15.車窓に笑うもの
記録晶の中で俺が手を掲げていた。
頭上には夜空を覆う巨大な月。
足元には無数の鎖。
そして今まさに最高潮へ達しようとする旋律。
咎人〈映像〉「刻限だ。これより行われるのは、世界の頂に立つ者の絶対なる一撃――」
いい。やっぱりいいなぁ。
この台詞の途中で僅かに顔を上げるところ。
目線を落としてから指先に力を込めるところ。
実際にやっているときも相当よかったと思っていたが、こうして外から見ると想像以上に仕上がっている。
俺が指を閉じると映像が暗転した。
黒くなった記録晶の表面に満足そうな俺の顔が映る。
ベルベット「何ニヤけてんだよ。気持ちわりぃ」
咎人「周りから見て自分がどんな感じで映っているのかを確かめる。大事なことだろ?」
向かいの席でベルベットが頬杖をついていた。
黒い前髪の隙間から半分呆れたような赤い目がこちらを見ている。
ベルベット「確認ってのは、一回見て気になるところを直すことだ。お前、さっきから同じところ見て笑ってるだけじゃねぇか」
咎人「気になるところがないんだよね」
ベルベット「じゃあ終われよ」
隣から白い髪が視界へ入ってきた。
ニルカが座席の上で少し身体を寄せ記録晶を覗き込む。黒いフードについた猫耳が俺の肩へ軽く触れた。
ニルカ「ボス、強い。かっこいい」
咎人「そうそう。ニルカ、分かってるね」
ベルベット「自分を好きすぎるのもどうかと思うけどな」
咎人「自分でも格好いいと思えないものを他人に見せるわけにはいかないだろ?」
ベルベット「それ、今ここで他人に八回も見せる理由にはならねぇぞ」
八回だったか。まだ五回くらいだと思っていた。
俺は記録晶を少し傾け先ほどの場面へ戻した。
すると月の魔法陣が映る直前に画面が僅かに揺れた。
撮影していた部下が俺の放つ魔力に反応したのだろう。
だがすぐに持ち直している。
しかも俺の顔は一度も見切れていない。
偉い。帰ったら労ってやらなければ。
ニルカ「これ、誰?」
ニルカが指さしたのは映像の端で剣を構えているブレンダだった。
咎人「帝国の将軍。強かったよ。ちゃんと鍛えて、自分の戦い方を作ってる相手だった」
ベルベット「へぇ。お前がそう言うなら大したもんだな」
咎人「まあ、俺の方が強かったけどね」
ベルベット「最後のそれ、言わずに死ぬ病気か何かなのか?」
ニルカ「ボス、いちばん」
咎人「ほら、ニルカもこう言ってる」
ベルベット「お前ら相性いいな。腹立つくらいに」
そう言いながらもベルベットは一度だけ映像へ目を戻した。
俺の蛇腹剣がブレンダの斬撃を絡め取るところだった。
ベルベット「……そこの足運びは、いいな」
俺は顔を上げた。
咎人「え?」
ベルベット「何でもねぇ」
咎人「いや今言ったよね?いいって。どこ?もう一回見る?」
ベルベット「だから言いたくねぇんだよ」
列車はなだらかな丘陵地帯を走っていた。
窓の外には刈り取りを終えた畑が広がっている。
ところどころに積まれた藁束。その向こうには低い石垣と小さな農家。
建物が途切れるたび遠くの山並みが顔を出した。
こういうのでいい。こういう時間を俺は欲しかったのだ。
誰かに挑まれることもなく。国を滅ぼすこともなく。
母さんが突然現れることもなく。
背もたれに身体を預け何もせずに景色を見る。
できればその俺を誰かに見てもらう。
ベルベット「……窓に映った自分見てんじゃねぇか」
咎人「景色も見てるよ」
ベルベット「も、って言ったな」
ニルカは俺たちの会話には加わらず足元へ顔を向けていた。
やがて何かを見つけたらしく座席の下へ手を伸ばす。
咎人「何か落とした?」
ニルカ「ちがう。あった」
持ち上げた指の間に黒い金属片が挟まれていた。
長さは小指ほど。平たい頭と細い軸。
先端は随分と鋭く尖っている。
釘だ。
ニルカ「きれい」
咎人「……釘だね」
ニルカ「うん。釘」
そこに疑問はないらしい。
彼女は窓から入る光へかざし角度を変えて眺め始めた。黒い表面に細い溝が刻まれているのが見える。
