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12.力の差

剣と鎖が離れた。

ブレンダは大剣を引き半歩だけ退いた。

咎人はその場から動いていない。

二人の間には砕けた石畳と裂けた噴水の残骸。

我の庭園だったものが散らばっていた。


ヴァルアス「だから、場所を――」


その時咎人の背後に紫の線が走り空間が裂ける。

縦に開いたその向こうから一人の女が現れた。

紫苑。葬月の最高幹部。

我は言いかけた言葉を呑んだ。

さらに増えるのか。

だがその後ろから現れた者たちが携えていたのは剣でも槍でもなかった。

弦楽器。銀の管楽器。

黒服に身を包み全員が目を黒い布で覆っている。

彼らは瓦礫を避け互いに言葉を交わすこともなく配置についた。

椅子が置かれる。弓が弦へ添えられる。

銀の管が静かに持ち上がる。

紫苑は咎人へ一礼した。


紫苑「お待たせいたしました、咎人様」


咎人「……よい頃合いだ」


ブレンダは大剣を構えたままその光景を見ていた。


ブレンダ「何のつもりだ」


咎人「これは将軍……ブレンダ殿との戦闘に相応しい旋律」


咎人が右手を下ろす。

手首に絡んでいた鎖が垂れ先端から細長い刃へ変わっていった。

否。

幾枚もの刃が連なり互いに噛み合ったのだ。

黒い刀身に銀の継ぎ目が走っている。


咎人「音楽とは必要不可欠な存在。剣を交えるにせよ、その一刻を彩るにせよ……無音では少々寂しかろう」


ブレンダ「私との戦いを、演目にする気か」


咎人「貴殿にぴったりの音と旋律だと思うが?不満か?」


短い沈黙があった。

ブレンダの口元が僅かに動く。


ブレンダ「ふ……いや、構わん。面白いやつだ」


大剣の切っ先が上がった。


ブレンダ「ただし、途中で曲を止めることになっても文句は言うな」


咎人「ならば、奏者たちの腕を信じよう」


紫苑の指先が上がる。

低い弦の音が庭園へ流れ出した。

重く深く。足元の石さえ震わせるような音。

咎人が剣を掲げた。


咎人「それでは……プレリュードの開幕だ」


ブレンダが踏み込んだ。速い。

あの巨大な剣を持つ者の動きではない。

黒紅の刃が低い位置から斜めに跳ね上がる。

咎人の剣がそれを受けた。

刃が擦れ二人の間で甲高い音が伸びる。

ブレンダは止まらない。

受け止められた大剣を引き戻すとそのまま肩を入れ替え逆側から斬り込んだ。

咎人が半歩身体を開く。外套の裾を紅い刃が掠めた。

その瞬間だった。

最初の斬撃が通った場所に黒紅の線が浮かぶ。

線は弧を描いていた。

先ほどブレンダが振るった剣と寸分違わぬ軌道。


ブレンダ「――追葬」


何もない空間から斬撃が生まれた。

咎人の脇腹へ迫る。

我はその技を知っている。


残禍の剣痕《グリム・リフレイン》。


振り終えた剣の軌道を残し再び斬る。

一撃を凌いだ安堵。反撃へ転じる決意。

その僅かな間へ二度目の死が届く。

数多の武人があの剣を防いだ直後に倒れてきた。

だが。

鎖が一本咎人の足元から立ち上がった。

斬撃を斜めに受ける。

火花を散らしながら剣痕の力が鎖の表面を滑った。

咎人はそれを見てもいなかった。

正面から来るブレンダの大剣を手にした剣で受け流す。

そのまま一歩ブレンダの懐へ踏み込んだ。


ブレンダ「……っ!」


膝が跳ねる。

咎人は腰を引き同時に剣の柄を回した。

短い金属音と共にブレンダが横へ飛ぶ。

その仮面の頬を覆う部分に細い傷が一本刻まれていた。

浅い。けれど先に触れたのは咎人だった。

弦楽器の音が増えた。

低音の上を細く鋭い旋律が駆け上がっていく。

ブレンダは呼吸を整えた。


ブレンダ「……初見で二撃目まで捌くか」


咎人「一度振るった剣が再び同じ道を通る。それが貴様の術か」


ブレンダ「理解しただけで、防げると思うな」


今度は正面から来なかった。

瓦礫を蹴り左右へ軸をずらしながら距離を詰める。

横薙ぎ。切り返し。鋭い刺突。

大剣とは思えぬ短く無駄のない連撃だった。

そのたびに空間へ剣痕が刻まれる。

三つ。四つ目が生まれる瞬間最も古い一つが淡く崩れた。

だが消えるより早く別の剣痕が発動する。

正面の大剣。左から再現される斬撃。

退いた先で待つ斜めの刃。

咎人の周囲から立てる場所が減っていく。

我は拳を握った。いける。あれは我をも上回る剣だ。

近づく者を斬り、離れる者を追い、守る者には守った場所をもう一度斬る。

