16.本人不在の最重要会議
その頃城の一室では。
紫苑「皆様、お集まりいただき感謝申し上げます」
長机の前に立った紫苑が深々と頭を下げていた。
集まっているのは、シェンリィ、鵲、そしてΦ。
女性幹部全員が揃っているわけではない。休暇を与えられそれぞれ好きに過ごしている中温泉行きの相談に顔を出した面々だった。
机の上には温泉郷の案内と数冊の服飾目録。
その中央に一枚の紙が置かれている。
――咎人様に喜んでいただくための湯遊び衣装選定会議。
シェンリィ「……休みをもらった直後に会議へ呼ばれるとは思わなかったよ」
紫苑「通常業務とは異なりますので」
シェンリィ「そうだね。通常業務より君が真剣だ」
紫苑は聞こえなかったことにして目録を開いた。
その向かいでΦが椅子の背へ大きく寄りかかる。
紫色の髪に混じった小さな触手が退屈そうに左右へ揺れていた。
Φ――《紫毒の大魔術師》。
膨大な魔力と触手を操る葬月の幹部。
普段は相手を小馬鹿にするような言葉ばかり口にするが放っておかれると自分から相手の視界へ戻ってくる。
今も紫苑が紙ばかり見ているのが気に入らないらしい。
Φ「咎人様と早く温泉行きたいよぉ!紫苑、もう行っちゃおうよ!」
⬆️Φ(ふぁい)
紫苑「なりません。我々も準備が必要なのです。そのための会議ですよ、Φ様」
Φ「むぅ……わかったよ」
返事はした。ただし納得した顔ではなかった。
頬杖をつき唇を尖らせる。
一本の触手が机の下へ潜り紫苑の服の袖をちょんと引いた。
紫苑が顔を上げる。
Φはすました顔で目録を見ていた。
シェンリィ「今のは何だい?」
Φ「何もしてないけど?」
シェンリィ「そう。触手だけが寂しかったんだね」
Φ「うるさぁい」
鵲は二人を見比べ静かに茶を飲んだ。
休養とはどういうものだっただろうか。
少なくとも潜入任務より気楽なはずである。
今のところそうは思えなかった。
紫苑「まず、現地には水着で利用する庭園がございます。皆様のお召し物もそれに合わせて――」
ヴァレリア「おやおや、子猫ちゃんたち」
扉の方から声がした。紫苑の筆が止まる。
できれば聞き間違いであってほしかった。
しかし扉はもう開いていた。
長い金髪を肩の後ろへ払い黒い軍装の女性が室内を覗いている。赤みを帯びた目が集まった顔を楽しそうに見渡した。
《蒼穹の竜騎卿》ヴァレリア。
黒竜グリムを相棒とする歴戦の女竜騎士である。
戦場では判断が速く剣を取れば頼もしい。
女性を見つけたときも判断は速い。
ただしその後に出てくる言葉のせいで頼もしさは大抵どこかへ行く。
ヴァレリア「そんなに集まってどうしたんだい?私も混ぜてくれないか?その幸せの空間にいたい。その甘い空気を吸っていたい……」
⬆️ヴァレリア
紫苑はゆっくり筆を置いた。
来た。よりによってこの人が。
シェンリィ「相変わらず、発言の一つ一つが気持ち悪いね。よくそんな言葉が出てくるものだよ。君は才能があるかもしれないね」
ヴァレリア「そんなに褒めないでくれたまえ。女性に褒められると嬉しいんだ……そう……」
彼女は胸へ片手を当てた。
ヴァレリア「今、私の心臓が勝手に君の姓を名乗り始めた」
シェンリィ「追い出してくれないか。親戚を増やす予定はないんだ」
ヴァレリア「では、まずは隣人から」
シェンリィ「席は離れてくれる?」
ヴァレリアは一瞬だけ残念そうに笑うと言われたとおり一つ空けた椅子を引いた。
紫苑「……ご参加なさるのですか」
