11.やっと来たか
鐘は止まらなかった。
我も暗殺部隊も全員生きていると伝えた。
それでも兵舎から兵が出てくる。
回廊を走る足音。鎧の擦れる音。中庭へ押し寄せる槍の穂先。
生存の報告を救出要請と取り違えたのか。
我の国はいつから話を聞かぬ者ばかりになった。
ヴァルアス「全隊止まれ!武器を下ろせ!」
先頭の兵たちが足を止めた。
よしまだ間に合う。
我は彼らへ向き直り両手を広げた。
ヴァルアス「我は無事だ!この方々は客人である! 敵ではない!」
背後で布の擦れる音がした。
シェンリィが眼鏡を外していた。
懐から取り出した柔らかい布で片方のレンズを丁寧に拭いている。
ガングレリ「シェンちゃん、何してんのぉ?」
シェンリィ「眼鏡を拭いているんだよ」
ガングレリ「今ぁ?」
シェンリィ「君の指の跡がついているからね」
平和だった。
我の後ろだけが異様に平和だった。
ヴァルアス「聞こえたな!攻撃は許さぬ!繰り返す、攻撃は――」
近衛隊長「陛下、上を!」
我は顔を上げた。庭園を見下ろす防衛塔。
その上部で幾つもの魔法陣が重なっていた。
赤い光が砲口へ集まる。
宮殿外周に設けられた魔導砲だ。
暗殺部隊の壊滅信号を受け上層の砲兵まで戦闘配置についていたのだろう。
こちらの声はまだ届いていない。
だが我の姿は見えているはずだ。
砲口の向きも我を避けている。
我を守るため我のすぐ隣にいる三人へ狙いを定めている。
ヴァルアス「やめろ……」
光が膨れた。
ヴァルアス「やめろと言っておるだろうが!!」
轟音と共に空気が押し潰された。
庭園を四方から包み込むように光の奔流が走る。
我は反射的に腕を上げた。兵士たちが伏せる。
噴水の水が吹き上がり石畳の目地から砂が噴いた。
その中でガングレリだけが両腕を広げていた。
ガングレリ「おぉ〜……今度はなかなか盛ってきたねぇ」
背後の顎が上を向き大きく開く。
口の奥に見えていた暗闇が奥行きを失った。
底がない。喉もない。
あれは口の形をした穴だった。
ガングレリ「――前菜は貴方の魔法」
光が曲がった。
四方から迫っていた砲撃が黒い穴へ引きずり込まれていく。
耳を潰すほどの轟音が一つずつ途切れた。
最後の光が牙の隙間へ吸い込まれ顎が閉じた。
静かになった。我はまだ腕を上げていた。
顔のすぐ前に自分の袖が見える。
焦げていない。熱すら感じなかった。
ガングレリ「……ふぅん」
我は腕を下ろした。
ガングレリは塔を見上げていた。
ガングレリ「さっきは俺ちゃんたちだけだったけどさぁ。今の皇帝ちゃんもちょっと危なかったんじゃなぁい?」
ヴァルアス「……砲撃は、我を避けるように照準されている」
ガングレリ「へぇ〜。じゃあ外したら皇帝ちゃんに当たるってこと?」
我は答えなかった。答えたくなかった。
シェンリィ「熱や衝撃までは避けてくれないだろうね」
眼鏡を光に透かしながら女が言った。
シェンリィ「熱心な部下を持つと大変だ」
ヴァルアス「……まったくだ」
咎人は砲撃が来た方角を眺めていた。
外套にかかった砂を指先で払う。
それから我を見た。
咎人「皇帝よ」
ヴァルアス「……うむ」
咎人「貴殿の国では客を帰す際にもこれほど手を尽くすのか?」
ヴァルアス「違う。断じて違う」
咎人「ならば、我らで片づけても構わぬな」
片づける?何をどこまで。
我が尋ねるより先にガングレリが弓を持ち上げた。
ガングレリ「やっとぉ?俺ちゃんさっきからお行儀よくしてたもんねぇ」
咎人「攻撃を続けるものを取り除け。軍備の見聞も十分に済んだ」
ガングレリ「りょーかぁい」
ヴァルアス「いや待て。止める。我が止めるから――」