ベルベット「貸せ」
ニルカ「……返す?」
ベルベット「奪わねぇよ。見せろって言ってんだ」
差し出された釘を受け取るとベルベットは爪先で軸の溝をなぞった。
顔から僅かに気だるさが消える。
ベルベット「……妙な加工してんな」
咎人「列車の部品?」
ベルベット「内装に使うにしちゃ長ぇし、頭の形も合わねぇ。荷物から落ちたんじゃねぇか」
ニルカ「捨てた?」
ベルベット「落とした可能性もあるだろ。後で車掌に聞け」
ニルカ「……落とした、なら。返す」
彼女は戻ってきた釘を布で包んだ。
鋭い先端が外へ出ないよう何度か角度を確かめてから小さな腰の袋へしまう。
その手つきが妙に丁寧で俺は少し笑った。
咎人「誰のものでもなかったらどうするの?」
ニルカ「もらう」
咎人「何に使う?」
ニルカは不思議そうに俺を見た。
ニルカ「好き。だから、持つ」
咎人「……なるほどね」
使い道がなくてもいいらしい。
確かに俺の冠にも日常生活での使い道はない。
格好いいから被っている。
そう考えると俺たちは案外似ているのかもしれない。
ベルベット「変な納得の仕方してんなよ」
咎人「何も言ってないけど?」
ベルベット「顔」
俺そんなに顔に出るのかな。
しばらくすると通路の向こうから車内販売の声が聞こえてきた。
温かい茶。焼き菓子。沿線の名物を詰めた弁当。
俺は格好よく手を上げようとしたがそれより早くニルカが反応した。
ニルカ「ボス。ごはん」
咎人「……うん。買おうか」
ベルベット「頂点だの最強だの言ってる奴が弁当の見本で真顔になるなよ」
咎人「大事な選択だろ。旅先で食べる最初の食事なんだから」
肉を甘辛く煮込んだ弁当と川魚を焼いた弁当。
どちらも捨てがたい。
俺が迷っているとベルベットが先に二つを指さした。
ベルベット「それと、それ。あとこいつにはこっちの小さいやつ」
ニルカ「小さい?」
ベルベット「お前、朝あれだけ菓子食っただろ。足りなきゃ俺のをやる」
ニルカ「……うん」
店員が去ったあとベルベットは二つの弁当を机へ置いた。
ベルベット「片方選べ。選ばなかった方は俺が食う」
咎人「……両方、少しずつとかは」
ベルベット「最初からそう言え」
結局弁当は三人で分けることになった。
ニルカは魚の上に乗っていた薄い飾り紙を汚さないよう端へ避けた。銀色の模様が気に入ったらしい。
ベルベットはそれを見ると自分の弁当に入っていた同じ紙も何も言わずに隣へ置いた。
俺は見なかったふりをした。
見ていたと分かったらまた舌打ちされるからだ。
列車が長い鉄橋へ入る。
車輪の音が少し高くなった。
谷の底では細い川が白く光っている。
水面の上を小さな鳥が数羽飛んでいた。
咎人「……いいな」
口にしてから自分でも少し意外だった。
何がと聞かれると説明しにくい。
食事が美味しいとか。景色が綺麗だとか。
座席が柔らかいとか。
そういうものが全部一緒になって、ただ、いいと思った。
ニルカ「うん」
ベルベットは何も言わなかった。
ただ俺の箸が届きやすい方へ肉の入った弁当を少し寄せた。
異変に最初に気づいたのは通路を挟んだ席の子供だった。
子供「お母さん。あれ」
窓へ小さな指が伸びる。
母親「どうしたの?」
子供「かかし、こっち見てる」
俺もつられて目を向けた。
畑の端に案山子が立っていた。
色褪せた上着。左右へ伸ばした木の腕。
頭に被せられた白っぽい布袋。
どこにでもありそうなものだ。
母親「あれは鳥を追い払うためのものよ」
子供「でも、鳥いないよ」
その言葉を聞いて俺は窓の外をもう一度見た。
確かにいなかった。
橋のところでは何羽も見えた。
畑が広がるこの辺りならもっといてもよさそうなのに。
列車が進む。次の畑にも案山子があった。
その次にも。古い上着の色も帽子の形も違う。
ただ顔のついた布袋だけはどれも線路の方を向いていた。
咎人「……案山子って、普通畑の中を向かない?」
ベルベット「知るか。農家に聞け」
そう答えた割にベルベットも外を見ていた。
彼の視線が一つの案山子を追う。
