21.特別
ラグネルが短剣の柄を叩いた。
コン。
コンコン。
藁人形の胸がまた裂けようとする。
俺はその動きを見ていた。
背後では紫苑が最後の乗客を避難路へ通している。
シェンリィが釘を弾きニルカが崩れた床を押さえている。
誰かの足元が砕けるたびに振り返る必要はなかった。
任せられる。
それだけで十分だった。
咎人「――《真命の軛》」
蛇腹剣を振り下ろした。
刃が届くより先に黒い輪が浮かぶ。
ラグネルの指先。人形に打ち込まれた釘。
車体に残された無数の黒い頭。
その間に流れていたものを鎖が捕らえた。
金属を縛ったのではない。腕を押さえたわけでもない。
俺が縛ったのはラグネルから人形と釘へ届く命令そのものだった。
肉体も。魔力も。能力も。形のない働きも概念も。
《真命の軛》にとってはすべてが拘束する対象にすぎない。
今、俺が選んだのはその中の一つ。
ラグネル「……動け」
藁人形が止まった。裂けかけた胸も。
こちらへ向いていた釘も。振り上げられた残りの腕も。
全部その位置で。
ラグネル「動けと言っている!」
男がもう一度柄を叩く。
コン、コン、コン。
音だけが響いた。
さっきまで聞こえるたびに何かが壊れていた音。
今はただの音だった。
ラグネル「何をした……」
俺は剣を持ち直す。
咎人「貴様の命令を、縛った」
ラグネル「そんなことが……術式はまだ生きている! 魔力も、接続も――」
咎人「そうだな」
男の顔が引きつる。
咎人「貴様の傑作は、何一つ聞き漏らしてはおらぬ。すべて届いているとも」
俺は静かに笑った。
咎人「ただし、従うことは許していない」
ラグネルの指が短剣から離れた。
今度は手を振る。何かを唱える。
足元の釘へ直接魔力を流し込もうとする。
そのどれにも人形は応じなかった。
命令するという働きが縛られている。
言い方を変えようが、別の経路を使おうが、同じことだ。
ラグネル「……化け物が」
咎人「何を今更」
足元から伸びた鎖が男の両腕を捕らえた。
肩を締め、脚を絡め、背後へ引き倒す。
白い布袋の頭の上でラグネルが膝をついた。
最後まで握っていた短剣が落ちる。
その音には誰も怯えなかった。
俺は剣先を下げた。
鎖を伸ばしラグネルを人形の頭から引き下ろす。
地面へ落とすことはせず身動きができないまま鵲の前へ置いた。
咎人「その男を頼む」
鵲「承知いたしました」
鵲が短剣を拾い隠し持っていた道具を一つずつ外していく。
袖口。襟の内側。靴の踵。
出てくるものはどれも釘か、それに似た細い刃だった。
ラグネルはそれを見もせず人形を睨んでいた。
まだ動かせるはずだと思っているのだろう。
俺はその視線の先へ手を向けた。
人形の腕が動いた。ラグネルの顔が上がる。
だが動かしたのは俺の鎖だった。
藁の腕を内側から支え指を一本ずつ開かせる。
次に胴。折れた脚。裂けた胸。
ニルカがゆっくり立ち上がった。
ニルカ「……動かす?」
咎人「釘と骨組みを頼めるか。呪いはもう働かせない」
ニルカの瞳に紫の輪が浮かぶ。
地面に散っていた金具が集まった。
折れた釘。縄を留めていた輪。藁に埋もれていた鉄の骨組み。
使えるものが人形の内側へ戻っていく。
ニルカ「ここ、折れてる」
咎人「鎖で繋ぐ」
ニルカ「腕、長い。運ぶの、できる」
咎人「だろうね」
ラグネル「……何をしている」
俺は男へ顔を向けた。
咎人「ふふふ……どうだ?貴様の最高傑作を弄ばれる気分は」
藁人形の両腕が列車の下へ差し込まれる。
さっきまで釘を打ち込もうとしていた手が今度は壊れた車体をそっと支えた。
咎人「さぞ悔しいだろうな。その顔、もっと見せてくれ」
ラグネル「貴様……!」
シェンリィが俺の横へ並んだ。
いつの間にか腕は元の細い形へ戻っていた。
シェンリィ「今の君の顔、ガングレリが見たら、どんな笑い方をするだろうね」
ラグネル「その名を……!」
シェンリィ「ああ、やっぱり見せてあげたいな。彼、こういうの好きだと思うんだ」
咎人「同感だ」
ラグネルが立とうとした。
鎖がそれを許さない。呻くような声が漏れた。
だが、もう誰も彼の機嫌を気にして手を止める必要はなかった。
ニルカは人形の手首を調整している。
シェンリィは列車の外側を確かめ挟まっていた大きな岩を片手で退けた。
紫苑は避難先から全員が渡り終えたことを告げる。