ガングレリ「うんうん。俺ちゃんも止めるよぉ」
意味が違う。弦が鳴った。
紫の矢が防衛塔の砲口へ消えた。
一拍遅れて塔の内部が光り外壁に亀裂が走る。
そこからまだ充填されていた魔力が噴き出した。
塔の上半分が内側から膨れ上がり崩れた。
我の防衛塔が。
つい先月増築費用を承認したばかりの防衛塔が。
ヴァルアス「……あ」
ガングレリ「はい、一個ぉ」
一個。物の数え方としては合っている。
だがその言い方は何だ。菓子でも摘まんだのか。
残る塔から再び光が走った。
仲間の砲台が破壊されたのを見て砲兵たちが反撃に出たのだ。
もう、我の声は届かない。
爆音と警鐘と崩れる石の音が帝国中の命令を掻き消している。
ガングレリの顎が開く。砲撃が消える。弦が鳴る。
塔が崩れる。それを二度繰り返した。
ヴァルアス「やめてええええ!!」
声が裏返った。構うものか。
ヴァルアス「もうやめでぐれよおおおお!!」
ガングレリ「あれぇ?俺ちゃんに言ってるぅ?あっちに言ってるぅ?」
両方だ。全員だ。我以外の全員一度その場に座れ。
シェンリィ「ガングレリ。少し埃が」
ガングレリ「おっと、ごめんねぇん」
女は拭いたばかりのレンズを見て小さく息をついた。
それからまた布を当てた。
防衛塔が三基倒れる間にまだ片方のレンズしか終わっていなかった。
兵士「城壁の結界を展開しろ!砲撃区画を守れ!」
指揮官の声が響く。
試験施設から兵装庫までを覆うように巨大な障壁が立ち上がった。
半透明の壁に幾重もの紋章が浮かぶ。あれは強い。
三十人の術師が魔力を供給し軍用魔石を八基も使って維持する防衛結界だ。
少なくともすぐには破れまい。
我がそう考えた瞬間ガングレリの顎が横を向いた。
ガングレリ「なんだぁ。まだ出てくるじゃぁん」
巨大な牙が結界へ食い込んだ。
金属を擦り合わせたような音がした。
術師たちの顔が歪む。
壁の表面に噛み跡ができた。結界に噛み跡が。
ガングレリ「これ、取っちゃうねぇ」
首のようなものが引かれ結界が剝がれた。
端から引き裂かれ、丸められ、黒い口の中へ吸い込まれていく。
術師の一人が杖を取り落とした。
我も何か落とした気がした。
皇帝として大切な何かを。
剝き出しになった砲撃区画を前にガングレリは弓を下ろした。
今度こそ終わったのか。そう思った。思いたかった。
ガングレリ「お返ししまぁす」
口が開いた。
先ほど喰らった光が奥で重なっていた。
幾つもの砲撃。
帝国の技術者たちが長い年月をかけて研ぎ澄ませた城壁を穿つための魔法。
それが一つになって兵装区画へ吐き出された。
白い光が地面を走った。
砲座を呑み込む。防壁を削る。鉄の門をひしゃげさせる。
兵士たちが逃げる。
逃げた先の背後で無人になった砲台が次々に吹き飛んだ。
遅れてきた爆風に我の身体が傾いた。
誰かが外套の襟を掴んだ。咎人だった。
片手で我を引き戻すとそのまま足元へ立たせる。
咎人「足元には気をつけるがよい。皇帝が転んでは兵も落ち着かぬ」
ヴァルアス「……お気遣い、痛み入る」
兵が落ち着かぬ理由はそこではない。
絶対にそこではない。
光が消えた時、兵装区画の向こうに空が見えた。
先ほどまで建物があった場所だ。
視察の順路はもう存在していなかった。
ガングレリ「よぉし。見晴らしよくなったねぇん」
ヴァルアス「我の……兵装庫が……」
ガングレリ「まだあるよぉ?ほら、あっちの角」
角だけだ。角が残っていて何になる。
我は三人を見た。咎人は外套を整えている。
シェンリィは眼鏡を拭いている。
ガングレリは次に撃ってくるものを探している。
ヴァルアス「……ずるいだろ」
誰にともなく言葉が漏れた。