それは畑から少し離れた斜面の上に立っていた。
足元には作物も何もない。石と短い草だけだ。
あんな場所に置いて何を追い払うつもりなのだろう。
カーブに入り斜面が窓の後ろへ流れていく。
見えなくなる直前布袋の顔が少しだけ傾いた気がした。
……風か。
俺はそう思い手元の茶へ目を戻した。
茶の表面に小さな輪が広がっていた。
一つ。少し間を置いてまた一つ。
車輪の揺れとは合っていない。
ベルベット「咎人」
声が低かった。
顔を上げるとベルベットは俺ではなく机の上の記録晶を見ていた。
ベルベット「それ、まだ音出してるか?」
咎人「いや。止めてるけど」
ニルカの手が腰の袋へ触れた。
ニルカ「……鳴った」
咎人「何が?」
答えが返る前にもう一度聞こえた。
――コン。
――コン、コン。
硬いものを軽く打ち合わせるような音。
今度は俺にもはっきり分かった。
車内放送の魔導器が小さく雑音を吐いた。
車掌〈放送〉「この先、山間部に入ります。お立ちの際は、お足元に――」
言葉の途中で音が途切れる。前方の車両で何かが倒れた。
まだ悲鳴ではなかった。
誰かが急に立ち上がって椅子か荷物をぶつけた。
そんな音だった。
ベルベットが頬杖をやめた。
ニルカは弁当を机の奥へ押し隣に置いていた大剣の柄へ手を添える。
二人の動きが変わる。
それを見たときには俺ももう窓の外を見ていた。
山裾の林が揺れている。
風に枝が揺れているのではない。
木々の間を何かが通っている。
茶色い束が幹と幹の隙間から現れた。
初めは倒れかけた大木かと思った。
だがそれは途中で曲がった。
あり得ないほど細い関節を折り地面へ触れる。
束になった先端が五つに分かれる。
指だった。車両よりも長い腕だった。
乗客「……おい」
誰かの声がした。
乗客「なんだ、あれ」
林の向こうから白いものが持ち上がった。
汚れた布袋。
人の背丈ほどもあるそれがゆっくりと木々の上へ現れる。
袋には黒い糸で顔が縫われていた。
目は二つ。口は横に長く笑っているように見える。
その下へ縄で縛り固められた胴体が続いていた。
全身が藁でできていた。
束ねた藁を人の形へ無理やり繋ぎ合わせその継ぎ目を太い縄と黒い釘で留めている。
肩の高さが揃っていない。片腕だけが異様に長い。
歩くたびに身体のどこかが遅れて揺れ乾いた藁が地面へこぼれた。
あんなものが自分の足で立っている。
森を抜けた巨体が列車の横へ並んだ。
走っているようには見えなかった。
長い脚を前へ出し身体が後から引きずられてくる。
それなのに列車との距離が変わらない。
子供が泣き始め母親が抱き寄せる。
誰かが通路へ立ち上がる。
別の誰かがその人の腕を掴む。俺は記録晶を伏せた。
……休暇、始まったばかりなんだけどな。
咎人「ベルベット」
ベルベット「ああ。見えてる」
ニルカ「大きい。……でも、軽そう」
ベルベット「中身まで藁とは限らねぇぞ」
巨体の腕がゆっくり持ち上がった。
藁を束ねた指先に長い釘が一本ずつ打ち込まれている。
その手が向かっているのは俺たちの窓ではなかった。
隣の車両との継ぎ目。
ベルベットの目が細くなる。
俺は座席から立ち上がった。
俺たちだけならどうにでもなる。
列車を降りてもいい。あれを粉々にしてもいい。
だが周りには俺たち以外の乗客がいる。
別に見ず知らずの人間へ特別な情があるわけじゃない。
それでもここで助ければ。
絶望した人間の目の前で圧倒的な力を見せつければ。
きっと忘れられなくなるだろう。
俺たちを見上げるその顔が目に浮かんだ。
……それに。
列車を襲う巨大な化け物から人々を守る最強。
そんなもの格好いいに決まっている。
咎人「席を立つな」
声を落とす。
通路へ飛び出しかけていた男がこちらを振り向いた。
咎人「頭を下げ、動かずに待て」
窓の向こうで藁の指が開いた。
俺は静かに手を上げる。
咎人「――我が、外を片づける」
黒い鎖が袖口から滑り出した。
その瞬間。
藁人形の笑った顔だけがこちらへ向いた。




