19.帰る場所は残しとけ
――コン。
ニルカの腰の袋がもう一度鳴った。
彼女が目を落とす。
同時に車体へ打ち込まれた釘の溝へ細い光が走った。
一本。その隣。屋根の上。
まるで合図が順番に伝わっているように。
咎人「ニルカ。その袋――」
言い終える前に窓の外で黒いものが跳ねた。
藁人形の足元から射出された大きな釘。
ニルカの展開していた鉄板の隙間を抜け開いた窓へ一直線に飛んでくる。
ベルベットが右手を上げた。指先から赤い光が閃く。
釘の先端を焼き切る。いつもならそれで済むはずだった。
だが飛来する釘が半回転した。
こちらへ向いた平たい頭。
その中央の窪みへ赤い光が触れた。
火花は散らなかった。音もしなかった。
光が釘の中へ沈んだ。
ベルベット「……何?」
ニルカの腰が赤く光った。布袋の内側から。
それを見た瞬間ベルベットが床を蹴った。
ベルベット「ニルカッ!」
左手がニルカの手首を掴む。
彼女が顔を上げるより先にその身体を引き寄せた。
布が内側から裂けた。
小さな黒い釘から赤い光が噴き出す。
ニルカの脇腹から胸元を斜めに貫くはずだった光。
その射線へベルベットの右腕が入った。
白い閃光。金属の焦げる嫌な匂いがした。
二人の身体が座席へぶつかった。
ニルカが操っていた金属片の配置が一瞬だけ乱れる。
俺は鎖を走らせ空いた場所を塞いだ。
釘がぶつかる。床が揺れる。
それでも目だけは二人から離せなかった。
ベルベットの右腕から細い煙が上がっていた。
黒い装甲が肘から先にかけて焼けている。
継ぎ目の縁が赤くなり曲げた指から焦げた破片が落ちた。
ベルベットはそれを見なかった。
左手で掴んだニルカの腕を少し持ち上げ顔を確かめる。
ベルベット「ニルカ……無事か……」
ニルカ「……うん」
ベルベット「そうか」
それだけ言って掴んでいた手を緩めた。
ニルカの視線が彼の右腕へ落ちる。
ニルカ「ベルベット。腕、焦げてる」
ベルベット「どこ見てんだ。こんなのすぐ修理できる」
焼けた指を一度だけ握る。動いた。
彼はそれを確認するともう窓の外へ目を戻していた。
ベルベット「だから、早く終わらすぞ」
ニルカ「……釘。拾ったの――」
ベルベット「拾ったお前じゃねぇ。仕込んだ奴が悪い」
言葉を遮った。怒鳴ってはいなかった。
ただその先を言わせる気がない声だった。
ベルベット「顔上げろ。まだ仕事が残ってる」
ニルカは唇を結び頷いた。
床に落ちた小さな釘は赤く焼けたあと灰のように崩れた。
一方、窓の外を飛んでいた大きな釘も頭の部分を失って地面へ落ちていく。
俺はその両方を見た。
咎人「……攻撃を通したのか」
ベルベット「ああ。入口と出口をこっちに黙って繋ぎやがった」
誰も次の一撃を放たなかった。
車体にはまだ何本も残っている。
屋根。扉。床下。
そして俺たちから見えていない場所にも。
ベルベット「釘の頭は撃つな。横から落とせ」
ニルカ「……わかった」
ニルカが大剣へ両手をかけた。
巨大な刃の上部に並ぶ二つの柄。留め具が外れる。
彼女が腕を左右へ開くと刃の内側から二本の刀が滑り出した。
《双牙殻剣〈ヴァルガ〉》。
大剣に見えていたものは二つの牙を納めた巨大な刃付きの鞘だ。
抜き放たれた双刀を構えニルカは腰を落とす。
残された外殻は床へ落ちなかった。
紫の光を帯びたまま浮き上がり彼女の背後へ回る。
ニルカ「今度は、通さない」
その姿が窓から消えた。
次の瞬間には外にいた。
車両の側面へ足をつけ地面と平行に立っている。
