13.鬼に金棒
……決まった。
最後の一音。手を閉じるタイミング。
暗転してから光が戻るまでの僅かな間。
完璧だった。
これ以上ないほど完璧に決まった。
目の前では倒れたブレンダを兵士たちが抱え起こしている。
息はある。だがもう剣を握る力は残っていない。
これで母さんがこの将軍と戦うことはなくなった。
俺は鎖を収め外套を翻した。
まだ終わりではない。
こういうものは締めの挨拶まで含めて一つの作品なのだ。
咎人「その栄光、その伝説、その喝采。すべて我らが頂こう」
誰も言葉を返さない。
いい。実にいい静寂だ。
俺はヴァルアスを見据えゆっくりと片手を広げた。
咎人「我という、至高の頂に君臨する特異点――その前に立つことを許された僥倖を、生涯の誇りとして胸に刻め」
ヴァルアス「……うむ」
小さい返事だった。まあ仕方ない。
今はまだ俺という存在の大きさを受け止めきれていないのだろう。
その時、瓦礫の向こうから伝令が走ってきた。
伝令「陛下!正門に勇者を名乗る女性が!」
俺の手が止まった。
伝令「皇帝陛下に話があると申しており――」
咎人「……その者の、特徴を述べよ」
伝令「エプロン姿で男を一人連れた小柄な――」
咎人「あ、無理」
ヴァルアス「……何?」
咎人「紫苑。帰る」
紫苑「はい、咎人様」
咎人「今!すぐ!全員撤収!」
紫苑が刀を抜いた。空間に紫の裂け目が走る。
俺は振り向き楽団へ手を振った。
咎人「楽器そのまま持って!並ばなくていいから!急いで!」
ガングレリ「あれれぇん?ボス、至高の頂の続きはぁ?」
咎人「頂から帰宅するところだよ!!」
シェンリィ「ふふ。皇帝陛下、歓待に感謝するよ」
ヴァルアス「……あ、ああ」
ガングレリ「また遊びに来るねぇん!」
ヴァルアス「ま――」
咎人「来ない来ない!ほら早く!」
ガングレリの背を押し俺も裂け目へ飛び込んだ。
最後に紫苑が入り刀を返す。帝国の景色が閉じた。
俺はその場に両手をついた。
咎人「……危なかった」
シェンリィ「いい戦いだったね」
咎人「そっちじゃない……」
楽団の解散をガングレリに任せ俺は紫苑とシェンリィを連れて私室へ戻った。
帝国へ残した監視役から映像が届いている。
空中に浮かぶ光景の中で母さんが瓦礫を跨いでいた。
母さん「あらまぁ……ずいぶん派手に壊れてるねぇ。大丈夫かい、あんたたち」
山賊「師匠、こっちも壁がなくなってるっす……」
母さん「怪我した人はあっちに運んだ方がいいよ。そこ、まだ崩れそうだから」
いつもの調子だった。
帝国の宮殿だろうと何だろうと、近所で倒れた塀を見つけた時とほとんど変わらない。
ヴァルアスはその様子を黙って見ていた。
しばらくして口元が歪む。
ヴァルアス「……貴様が、勇者か」
母さん「ああ、そう言われて来たんだけどね。あんたが皇帝さん?」
ヴァルアス「我を誰だと思っている」
母さん「だから、皇帝さんかって聞いてるんじゃないか」
ヴァルアスの頬が引きつった。
あ。まずい。
あいつ、全部溜めていたものを母さんに向けるつもりだ。
ヴァルアス「どいつもこいつも……我が領地へ踏み入り、勝手な口を……!」
母さん「ちょっと、何を怒ってるんだい。あたし、今来たばっかりだよ」
ヴァルアス「黙れええええ!!」
石畳に巨大な紋章が浮かんだ。
紫苑が僅かに身を乗り出す。
紫苑「皇威領域……」
ヴァルアスのスキルだ。
周囲の魔力を圧力へ変え領域内を征圧する。
まともに受ければ鎧を着た兵士でも立っていられない。出力を絞れば人を跪かせ、集中させれば城門さえ押し潰す。
さっきまで散々な目に遭っていたがあいつだって立派な強者なのだ。
ヴァルアス「跪け!」
