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18.最強の弱点は、母に聞け

紫苑は戦う前にこれほど言葉を選んだことがなかった。

目の前には咎人の母親がいる。

旅装品店の軒先に設けられた小さな休憩所。

買い物客のための椅子へ腰かけ湯気の立つ茶を飲んでいた。


紫の髪。若々しい顔立ち。肩から足先まで覆う黒い鎧。

その隣には到底休憩所へ持ち込むような大きさではない魔剣が布を巻かれて立てかけられている。

事情を知らなければ紫苑も母親とは思わなかっただろう。

事実、道中で説明を受けたΦとヴァレリアはまだ完全には信じていなかった。


Φ「……ほんとに?」


紫苑「声を落としてください」


Φ「だって咎人様のお母さんだよ?あの咎人様に、お片づけしなさいとか言ってたってことでしょ?」


シェンリィ「そういうことになるね」


Φ「……ふぅん」


Φは母さんを眺めた。どうにもうまく想像できない。

あの尊大で格好をつけることに余念のない咎人が誰かに叱られて片づけをしている。

それだけでもちょっと面白かった。

一方ヴァレリアの関心は別のところにも向いていた。


ヴァレリア「母君という話はひとまず置くとして……美しい方だね」


紫苑「置かないでください。最も大切なところです」


ヴァレリア「もちろん理解しているとも。敬意を込めてマダムとお呼びしよう」


鵲「……どうか、余計なことはなさらず」


ヴァレリア「そんなに警戒しなくても――」


鵲「お願いいたします」


言葉を遮られヴァレリアは鵲を見た。

鵲は冗談を言う顔ではなかった。

紫苑もシェンリィもこの女性が何をしたのかを知っている。

店を砕いたときのあまりにも気軽な一撃。

帝国の皇帝を泣かせながら追い詰めていった姿。

そして鵲はそれよりも個人的な事情をよく覚えていた。

逃げられなかった。それが何より身に染みている。


母さん「……さっきからあんた達は何をこそこそ話してるんだい?」


五人の背筋がそれぞれ少しずつ違う理由で伸びた。



母さん「温泉に行くんだって?いいじゃないか。皆で?」


紫苑「はい。そのための衣服を選んでおりまして……」


母さん「それであたしに相談かい。お洒落はそんなに詳しくないよ?」


ヴァレリア「ご謙遜を。マダム。その装いはとてもよくお似合いだ」


母さん「これかい?もらい物なんだけどね。何だか飾りが多くてまだ落ち着かないんだよ」


母さんは肩の金具へ触れた。


母さん「息子がこういうの好きだったから、見せたら喜びそうだけどねぇ」


紫苑の指が目録の端をぎゅっと掴んだ。

今だ。自然に話がつながった。

ここで尋ねれば不審には思われない。


紫苑「それで……あなたの、とが……」


シェンリィの足が机の下で僅かに動く。


紫苑「ご、ご子息様は、どのような……その……お身体がお好きなのですか……?」


つながらなかった。

母さんは茶碗を持ったまま瞬きをした。


母さん「えぇ?」


鵲が目を伏せる。

Φは紫苑の横顔をじっと見ていた。

勇敢なのか緊張しすぎているのか判断がつかない。


母さん「なんであんたが、ユウの好みを気にしてんだい?」


――ユウ。

紫苑の口が音もなくその二文字をなぞった。


母さん「んん……そんなの、あたしでも知らないねぇ。ていうか、なんでユウのこと知ってんだい?」


母さんの目つきが変わった。怒っているわけではない。

ただ何となく答えて済ませていい質問ではない、と気づいた顔だった。


母さん「ユウは、ここにいるのかい?」


紫苑「いえ!いえ!!今はそのことより!!」


母さん「そのことより?」


紫苑「その、ユウ様のお好みを……!何卒、お聞かせいただけましたら……!」


紫苑が両手を机へ置いた。

真剣だった。あまりにも真剣だった。

母さんは少しだけ身を引いた。


母さん「……あんた、ずいぶん必死だねぇ」


ヴァレリア「恋する者は時に剣を持つ者より必死になるものさ、マダム」


シェンリィ「今回はその両方だからね」


紫苑「お二人とも……!」


母さんは五人を見渡し、ふう、と息をついた。


母さん「分かった、分かった。そんな顔をしなくても答えられることなら答えるよ。ただ、あたしが知らないことまで期待しないでおくれよ?」