ヴァルアス「そっちは最強三人で……こっちはどうせもうこれが終わったらお役御免の帝国、仮、だぞ……」
シェンリィ「仮なんだ?」
ヴァルアス「今、仮になったのだ!!」
建物も軍備も次々なくなっているのだぞ。
正式名称を名乗る自信がもうない。
ガングレリ「でも皇帝ちゃん、俺ちゃんしかやってないよぉ?」
言うな。分かっている。
それが一番腹立たしくて恐ろしいのだ。
ガングレリが不意に首を傾けた。瓦礫の向こう。
まだ残っている防壁の上で砲口がこちらを向いた。
ガングレリ「もぉ。またぁ?」
弓が持ち上がる。紫の矢が放たれた。
その軌道を黒紅の光が横切った。
甲高い音が響く。矢が弾かれ空へ逸れる。
頭上で紫の光が花のように散った。
ガングレリの手が止まった。
シェンリィの布も止まった。
瓦礫の間に一人の女が立っていた。
銀白の髪が粉塵の中で揺れている。
その間から鋭く立った獣の耳。
目元を覆う黒い仮面は冠のように尖った輪郭を持ち、奥に覗く紅紫の目がこちらを捉えていた。
棘を重ねたような暗黒の鎧。
深紅の裏地を見せながら大きな外套が風を受ける。
両手で構えられた大剣は刃の縁を紅く輝かせていた。
その足元で石畳が二筋削れている。
矢を弾いた衝撃を受け止めなお、女は立っていた。
兵士「……ブレンダ様」
誰かが呟いた。
その声が瓦礫の向こうへ広がっていく。
兵士「ブレンダ将軍だ!」
兵士「将軍が来られたぞ!」
我は目を閉じかけた。来た。ようやく来た。
我が何度も呼んだ将軍が。
その姿をこれほど頼もしく思ったことはない。
ブレンダ「全員、下がれ」
⬆️ブレンダ
よく通る声だった。兵たちが動く。
負傷者を抱え、武器を引きずりながら女の背後へ退いていく。
ブレンダは大剣を下ろさなかった。
その切っ先を咎人へ向ける。
ブレンダ「我が誇り高き帝国で、随分と無礼な行いをしているようだな……葬月の咎人よ」
何呼び捨てにしているのだ馬鹿野郎。
我は一瞬で目を開いた。
違う。まず事情を聞け。
帝国の誇りがここまでの大体の原因だ。
ヴァルアス「ブレンダ。待て。此度の件は――」
咎人「ふふふ……」
笑い声が我の言葉を遮った。
咎人が一歩前へ出る。鎖が鳴った。
咎人「とうとう来たか」
その声から先ほどまでの社交の響きが消えていた。
咎人「元より、我らの目的は貴様にある……!」
我ではなかったのか。ならば最初からそう言え。
こちらも庭園で茶など出さず会議室に二人きりで――
いや。会議室がなくなるだけか。
ブレンダ「……私を?」
咎人「帝国最強と謳われるその力、確かめさせてもらおう」
黒い鎖が足元を這った。
一本。二本。
地面に落ちた影から際限なく伸びていく。
咎人「そして……貴様の戦意、その全てを消失させてくれよう……!」
ブレンダの目が細くなった。恐れはなかった。
怒りも表には出ていない。
ただ剣を握る手の位置が変わった。
それを見て我は知った。
あれは演習の構えではない。
ブレンダ「できるものなら、やってみろ」
シェンリィが眼鏡をかけた。
指先で位置を整えようやく布をしまう。
シェンリィ「……さて」
隣でガングレリが弓を肩へ担いだ。
ガングレリ「おっ。ボスやる気じゃぁん」
なぜ楽しそうなのだ。
今から何が起こると思っている。
我が制止の声を上げようとした時、ブレンダが地面を蹴った。
石が砕ける。黒紅の刃が咎人の首へ迫ると鎖が跳ね上がった。剣と鎖がぶつかる耳をつんざく音。
庭園の土が波打ち噴水が縁から割れた。
背後の宮殿で窓硝子が一斉に弾け飛ぶ。
我は両腕で顔を覆った。そして心の底から叫んだ。
ヴァルアス「場所を変えろおおおおお!!」




