていた。
そいつも黒服で目には同じ布を巻いている。
ただ立ち方が違った。
さっきの人が弱かったとは思わねえ。
でもこいつは俺にも分かるくらい空気が違った。
何もしていない。剣もまだ抜いていない。
それなのに俺の身体は勝手に後ずさろうとしていた。
男の顔が倒れた仲間へ向く。
ほんの一瞬何かを確かめるように止まった。
それから俺たちを見る。
黒服の男「……帰る場所を守る者を斬って、よくもその先へ進めると思ったな」
俺は口を開けた。
何か言わなきゃならねえ気がした。
山賊「お、俺は、その……」
黒服の男「名乗るな」
声が俺の言葉を切った。
黒服の男「客の名を覚えるのは、我々の務めだ」
男の手が腰の剣へかかる。
黒服の男「だが、仲間の血を踏んで来る者を客として迎える義理はない」
俺は自分の足元を見た。
石畳の継ぎ目に沿って赤く濁った水が流れている。
靴を引こうとしたその瞬間男が消えた。
いや違う。俺が追えなかっただけだ。
さっきまで扉のところにいた男がもう目の前にいる。
黒服の男「その足で――」
刃が走った。
黒服の男「我が主の御座へ近づくな」
俺は何もできなかった。
剣を抜くどころか手を動かすことも。
アダムの背中が視界へ入る。
金属がぶつかる音がした。
耳のすぐ横で空気が裂ける。
受け止められた刃が、俺の目の前で止まっていた。
あと少し。ほんの少しでも遅れていたら。
俺は――。
アダム「お下がりください」
イヴ「こちらへ」
イヴが俺の腕を引いた。乱暴じゃなかった。
転ばないよう肩まで支えてくれた。
さっき人を斬った手が今は俺を守っている。
それがたまらなく気持ち悪かった。
黒服の男は止まらない。
剣を引くと同時に踏み込みアダムの刃を押し流す。
その切っ先が胴へ入る前にイヴの大剣が割り込んだ。
二人分の剣に止められてようやく男の足が止まる。
アダム「……なるほど」
イヴ「こちらの方は、少し違いますね」
男は答えなかった。
刃を押しつけたまま静かに息を吐く。
その足は倒れた仲間の身体にも落ちた掃除道具にも触れていなかった。
あれだけ速く動いて全部避けていた。
黒服の男「主の留守を、この城の弱さと思ったか」
声に震えはなかった。怒っているはずなのに。
仲間をやられたばかりなのに。
刃を持つ手は少しも乱れていない。
黒服の男「我が主は、背を預ける相手をお間違えにはならない」
剣に薄い光が宿る。
二人の外套がその圧に押されて揺れた。
黒服の男「その信頼を、貴様らの通り道にはさせん」
アダムとイヴが同時に顔を上げる。
俺はその後ろで息さえできずに立っていた。
黒服の男「我が主の強さを知るには、貴様らはまだ遠すぎる」
刃が離れる。男は剣を構え直した。
黒服の男「まずは――その留守を任された者の刃を知れ」