ヴァレリア「もちろん。君たちの笑顔が並んでいる席を素通りするほど私は強くない」
鵲「戦場では、あれほどお強いのに……」
ヴァレリア「守るものが違うのさ」
シェンリィ「今は君から会議を守りたいね」
Φがわざとらしく机へ突っ伏した。
Φ「ほらぁ。人が増えたらまた長くなるじゃん……」
ヴァレリアがそちらへ顔を向ける。
ヴァレリア「その顔も可愛いね子猫ちゃん。もっと私に見せてくれないかい?」
Φ「やだよ気持ち悪い!咎人様だけにしか見せないもん!」
ヴァレリア「手厳しい!しかしその尖っているのもとても愛らしい……」
Φ「見ないでってば!」
ヴァレリア「分かった。では目録を見よう」
あっさり視線を下げた。
Φは少しだけ拍子抜けした顔をしてそれから自分も目録を引き寄せた。
シェンリィ「引き際は心得ているんだね」
ヴァレリア「嫌がる顔を長引かせて次の笑顔を見せてもらえなくなっては困るだろう?」
シェンリィ「最後まで欲望に忠実で安心したよ」
会議は思っていた以上に進まなかった。
色を決めようとすれば形の話になった。
形を決めようとすれば羽織物の話になった。
羽織物の話を始めるとヴァレリアが遠征先の仕立て屋について語り始めた。
ヴァレリア「その店の主人がまた指先の綺麗な女性でね。採寸用の紐を持つ姿が――」
紫苑「お店の所在地だけお願いいたします」
ヴァレリア「君は物語の余韻を刈り取るのが上手いな」
紫苑「選定を進めたいだけです」
鵲は紫苑の手元にある紙へ目を落とした。
最初の議題からまだ一つも印がついていない。
鵲「……咎人様に、直接お尋ねしてはいかがでしょうか」
紫苑「それは……」
初めて議長の声が弱くなった。
シェンリィ「そうだね。水着選びだと伝えてどんなものが好きか聞けば済む話だ」
Φ「じゃああたし聞く!咎人様とお話もできるし!」
紫苑「お待ちください!」
Φが身を起こすより早く紫苑が机へ両手をついた。
紫苑「その……できれば、当日まで内緒にしておきたいのです」
シェンリィ「驚かせたい?」
紫苑「……はい」
Φ「ふぅん」
Φは紫苑の顔を見た。
いつもの落ち着いた顔ではない。
真面目に何かを企てているのにその企みを口にしただけで耳が赤くなっている。
Φ「紫苑もそういう顔するんだぁ」
紫苑「Φ様」
Φ「はいはい。内緒ね。じゃあ聞かなぁい」
彼女は椅子から降りた。
Φ「でもお茶なくなった。鵲、選ぶの手伝って。あたし甘いのがいい」
鵲「承知いたしました」
紫苑「お茶でしたら部下に――」
Φ「自分で選びたいの。すぐ戻るから、勝手に決めないでよ?」
鵲を連れΦが隣の茶室へ出ていく。
扉が閉まるのを見届けてから紫苑は小さく息を整えた。
そして声を落とす。
紫苑「……率直に申し上げます」
シェンリィ「どうぞ」
紫苑「咎人様は、その……胸の大きな女性と控えめな女性では、どちらをお好みなのでしょうか」
しばらく誰も喋らなかった。
シェンリィは眼鏡を直した。
シェンリィ「それを、ここで決めるのかい?」
紫苑「決める、と申しますか……検討を……」
シェンリィ「僕らが全会一致したところで、本人の好みは変わらないと思うけれど」
ヴァレリア「女性の水着なんて、胸が出ていれば出ているほどいいに決まっているだろう!」
紫苑の肩がびくりと跳ねた。
ヴァレリアは一切ためらわなかった。
ヴァレリア「その大きな二つは何のためにあると思っているんだい!?」
シェンリィ「少なくとも、君を喜ばせるためではないだろうね」
ヴァレリア「それでも私は喜ぶ。そこは誰にも止められない」