地面が沈んだ。
山賊がその場へ両膝をつく。
周囲の兵士たちも呻きながら伏せた。
母さんだけが立っていた。
母さん「……あら?」
スリッパの足元を見ている。
沈んだ石畳から片足を抜きもう片方も抜く。
母さん「ここ、地面が柔らかくなってるねぇ」
咎人「地面の感想じゃないんだよ……」
ヴァルアス「……跪け」
母さん「膝が痛くなるから嫌だよ」
ヴァルアス「跪けと言っておるだろうがあああ!!」
圧力が増した。
母さんの周囲だけ石畳が円形に陥没する。
エプロンの裾が揺れた。それだけだった。
母さんは腰へ手を当て困ったように眉を寄せる。
母さん「ねえ、それって八つ当たりじゃない?あたし、まだあんたに何もしてないのに」
ヴァルアス「……何も、だと」
声が震えた。怒りだけではない。涙だった。
ヴァルアス「我が……我が、どれほど……!」
手を突き出す。
ヴァルアス「退けえええ!!」
圧力の壁が走った。
砕けた石が吹き飛び庭木の残骸が根元から抜ける。
母さんは目を細め顔の前に片手を上げた。
母さん「砂が入るじゃないか」
止まった。片手で。
咎人「……あー」
ヴァルアス「潰えよ!潰えよ、潰えよおおお!!」
母さんの周囲で空気が軋む。
石材が砕け金属片がひしゃげた。
なのにその真ん中にいる母さんはエプロンについた埃を払っている。
ヴァルアスの顔がくしゃりと歪んだ。
ヴァルアス「なんで……なんで効かぬのだ……!」
効くよ。
お前のスキル普通はかなり強いよ。
今日の対戦相手がおかしいだけだよ。
ヴァルアス「もう我慢ならん!この女を生け捕りにし帝国で打首獄門だ!ストレス発散だああああ! ひゃああああっはっはっは!!!」
咎人「壊れた……」
シェンリィ「随分と素直になったね」
紫苑「お疲れなのでは……」
疲れている人の顔ではある。
ただ疲れているからといって母さんに喧嘩を売るのは判断として最悪だ。
映像の中で母さんが大きく息を吐いた。
母さん「……あんた、自分の機嫌を人に取らせるんじゃないよ」
掌を腰の脇へ引く。またあの構えだ。
本人は使い方を習ったわけでもない。
この世界へ来た時神から授けられた恩寵。その力が技の名前と動かし方をなんとなく頭へ浮かべるらしい。
なんとなくで城を壊すのだから困ったものだ。
母さん「少し、落ち着きなさい!」
空を打つ掌底。
母さん「八痛当理!」
一つ目の衝撃が皇帝の圧力を割った。
二つ目が庭園を走る。
ヴァルアスは両腕を交差させ残る魔力を防壁へ変えた。
三つ。四つ。五つ。防壁が順番に砕ける。
それでも踏みとどまった。そこは流石だった。
六つ目で外套が跳ね上がり七つ目で身体が大きく仰け反る。
そして八つ目。風が下から吹き抜けた。
額の冠が浮いた。その少し後から髪も浮いた。
……髪も。
部下「陛下ぁああああ!!」
咎人「陛下ぁぁあああ!?!?」
部下が飛び出し空中を舞う髪を両手で受け止める。
ヴァルアスは動かなかった。
母さん「あら、カツラだったのね……申し訳ないことしちゃったわ。ごめんなさい」
その背後で宮殿の最後の尖塔が傾いた。
先ほどまでの戦闘で傷つき辛うじて形を保っていた正面棟。
八重の衝撃がその最後の支えを折っていた。
誰もいなくなった大回廊が崩れ白い粉塵が空へ上がる。
ヴァルアスは振り返り城を見た。
部下の抱える髪を見た。それから空を見上げた。
ヴァルアス「……そうか」
妙に穏やかな声だった。
ヴァルアス「もう、ないのか」
母さん「……何がだい?」
ヴァルアス「我が守ろうとしていたものだ」
地面へ落ちた冠を拾う。被ろうとはしなかった。
両手で持ちしばらく見つめている。
ヴァルアス「帝国の威信も、軍も、城も……隠していた姿さえ、全て失った」
