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第9話 悲しめない

「リナ」


 朝の教室へ入ったところで、教師に呼び止められた。


「はい?」


「今日は休んでも構わない」


「どうしてですか?」


 教師が言葉を止める。


 リナは首を傾げた。


「昨日、話しただろう」


「昨日……」


「君のお母さんのことだ」


「母さん」


 言われて。


 ようやく、机の上に置いた紙のことを思い出した。


 村から届いた知らせ。


 流行り病。


 死亡。


「ああ」


 声が出た。


「亡くなったんでした」


 教師の眉がわずかに動いた。


 リナ自身も、自分の言い方がおかしいことは分かった。


 けれど。


 胸は痛まなかった。


 涙も出ない。


 昨日は泣いたらしい。


 目元が少し腫れている。


 だから、もう泣けないだけなのかもしれない。


 教師はしばらくリナを見ていた。


 それから、先ほどよりも穏やかな声で言った。


「故郷へ戻るなら、必要な手続きはこちらで進める」


「戻りません」


 答えると、教師は少し驚いた顔をした。


「知らせには、もう埋葬したと書いてありました」


「そうかもしれないが、遺品や村での手続きもあるだろう」


「急いで行かないと駄目ですか?」


「駄目ではない。ただ、君が心配なんだ」


「大丈夫です」


 昨日も同じことを言った気がする。


 でも今日は、本当に大丈夫だった。


 身体も軽い。


 授業だって受けられる。


「それと、学費のことなんだが」


「学費?」


 言われて初めて、リナは考えた。


「今後は、お母さんからの仕送りを受けられない。学費や寮費をどうするか、相談する必要がある」


「……そうですね」


 これまで学費を払い、仕送りを送ってくれていたのは母だった。


 リナは母のことを思い出そうとした。


 勉強しろと言われたこと。


 食べ物を残して怒られたこと。


 魔法の練習をさぼって、杖を取り上げられたこと。


 そうした記憶なら残っている。


 けれど、優しく抱きしめてもらった記憶はない。


 頭を撫でてもらった記憶もない。


 母と一緒にいて幸せだったと思える記憶が、一つもなかった。


 母は、あまり優しい母親ではなかったのかもしれない。


 それでも、学費を払い、仕送りを続けてくれた。


 そのことには感謝している。


 ――今まで、ありがとう。


 心の中でそう言ってみた。


 涙は出なかった。


「今後も学園に残るつもりか」


「はい」


「すぐに決めなくてもいいんだぞ」


「大丈夫です。退学するつもりはありません」


「分かった。学費や生活費について相談できる場所はある。放課後に案内しよう」


「ありがとうございます」


「だが、つらくなったら授業の途中でも言いなさい」


「はい」


 リナは自分の席へ向かった。


          ◇


「母さん、死んだんだって」


 昼休み。


 リナがそう言うと、エマの手からパンが落ちた。


「……え?」


「流行り病。昨日、先生から聞いた」


「リナ、大丈夫なの?」


「うん」


「朝も先生に同じこと聞かれた」


 エマはしばらくリナを見ていた。


 それから椅子を寄せ、いつもより静かな声で言った。


「今日は一緒にいるから」


「大丈夫だよ」


「それでも」


「……じゃあ、相談したいことがあるんだけど」


「何?」


「仕送りがなくなるから。学生でもできる仕事、何か知らない?」


 エマはすぐには答えなかった。


「分からない。でも、一人で決めないで。先生にも相談しよう」


「朝、相談先を案内してくれるって」


「じゃあ、終わるまで待ってる」


「先に帰っていいよ」


「待ってる」


 エマは譲らなかった。


「分かった」


 リナはパンをちぎった。


 心配してくれる友達がいる。


 ありがたいと思う。


 エマは、母のことをそれ以上聞かなかった。


 リナも、話すことはなかった。


          ◇


 放課後。


 教師に案内された先には、学生向けの依頼が貼り出されていた。


 薬草採取。


 町の警備。


 商隊護衛の補助。


 魔物討伐の補助。


 遭難者の捜索。


 依頼ごとに報酬が書かれている。


「学生でも受けられるんですか?」


「教師の許可が必要なものもあるが、君の実習評価なら選べる依頼はある」


 リナは紙を順番に見ていった。


 安全な仕事ほど報酬は低い。


 町の外へ出るもの。


 魔物と戦う可能性があるもの。


 危険が増えるほど、報酬も高くなる。


 母から届いていた仕送りを補うなら、一度きりでは足りない。


 授業を受けながら、何度も依頼をこなす必要がある。


「これなら、学費を払えますか?」


「すぐに全部とはいかない。だが、生活費の足しにはなる」


「やります」


「今日は選ばなくていい」


「でも」


「初めて受けるなら、内容をよく見て決めなさい」


「……はい」


 リナはもう一度、依頼を見る。


 戦う仕事なら、自分の得意な魔法を使える。


 学外実習では中級の魔物も倒した。


 できるはずだ。


 問題は魔力だった。


 自分自身の魔力だけでは、長時間の依頼に向かない。


 契約魔力は残っている。


 記憶を対価にした分も増えた。


 けれど、使えば減る。


 依頼の途中で足りなくなれば、自分だけでなく同行者まで危険になる。


「明日、また見に来ます」


「ああ。無理のないものを選びなさい」


 教師はそう言った。


 リナは返事をしながら、報酬が高い依頼の場所を覚えておいた。


          ◇


「寿命なら、使えるんだよね?」


 寮へ戻ってから、リナは悪魔に尋ねた。


「使える」


「払ったら、どうなるの?」


「差し出した分だけ、お前の寿命が減る」


「それだけ?」


「その対価に見合う魔力を、お前へ譲渡する」


「痛い?」


「痛みはない」


「具合が悪くなったりは?」


「その場で身体に変化はない」


「味は分かる?」


「味覚は対価に含まれない」


「眠れる?」


「休息も含まれない」


「記憶は?」


「取得しない」


 リナは黙った。


 何も痛くない。


 食事もできる。


 眠ることもできる。


 何かを忘れることもない。


 ただ、寿命が減る。


 何年後か。


 何十年後か。


 自分が死ぬ日が少し近づく。


 怖くないわけではない。


 けれど。


 明日の自分には何も起こらない。


 授業を休む必要もない。


 食堂でエマに心配されることもない。


「どのくらい魔力をもらえる?」


「差し出す量による」


「そうだよね」


 リナは机の上に置いた依頼の控えを見る。


 学費を払うには、依頼をこなして稼ぐ必要がある。


 そのためには、魔力が多い方がいい。


「今日は契約しない」


「分かった」


「今度はちゃんと考える」


「そうか」


 記憶の時のように、説明を聞き流したくはない。


 条件を聞いて。


 自分で決める。


「明日」


 リナは小さく息を吐いた。


「明日、契約する」


「分かった」


 悪魔は勧めなかった。


 止めもしなかった。


 ただ、リナの選択を受け取った。


 寿命なら。


 今の自分は、何も失わずに済む。


 そう思えた。


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