17.守るたびに、釘が増える
黒鎖が窓の外へ走った。
連結部へ伸びていた藁の腕を絡め取りそのまま上へ跳ね上げる。
長い釘の生えた指先が屋根を掠めた。
耳障りな音。
薄い金属片が風の中へ飛んでいく。
乗客たちが一斉に頭を伏せた。
咎人「そのままでいろ。すぐに済む」
俺はそう告げ窓際へ足をかけた。
実際仕留めるだけなら難しくない。
腕を引き千切り、胴を潰し、頭を落とす。
中に何が入っていようがまとめて縛り上げればいい。
随分と不気味な見た目をしているがそれだけだ。
俺たち三人だけなら次の景色が見える頃には片づいている。
……俺たち三人だけなら。
咎人「ベルベット、車内を頼む」
ベルベット「ああ。派手に散らかすなよ」
咎人「分かってる」
足元へ鎖を渡し窓の外に足場を作る。
風が顔へ叩きつけられた。
俺はその上へ踏み出し拘束した腕を引き寄せようとした。
その瞬間。
藁人形の空いている方の手が動いた。
俺へ向かってではない。二つ後ろの車両へ。
細長い指が窓の並ぶ側面を薙ごうとしていた。
咎人「――っ!」
引き寄せかけた鎖を解き後方へ走らせる。
指先の釘が窓へ届くその手前。
幾重にも編み込んだ黒鎖が車両の側面を覆った。
衝撃が響く。
俺は足場を蹴り窓の内側へ戻った。
硝子が震え天井の灯りが大きく揺れる。
ベルベットが片手を伸ばし倒れかけた荷棚を支えていた。
咎人「……くそが!最強相手に違うやつ狙うとかズルっちいぞ!」
ベルベット「それが最適な攻略法だからなぁ!」
言いながらベルベットは荷棚を押し戻す。
固定具を手早く締め直しその手を窓の方へ向けた。
ベルベット「ニルカぁ!」
返事を待つ必要はなかった。
ニルカはもう立っていた。
足元に大剣の外殻を浮かせ片手で旅行鞄の口を開く。
ニルカ「わかってる。みんな、守る」
鞄の中から金属片が溢れ出した。
錆びた歯車。曲がった金具。刃の欠けた短剣。
何かの蓋と鎖の切れ端と大小の座金。
旅行へ持っていくにはどれも不釣り合いなものばかりだった。
ニルカは気に入ったものを拾ってくる。
使えるかどうかも、売れるかどうかも関係ない。
本人が好きだと思えばそれは宝物だ。
今回も着替えの隙間へ目いっぱい詰めてきたらしい。
その宝物たちが一つも床へ落ちることなく宙へ並んだ。
紫の光が金属の輪郭をなぞる。
ニルカの瞳に同心円が浮かび上がった。
《機神磁界〈デウス・エクス・マキナ〉》。
金属を操り物に極性を与えて引き合わせあるいは弾き合せる力。
彼女にとって手に持てる武器だけが武器ではない。
ニルカ「そこ。だめ」
金属片が一斉に窓の外へ飛び出した。
藁人形の指先が裂けた。
縄で縛られた藁束の隙間から黒いものが射出される。
釘。人の腕ほどもある太い釘だった。
一本目が車輪へ向かう。
ニルカの大剣の外殻が下からそれを弾いた。
二本目は窓へ。
重なり合った歯車と鉄板が斜めに受け釘の進路を空へ逸らす。
三本目。四本目。
短い金属音が立て続けに響いた。
飛び交うガラクタが必要な場所へ次々と集まっていく。
受け止める。押し返す。逸らしたらまた離れて次の攻撃へ回る。
まるで列車の周りに小さな護衛が何十人もいるようだった。
ニルカはその全部を見ていた。
顔を右へ向け左手を引く。視線を上へ動かし指先を閉じる。
そのたびに金属片の配置が変わる。
ニルカ「窓、閉めて。顔、出さないで」
窓際に座っていた男が慌てて留め具へ手をかけた。
だが揺れる車内ではうまく掴めない。
ニルカが一度だけそちらを見る。
留め具が勝手に回り窓が閉じた。
男「す、すまない……」
ニルカ「いい。座ってて」
短く答え彼女はまた外へ目を戻した。
俺も後方へ伸ばした鎖を維持しながら別の鎖を人形の胴へ回す。
今度は腕だけではなく全身を押さえる。
巻きついた黒鎖が藁の胴を締め上げた。
縫い目が裂ける。
中に詰まっていた藁が風に散った。捕らえた。
俺がさらに指を曲げようとしたとき人形の肩から腕が抜けた。
切り落とされたのではない。自分から外した。
藁の束を数本だけ引きずりながらその腕が列車へ落ちてくる。
……面倒な構造してやがる。
俺は胴を締める動きより先に落ちる腕へ鎖を伸ばした。
途中の関節と指をまとめて縛り車体に触れる前に引き上げる。
列車の屋根を巨大な影が通り過ぎた。
乗客の誰かが息を呑んだ。
俺は腕を線路の外へ投げ捨てる。
藁束が地面へ叩きつけられ大きく広がった。
しかし休む間はなかった。
胴体の裂け目から黒い釘の先端が幾つも覗いている。
頭を落としたところで同じことが起こるかもしれない。
壊すならその中身まで一つ残らず押さえる。
少なくとも列車の横で雑に潰していい相手ではなさそうだった。
ベルベット「中まで釘か。趣味の悪ぃ裁縫箱だな」
咎人「持ち主にまとめて突き返してやりたいね」
ベルベット「賛成。送り先が分かればな」
前方から長い警笛が響いた。
列車の速度が僅かに落ちる。
床の下で何かが軋み乗客たちの身体が前へ傾いた。
まだ止まれない。