紫苑「今、お尋ねしているのは咎人様のお好みです」
ヴァレリア「私の好みも参考になるかと」
シェンリィ「参考人が自分の願望を証拠として提出し始めたよ」
ヴァレリアは両手を広げた。
まるで大いなる誤解を解こうとする騎士のように。
ヴァレリア「この世界には女性という宝石が山のようにいる。それを崇めたてて何が悪いんだい?そうだ、私は悪くない。可愛くて、美しく、愛らしい存在の君たちが悪いんだぞ?」
シェンリィ「発言した責任までこちらに持たせないでくれるかな?」
紫苑「……議事録には、どのように残せば」
シェンリィ「『参考にならず』でいいよ」
紫苑は本当に書いた。
ヴァレリア「せめて『情熱は認める』を添えてくれないか?」
紫苑は少し考えてからそれも書いた。
シェンリィ「君、律儀だねぇ……」
ヴァレリアが持ち込んだ目録は妙に実用的だった。
口から出る言葉は信用しづらいが店ごとの仕立ての違い、布の乾きやすさ、飾り紐の結び方までよく知っている。
紫苑が頁をめくるたび彼女は一つか二つ短い説明を添えた。
やがて紫苑の指が止まる。
黒地に淡い紫の花。
腰の飾り紐は細く同じ模様の羽織物が添えられている。
派手ではない。
だが紫苑はその頁をほかより少し長く見ていた。
ヴァレリア「それにしたまえ」
紫苑「……まだ、ほかのものと比較を」
ヴァレリア「君、その頁を開いたのは三度目だよ」
紫苑が顔を上げる。
ヴァレリアはさっきまでの大げさな笑顔ではなく静かに口元を緩めていた。
ヴァレリア「花を見て、紐を見て、羽織物を見た。それから一度だけ自分の袖を見た」
紫苑「……よく、ご覧になっているのですね」
ヴァレリア「女性を見ている時間だけは誰にも負けない自信がある」
シェンリィ「いいことを言いかけて必ずそこへ戻るんだね」
ヴァレリア「一つ取り置いてもらおう。咎人の好みが分かってからまた選べばいい」
紫苑は目録へ視線を戻した。
ヴァレリア「今の君が気に入ったものまでなかったことにする必要はないだろう?」
少しの間紫苑は指先で頁の端を撫でていた。
やがてそこへ小さな栞を挟む。
紫苑「……では、こちらを候補に」
ヴァレリア「うん。きっと似合う」
今度の言葉には余計なものがつかなかった。
紫苑「ありがとうございます」
ヴァレリア「……」
シェンリィ「どうしたんだい?」
ヴァレリア「いや。今の『ありがとう』は、できればもう一度――」
紫苑「申しません」
ヴァレリア「一度きりか。ならば生涯大切にしなければ」
シェンリィ「温度差で風邪をひきそうだよ」
そこへΦと鵲が戻ってきた。
Φは新しい茶を持ち鵲は菓子の皿を運んでいる。
Φ「決まった?」
シェンリィ「紫苑が一着候補を見つけたよ」
Φ「えー、見せて見せて」
目録を覗き込んだΦは栞の挟まれた頁を見るとすぐに頷いた。
Φ「いいじゃん。紫苑っぽい」
紫苑「……そうでしょうか」
Φ「うん。咎人様もすぐ紫苑だって分かるよ」
紫苑は少しだけ笑った。
その顔を見てΦも満足そうに茶を飲む。
鵲は自分の席へ戻ろうとして足を止めた。
椅子の背に見覚えのない服がかかっている。
鵲「……これは?」
ヴァレリア「旅先で見つけた一着だ。君に似合いそうでね」
鵲の表情が固まった。
衣装。試着。可愛い。
最近その三つの言葉によくない記憶がまとわりついている。
ヴァレリアはその顔を見るとすぐに服を取った。
ヴァレリア「気が向いたらでいい。これは私が預かっておこう」
鵲「……着なくても?」