紫苑「はい……!」


質問を押し返すことにはどうにか成功した。

納得させられたかどうかは別の話だった。

母さんはまだ紫苑の顔を確かめるように見ている。


母さん「好きも嫌いも……あたしの前じゃ、そもそもそんなの意識してない感じだったねぇ」


紫苑「では、大きい方がよろしいとも、控えめな方がよろしいとも……?」


母さん「聞いたことないね。まあどっちでもいいんじゃないかい?」


紫苑は少し困った顔をした。

持参した目録には既に何枚もの栞が挟まれている。

その努力が無駄になるわけではないが、決め手はまだ見つからなかった。

母さんはそれを見て笑った。


母さん「相手が喜ぶものを選びたいのは分かるけどさ。まず、自分が着て嬉しいものを選んだらどうだい?」


紫苑「……自分が」


母さん「うん。気に入ってる服を着たときって、顔が違うからね。そこまで見てくれる相手ならきっと気づくよ」


ヴァレリアが紫苑の目録へ目をやった。

黒地に紫の花が描かれた頁へ栞が挟まれている。

何も言わず僅かに笑った。

その横でΦが待ちきれずに口を挟む。


Φ「じゃあ、そのユウくんを喜ばせる方法って、何かないの?」


母さん「ああ、それなら簡単だよ」


五人の視線が集まった。


母さん「『かっこいい』って言葉だけで、あいつはウッキウキになるよ」


紫苑「……かっこいい」


母さん「そうそう。本人は平気な顔してるつもりなんだけどね。褒めたあとさっきと同じ立ち方をもう一回するんだ」


シェンリィの肩が小さく揺れた。


母さん「気づいてないと思ってるんだろうけど、分かるっての。あんなに何度もやってりゃ」


Φは口元を押さえた。

鵲は茶碗を置いた。今飲むと危ない気がした。


母さん「ちょろいもんだよ、まったく。可愛いねぇ」


誰も否定しなかった。思い当たることがありすぎた。


母さん「……何だい。あんた達もそういう人を知ってるのかい?」


紫苑「い、いえ!大変、参考になるお話でしたので!」


母さん「そうかい?」


まだ少し不思議そうだった。

だが店先から呼ばれると母さんはそちらへ顔を向けた。


店員「お客様。ご注文の背負い袋をご用意できました」


母さん「ああ、ありがとう。ちょっと見てくるよ」


椅子から立つついでに母さんは脇の魔剣を持ち上げた。

雑に置いて倒れては困ると思ったのだろう。

刃を包んだ布を直し片手で軽々と肩へ乗せる。

ヴァレリアの視線がその手首へ動いた。

持ち上げる前も後も身体の軸がほとんど変わっていない。

重さを受けるための踏み込みさえなかった。

母さんが店の中へ入ってからヴァレリアが低く言った。


ヴァレリア「……なるほど。あの剣をああ持つのか」


鵲「だから申し上げたのです」


その声には実感がこもっていた。

店内の声が遠ざかったのを確かめシェンリィが顔を寄せる。


シェンリィ「ふぅん。可愛いね……覚えておこうか」


紫苑「シェンリィ様」


シェンリィ「何かな?」


紫苑「よからぬことを企まないよう……咎人様がそのお言葉を嫌いにならぬようお願いいたします」


シェンリィ「努力はするよ」


鵲「……そのお返事はあまり信用できません」


シェンリィ「僕だって、楽しみを自分で潰すほど愚かじゃないさ。大切に使わせてもらうよ」


紫苑「使うことは、お決めになっているのですね……」


Φが堪えきれずに笑った。


Φ「へぇ……咎人様、結構可愛いところあるじゃん♡ きゃは!合流したらいっぱい言ってあげるからね〜、咎人さまぁ♡」


紫苑「Φ様も、ほどほどに」


Φ「ちゃんとかっこいいときに言うもん。そうしたらもう一回やってくれるんでしょ?」


シェンリィ「本人に気づかれないように回数を数えておこうか」


鵲「お二人とも……」


ヴァレリア「私にも言ってくれないかな」


四人の視線がそちらへ向いた。

ヴァレリアは真剣だった。


ヴァレリア「私だって、女性にかっこいいと言われれば嬉しい。必要とあらば同じ立ち方を三度でも――」


シェンリィ「君は言われなくてもやるだろう?」


ヴァレリア「褒められれば精度が上がるさ」


Φ「何の?」


ヴァレリア「君たちの記憶に残る角度の」


シェンリィ「放っておいても残ると思うよ。言動の方がね」


ヴァレリアはそれも褒め言葉として受け取ったらしい。