俺たちにとっては短い距離でもこの列車にとっては止まりきるまでに必要な長さがある。
そしてその間も攻撃は続く。
釘が屋根へ突き刺さった。
俺は即座に天井の内側へ鎖を這わせ貫通してきた先端を受け止めた。
頭を伏せていた女性のすぐ上で黒い先端が止まる。
女性はそれを見て声も出せずに固まった。
咎人「その席から離れろ。通路の向こうへ」
女性「足が……」
立とうとして膝が折れる。
ベルベットが一歩で近づきその身体を支えた。
ベルベット「急がなくていい。肩掴め」
女性「ご、ごめんなさい。私、邪魔に……」
ベルベット「悪いのは外の奴だ。お前じゃねぇ」
座席の反対側へ移し彼は落ちていた鞄をその足元へ置いた。
ベルベット「ここに座ってろ。頭だけ下げとけよ」
女性が頷くのを見届けすぐに戻ってくる。
その間も片方の手は窓へ向いていた。
飛び込んできた細い釘を赤い光が短く焼き切った。
……そう。邪魔ではある。
俺たちが前へ出れば乗客が狙われる。
広く壊せば破片が飛ぶ。
簡単に終わらせられる攻撃でもこの距離では使い方を選ばなければならない。
この人たちがいなければと考えるだけなら簡単だ。
でもいる。そして俺たちより弱い。だから守る。
強者の役目なんてそのくらい分かっている。
俺はその先まで欲しいのだ。
助けられたことを覚えていてほしい。
俺たちがどれほど強くどれほど特別だったかを誰かに話してほしい。
葬月の名を聞くたびに今日のことを思い出してほしい。
崇め奉ってくれても一向に構わない。
だったらそのための仕事くらいはする。
ここで乗客に文句を言って逃げるような最強を俺自身が好きになれるわけがなかった。
咎人「ベルベット。前へ抜けられる?」
ベルベット「三秒くれりゃな」
咎人「作る」
俺は窓の外へさらに鎖を伸ばした。
黒鎖が人形の残った腕を胴体へ押さえつける。
同時に裂けた腹を外から塞いだ。
釘が内側から鎖を叩く。
ならばそのまま中で暴れていろ。
咎人「今だ!」
ベルベットが走った。
連結通路へ向かいその扉へ手をかける。
だがその一瞬前。人形の笑った顔がまた傾いた。
――コン。
――コンコン。
足元で何かが弾けた。外からではない。
車両の下から響いた重い金属音だった。
床が跳ねる。
ニルカ「……下!」
宙を回っていた宝物たちが一斉に潜り込む。
車体を支える枠の一部が外へ押し開かれていた。
路面すれすれを走っていた黒い釘が下からそこを打ち抜いたのだ。
傾きかけた車両をニルカが引き戻す。
俺も鎖を床へ回した。
前後の車両へ渡し裂けかけた継ぎ目を繋ぎ止める。
ベルベットは扉を開ける手を止め引き返した。
ベルベット「……三秒もくれねぇか」
咎人「やたら気が利くね。悪い方に」
ニルカの額に髪が張りついていた。
汗というより吹き込む風で乱れた髪を直す暇がない。
彼女が両手を少し広げる。
歪んだ金属枠が本来の位置へ押し戻された。
それに合わせて宙を飛ぶ宝物の一部が車体へ張りつく。
鎖の切れ端が割れた固定具を跨ぐ。
曲がった金具が剥がれた板を押さえる。
小さな鉄片が集まり釘の開けた穴を塞ぐ。
守るために飛ばしていたものを今度は壊れた場所へ残していく。
だから空を回る数は少しずつ減っていた。
ニルカ「ここ、押さえる。ほか、お願い」
ベルベット「ああ。任せとけ」
彼はもう機械の腕を構えていた。
列車の中へ乾いた音が響く。
一本。今度は扉の外側。
もう一本。客車の屋根。
すべてを通しているわけじゃない。
人に届く釘は俺たちが止めていた。
車輪を砕こうとするものも客車を横倒しにしようとするものも弾いていた。
それでも車体へ残るものまでは防ぎきれない。
窓のすぐ下へ太い釘が打ち込まれた。
ベルベットが手を伸ばしその軸を掴む。
捻りながら引き抜いた。
黒い表面。平たい頭。軸に刻まれた細い溝。
俺はそれを見た。
咎人「……この釘、さっきの」
ベルベット「あぁ……そっくりだ。やっぱりなんか関係があったか。腹立つぜ」
ニルカの視線が一瞬だけ腰の袋へ落ちる。
布に包んでしまった小さな釘。
座席の下に落ちていたもの。
あのときはまだ列車は襲われていなかった。
ニルカ「……これも?」
ベルベット「触んな。そのままでいい」
咎人「後で一緒に調べよう。今は列車を頼む」
ニルカはすぐに顔を上げた。
ニルカ「わかった」
俺は外を見る。
藁人形は拘束されたまま列車に引かれていた。
胴を縛り腕を封じている。
それでもどこかから釘が飛んでくる。
足か。背中か。さっき散らした藁の中か。
笑った顔は何も教えない。
その横で車体に刺さった釘の頭が見えた。
屋根に二本。扉の脇に一本。窓の下にさらに二本。
それぞれ離れた場所へ妙に深く打ち込まれている。
……何本だ。
見えているものだけで何本ある。
俺たちはまだ乗客を一人も失っていない。
けれど守るたびに傷が増える。
俺は列車へ渡した鎖にもう一度力を込めた。
そのときニルカの腰の袋から小さな音がした。
――コン。