ヴァレリア「もちろん。服なら待てる。逃げたりもしない」
シェンリィ「君が追いかけなければね」
ヴァレリア「今日は追わないとも」
鵲「今日以外も、お願いいたします……」
それでも鵲の肩からは少し力が抜けた。
ヴァレリアは服を畳むと目録の下へしまった。
会議の紙にはいくつかの候補が並んでいた。
だが肝心の項目は空欄のままだった。
――咎人様のお好み。
紫苑はそこを見つめしばらく考え込んだ。
本人には聞けない。
驚かせたい。喜んでもらいたい。
けれど見当違いの方向へ気合いを入れてしまうのも避けたい。
紫苑「……ご本人以外で、咎人様をよくご存じの方にお尋ねできれば」
シェンリィの目がゆっくり紫苑へ向いた。
その顔を見て紫苑も気づく。
いる。長い時間を咎人と過ごした人物が。
鵲「……まさか」
Φも二人の顔を見比べ何かを察したように身を乗り出した。
ヴァレリアだけが楽しそうに首を傾げる。
ヴァレリア「おや。相談相手が見つかったのかな?」
紫苑は口にしかけた言葉を呑み込んだ。
咎人とあの勇者の関係をΦとヴァレリアにはまだ明かしていない。
紫苑「……人生経験の豊富な女性に一度、お話を伺おうかと」
ヴァレリア「私では不足かい?」
シェンリィ「今までの発言を議事録で振り返ってみる?」
ヴァレリア「なるほど。人選は大切だ」
理解だけは早かった。
紫苑「今はこの街に滞在されているはずです。買い物も兼ねて、外へ参りましょう」
Φ「やっと!?行く行く!」
鵲「……変装は、入念にお願いいたします」
その一言だけ妙に重かった。
紫苑「心得ております」
ヴァレリア「変装まで必要なのか。ずいぶん秘密めいた相談だね」
シェンリィ「僕らが揃って店に入れば、ゆっくり服を選ぶどころではなくなるだろう?」
ヴァレリア「確かに。子猫ちゃんたちを怯えさせるのは本意ではない」
シェンリィ「君の場合、服より先に喋り方を変えた方がいいと思うよ」
ヴァレリア「では、寡黙な騎士を演じよう」
紫苑は疑いの目を向けた。
ヴァレリア「何だい、その目は」
紫苑「何も」
ヴァレリア「その冷たい眼差し、瓶に詰めて持ち歩けないものかな。遠征先の寝苦しい夜に――」
紫苑「今から練習なさってください」
ヴァレリアは口を閉じた。
三秒後何かを言いかけた。
シェンリィが指を一本立てると再び口を閉じた。
Φ「ふふっ。ちょっと面白い」
その言葉にヴァレリアの表情が明るくなる。
だが褒められて喜ぶ台詞を言うことは許されなかった。
やがて外出の支度が整った。
紫苑は髪をまとめ普段とは違う色の上着を羽織る。
シェンリィは角や尾を目立たせない姿に整えΦも触手を外套の内側へ収めた。
鵲はいつも以上に鏡を確かめている。
ヴァレリアは目立つ剣を置き長い金髪を結い上げた。
それだけで幾分か旅慣れた女性らしい姿になる。
口さえ開かなければ。
紫苑「それでは参りましょう。先方へのご質問は、まず私から」
Φ「はぁい」
シェンリィ「君が聞けなくなったら代わってあげるよ」
紫苑「……その際は、お願いいたします」
鵲「私は、必要以上に前へ出ないようにいたします」
ヴァレリア「私は――」
四人が振り向いた。
ヴァレリアはゆっくり微笑む。
ヴァレリア「……荷物を持とう」
紫苑「お願いいたします」
今度は素直にそう答えられた。
会議室の机には使い終わった紙が残っている。
咎人の好みについては一行も結論が出ていない。
その代わりヴァレリアの欄だけは埋まっていた。
――参考にならず。ただし、情熱は認める。




