第10話 寿命一年
翌日の放課後。
リナは掲示板の前で、一枚の依頼書を握っていた。
町の外れに現れる小型魔物の討伐補助。
出発は三日後。
学生向けに危険度が抑えられた依頼で、初めてでも教師の許可があれば参加できる。
薬草採取より危険な分、報酬も高かった。
「これを受けたいです」
依頼書を見せると、教師は内容を確かめた。
「討伐依頼を選ぶのか」
「はい」
「実習で中級魔物を倒したとはいえ、あれは三人一組だった。今回は依頼で集められた学生と組むことになる」
「分かっています」
「知らない相手と連携することも、依頼のうちだ。単独で先行しないこと。危険を感じたら退くこと」
「はい」
教師はもう一度依頼書を見てから、許可を示す印を押した。
「最初から報酬だけを見て、危険な依頼を選んではいけない」
「これより危ない依頼は選んでません」
「そういう意味ではないんだが……」
教師は小さく息を吐いた。
「今回はこれでいい。ただし、無理はするな」
「ありがとうございます」
依頼書を受け取り、鞄へしまう。
これで仕事は決まった。
次は、仕事を終えるための魔力が必要だった。
◇
寮の部屋へ戻ると、悪魔は机の上で本を読んでいた。
表紙には、剣を持った王子と大きな竜が描かれている。
「何読んでるの?」
「棚にあった本だ」
「それ、子供向けの絵本だよ」
「絵と文章の対応が多い」
悪魔は本から顔を上げなかった。
「面白いの?」
「分からない」
「その本、竜にさらわれたお姫様を王子が助ける話だけど」
「竜はなぜ人間の女をさらう?」
「さあ。悪い竜だからじゃない?」
「理由になっていない」
「絵本だからね」
リナは鞄を置いた。
「昨日の続き、いい?」
悪魔が本を閉じた。
「寿命の契約か」
「うん」
リナは依頼書を机に広げた。
「三日後に、魔物の討伐依頼へ行くことになったの。途中で魔力が足りなくならないくらい欲しい」
「必要量は、依頼の内容だけでは確定できない」
「魔物が何体出るか分からないから?」
「そうだ。お前がどの程度の魔法を使うかによっても変わる」
「じゃあ、学外実習で使ったより多め。何度か依頼を受けても、すぐになくならないくらい」
悪魔が片手を上げる。
掌の上に、青白い光が集まった。
小さな拳ほどの光の塊。
見ているだけで、それが魔力だと分かった。
これまで一度の契約で受け取った量より、明らかに多い。
「この量でどうだ」
「全部もらえるの?」
「契約が成立すれば、お前へ譲渡する」
「対価は?」
「お前の寿命一年」
「一年!?」
思わず声が大きくなった。
「多くない?」
「提示した魔力に対する対価だ」
「もう少し安くできない?」
「受け取る魔力を減らせばよい」
青白い光が二つに分かれる。
一方が消え、残った光は半分ほどになった。
「これなら寿命半年だ」
「半分か……」
「そうだ」
少なくはない。
だが、依頼の途中で魔力が足りなくなるのは困る。
足りなくなってから追加の契約をする余裕があるとも限らない。
「寿命以外も混ぜられる?」
「可能だ」
「例えば?」
「血、休息、感覚、記憶。価値に応じて寿命の量を減らせる」
どれも嫌だった。
血は痛い。
休息を失えば授業も依頼もつらくなる。
味覚がなくなる一週間は、もう繰り返したくない。
記憶は、何を失ったのかさえ分からない。
「魔力が回復しにくくなるやつは?」
「使える」
「依頼があるのに、それは意味ないよね」
「そうだな」
「期限付きでもいいから、安くできない?」
「今回譲渡するのは魔力そのものだ。期限は付かない。対価を減らすなら、魔力を減らす」
「余っても消えないんだよね」
「消えない」
買った魔力なら、今回の依頼で使い切らなくても次へ持ち越せる。
学費を払うには、一度だけでなく何度も依頼を受けなければならない。
半年分を買ってすぐに次の契約を考えるより、一年分を買って残した方が安全だった。
「……最初の量に戻して」
消えていた光が戻り、再び一つの塊になった。
「確認するけど、本当にその場では何も起きない?」
「お前の寿命が一年減る」
「それ以外」
「今回の契約には含まれない」
「痛くならない」
「ならない」
「具合も悪くならない」
「ならない」
「眠れるし、味も分かる。記憶もなくならない」
「そうだ」
「……分かった」
寿命一年。
口にすると長い。
これから過ごすはずだった一年がなくなる。
怖くないわけではない。
それでも、半年分を選んで依頼の途中で後悔する方が怖かった。
「契約する」
悪魔の足元に魔法陣が浮かぶ。
「確認する」
「うん」
「私は、お前の寿命一年を対価として受け取る」
「うん」
「対価と引き換えに、先ほど提示した魔力をお前へ譲渡する」
「うん」
「譲渡した魔力は使用するまでお前の所有物であり、時間の経過では失われない」
「うん」
「契約するか?」
リナは一度だけ息を吸った。
「する」
魔法陣が光った。
悪魔の掌にあった青白い光が、リナの胸元へ吸い込まれていく。
身体の中ではない。
それでも、自分のすぐそばに新しい魔力があることが分かった。
これまで貯めていた契約魔力へ、さらに別の量が加わった。
光が収まる。
「…………」
リナは胸へ手を当てた。
心臓は普通に動いている。
頭も痛くない。
腕を動かしてみても、どこにも違和感はない。
「終わった?」
「終わった」
「寿命は?」
「受け取った」
「一年?」
「一年だ」
「……本当に何もない」
悪魔の輪郭が、一瞬だけ濃くなった。
小さな角の先が、先ほどよりわずかに鋭く見える。
「今、何かした?」
「取得した寿命の一部を、私自身の強化へ使った」
「私の寿命、使えるんだ」
「対価として受け取った時点で、私のものだ」
「私の魔力になったんじゃないの?」
「契約で定めた魔力は、すでにお前へ譲渡した。私が受け取った対価とは別だ」
「……そういうものなんだ」
「そういう契約だ」
リナは自分のそばにある契約魔力を確かめる。
約束された分は、確かに受け取っている。
なら、悪魔が受け取った寿命を何に使っても、契約違反ではない。
「まあ、いいか」
悪魔は再び絵本を開いた。
リナは依頼書を畳み、机の引き出しへしまった。
◇
その夜。
夕食の味は分かった。
ベッドへ入れば、いつもどおり眠れた。
翌朝も、身体に疲れは残っていなかった。
鏡を見ても、昨日までの自分と何も変わらない。
「本当に一年減ったんだよね」
机の上で絵本を読んでいた悪魔へ聞く。
「減った」
「全然分からない」
「寿命は外見から確認できるものではない」
「そっか」
リナは制服へ着替え、三日後の依頼書を鞄へ入れた。
休息を失った時よりも。
味覚を失った時よりも。
記憶を失った時よりも。
ずっと楽だった。
何も変わらないまま、寿命だけが一年減った。
けれど今のリナには、何も困ることがなかった。