そして、あれほど不気味だった巨大な人形が車両を抱えて立ち上がった。
ニルカ「ゆっくり。中、大事なの、ある」
ラグネル「私の術を……そんなことに……!」
咎人「よい使い道が見つかったではないか」
俺は立ち上がった人形を見上げた。
咎人「貴様の最高傑作、帰りの足に使わせてもらう」
列車が安定した場所へ下ろされたときようやく俺は肩の力を抜いた。
鎖はまだいくつか残している。
でも今は補強のためだった。
少しでも緩めたら人が死ぬという張り詰め方ではない。
それだけで腕がひどく軽くなった。
山賊「師匠!乗ってた人全員いるってよ!怪我してる奴らも向こうで診てもらえるらしいっす!」
母さん「そうかい。よかった」
その声を聞いてベルベットが小さく息を吐いた。
彼は車両の入口へ腰を下ろしていた。
装甲の隙間の光は薄くなっている。
だが右手はまだうまく握れていない。
それでも歪んだ扉の留め具へ手を伸ばそうとした。
ニルカ「だめ」
ベルベット「あ?」
伸ばした手の前から工具が消えた。
ニルカが持っている。
ベルベット「おい。そこ直しとかなきゃ、動かしたときに――」
ニルカ「教えて。やるの、ほかの人」
ベルベット「自分でやった方が早ぇんだよ」
咎人「今回は遅くていい」
俺は彼の隣へ腰を下ろした。
咎人「何をすればいい?」
ベルベットが嫌そうな顔で俺を見る。
ベルベット「……その金具、右に曲げろ。逆じゃねぇぞ。そっちから見て右だ」
咎人「はいはい」
ベルベット「雑にやんな。お前の力で引いたら丸ごと取れんだろうが」
言われたとおり指先だけで曲げる。
ベルベットはしばらくそれを見てからようやく背もたれへ身体を預けた。
ベルベット「……俺、今、すげぇ邪魔者扱いされてねぇか」
咎人「大事にされてるんだよ。慣れろ」
自分で言ってから少しだけ口元が緩んだ。
さっき母さんにも似たようなことを言った。
俺たちはどうやら守るより守られる方が下手らしい。
ベルベット「偉そうに……」
ニルカが彼の左手へ小さな金属片を置いた。
片側が黒く焦げている。
列車を守るために使っていた宝物の一つだった。
ベルベット「……壊れたやつ寄越すなよ」
ニルカ「壊れてない。形、変わった」
ベルベット「そうかよ」
彼はそれをちゃんとポケットへ入れた。
俺が立ち上がると横からΦが飛びついてきた。
Φ「咎人様ぁ♡」
耳元へ顔を寄せて小さな声で呼ぶ。
触手がコートの袖や裾へ絡み離れるつもりはないらしい。
咎人「おっと……」
Φ「終わった?もうぎゅってしててもいい?」
咎人「まだ、足元が危ないから――」
Φ「さっきちゃんと手伝ったよ。鞄も拾ったし、転びそうなおじさんも支えたし」
咎人「ああ。見てた。助かったよ」
Φが満足そうに笑った。
Φ「かっこよかったぁ♡あんなの動かなくしちゃうんだもん」
いつもならそこで少し得意げになる。
どうだった。どこがよかった。もう一度見たかったか。
そんなことを冗談半分で聞いていたかもしれない。
けれど今はまず彼女の頭へ手を置いた。
咎人「そっちも、よくやってくれた」
Φ「……当然でしょ」
少しだけ声が小さくなった。
それでもコートを掴む手は緩まなかった。
紫苑「……もう少し、周囲にもお気を配ってください」
そう注意する紫苑の頬はまだ少し赤かった。
シェンリィは何か言いたそうだったがベルベットの方へ視線をやるとそのまま飲み込んだ。
まだ休ませる方が先だ。
珍しくその判断が全員で一致していた。
母さんがこちらへ歩いてきた。
Φが俺の隣へ下りる。
俺はほんの少しだけ姿勢を整えた。
母さん「もう大丈夫そうかい?」
咎人「ああ。残った釘も働かないようにしてある。人形の方もこちらで動かせる」
母さん「そりゃよかった。あんな大きいの、倒れたままでも困るものねぇ」
母さんは人形を見上げた。
布袋の顔はまだ笑っている。
さっきと同じ不気味な顔だ。
なのにその両腕には壊れた列車が丁寧に抱えられていた。
母さん「……あんた、面白いこと考えるね」
咎人「使えるものは使う。それだけだ」
母さん「そうかい」
母さんが笑った。
戦いの最中に見せていた俺の顔を確かめるような目ではなかった。
今目の前にいる人間をそのまま見ている。
母さん「かっこよかったよ、あんた」
俺は何も言えなかった。