部下「陛下……」
ヴァルアス「これ以上、何を立派に見せる必要がある」
俺は映像を見つめた。
あれ。なんか顔が変わった。頭のことではない。
目からさっきまでの濁ったものが抜けている。
ヴァルアス「……宰相」
宰相「はっ」
ヴァルアス「帝国を解散する」
咎人「え?」
声が被った。
映像の向こうでも誰かが同じ声を上げていた。
ヴァルアス「侵略を終えよ。占領地から兵を引き、捕虜を解放する。捕らえた民も、帰れるように手配せよ」
宰相「ほ、本気でございますか」
ヴァルアス「奪った土地は返す。財もだ。残る統治は、文官と各地の代表へ引き継がせよ。民の暮らしまで放り出すな」
命令が次々と出る。
さっきまで自分のストレスを発散しようとしていた男が今は捕虜の帰路に使う馬車や食料の手配まで指示している。
紫苑「……お心を改められたのでしょうか」
シェンリィ「ずいぶん、きれいに吹き飛んだみたいだね」
何がとは聞かなかった。
ヴァルアス「我には何も残っていないと思ったが……まだ返せるものはあるらしい」
母さん「あら?随分と聞き分けがいいねぇ。聞いてた話と違うねぇ」
ヴァルアス「……今、変わったのだ」
母さん「そうかい。まあ平和に終わるなら全然いいんだけどね」
城の残骸から遅れて小さな石が落ちた。
平和、という言葉の扱いについては一度話し合った方がいいと思う。
ヴァルアス「勇者殿」
母さん「なんだい?」
ヴァルアス「先ほどの無礼に対し、謝罪の品を受け取っていただきたい」
侍従が呼ばれた。
避難の際に運び出していたらしい宝箱から小さな硝子瓶が取り出される。
淡い金色の液体が入っていた。
ヴァルアス「《若返りの秘薬》。この地でしか採れぬ希少な素材から作られたものだ。老いた肉体を若い頃の状態へ戻す」
母さん「へぇ!そんなものまであるのかい!」
俺は椅子の肘掛けを握った。
咎人「待て」
映像の向こうには届かない。分かっている。
だが言わずにはいられなかった。
咎人「何を渡そうとしてるんだ、お前」
母さん「……あたしが飲んじゃっていいのかい?あんたは」
そこで母さんが皇帝の頭を見る。
ヴァルアス「若返る薬だ。生える薬ではない」
母さん「ああ……そういうものなんだねぇ」
ヴァルアス「是非、お持ちいただきたい。旅のお役に立つはずだ」
母さん「悪いねぇ。じゃあ、ありがたく」
栓を抜き飲んだ。俺は立ち上がった。
咎人「待てってえええ!」
光が母さんの身体を包んだ。
頬の皺が薄くなる。髪に艶が戻る。背筋が伸びる。
身体を覆っていた光が消えた時そこには若い女が立っていた。
二十代ほどだろうか。
輪郭のすっきりした顔。
目尻に少し鋭さのある赤みを帯びた赤の瞳。
背へ流れる深い紫の髪。
しばらく言葉が出なかった。
昔何度も聞かされたことがある。
若い頃の母さんは美人だった。格好よかった。
今とは違ってもっと――。
そのたびに俺は、はいはい、と聞き流していた。
昔の写真を見せられても撮り方の問題だろうと思っていた。
咎人「……あれ、誇張じゃなかったのか」
シェンリィ「おや」
咎人「いや……確かに、悪くない見た目だなって」
母さんは自分の顔を触り両手を開いて閉じていた。
母さん「まあ……まあまあ!身体が軽いねぇ!」
山賊「師匠……っすよね?」
母さん「当たり前じゃないか。声まで忘れたのかい?」
笑った。ああ間違いない。
見た目が変わってもあれは母さんだ。
ヴァルアス「加えて、こちらも」
咎人「加えるな」
宝箱がもう一つ開いた。
黒い鎧が収められていた。
さらに隣の箱も開く。武器。装飾品。外套。
ヴァルアス「勇者として旅をされるのであれば、相応の装備も必要であろう。全て差し上げよう」