ブレンダなら...ブレンダならば――。


ヴァルアス「頑張れブレンダ!帝国の力を知らしめてくれぇ!」


声が出ていた。咎人の視線が僅かにこちらへ向く。

我は口を閉じた。遅かった。

だがブレンダの剣は止まらない。


ブレンダ「冥獄十字!」


二本の剣痕が咎人の背後で交差した。

そこへ向けて大剣が振り下ろされる。

退けば斬られる。受ければ背後の剣痕が発動する。

咎人は剣を持つ手を緩めた。

刀身がほどけた。

幾枚もの刃が離れ間を繋ぐ黒い鎖が露わになる。

大剣が剣だったものの隙間を通り抜けた。

受け止めるはずの手応えを失いブレンダの肩が僅かに前へ流れる。

咎人が手首を返す。

ほどけた刃が大剣の外側を回った。

蛇のように曲がりブレンダの脇腹へ迫る。

ブレンダは身を捻った。同時に剣痕を発動する。

二本の斬撃が交差するその僅かな間隙を咎人は前へ抜けた。退かなかった。

ブレンダへさらに近づいたのだ。


咎人「我に迫ろうとは、実に愉快」


蛇腹剣が女の背後で弧を描く。


咎人「だが、勘違いしたな」


ブレンダが大剣を引き戻す。遅い。

繋がった刃の先端が肩の鎧へ触れた。


咎人「己だけが迫る側だと思っていたことが――浅はかなりぃ!」


火花が散った。

黒い肩甲が弾けブレンダの身体が横へ流れる。

倒れる寸前彼女は大剣を地面へ突き立てた。

石を抉りながら止まる。

すぐに顔を上げた。仮面の奥の目から迷いが消えていた。


ブレンダ「……そうか」


大剣を引き抜く。


ブレンダ「貴様にとって、間合いとは距離ではないのだな」


咎人は答えない。

長く伸びた蛇腹剣が足元でゆっくりと揺れていた。


ブレンダ「剣を受ける位置も、避けて踏み込む場所も……貴様の鎖が届く限り全て攻撃の起点になる」


女の呼吸が静かになる。


ブレンダ「ならば、動いた先を斬るまでだ」


戦い方が変わった。

咎人自身を狙う剣が減った。

代わりに足元へ。鎖が伸びる方向へ。

身体を引き寄せるために張ったその線の先へ。

ブレンダは剣痕を置いていく。

強い。ただ力があるのではない。

届かぬと分かれば届かせるために考える。

一度凌がれた技をそのまま繰り返さない。

あれこそ我が帝国の最強だった。

咎人の剣が再び一振りに戻る。

ブレンダの大剣と正面からぶつかった。

楽器の低い音がその衝突に重なる。

ブレンダの耳が僅かに動いた。

次の一撃を振るう直前女は踏み込みを止めた。

半拍。ほんの僅かな間。

そして音のないところへ斬り込んだ。


ブレンダ「私の剣まで、その拍子に従うと思うな!」


三つの剣痕が一斉に輝いた。

左右。背後。逃げ道を塞ぐ三本の刃。

そして正面からブレンダ自身の大剣が落ちる。


ブレンダ「三葬――黒冠落とし!」


全てが咎人へ収束した。我は息を止めた。

咎人の指が一本動き足元へ落ちていた鎖が張る。

身体が斜め前へ滑った。次の鎖が大剣の側面を叩く。

剣の向きが僅かにずれる。

それだけ。ほんの指一本ほどの隙間だった。

咎人はその隙間へ身を通した。

三つの剣痕が誰もいない場所を斬り地面が裂ける。

遅れて振り下ろされた大剣が石畳を深く砕いた。

咎人はブレンダの横に立っていた。

剣の腹が女の胴を打つ。鈍い音。

ブレンダが吹き飛び片膝をついた。


咎人「力の差を知れ」


手にした剣が低く下がる。


咎人「この程度で最強とは、底が知れる」


誰も声を上げなかった。我も。兵たちも。

ブレンダは大剣を支えにして立ち上がった。

その目が地面を走る鎖を追っている。

弾かれたように見えた鎖。

避けられ空を切ったように見えた刃。

踏み込みのたびに足元へ残されていた黒い線。

全てが咎人の指先へ繋がっていた。


ブレンダ「……私が、貴様を追い込んでいたのではない」


低い声だった。


ブレンダ「貴様が、私の剣を振るう場所まで選んでいたのか……!」


咎人は僅かに笑った。


ブレンダ「私は、貴様を倒す手順を探していた。だが貴様は……私が敗れる光景を、最初から組み立てていた」


肩の鎧から欠片が落ちる。

女はそれを見なかった。


ブレンダ「同じ場所で剣を交えていても……見ていたものが、違ったというのか」


音楽が静まった。止まったのではない。

低い旋律だけを残し次の高まりへ向けてゆっくりと息を潜めていた。

咎人が剣を下ろす。

その周囲で鎖が少しずつ浮き上がる。


咎人「我らの名を覚えろ、などと慎ましいことを言うつもりはない」