身体と車体へ極性を与え引き合わせたのだ。
彼女が足場を蹴る。紫の光が窓の外を横切った。
釘が一本途中から折れる。続けてもう一本。
双刀が閃くたび黒い軸が短くなり列車へ届く前に地面へ落ちていく。
大剣の重い一撃とは違う。止まらない。
右の刀で弾き左の刀で切る。
外殻で次の攻撃を受けその反動に合わせて身体の向きを変える。
宙に残っていた宝物たちも彼女に合わせて動いていた。
欠けた歯車が窓を守る。
曲がった金具が落ちかけた部品を車体へ押し戻す。
ニルカ「ボス。左、お願い」
咎人「任せろ」
俺は左側へ鎖を編んだ。
ニルカが守っていた範囲を引き受けその分だけ彼女を前へ出す。
藁人形の長い脚へ紫の光が走った。
左右から交差した刃が脚を縛る縄を断つ。
藁の束がほどけた。巨体が傾く。
だがその傾いた先には俺たちの乗る車両があった。
咎人「……っ!」
鎖を伸ばす。
崩れた胴を受け止め線路から離す方向へ引いた。
中からまた釘がこぼれた。ニルカが反転する。
落ちる釘を切り車体へ向いたものを外殻で弾く。
ベルベットの赤い光がその隙間を縫った。
釘の頭を避け軸だけを横から焼き切っていく。
連携は合っていた。判断も遅れていない。
目の前の攻撃は全部見えている。
それでも床の下からまた何かが壊れる音がした。
車輪が大きく跳ねた。
窓の外の景色が斜めになると同時に悲鳴が上がった。
俺は胴体を縛っていた鎖の一部を地面へ打ち込み、車両の下へ別の鎖を回した。
傾きが止まる。止まっただけだった。戻らない。
線路を支えていた路盤の端が崩れていた。
砕けた石が車輪の下から谷へ落ちていく。
列車は嫌な音を立てながら速度を落とし前後の車両に引かれるようにしてようやく止まった。
最悪の場所で。前方には抉れた線路。
山側は切り立った岩壁。
反対側には足をつける場所さえない。
後部車両の片側の車輪が宙へ浮いていた。
ニルカ「……落ちる」
咎人「落とさない」
鎖を増やした。車軸。台枠。連結器。
重さを一か所へ集中させないよう支点を分ける。
だが一つ繋ぐたびに別の場所が軋んだ。
鎖で繋いでも折れた梁が元通りになるわけじゃない。
引けば千切れる。緩めれば傾く。
俺は指を僅かずつ動かし崩れかけた車両の重さを受け直した。
ニルカも車内へ戻り双刀を手にしたまま床へ片膝をつく。
彼女の周りに紫の光が広がる。
歪んだ金属が引き合い離れかけた継ぎ目が押し戻された。
ニルカ「ここ、持つ。……まだ、持つ」
ベルベットが俺たちの前へ立った。
ベルベット「じゃあ、外は俺がやる」
咎人「待て。その腕で――」
ベルベット「左もある」
言い終える前に赤い光が走った。
《赫光炉心〈クリムゾン・リアクター〉》。
ベルベットは放つ光の太さも長さも通る道も操れる。
真っ直ぐ飛ばすだけではない。
曲げる。枝分かれさせる。狭い場所へ通す。
今も割れた窓の隙間から出た赤い光が車体の下へ潜り込んでいた。
そこで二つに分かれ下から突き上がってくる釘を切り落とす。
別の光は屋根の上を走り落ちてきた藁束を焼いた。
人の頭上を通るときだけ細くなる。
車両から離れた場所では太くなる。
一撃を撃つたび必要な形へ変わっていく。
その精度は間違いなく桁外れだった。
問題はその光を生む身体だった。
撃つたびに熱が溜まる。
だから普段のベルベットは射撃を短く区切る。
実物の武器も使い、間を作り、熱を抱え込みすぎないように戦う。