母さん「そんなにいいのかい?あたしお城まで壊しちゃったのに」
ヴァルアス「構わぬ。どうかお気になさらず」
皇帝は笑っていた。穏やかな笑顔だった。
だが俺には分かった。帰ってほしいのだ。
これを持って。満足して。できれば二度と来ずに。
その気持ちだけは痛いほど分かった。
だからといってその送り先が俺なのを忘れてないか。
ヴァルアス「鎧は着用者の体格に合わせて形を変える。魔力への耐性も高い。こちらの魔剣は込めた魔力を刃へ集め斬撃として放つことができる」
咎人「説明するな!使い方まで教えるな!」
母さん「便利だねぇ。あたしそういうの全然分からないから助かるよ」
ヴァルアス「女官に着装を手伝わせよう。どうぞ、あちらへ」
母さんが仮設の天幕へ案内されていく。
残されたヴァルアスはようやく大きく息を吐いた。
俺は画面越しにそいつを睨んだ。
お前が安心した分だけこっちが不安になってるんだよ。
母さんが戻ってきた時俺はまた黙った。
黒紫の鎧が身体へ隙間なく沿っていた。
幾枚もの鋭い装甲が重なり胸元から腰へ流れる線を作る。継ぎ目に走る紫紅の紋様が呼吸に合わせるように淡く光っていた。
手にしているのは大きく湾曲した黒紫の魔剣だった。
……普通に格好いい。悔しいが格好いい。
俺の趣味にもかなり刺さる。
母さん「どうだい?ちょっと派手かねぇ?」
山賊「し、師匠……すげぇっす……!」
母さん「はっはっは!こんなの着る機会なかったからねぇ!」
その笑い方で現実へ引き戻された。
咎人「母さんだ……」
紫苑「よくお似合いでいらっしゃいます」
シェンリィ「君と並んでも、違和感がなさそうだね」
咎人「並ばせないでくれ」
絶対に。それだけは絶対に避けなければならない。
母さんが剣を持ち直す。片手で軽々と。
母さん「これ、見た目より軽いんだねぇ」
武具係「……いえ。通常は両手で扱う重量でございます」
母さん「あら、そうなの?」
試しに軽く振った。
母さんのつもりでは軽くだったのだろう。
刃から紫紅の光が伸びた。
誰もいない瓦礫の山が端から端まで切れた。
上半分が滑り落ちる。大きな音がした。
母さん「あっ」
ヴァルアス「……」
母さん「ごめんね。またやっちゃった」
ヴァルアス「構わぬ」
返事が早かった。
ヴァルアス「そこはもともと壊れていた。何も問題はない」
母さんは剣を下ろし肩を回した。
母さん「いやぁすごいねぇ。腰も痛くないし、足も軽い。これならいくらでも歩けそうだわ」
神の恩寵はそのまま。身体は若返った。
装備は帝国が秘蔵していたもの一式。
しかも本人がとても上機嫌。
母さん「ギルドに報告したら次は咎人さんのところだねぇ」
山賊「少し休んでからでもいいんじゃ――」
母さん「何言ってんだい。今すっごく調子がいいんだよ。せっかくだし動けるうちに動こうじゃないか!」
ヴァルアスが深々と頭を下げた。
ヴァルアス「どうか、よき旅を」
送り出した。
心の底から安堵した顔で送り出しやがった。
俺はゆっくりと椅子へ沈んだ。
確かに昔は美人だったという話も分かった。
格好よかったという話も少しは理解した。
そこは認めよう。
ただ。
母さんが安全に帝国を攻略できるよう俺は先回りした。
邪魔になる兵器を片づけ強敵まで倒した。
その結果。
母さんは若返り最高級の装備を手に入れ、前より元気になって俺を倒しに来ることになった。
咎人「……最悪だ」
シェンリィ「元気になってよかったじゃないか」
咎人「うん。よかったよ。息子としてはね」
葬月総帥としては頭を抱えるしかなかった。
鬼に金棒だよ。
しかもその金棒まで帝国製だ。