我はその声を聞いた。またか。前にも聞いた。

敗北を前にした我へ、この男は勝ったという事実だけでは満足しなかった。


咎人「月を見れば我らを思え。黒を纏えば我らを思え。ふと耳にした旋律にさえ今宵の光景を蘇らせろ」


ブレンダが大剣を握り直す。

その刃にはまだ十分な魔力があった。

剣痕を生む術も衰えていない。

何一つ封じられてはいなかった。

だからこそ目を逸らせなかった。


咎人「貴様らが美しいと感じるもの。その悉くに我らの影を混ぜてやる」


黒い鎖が空へ伸びていく。一本ではない。

幾本もの鎖が頭上で弧を描き巨大な円を結び始めていた。


咎人「いずれ世界は、我らを知らずに憧れを語れなくなる」


弦の音が重なった。銀の管が低く響く。


咎人「その時こそ――貴様らの心まで我らの領土だ」


我は拳を握っていた。二度も敗れるのか。

一度目は我が膝をついた。

今度は我が信じて集めた軍も、技術も、最強の将軍さえもこの男の姿を焼きつけられる。

明日兵が剣を磨く時。夜空に月が浮かんだ時。

勝利を祝うはずの音楽が流れた時にさえ思い出すのだ。

ここで何もできなかった自分たちを。


ブレンダ「……これほどか」


女が息を吐いた。


ブレンダ「最強は……!」


それでも大剣は下がらなかった。

足が前へ出る。

砕けた石の上で確かに踏みとどまる。


ブレンダ「だが、私の剣はまだ折れていない」


咎人が女を見る。


ブレンダ「敗北の形まで貴様に委ねるほど、私は従順ではないぞ……!」


紅い光が大剣を覆った一振り。剣痕が残る。

二振り。交差した紅が空間へ深く刻まれる。

三振り目の軌道が浮かんだ時、ブレンダは剣を肩口へ引き上げていた。

残された魔力を注ぐ。

黒い鎧の継ぎ目から紅い光が漏れた。

あれほどの力をこの女はまだ残していたのか。

そう思った。

思うと同時に分かってしまった。

咎人はそれを待っていた。音楽が上がっていく。

弦が旋律を押し上げる。打楽器が胸の奥を打つ。

管楽器の響きがその全てを空へ持ち上げる。

天頂に月があった。いつの間にか。

黒い鎖を外縁に巡らせ、幾重もの術式を内側へ重ねた巨大な円。

白銀の光に満ちた月の形の魔法陣。

その下で咎人が片手を開いた。


咎人「刻限だ」


鎖が鳴る。庭園の石が細かく震えた。


咎人「これより行われるのは、世界の頂きに立つ者の絶対なる一撃」


開いた手が僅かに閉じる。光が薄くなった。

我は瞬きをした。目のせいではない。

庭園も。宮殿も。兵士たちの顔も。

一様に暗くなっていた。

天頂の月の縁から黒が内側へ入り込んでいく。

幾重もの鎖が円を描きゆっくりと重なっていた。


咎人「貴様に受け切れるか?」


ブレンダが踏み込んだ。三つの剣痕が発動する。

紅い斬撃が左右と正面から咎人へ迫った。

咎人の指がさらに曲がり暗くなる。

白銀の月が欠けていく。刃と鎖がぶつかる音がした。

だが我にはもうその場所がはっきりと見えなかった。

見えているのは紅い大剣。それを振るう黒い将軍。

そして片手を掲げたまま動かぬ男。


ブレンダ「はああああああッ!!」


最後の一太刀が振るわれた。決して鈍くない。

我ならば正面から受け止めることさえ躊躇う一撃。

それが咎人へ届く...届くはずだった。


咎人「これこそが――我が最強を具現化した絶命の一撃ッ!」


楽団の音が一つになった。

天頂から無数の鎖が降りた。

月の円周。地面へ張られた黒い線。

咎人の手元へ繋がる幾千もの軌道。

全てが一点を目指す。


咎人「インビジブル・フルムーン《ジ・エンド・オブ・エクリプス》」


指が閉じる。月が消えた。

ブレンダの大剣を覆っていた紅さえ見えなくなった。

我の視界が完全な黒に染まる。


一音。

楽団の最後の響きと何かが砕ける音が重なった。

それきりだった。

光が戻る。天頂には何もなかった。

巨大な魔法陣も。空を埋めた鎖も。

庭園の中央に咎人が立っていた。

閉じた手をゆっくりと下ろす。

その前で黒い大剣が折れていた。

仮面の欠片が石畳へ落ちる。

ブレンダの身体が遅れて崩れた。

鎧の幾つもの継ぎ目が砕け剣を握っていた手から力が抜けている。

呼吸はあった。

だがその指が再び剣へ伸びることはなかった。

紫苑が静かに手を下ろす。

最後の残響が消えた。

我が帝国の最強は、その暗闇の一瞬で終わっていた。


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