だが今はその間がなかった。光を止めれば釘が通る。
一度車体へ打ち込まれればどこが次の出口になるかも分からない。
ベルベットは撃ち続けた。
釘の一本一本を見分けながら。
乗客の頭や、俺たちの身体や、支えている車両を避けながら。
その肩の継ぎ目から赤い光が漏れ始めた。
咎人「……ベルベット」
ベルベット「見えてる」
何がとは聞かなかった。
自分の身体のことだと分かっている。
ニルカが顔を上げた。
ニルカ「赤い。もう、だめ」
ベルベット「まだだ」
ニルカ「まだ、じゃない」
彼女が片手を動かす。
車体へ張りついていた金属片の一部が離れベルベットの前へ盾を作ろうとした。
その瞬間床の継ぎ目が開いた。
鞄が滑り込み下へ消えた。乗客が声を上げる。
ニルカはすぐに金属片を戻した。
ベルベット「そっちを離すな」
ニルカ「でも――」
ベルベット「大丈夫だ。お前のとこは通さねぇ」
その言葉に合わせるように赤い光が増えた。
窓の外に何十本もの細い線が広がる。
飛んでいた釘が一斉に砕けた。
乗客「……すごい」
誰かが掠れた声で言った。
乗客「全部、止めてる……」
ニルカは喜ばなかった。
俺もだった。
《臨界超過〈レッドライン〉》。
熱を抱え込んだベルベットの身体は壊れる直前にさらに強くなる。
威力が上がる。扱える光が増える。集中力が研ぎ澄まされる。
だから動きだけを見ていては分からない。
限界が来ているのにさっきより正確に撃てる。
まだ戦えると感じたまま身体の方が先に止まる。
俺はベルベットの背中を見た。
黒い装甲の隙間から赤い光が脈を打っている。
さっき焼けた右腕ももう動いていた。
平気になったわけじゃない。
痛みも不具合も後ろへ押しやっているだけだ。
咎人「出力を落とせ。俺が前を受け持つ」
ベルベット「今のお前が?」
咎人「何とかする」
ベルベット「じゃあ先に、そっちを何とかしろ」
視線が俺の足元へ落ちる。床が僅かに沈んでいた。
俺が外へ回そうとした鎖を車体が引いている。
その下に人がいる。
前の車両から移ってきた乗客が通路へ身を寄せている。
俺は歯を食いしばり鎖を戻した。
ベルベットは何も言わなかった。
ただ次の釘を撃ち落とした。
その沈黙の方がきつかった。
俺たちならこの化け物を壊せる。それは変わらない。
けれど壊れた車両を元へ戻す力も、もう崩れた地面を生やす力もここにはない。
強い力を振るうだけでは足りない。
今、この瞬間に必要な場所へ。必要なだけ。間違えずに。
それを一度も途切れさせずに続けなければならなかった。
ベルベット「……おい」
彼が乗客へ声をかけた。
ベルベット「窓から離れろ。後ろの壁に寄れ。押すなよ、順番だ」
子供を抱えた女性が震える足で立つ。
隣の男が肩を支えた。
誰も大きな声で文句を言わない。
言う余裕もないのだろう。
それでも一人ずつ動いてくれた。
ベルベット「そうだ。それでいい」
彼は一度も振り返らなかった。
窓に映った影で確かめながら外を撃ち続けている。
咎人「……もう十分だ。交代する」
ベルベット「十分かどうか、決めんのは状況だろ」
咎人「お前が倒れたらもっと面倒になるんだよ!」
ベルベット「だから、倒れる前に終わらせんだよ」
ニルカ「……帰りも」
小さな声がした。
ニルカは床へ手をつきこちらを見ていた。
ニルカ「帰りも、三人。一緒」
ベルベットの肩がほんの僅かに下がった。
ベルベット「……分かってる」
それから口元だけで笑う。
ベルベット「帰りの荷物まで、俺一人に押しつけんなよ」