母さん「自分だけ助かればいいって逃げるんじゃなくてさ。仲間も、列車の人たちも、ちゃんと連れて帰るんだねぇ」
紫苑がこちらを見た。シェンリィも。
さっき母さんから何か聞いたのだろうか。
妙に反応を待たれている気がした。
でもそんなことはどうでもよかった。
かっこよかった。それだけの言葉だった。
今まで何度も言われた。言われたくて行動してきた。
どうすれば言ってもらえるかを考えて、格好を選び、言葉を選び、立ち方まで考えた。
なのに。今までと全然違った。
自慢したくならなかった。
もう一度見せたくもならなかった。
ただ胸の奥が詰まってすぐに返事ができなかった。
母さんは俺がユウだとは知らない。
別の人間に向けて言っている。
それでも。やっぱり母さんは特別だった。
咎人「……そうか」
何とかそれだけ返した。
母さん「ああ。立派だったよ」
追い打ちはやめてほしい。俺は少し顔を逸らした。
シェンリィは何も言わなかった。
Φも今度は笑わなかった。
紫苑だけがそっと目を伏せた。
母さん「それじゃあ、あたしたちはそろそろ行こうかね」
顔を上げる。母さんは山賊へ手を振っていた。
山賊「へい!師匠、荷物はこっちに!」
母さん「ありがとう。あんたも今日はよく働いたねぇ」
山賊「へへっ……そりゃ、師匠の弟子ですから!」
母さんが背負い袋を受け取る。あの袋を背負って。
魔剣を持って。また俺の知らない場所へ行くのだろう。
俺は口を開きかけた。
一緒に来るか。温泉に行くんだ。疲れただろ。
食事くらい俺が出すから。
言えばいい。
助けてもらった礼だと言えばそれで済む。
母さんはきっと変には思わない。
少し笑って、いいのかい、と聞くかもしれない。
その光景まではっきり浮かんだ。
母さん「……どうしたんだい?」
目が合う。近くにいればまた顔を見られる。
何でもない言葉の選び方や食べるときの癖で何かを思い出されるかもしれない。
今度こそ名前を呼ばれたら俺はどうする。
知らないふりをするのか。頷くのか。
何から話せばいい。その答えがまだ出なかった。
母さん「何か、言いかけただろ?」
俺は一度唇を閉じた。
咎人「……世話になった」
違う。今言いたかったのはそれじゃない。
母さんは少しだけ俺を見ていた。
それからいつもの調子で笑う。
母さん「お互い様だよ。あんたも無茶ばかりするんじゃないよ」
咎人「ああ」
母さん「仲間を大事にね」
咎人「……分かってる」
母さんは頷いた。山賊が皆へ大きく頭を下げる。
山賊「そんじゃ!皆さんもよい旅を!」
二人が歩き出す。俺は呼び止めなかった。
背負い袋が歩くたびに小さく揺れる。
その横で山賊が何かを話している。
母さんが笑った。
俺の知らない相手と俺の知らない話をしている。
寂しさと少しの安堵が一緒に胸へ来た。
少なくとも今は一人じゃない。
そう思ったことが呼び止めなかった自分への言い訳にも聞こえた。
シェンリィ「……僕たちも行こうか」
少し間を置いて声がした。
俺は振り返る。
回収した車両の中ではベルベットが座席に沈んでいる。
ニルカはその隣を空けて待っていた。
ニルカ「ボス。ここ」
元々俺が座っていた場所だった。
窓は少し歪んでいる。机には傷がある。
足元の金属には応急処置の跡が残っていた。
それでも三人分の場所はある。
俺は乗り込み腰を下ろした。
咎人「……また、三人だな」
ベルベット「後ろに、もっと増えてんぞ」
見ればΦが当然のように続いてきている。
紫苑も、シェンリィも。
休暇は随分と大所帯になった。
ニルカ「いっぱい。楽しい」
ベルベット「お前の楽しいは、荷物と一緒に増え続けんな……」
外で藁人形の腕がゆっくり動いた。
俺が鎖を張り直す。ニルカが金属の位置を整える。
車両が静かに持ち上がった。
ベルベット「……これ、もう列車の旅じゃねぇだろ」
ニルカ「列車、乗ってる」
咎人「確かに」
ベルベット「そういう話じゃねぇよ……」
俺は窓の外を見た。
遠ざかる道の向こうで母さんが一度だけ振り返った。
手が上がる。俺も小さく手を上げた。
それだけだった。
机の上には記録晶が残っている。
今朝まで何度も再生していた俺の映像。
俺はそれを手に取り再生せずにしまった。
代わりにたった一言を頭の中で繰り返していた。
かっこよかったよあんた。
もう一度聞きたくてもそこには録られていない声を。