満足そうに頷いた。



通りの向こうで男が机を出していた。

灰色の外套に目立たない帽子。

旅客案内の腕章を着け道行く人へ紙を配っている。

紫苑が目を向けたのは男の視線を感じたからだった。

目が合うと男は軽く会釈した。

敵意は感じない。

ただ先ほどからこちらを見ていた気がする。


シェンリィ「どうしたんだい?」


紫苑「いえ。あちらの方が……」


Φ「知り合い?」


紫苑「存じません。案内係の方のようですが」


ヴァレリア「私たちへ見惚れたのでは?」


シェンリィ「君を基準に人間を考えない方がいいよ」


男は紙束を持ち直した。その端を机へ軽く当てる。

コン。少し間を置いて。コンコン。

紙の下に何か硬いものでもあるのだろうか。

紫苑が眉を寄せたところで母さんが店から戻ってきた。


母さん「待たせたね。あたしにはやっぱりこういうのが使いやすくていいよ」


手には丈夫そうな背負い袋がある。

店の華やかな品々と比べるとひどく素朴だった。


ヴァレリア「よくお似合いだ、マダム」


母さん「袋まで褒めるのかい、あんたは」


ヴァレリア「気に入ったものを手にしている女性は、見ていて嬉しくなるからね」


母さんは一瞬だけきょとんとしてそれから笑った。


母さん「あんた、口はずいぶん大げさだけど気は利くんだねぇ」


ヴァレリア「……」


母さん「さっきから皆の荷物を持ってるし。立派な騎士なんだろ?かっこいいじゃないか」


ヴァレリアが動かなくなった。

シェンリィが横から顔を覗く。


シェンリィ「どうしたんだい?もう一回同じ立ち方をしてもいいんだよ?」


ヴァレリア「……不意打ちは、よくないな」


Φ「ちょろぉい」


鵲は少しだけ笑った。

母さんは事情が分からないまま楽しそうな一団を眺めている。

それから不意に紫苑へ顔を向けた。


母さん「それで。さっきの話なんだけどね」


紫苑の笑顔が止まる。


母さん「やっぱり、ユウのことを――」


その言葉を遮るように通りの魔導放送器が鳴った。


放送〈運行案内〉「霧嶺方面へお出かけのお客様に、お知らせいたします」


紫苑が顔を上げた。

咎人たちの向かっている方面だった。


放送〈運行案内〉「現在、山間区間において運行状況の確認を行っております。一部の便に遅れが生じる可能性がございます。続報をお待ちください」


短い雑音のあと放送が切れる。


Φ「えぇ。遅れるの?」


紫苑「確認いたします」


母さん「皆で行くって言ってた温泉、そっちだったのかい?」


紫苑「はい。先に列車で向かった者がおりますので」


母さん「そうかい。何事もなければいいけどねぇ」


先ほどの男が紙を数枚手にして近づいてきた。


案内係「霧嶺方面をご利用でしたらこちらをどうぞ。代替の馬車と、迂回路のご案内です」


紫苑は差し出された紙を受け取った。


紫苑「ありがとうございます。状況をご存じなのですか?」


案内係「詳しいことは私どもにもまだ。念のため、先にご案内を」


丁寧な応対だった。慌てた様子もない。

旅客の不安を和らげるためか柔らかい笑顔さえ浮かべている。


紫苑「どの便に遅れが?」


案内係「それも、続報を待っているところでして」


シェンリィが紫苑の持つ紙へ目を落とした。

地図。馬車の発着場所。迂回した場合のおおよその所要時間。

手際がいい。

確認の放送が流れたばかりだというのに必要な情報が綺麗に印刷されている。


Φ「……ねえ」


Φの指が紙の上端を押さえた。


Φ「落石だったんだ?」


母さん「あら。山の方ならそういうこともあるんだろうけど」


紫苑はもう一度紙を見た。

上端に小さな文字が並んでいる。

――山間区間の落石に伴う一時運休のご案内。

先ほどの放送では原因など一言も告げられていない。


紫苑「……落石なのですか?」


男の笑顔は変わらなかった。


案内係「現在、確認中と伺っております」


シェンリィの指が眼鏡の縁へ触れた。

紫苑は紙を畳まず男へ向ける。


紫苑「でしたら、こちらは何をもとに作られたのでしょうか」


通りの向こうでは男の机に積まれた同じ案内が、風に一枚だけめくれていた。

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