ニルカは笑わなかった。俺も笑えなかった。
頭上で低い音が鳴った。
列車の音ではない。山だった。
岩壁の途中に細い線が走っている。
その線がゆっくり広がった。小石が一つ落ちた。
屋根へ当たり、跳ねて、谷へ消える。
続けて拳ほどの石。
それを鎖で弾きながら俺は見上げた。
岩壁のあちこちへ黒い釘が打ち込まれていた。
いつから。視線を戻す。
藁人形の笑った顔はまだそこにあった。
胴を縛られ、片脚を失い、腕を引き千切られている。
それでも頭だけが僅かに傾いた。
――コン。
――コンコン。
釘の周りから岩が割れた。
咎人「……ふざけんな」
岩壁の上部が手前へせり出していた。
客車を丸ごと押し潰せるほどの塊。
それが落ちれば鎖で受け止めるだけでは済まない。
今支えている車両ごと下へ押し込まれる。
横へ逸らすにも乗客のいる車体が近すぎる。
ニルカも見上げていた。
彼女の背後で浮く外殻が僅かに動く。
だがその下で床が軋んだ。俺も彼女も動かせない。
ベルベット「……岩まで追加かよ」
右腕が上がった。
赤い光が掌へ集まっていく。
さっきまでの細い光とは違う。
装甲の縁が白く焼け始めていた。
咎人「やめろ」
ベルベットは答えなかった。
咎人「ベルベット。今の身体でそれを撃つな」
彼の右手が一度だけ震えた。
焦げた関節がぎこちなく動いた。
ニルカ「ベルベット」
また返事がない。俺の背中が冷えた。
咎人「……おい。聞こえてたか?」
ベルベット「聞こえてる」
少し遅れて声が返ってきた。
ベルベット「怒鳴んな。狙いがずれる」
咎人「それを撃つなって言ってるんだ!」
ベルベットがようやくこちらを見た。
赤い光に照らされた顔。額に浮いた汗。
それでも目だけはひどく冴えている。
ベルベット「じゃあ、あれはどうすんだ」
岩が割れる。
今度は誰の目にも分かるほど大きく。
ベルベット「俺が外へ出る。お前らはそのまま支えてろ」
咎人「戻れなくなるぞ」
ベルベット「戻る場所くらい残しとけよ」
窓枠へ足をかけた。その動きが一瞬止まる。
膝が折れかけたのだ。
左手で枠を掴み無理やり身体を持ち上げる。
俺は鎖を一本彼へ伸ばし止める。
今止めなければ本当に。
ベルベットはその鎖を見ると苦く笑った。
ベルベット「……帰ってからなら、いくらでも説教聞いてやる」
右腕の光がさらに強くなる。
頭上の岩が動いた。巨大な影が窓を覆った。
乗客の声が止まる。誰かが子供を抱きしめる。
ニルカが歯を食いしばる。
俺はベルベットの腕へ鎖を伸ばしたままもう片方の手を頭上へ向けた。
どちらも離せない。
どちらかを選ぶなんてできるはずがない。
そのとき。
聞き覚えのある声が外から響いた。
「――ちょっとそこ!無茶するんじゃないよ!」
黒い影が窓の向こうを横切った。
落ちてくる巨岩の横腹へ掌が触れる。
次の瞬間空気が潰れた。
岩の塊が列車を掠めることなく横へ弾かれ誰もいない谷の向こうへ消えていく。
遅れて風が押し寄せた。
紫の髪が翻る。黒い鎧。
片手に提げた大きな魔剣。
その姿を認めた瞬間、俺の思考が止まった。
……は?母さん?何で...何でここに。
母さんは窓枠に片膝をついたベルベットを見た。
次に床を支えるニルカへ。
そして二人へ鎖を伸ばしたまま立ち尽くしていた、俺へ。
目が合った。母さんの眉が僅かに動く。
見知らぬ顔を確かめるように。
その奥に知っている誰かを探すように。
母さん「あんた……もしかして」




